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交流

43歳の健康診断

2004-03-22 17:56:00 | 徒然なるままに
1月18日(木)

午前中は、息子の高校の入学資料提出とジャージや上履き、教科書を買いに行った。
学校説明会はなく、あっさりとしたものだった。
一緒に行った友人親子と、行き帰りの車の中でいろんなことを話した。
この二人のこれからの高校生活が充実したものになるように願ってやまない。

激しくなってきた雨の中、それぞれを送り届けた後、健康診断を受けに港湾診療所に向かった。
視力は、1.5と1.2。去年よりちょっと落ちたかな。
血液検査の結果は来週出るが、そのほかは健康優良児だった。
乳ガンと子宮ガン検診については今回はなかったので、市の検診を受けなくてはならない。

43歳。これから先の人生を元気に過ごして充実させていくためにも、体のメンテナンスは重要不可欠。若い頃のような無理は致命傷になりかねない。
いや、若い頃と違って、今は自分の体は自分だけのものではない。
家族の健康と生活を守り、家族の夢をかなえるためにも、健康維持につとめなければならない。
去年は、大学編入のための健康診断。
今年は、教員採用のための健康診断。
来年からも毎年受けることになると思うが、子どもたちと関わる仕事に就く以上、健康管理は最低限の義務である。
そして、体力維持と体力づくりもまた大事なことだと思う。
子どもパワーに負けないくらい、パワフルな先生目指してがんばろう!

かわいい子には旅をさせろ。

2004-03-22 17:26:00 | 徒然なるままに
3月21日(日)

長女は、7:19分発の電車に乗って、一人東京に旅立っていった。
出発前に何度も、乗り換えや乗る電車の路線を復唱させ、門限の7:00を破ったら、どうなるかも覚悟(?)させ、楽しんでこいと見送った。
母は、
「女子中学生が初めて会う友達に会いに、一人で東京に行かせるなんて!」
と大反対で、すごく心配をしていた。
それも、千葉からではなく石巻から新幹線を使ってという大旅行の大冒険。
私だって本音のところではすごく心配だ。
でも、長女は13歳。
仲良しの文通友達に会いに東京に行きたい気持ちは、かつての自分と重なり、すごく気持ちは分かる。
私は、彼女からその話を聞いたとき、日程がお墓参りと重なってしまった以上、娘だけ上京させるということを決心した。
娘も、最初は戸惑っていたが、友達に会いたい一心もあり、私の提示した条件をのんで、その冒険に挑戦してみることにしたのだ。

この1年、小学校の卒業、中学校入学、そして5月からの不登校に始まる彼女の心の葛藤は、私の想像を遙かに超えるものだったろう。
だが、年が明けてからの彼女の「さなぎ」から抜け出そうという様々な試みを、私は希望を持って見守ることができるようになってきた。
ここで、「野放し」にするのでも「放り出す」のでもなく、「かわいい子には旅をさせる」のも必要なのでは。と思った。

学校に行けない自分を責め、理想とプライドの高さと現実の自分とのギャップに苦しみ、自信をなくし、自己嫌悪に陥っている娘。
『思い』や『目的』があって、それを実行し、それに向かって努力する、困ったときには人に聞くなり、知恵を絞る。達成感を味わう。そういう体験を通して、自信を持ってほしい。挑戦する気持ちを持ってほしいと思った。

4:30。娘から連絡が入った。
「お友達とはぐれちゃったから、30分ぐらい遅れるかも」
「わかった。でも、約束を守るための最大限の努力はしなさいね。気をつけて。」
「ママ、ありがとう!」

7:30。最初の約束には30分遅れたが、娘は無事帰宅。
友達との初対面も、一緒に見た映画『ピカンチ・ダブル』も感動ものだったらしい。
「『青春』の大切さがわかった!」とかいうようなことを興奮気味にしゃべりまくっていた。

この「大冒険」が、2年生への「自信」につながるのか、味を占めて、しょっちゅう都内に遊びに行くようになるきっかけになってしまうのか気になるところだが、とりあえずは「無事帰宅」。
『自分の人生は自分で切り拓く』たくましさをもってほしい、という母の願いが理解できるようになるには、まだまだ時間がかかるのかもしれないが・・・。

里帰り・お墓参り

2004-03-22 17:25:00 | 徒然なるままに
3月20日(土)

朝、従妹からTELが入った。
今、お墓参りをし終えたので、こちらに寄りたいという。
来るのは明日と聞いていた母は慌てていた。

12年前、叔母が亡くなって以来の再会だ。
年賀状や電話では何度か連絡を取り合い、近況を知らせあい 、相談にものってあげている15歳下の従妹。
彼女が生まれたとき、叔母に頼まれ、私と弟が名付け親になった。
その彼女も、今は2児の母。
私なんかよりずっとしっかりとした子育てをし、妻としても、嫁としても可愛がられるよう、努力を惜しまない。
彼女は、ご主人に出会うまでのいろいろな境遇を乗り越えてきた経験もさることながら、子どもを産んでからの苦労も、大変なものがある。
にもかかわらず、なんと前向きに、周りを明るく元気付け、どんな困難にも立ち向かい、周囲に協力を求めるバイタリティーは見習うべきものがある。

今回、従妹一家に初めて会って、一緒に何時間かを過ごして、彼女がここまで立ち直れて、余裕を持って子育てに専念できるのも、このご主人あってのことなのだと改めて思った。

