2008年1月12日
新年が始まって、11日。
今年も波乱万丈で、ドラマティックな年明けとなった。
年末年始は、本当に久しぶりに故郷で過ごした。
1月2日には弟妹、子どもたちも勢ぞろいして、みんなで記念写真を撮った。
昨年8月、九死に一生を得た身としては、これ以上ない親孝行ができ、自分としても、最高の年明けを迎えることができたと思う。
2日の日はまた、中学校の同期会があった。6年ぶりの再開。人数は前回よりも少なかったが、懐かしい顔ぶれがそろった。
年齢的に、子どもの受験や親の介護などもあって出席できない人や、最近の地域開発で実家が引っ越してしまい、連絡が取れなくなってしまった人もいたそうだ。
久しぶりの母校の周辺は、大型店舗が立ち並び、高速道路のインターができて、まるで別の街に様変わりしていた。
再会を約束していていた友人たちには、残念ながら会えなかったが、その代わり、中学卒業以来、話したことも無かった人たちといろいろ話すことができた。
面白かったのは、当時の私の印象だった。
前回、いつものメンバーや当時仲の良かった人達中心に話したときは、私が『中学時代と変わっていない人No.1』に選ばれたのは、見た目もさることながら、成長の無い性格もあってかと思っていた。
今回は、私も覚えていないいろんなエソードを覚えていてくれた人達から、当時の私の意外な印象を聞いて、とても興味深かった。
当時、私はいわゆる優等生クラスにいたらしいのだが、理不尽なことを言う教師にたてついたり(?)、いつ勉強しているんだかいつもマンガばかり描いていて、今で言うアニメオタクで、ツッパリやいじめられっ子に対しても、分け隔て無く誰とでも仲良く付き合っていたらしい。
「お前は、あの先生に立ち向かっていくときは、誰よりも男らしかったよな」
「結構、『マドンナ』だったんだぞ。小学校のときは『かわいい子が転校してきた』って、みんなで家まで後つけていったんだ」
「TVのアニメ特番とかで『海のトリトン』を見ると、必ず○○(旧姓)さんのこと思い出すよ。」
カラオケで伊藤咲子の『ひまわり娘』を歌ったとき、
「お前、この歌そのまんまだなや~、変わるなよ!」
と言われた。
調子に乗って、中2のとき、放課後卓球部のみんなと歌いまくっていた、リリーズの『好きよ、キャプテン』や、天地真理のメドレーを歌いまくった!
そのうち、自分たちが中学時代に流行った歌のメドレーをみんなで歌って、気分はすっかり13~15歳に戻ってきた。
私は、そんなみんなの様子を見ながら、半分、懐かしく、自分自身も中学時代に戻って思い出話を楽しみながら、6年前には無かった、『別の視点』からこの会を眺めている自分に気づいていた。
中学校の講師を3年間務めてきて、さまざまな子どもたちと出会い、今また中学1年生の担任をやっている。
同級生たちは、またさまざまな個性を持ち、卒業後、それぞれにさまざまな人生を歩んできた。
彼らと話をしながら、中学当時の彼らと、今受け持っている生徒たちとの共通点をダブらせている、教師としての視点。
あの勉強嫌いのやんちゃ坊主が、独学で勉強をして自営業を頑張っていたり、「石巻で一番おいしいイチゴを作っている」と農業に懸ける情熱を語る同級生、ツッパッていても、子分の面倒見の良かったやつは、何人もの従業員を抱え、「あいつらの家族を支えてやらなきゃな」と親分肌健在だったり。故郷を飛び出して行ったけれど、夢破れボロボロになって帰ってきたときに支えてくれた同級生たちを、「今度は自分が励ます」と幹事を引き受けてくれた、元いじめっこ。小・中校時代の罪滅ぼしをするべく、子どもの小学校でPTA会長を四期務めている人・・・。
中には、手術をして九死に一生を得、やっと体重が増えてきたという人や、学校一の俊足だったけれど、「身体を壊して食事も普通に取れないんだ」と、手付かずのご馳走の前で微笑んでいる人もいた。
中学校で美術を教えて、1年生の担任をやっているといったら、何人かの人に、
「もう一回13歳から勉強やり直したいなぁ。」
「こんな面白い先生いたら生徒も楽しいだろうねぇ。」
「俺もお前に美術教わったら、絵を描くの好きになれるかなぁ」
と言われて、なんだかとっても励まされた。
結局、私は四次会まで付き合い、名残を惜しんで帰って来たのは深夜だった。
次回の同期会は7年後。そのときには、「チマチョゴリを着て、マチュピチュの遺跡に行ってきた土産話をする約束をした。
有言実行!『夢は叶えるもの』。その夢に向かって、今年は一歩でも近づけるよう頑張る年にする。そのためにも健康第一。体力づくり。貯金。語学・文化の勉強。ケーナの練習。頑張るぞ!!
