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交流

不思議な帽子秋公演本番

2003-11-13 01:55:00 | 徒然なるままに
11月8日(土)

今日は幼稚園の作品展&不思議な帽子の秋公演本番。
娘達を連れて懐かしの幼稚園へ。
お天気も良く、保育室も園庭も親子連れや、卒園児で賑やか、賑やか。
お遊戯室は大入り満員。
2回目の園児の回はみんなの応援の声や、いっしょに歌う声で、天井が抜けそうなほどの大反響!
ひさびさの大興奮を客席で見ながら、やっぱり不思議な帽子はすごい!と思った。
そして園児達の反応の良さがまた、舞台をよりグレードアップしてくれていることを実感!
私も、思わず、見ず知らずの子をひざに抱いて、隣でノリノリの女の子も一緒に、
♪ホーネホネロック!とか
♪すーずめーがサンバ!とか
♪トットロ、トットロ、トットロ、トットロ、
と大合唱してしまった。

公演後、懐かしいOBの方々にも会い、みんなから元気をもらえた公演だった。
いつか、じっくりまたみんなと人形劇作りができる日が来ることを信じたい。

会場で何年かぶりであった友人達と、フルルでお茶をした。
お互い、受験生をもつ母同士、心配と悩みは尽きない。
とにかく、お互いの健康と、子供たちの健闘を祈り分かれた。
園で、あどけなく、屈託なく笑い、泣き、遊んでいた子ども達。
みんな、親も子も、初めての試練に立ち向かっていくんだね。
みんなに明るい春がやってきて、春休みの園の同窓会にはみんな笑顔でまた集まりたいね。

『となりのトトロ』

2003-11-10 20:49:00 | 徒然なるままに
11月7日(金)

今日は、人形劇のリハーサルと言うことで、本当に久し振りに幼稚園に出かけた。

朝から恒例の『黒豆』を煮て、懐かしい園へ。
先日、子ども達が通園していた当時のお友だちと会ったばかりなだけに、門のところまで来ると、いろいろな思いがこみ上げてきて、思わず涙が出てきてしまった。

お遊戯室では「リハーサル」の日独特の緊張感が漂い、『けこみ』の中のみんなの真剣さがひしひしと伝わってくる。

今回の『猿地蔵』は、私がはじめて棒使い人形を使って『意地悪じいさん』役をやった劇だ。
当時は息子に、
「どうしてママが『意地悪じいさん』なの?」
とべそをかかっれたっけ。
本番も、あまりの迫真の演技(??)に、息子の友達たちが、後で私と知り、
「あの○○ちゃんママが・・・!」
とビックリしていたとか。
でも、息子が卒園の文集に
『ママ、2ねんかん、えんにかよわせてくれてありがとう。にんぎょうげき、これからもでがんばってつづけていってね』
と書いてくれたっけ。

音楽劇はおなじみ
『ホネホネロック』
『すずめがサンバ』
そして今回はリメイク版の
『となりのトトロ』

『となりのトトロ』は、長女が卒園のとき、どうしても『トトロ3部作』をやりたくて、当時、少ない人数と日数で無理やり作った未完の作品だった。
私はこの作品の完成と『ヘンゼルとグレーレル』を作りたくて、引っ越しても、末娘を同じ園に入園させ(本人の強い希望もあって)、在園中も卒園後も関わってきた。

だが、いろいろ事情が重なり、この夏から、関わりができなくなってしまっている。

今日、みんなの頑張りを見て、一緒に「けこみ」の中で頑張れないでいる自分を歯がゆくも思いながら、当時とは違った発想や手法でも、『トトロ』を作ってくれたその熱意と苦労に拍手を送りたい!

明日は本番。
「作品展」ということで、一般の方々にも見ていただける。
来年入園を楽しみにしている子ども達、もっと小さな子ども達、卒園生達が、どんな顔をして見てくれるのか。想像しただけでもワクワクしてくる。

帰り際、園長先生と奥様にご挨拶をした。
暑中見舞いで長女のことにちょっと触れていたためか、とても心配してくださっていた。
「子どもは大人が思っているより強いんですよ」
と言う言葉に、本当に励まされた。
2年前、息子のことで泣いていた私に
「○○君は大丈夫。」
とおっしゃってくださった言葉にどんなに慰められたことか。