従妹の子どもたちは、初めてにもかかわらず私になれてくれたが、1年生の男の子と2歳の女の子のパワーには、さすがの末娘も圧倒され気味だった。
でも、だんだんになれてきて、一緒にカルタをしたり、近所の公園に遊びに行った。

帰り道、男の子が
「今日はとっても楽しかったです!」
と繰り返し言ってくれたのがすごくうれしかった。

しばらくしてようやく弟たち一行が到着し、12年ぶりにみんなで再会を喜び合った。
今回は従妹の弟が、婿入り先の家の田植の準備で同席できなかったのが残念だった。

夕方、長女は明日の早朝には東京に発つということもあって、みんなで墓参りに出かけた。
我が家と夫の実家のお墓参りを済ませた頃には、すっかり日は落ちた後だった。

久しぶりに、みんなで「中華楼」のラーメンを食べた。
石巻に来たら、これを食べないではいられないのだ。
餃子もチャーハンもおいしかった。
今度ここに、またみんなで食べに来られるのはいつのことになるだろう・・・。

婆ちゃんの十三回忌、おじさんの一周忌の法事はこうして終わった。
どんな豪華な法事より、遠くからみんながそろって駆けつける、それが何よりもの供養なのだと思う。
お墓には、まだ墓参りに来てはいないのか、花のあがっていないところもあって、周りがきれいに飾ってあるだけに、いっそう寂しそうに見えるお墓がいくつかあった。

末娘に、お彼岸の意味と、今日が昼の長さと夜の長さが同じだということを教えた。
先祖を敬う気持ちと、先祖がいてこその命のバトンタッチであり、亡くなった後も自分たちを見守ってもらっているという意識は、私が小さい頃、祖母から何度となく話して聞かせられたことだった。

千葉の我が家には仏壇はないが、出窓には祖父母や義父の写真が飾ってあり、命日やお盆、お彼岸には花を添えて手を合わせる。
私は、その写真に、うれしいことがあったときには報告を、困ったときには相談をする。
そういう姿を見て子どもたちは育った。

来年は、今朝来た従妹のお母さん、つまり、私の父の妹の十三回忌。去年父を亡くして両親ともにいない従妹。
私が叔母に会った最後の時に、従妹のことを頼まれている。私は叔母に、
「おばちゃんが私にしてくれたように、○○を助けていくから心配しないで。」
と約束した。

来年、また従妹一家に会えるのが楽しみだ。

「法事」というのは、故人を偲ぶだけではなく、残されたもの同士が疎遠にならないよう、直接会ってお互いに息災を確かめ合うように個人が残してくれた「贈り物」なのかもしれない。
世の中には、面倒なことだと感じる人もいるのだろうが、私はこういうことは人間の営みの中でもとても大切なセレモニーとして、子どもたちに伝え、自分でも実践していきたいと思う。

「円山応挙展」

2004-03-22 17:12:00 | 徒然なるままに
3月19日(金)

今日の夕方は石巻に発つというのにも関わらず、「円山応挙展」に行ってしまった。
21日までの会期ではあるが、今日を逃したらみることはできないからだ。

結果、無理してでも行ってよかった~!
なんと目の保養、創作意欲の刺激になったことだろう。
入館してすぐのL字に展示してある滝の絵は、床の部分が本当に滝壺のように見える!
鶴の群団の絵は、1羽1羽が丹念に描かれ、その描写力のすごさ!細密画というよりも、図鑑のようで、図鑑よりも詳しい!
描かれた当時は、まるで生きているようなので逃げ出さないように金網をかけてという曰く付き(実際の金具の後付き)のついたて。
モデルは猫と敷物の毛皮という「虎の絵」の緊迫感力!
龍の絵は天空の空間を感じさせるスケールの大きさと迫力があった。
山水画は、水の流れやうねりが襖いっぱいに描かれ、躍動感があった。
驚いたのは、梅や松の枝が、襖を閉めたときにも絵がつながるように計算されて描かれていることだった。
狗子(子犬)の絵もかわいらしくて見るものをいやしてくれる。
一番印象に残っているのは、大乗寺「芭蕉の間」の「郭子儀図襖」に描かれている郭子儀の目線だ。それぞれの襖で、思い思いに遊ぶ童を暖かなまなざしで見守る郭子儀の目線は構図上たいへん重要な役割を担う。
いつか、是非とも機会を作って、大乗寺に行ってみたいと思う。

中1の時、国語の教科書で丸山応挙の若い頃の話を習った。
応挙がイノシシの絵を描いたとき、それを見た漁師が、
「これは死んだイノシシの絵だ」
と見抜いたそうだ。
どうしてわかったのかと聞いたら、動物は生きているときと死体とでは、毛の生えている感じが違うのだそうだ。
そうして、応挙は真の「写生」に目覚めて行くのだ。という内容だったと思う。
そのときから、すごく気になる画家だった。
今回、念願かなって、大満足である。

夕方はばたばたと忙しく、何とか新幹線に間に合い、仙石線の終電に乗り込めた。

末娘との小旅行。実家に着いたのは夜中の12:30を回っていた。
息子と長女は、私の弟が明朝東京から車で迎えに来てくれて、順調にいけば昼過ぎには実家に到着する。
20日には、久しぶりに両親・兄弟・孫が集まる。にぎやかになりそうだ。