*(音符)*大事なのは変わってくこと、変わらずにいること(槙原敬之『遠く遠く』より)
新年が始まって、11日。
今年も波乱万丈で、ドラマティックな年明けとなった。
年末年始は、本当に久しぶりに故郷で過ごした。
1月2日には弟妹、子どもたちも勢ぞろいして、みんなで記念写真を撮った。
昨年8月、九死に一生を得た身としては、これ以上ない親孝行ができ、自分としても、最高の年明けを迎えることができたと思う。
2日の日はまた、中学校の同期会があった。6年ぶりの再開。人数は前回よりも少なかったが、懐かしい顔ぶれがそろった。
年齢的に、子どもの受験や親の介護などもあって出席できない人や、最近の地域開発で実家が引っ越してしまい、連絡が取れなくなってしまった人もいたそうだ。
久しぶりの母校の周辺は、大型店舗が立ち並び、高速道路のインターができて、まるで別の街に様変わりしていた。
再会を約束していていた友人たちには、残念ながら会えなかったが、その代わり、中学卒業以来、話したことも無かった人たちといろいろ話すことができた。
面白かったのは、当時の私の印象だった。
前回、いつものメンバーや当時仲の良かった人達中心に話したときは、私が『中学時代と変わっていない人No.1』に選ばれたのは、見た目もさることながら、成長の無い性格もあってかと思っていた。
今回は、私も覚えていないいろんなエソードを覚えていてくれた人達から、当時の私の意外な印象を聞いて、とても興味深かった。
当時、私はいわゆる優等生クラスにいたらしいのだが、理不尽なことを言う教師にたてついたり(?)、いつ勉強しているんだかいつもマンガばかり描いていて、今で言うアニメオタクで、ツッパリやいじめられっ子に対しても、分け隔て無く誰とでも仲良く付き合っていたらしい。
「お前は、あの先生に立ち向かっていくときは、誰よりも男らしかったよな」
「結構、『マドンナ』だったんだぞ。小学校のときは『かわいい子が転校してきた』って、みんなで家まで後つけていったんだ」
「TVのアニメ特番とかで『海のトリトン』を見ると、必ず○○(旧姓)さんのこと思い出すよ。」
カラオケで伊藤咲子の『ひまわり娘』を歌ったとき、
「お前、この歌そのまんまだなや~、変わるなよ!」
と言われた。
調子に乗って、中2のとき、放課後卓球部のみんなと歌いまくっていた、リリーズの『好きよ、キャプテン』や、天地真理のメドレーを歌いまくった!
そのうち、自分たちが中学時代に流行った歌のメドレーをみんなで歌って、気分はすっかり13~15歳に戻ってきた。
私は、そんなみんなの様子を見ながら、半分、懐かしく、自分自身も中学時代に戻って思い出話を楽しみながら、6年前には無かった、『別の視点』からこの会を眺めている自分に気づいていた。
中学校の講師を3年間務めてきて、さまざまな子どもたちと出会い、今また中学1年生の担任をやっている。
同級生たちは、またさまざまな個性を持ち、卒業後、それぞれにさまざまな人生を歩んできた。
彼らと話をしながら、中学当時の彼らと、今受け持っている生徒たちとの共通点をダブらせている、教師としての視点。
あの勉強嫌いのやんちゃ坊主が、独学で勉強をして自営業を頑張っていたり、「石巻で一番おいしいイチゴを作っている」と農業に懸ける情熱を語る同級生、ツッパッていても、子分の面倒見の良かったやつは、何人もの従業員を抱え、「あいつらの家族を支えてやらなきゃな」と親分肌健在だったり。故郷を飛び出して行ったけれど、夢破れボロボロになって帰ってきたときに支えてくれた同級生たちを、「今度は自分が励ます」と幹事を引き受けてくれた、元いじめっこ。小・中校時代の罪滅ぼしをするべく、子どもの小学校でPTA会長を四期務めている人・・・。
中には、手術をして九死に一生を得、やっと体重が増えてきたという人や、学校一の俊足だったけれど、「身体を壊して食事も普通に取れないんだ」と、手付かずのご馳走の前で微笑んでいる人もいた。
中学校で美術を教えて、1年生の担任をやっているといったら、何人かの人に、
「もう一回13歳から勉強やり直したいなぁ。」
「こんな面白い先生いたら生徒も楽しいだろうねぇ。」
「俺もお前に美術教わったら、絵を描くの好きになれるかなぁ」
と言われて、なんだかとっても励まされた。
結局、私は四次会まで付き合い、名残を惜しんで帰って来たのは深夜だった。
次回の同期会は7年後。そのときには、「チマチョゴリを着て、マチュピチュの遺跡に行ってきた土産話をする約束をした。
有言実行!『夢は叶えるもの』。その夢に向かって、今年は一歩でも近づけるよう頑張る年にする。そのためにも健康第一。体力づくり。貯金。語学・文化の勉強。ケーナの練習。頑張るぞ!!
*(音符)*大事なのは変わってくこと、変わらずにいること(槙原敬之『遠く遠く』より)
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