卒園しても子ども達のことだけでなく、親のことまで見守ってくださる、そのことに本当に感謝してやまない。
ポプラの木は、みんなの「心のふるさと」のシンボル。
去年の夏休み、誰もいない園庭で、ポプラの木に抱きついて、セミ達と一緒に、初めて声をあげて泣いた日・・・。
私にとってもまた、心の故郷、拠り所としての幼稚園。

いつか、心にも、時間にも余裕ができたら、また、園児達の喜ぶ顔を想像しながらの楽しい人形劇作りに参加したいと思う。

『1カ月1万円生活』と娘の「家庭菜園」

2003-11-10 20:48:00 | 徒然なるままに
11月6日(木)

今、我が家ではまっているTV番組がある。
テレビ朝日系の「いきなり!黄金伝説」の「1ヵ月1万円生活・・・芸能人超節約バトル!」だ。
前回のシリーズからはまってしまい、今回のシリーズも、毎週楽しみに見ている。

前回は、浜口君の原始人生活に感動!
渡辺満里奈さんの内職にホロリとしながら、最後の「おもゆ」だけの食生活に涙したものだった。
が、今回のバトルは、アイディアがいっぱいなのと、毎回いろんなレシピや節約の裏技が楽しめ、見ていて飽きない。
勝敗は来週に持ち越させたが、私はどちらにも軍配を上げたい。

我が家の野菜嫌いの末娘は、伊藤麻衣子さんの「家庭菜園」に刺激され、お小遣いをはたいてプランターや土・肥料・種を買い込み、早速実践している。
まるで、「トトロ」のメイちゃんよろしく、毎日芽が出るのを楽しみにしている。

長女は、村上知子さんの小麦粉レシピと野草を使った料理と節約技に感激。以前から彼女に好感は持っていたとの事だが、今回は彼女のキャラクターと頑張りに大きなエールを送っている。

どちらも最後まで頑張って、大いに番組を盛り上げていってほしい。

子ども達も、こんなに興味を示し、親に言われるよりも、自分達の生活を見直す目を持ってくれるなんてありがたい番組だと思う。
これからも、説教臭くなく、家族で楽しめて役に立つ番組を作っていってほしいと思う。

生涯の友 3

2003-11-10 20:46:00 | 徒然なるままに
11月5日(水)

今日は、子ども達が赤ちゃん~幼稚園時代のお友達と、久し振りに会ってお昼を食べた。

お互いに、現在住んでいるところは違う市だが、一番上の子が中3で受験生ということで、共通の悩みと情報を持っている。
来週に控える『3者面談』を前に悩みは尽きない。
でも、受験するのも、頑張るのも、失敗をするのも、子ども本人なのだ。
辛いところではあるが、親としては子どもを信じて、見守って応援するしかない。

お互い、赤ちゃんの頃から知っている子ども達なだけに、よそ様の子だからか、
「へえ、○○君も、やっと反抗期を迎えたのね、おめでとう!遅く反抗期になるより、今なった方がいいのよ」
なんてのんきなことが言える。
真っ最中の本人としては心穏やかな日々を過ごしていないだけに、不安は消えない。
「うちの子も、去年、一昨年あたりは泣かされてばかりだけど、このごろは落ち着いちゃって、私なんか労られちゃったりして。」
「自分でも、あの頃は、分かっていてもいちいち親に言われるとうるさかったり、自分でも、何で苛ついているんだか分らなかったって言うしね」

なんだか、昔、同じメンバーで、
「うちの子、まだ断乳が出来ていない」
とか、
「○○ちゃんはもう高ばいできるんだって。もうすぐ立ッチできるんじゃない?うちの子はまだお座りも上手にできないのよ」
「オムツはずしって大変。トイレトレーニングどうしてる?」

なんて話をしていたっけ・・・。
だから、目の前にその子自身はいなくても、そのこの様子を聞いているだけで、自分の子の事ように、微笑ましくなったり、嬉しくなったり、ちょっと心配だったりする。
で、人の話を客観的に聞いたり、アドバイスしているうちに、自分や自分の子のことが客観的に見えてくるから不思議だ。

また何年かして、子ども達が一人一人巣立っていく頃、同じメンバーで集まって、今のことを懐かしく語り合うときが来るのだろうか・・・。

今はもう、違う人が住んでいるあの部屋、すっかり様子が変わってしまった公園・・・。
でも、あの、一緒に遊んだ日々や、お互いに協力し合って子育てを頑張ったかけがえのない日々は、いつまでも宝物としてみんなの心の中にある。子ども達の心の中にもきっと・・・。

子育ての仲間って、たとえれば「戦友」みたいなものだと思う。
お互いの頑張りに敬意を表して。
私もへこたれずに、明るく元気に頑張ろう!
子ども達が大きくなったら、みんなで温泉にでも行こうね~!

生涯の友 2

2003-11-10 20:45:00 | 徒然なるままに
11月4日(火)

今日、久し振りに、以前、PTAの役員の広報委員会でいっしょだった友人達とお茶をした。

みんな、それぞれの子ども達の成長振りに驚きつつも、あの時と変わらない友情を嬉しく思った。
私は当時、長女の小学校入学を期に引っ越していたばかりで、友だちどころか知り合いもいなかった。
当時3年生の息子のクラスで、役員がなかなか決まらず、「くじ引き」になりそうになり、1歳の末娘を抱えての役員は大変だったが、『広報委員』を志願したのだった。

当初は、みんなじゃんけんで負けたり、くじ引きで仕方なく『なってしまった』というメンバーで、正直言って、この人たちとやっていけるんだろうかと内心不安だった。

夏休み前に、やっとの思いで刷り上った『広報誌』を2つに折って郵送するかどうかという話になったとき、誰かが
「これ、折れないよねェ」
と言った。
記事一つ集めるのも、たくさんの写真から1枚を選ぶのにも、みんなで意見を出し合い、「て・に・を・は」に気をつけて、何度も校正するのにも協力し合って、やっとできた「広報誌」。
決められた予算の中でやりくりするには、どこかで妥協しなければならない。
でも、みんなでできるところを協力し合えば、いいものができる。
郵送すれば面倒はかからないが、折らない状態で送ると50円高くなる。
「じゃあ、遠方は折らずに送り、手渡しできるところは手分けして配達しよう。」
ということになった。

嫌々「広報委員」なった人たちだった。
でも、その時、みんなの気持ちが一つになった。

2学期、メンバーは積極的に行事の取材に出かけるだけでなく、他校の広報誌を研究したり、「お小遣い」についてのアンケートに取り組んで特集を組んだり、前号よりも面白いもの、みんなに興味を持って読んでもらえる「広報誌」を作ろうという意欲が出てきた。
働きながらや、小さい子を抱えての参加だったが、自分の担当以外も率先して協力するなど、私もずい分助けてもらった。

いつの間にか、委員会活動を通して、全学年にお友達ができ、子ども達もいろんなお母さんに可愛がられ、学校の様子も、地域の様子もよくわかるようになった。

3学期は、通常4ページだったが、手書き・手刷りでもいいからページを増やして、どうしても6年生向けの記事や、毎年印刷に間に合わないと割愛されていた行事を盛り込もうと、みんなでアイディアを出し合って頑張った。
その甲斐あって、その年度の市の広報誌の表彰式に招かれ、「レイアウト賞」を受賞した。

6年生のお母さん達は、
「私たちはこれで卒業だけど、残ったみんなで、また『広報』やるときは、もっともっといいもの作っていってね。
中学で待っているわよ~」
と言っていたっけ。

その後、みんなとまた広報をやる機会には恵まれなかったが、それぞれまた別な役員を受け、それぞれの「場」で活躍をしている。
どこか出会うと、お互いの健闘をたたえあったり、協力し合ったりと「仲間意識」は途絶えることはない。
何年かは、一緒に集まってお茶会や忘年会をしてきたが、ここのところ、ご無沙汰をしていた。

今日、久々に会って、それぞれ辛い現状を抱えながらも、お互いに叱咤激励し会えるのは、一緒にいいものを作ろうと頑張ってきた「仲間」だから。
時には意見の食い違いもあったが、それでも「いい物を創りたいから」と言う目標は一緒だった。みんなで、それを乗り越えて、本当にいい活動をしていたと思う。

当時、『9つの性格』と言う本を読んでいた私は、みんな違うからバランスが取れているんだなあとしみじみ思ったものである。

今日、みんなと話していて、お互いにエールを送りあい、元気をもらって帰ってきた。

余談だが、今日の話題の中で、
「戻れるものならがあったら、もう一度昔に戻ってやり直したい」
と言う意見と、
「戻ったところで、また同じ様な苦労をするのはいや」
と言う意見や、
「若い頃に戻って、違う男性との人生を歩んでみたい」
と言う人がいれば、
「今は見る影もない「おばさん」になっちゃったけど、これから違う男性とやり直すんだったら、いろんなことを乗り越えてきた「今の私」と『一緒に生きていこう』といってくれる人を自分で選びたい」
と言う人もいて・・・。え?この場合ご主人は?
「亭主元気で留守がいいとは言うけれど、子ども達が巣立っていったら、やっぱ最後は夫婦なんだよね・・・。」
そうそう。
「ろくすっぽ口をきかない息子だけど、息子の友だちには
『お前の母ちゃん、いい感じジャン?カッコいいよ』
と言ってもらえるように自分を磨かなくっちゃ!」
と言う前向きな話も出たりして。

みんな、それぞれいい感じで年を重ねているんだなあと思った。
いろいろ大変だけど、お互い、元気印で頑張っていこうね!

今回はメンバー全員ではなかったけれど、またみんなでカラオケで盛り上がりたいね~!!!

『猫に小判』?

2003-11-10 20:43:00 | 徒然なるままに
11月3日(月)文化の日

今日、携帯電話を変えた。
今まではツーカーだったが、なんてったって私は『女子大生』!『学割』が使えるのである。
というわけで、『au』にした。
といっても、今まで持っていた携帯だって、機能を全部使いこなせていたわけではない。
私の場合、携帯電話は腕時計代わりだったり、「携帯しない携帯」(持って出るのを忘れて、家に置きっぱなし状態)と言われていた。

買って帰る途中、ちょうど、ダイエーの優勝記念セールの大混雑・大渋滞で、車の中に1時間も缶詰状態だったのだが、その車内で、長女がすっかり「設定」をしてくれた。
車内は、携帯で写真を撮ったり、着メロの選曲やらカラオケやらで賑やか賑やか。
本当に「今の子ども」たちは、機械に馴染むというか、使いこなすのが早いなあ・・・!

せっかくの携帯、『猫に小判』にならないよう、ちゃんと使いこなせるようにならなくっちゃ!

こどもたちと『町たんけん』に行ってきたよ♪

2003-11-10 08:26:00 | 徒然なるままに
10月24日(金)

今日は、小学2年生の生活科『町たんけん』のお手伝い。
当初、22日の予定だったが、あいにくの雨で、今日に延期になった。
今日は朝から快晴。まさに『町たんけん』日和である。

私の担当は、男の子2人と女の子3人の5人グループ。
国道の向こう側の新興住宅地から、毎朝40分~1時間かけて徒歩通学している子達だけあって、歩くことに関しては苦にならない様子だった。
ソーランで教えている子や、娘の友達もメンバーに入っていたので、朝の挨拶の瞬間からもうすっかりフレンドリーな感じだった。
でも、今日の私はあくまで『黒子』。子どもたちの『たんけん』を陰ながら見守る役。

のはずだったが、2年生って可愛い!
もう、1人がペットのことを話し出すと、我も我もと自分のことを話し出したり、家族の事を聞くと、これまたみんなでいっせいに話し出す。
そこで、一人一人の話をみんなで聞きながら歩こうということで話させると、いろんなことを話してくれて面白かった。

子ども達は、発見上手で、遊び上手で、感激屋さん。そして、自分の役割にとっても真面目。
秋の花や木の実、虫を見つけるのに夢中になっていたかと思うと、ちゃんと『地図係』は順路の間違いに気付くと、戻れるところまで戻ってその通りの道を行ったり、『時計係』は時計ばっかり気にしている。『人数係』は一人で先に行く子や、すぐ何かに気をとられて遅れがちな子を気にかけながら歩いたり。
『リーダー』は、みんなが迷ったり困ったり、もめたりすると、ふだんはおっとりしている子なのだろうに、
「リーダー、どうしたらいい?」
と聞くと、ちゃんと
「こっちもいいけど、こうしようよ」とか、
「多数決で決めよう」など
みんなのことをちゃんと考えながらもいざという時は自分の意見を言える子だった。
それを聞いたほかの子も、そこでわがままは通さず、リーダーに従うところが、素直で可愛かった。

印象的なのは、『パンダ公園』でのこと。
まだ誰も行ったことのないこの公園に、みんなの期待は膨らみ、それを私が煽ったりするもんだからみんなの『ワクワク度』はどんなだったのだろう。
ところが、その公園についてみたら、『パンダ』(の形をした土管型滑り台)の顔の部分が破壊されていたのである。
絶句し、肩を落とした子ども達に、ちょうど調査に来ていた市の職員の方が、
「来月の半ばにはなおっていると思うから、それまでは怪我すると大変だから遊ばないようにね」
と言いました。
その方が帰ってから、子ども達はちょっとでもいいから遊びたいと言うのを、わたしは、
「ここでそういうことを勝手にして誰かが怪我をしたら、この『パンダ』は治してもらうどころか、危ないからって、逆に壊されてなくなってしまうかもしれないし、『町たんけん』自体が来年からなくなってしまうかもしれないよ。それでもいい?」
そこでみんなは考える。
「遊ぶのはブランコでも次の公園に行ってからでも遊べる。こんなことはこれからなくなるようにってみんなで発見ノートに書いておこう!」

もうひとつのエピソード。
カマキリを捕まえた男の子達は、カマキリも「たんけん隊」の一員だと思っている。
滑り台を順番に滑っていた時、カマキリにも滑らせてあげるんだと突っ張って滑らないカマキリ相手に四苦八苦していた。
そこで私は、「魔法のじゅうたんに乗せてすべらせてごらん」と持っていた地図を貸してあげると、すべるすべる!子ども達はすっかり夢中になってしまった。

いろんな発見と「愉快な仲間」が加わって、収穫いっぱいの「町たんけん」を終えて学校に戻ってくると、校門をくぐる前からおいしそうなカレーの匂いが・・・。
子ども達が、
「おばちゃんも一緒に給食食べていけばいいのに」
と言ってくれたのが本当に嬉しくって、可愛かった。
「今度はおばちゃんがみんなの住んでる町のたんけんに行ってみようかなあ。その時はみんなでみんなの町を案内してくれる?」
と聞いたら、みんなが
「いいよ~!」
と言ってくれたのが最高に嬉しかった。ホントに実現できたらいいんだけど・・・。

一方、娘のグループはまた違う地区の「町たんけん」で、そちらの方も牧場や梨園の見学があったりして楽しかったようだ。
お土産に、秋の草花を摘んで作った花束をくれた。

今日はなんだか自分の「黒子」という立場よりも、子ども達の仲間に加えてもらって、自分も一緒に「たんけん」を楽しんでしまった。
反省すべきなのだろうが、とっても楽しかった。
11月11日に2回目がある。今からとっても楽しみだ。
どうぞ、お天気に恵まれますように・・・!

マイペース山女・海女~妹のこと~

2003-11-10 08:16:00 | 徒然なるままに
10月30日(木)

今日、妹が山に行った。
夏の間働いていた燕岳の燕山荘が小屋締めをすると言うので、その手伝いと、メンバーみんなとの「温泉でお疲れさん会」に出席しに。

夕べ、妹に山の写真を見せてもらった。
毎朝ご来光と共に一日が始まり、雲海を見、満天の星空を眺め、雨の日は雨の日なりに晴れの日は晴れの日なりに、自然とともに、自然のサイクルに逆らわず暮らす。
山に来る人はみんな友だち。
みんなニッコリ挨拶を交わす。
ここまで来ないと見られない景色と、ここまで自分の足で登ってきたんだと言う達成感。
その共通の体験が、不思議な親近感と言うか、連帯感が生まれ、それが人と人を繋ぐのだろう。
一緒に歩く人を気遣いながら、自分のペース配分を常に考える。
けして無理はしない。無理は後々、自分を苦しめ、回りに迷惑をかけ、ますます自分が辛くなるだけ。
たとえ一人で登っていても孤独ではない。
周りの景色や、小動物や袖すりあう山の仲間たちとの出会い・・・。
そして何より、自分自身と向き合える。
頑張る自分、弱音を吐く自分、感動する自分、いろんな自分が入れ替わり立ち代り頭や心の中に現れる。
そのうち、ただひたすら目の前の道を、一歩一歩踏みしめ踏みしめ無心に登る自分がいる。
やがて開ける大パノラマ!
振り返れば長い道のり。でも、自分の足でここまで来たと言う達成感!

槍ヶ岳の頂上から見た写真や、日に日に秋色に染まっていく木々や、初雪の写真など、別世界の風景だ。

妹は去年の12月、それまでの仕事(グラフィックデザイナー)を辞め、オーストラリアを3ヶ月かけて回ってきた。。
ダイビングもやる妹は、グレートバリアリーフをもぐってきた。

帰国後、今度は父島に行き、帰ってきてからは、我が家に居候しながら都内にデザインの仕事に行き、山に行く資金を貯めていた。

今回帰ってきたら、またしばらく働いて、今度はチベット方面に行くと言う。

10代の頃の彼女からはとても想像がつかないこの行動力と、息子曰く仙人のように悟ったような言動は、思春期、反抗期の子ども達に、いろんな風を送ってくれている。

姉としては、今、いろんなしがらみに縛られて自由のきかない身だけに、彼女の行動を羨ましくも楽しみでならない。

実家の両親達にとっては悩みの種、心配の種の妹だが、1年後、5年後、10年後・・・が楽しみな妹である。






「ターミネーター」

2003-11-10 07:07:00 | 徒然なるままに
11月1日(土)

「ターミネーター」「ターミネーター2」を見た。
この夏、「ターミネーター3」を見た人から、「面白かった~」と聞き、どうせ見るんなら「1」と「2」を見てからと思っているうちに劇場でやっていた「3」が終わってしまった。
でも、やっと「見よう!」と思い立ち、レンタルビデオ店から借りてきた。

私はこの主人公の「サラ」が好きだ。
ある日突然、未来からやってきた男に、自分は「核戦争後に未来を救う人物の生みの親になる伝説の女性」だと言われ、未来から送り込まれてきたターミネーター(殺人機)に命を狙われる。

運命的な出会いから子どもを身ごもり、やがて来る「嵐」に立ち向かっていく彼女の悲壮な決意はいっぺんで私を彼女の虜にした。

「2」では、運命は複雑に絡み合い、彼女の息子は魅力的に育ち、彼女もまた、「母」として「戦士」としてより強く、たくましく成長していた。
クライマックスで見せた、彼女の足を打ち抜かれても、肩を刺し貫かれても、満身創痍、息子の「未来」を守るために、最後まであきらめずに敵に立ち向かう凄さは圧巻だった。
あの「強さ」はまさに「母の強さ」だ。

また、父の言葉の「運命は変えられる。未来は自分が切り拓く」を実践するその母の姿を見て、息子は自分の未来に向かって危機を潜り抜けていく。

「1」では敵だったターミネーターと同じ顔のターミネーターが、息子を死力を尽くして守る。彼もまた、恐るべき未来を阻止するべく最後の最後まであきらめることなく使命を全うする。

たくさんのメッセージが込められた作品だった。
「どんなことがあっても、どんな理由があっても、人を殺してはならない」
未来を救う幼い「指導者」の命令。
あの映画を作った国の「現代の指導者」達はどんな思いでこの映画を見たのだろうか。
せめて、映画の中では壮絶な最期を遂げたターミネーター役を演じた「彼」だけは、素晴らしい未来を築く「指導者」として活躍してもらいたいものだ。

「ターミネーター3」は、12月19日レンタル開始とか。
今から楽しみである。


青い空に両手を広げて、「ヨイヤソイヤヨイヤサ!」

2003-11-04 23:47:00 | 徒然なるままに
11月2日(日)

今日は、千葉市民産業祭り本番。
11:00~と13:30~の2回の出演。
40人のメンバーと3旗の旗振りのお父さん達と参加。
茂原、美浜、船橋、千葉のそうそうたるソーラン隊に混じって、抜けるような青空の下、みんなで元気いっぱい踊ってきた。

他チームは、札幌のよさこいソーラン祭に参加したり、各地のソーラン祭で賞を取っているような団体。
みんな、オリジナルの歌や振り付け、揃いの衣装をまとい、見た目にもカッコいい。
踊りも一糸乱れずと言う感じでさすが!という感じ。
その中にあって、我がソーラン隊は、2歳からおばあちゃんまでの3世代で、小学生中心のメンバー。衣装もお父さんのYシャツをリフォームして思い思いの絵や文字を書いた手作りの長半天だ。
元気だけは(いや、踊りも!)どこのチームにも負けないが、見た目の不揃いさは否めない。

揃いの衣装で踊る「群舞」は、見た目の衣装の美しさも大きな魅力だ。
また、他チームは、自分達のオリジナルの曲で踊っている。その曲のイメージをデザインした衣装で踊っている。

私達のソーラン隊はまだ3年目。でも、もう3年目でもある。
これからのソーラン隊の方向性を改めて見つめ直すときがきているのかもしれない。

野外での本番では久しぶりの青空だった。
「よさこい島」の最後のポーズで空を見上げた時、凄くスカッとした。
踊りながら、息子が言った言葉を思い出していた。
「衣装なんかより、踊りだよ。踊りたい気持ちさえあれば、衣装なんて何でもいいんだよ。」

さあ、来週は幕張メッセで本番だ!