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QU(「楽しい学校生活を送るためのアンケート」)

2010-01-16 07:35:00 | 徒然なるままに
1月14日(木)

今日、QU(「楽しい学校生活を送るためのアンケート」)の研修を受けた。
【QUについて】http://www.pajapan.com/topics/topics20qu.html

前期にも1度受けているのだが、それを受けての今回の研修だった。

前回、初めてQUを知ったのだが、その時には未だ生徒達と知り合って間もない頃だし、出た結果についての分析もあまりピンと来なかった。
今回は、その出た結果とそれに対しての分析のリアルさと、浮き彫りにされた問題点に対してのフォローの仕方や留意点は、大変参考になった。

アンケートに基づく、生徒達の回答の座標点が示す位置は、生徒の満足度でありSOSでもある。
『QU』はいじめや不登校、学級崩壊に至る前の予防策として、大変有効なアンケート分析だと思う。

しかし、100%本音が出ているわけではない。
記名をして提出する物である以上、担任が目を通すことを意識しての回答をしている生徒もいるはずだ。
また、問題の内容を勘違いして回答している可能性もある。
そのためにも、同じ問題をその生徒の立場や気持になって回答し、出た結果と実際のその生徒の結果を照らし合わせ、その『ズレ』について検討しなければならないと思う。

『支援を要するエリア』に属する生徒に対しては、担任だけでは無理で、学年、学校体制でその生徒を支援していかなくてはならない。
その生徒の『底上げ』と言うか、自己肯定感・達成感が持てるよう、教科ごと、立場ごとに、具体的に声をかけること。

私の場合、副担任と言う立場、全学年を担当する美術と言う技能教科であるというのは、私にしかできない、私だからこその支援の役割がある。

また、3人の子育てを経験し、その家庭環境的にも、他の先生方とは違う視点でその生徒や親子関係、家庭環境を見ること、理解することが出来ると自負している。

講師と言う不安定な立場だが、この7年間と言う間に、たくさんの学校に所属し、何千人と言う生徒達や保護者の方々と関わってきた経験もある。

更に、教職以外の職業やボランティア活動を通しての、たくさんのネットワークタツールを持っている。

今まで、仕事でも、子育てでも、家庭のことでも、けして楽なことはなく、常に逆境に近い状態で、それでもたくさんの出会いと仲間達、子ども達に助けられてきた。
『これって何のための修行?いつまでつづくの??』
と思いながら、潰されても歯を食いしばって立ち上がり、歩き続けて来た後ろを振り返り、
『ああ、この時のためにあの時があったんだなあ・・・』
というように、その経験はいろいろな場面で生かされている。
まるで、あの頃の我が子が抱えていた問題にぶつかっている生徒や、あの頃の私のように悩んで苦しんでいる保護者、一歩が踏み出せないでいる後輩達を見ていると、何とか力になって、背中を押してあげたり、『ガス抜き』をしてあげたくなる。

私も、そうしてたくさんの人たちに支えられ、励まされてきたから・・・。
どんなに苦しい時も、けして、私一人ではなかったこと。
どんなに分厚く高い壁も、いつも誰かが踏み台になってくれたり、重たいお尻を持ち上げてくれ、引き上げてくれて、乗り越えるのを応援してくれた。
自信がなくて、踏み出せなくても、私が自分から踏み出そうとするまで、根気良く付き合ってくれ、怖がる私の背中をそっと押してくれたりした。
今、改めて当時お世話になった方々に、心から感謝する。

『QU』の結果を見ながら、生徒達はもちろん、その生徒達を受け持つ担任たちの気持になって考えてみた。
『声掛け』が必要なのは、生徒や保護者たちだけではない。
『担任』たちへの支援も必要なのだ。

かつて、担任になって2ヶ月にもならないうちに『鬱』になって学校に来られなくなった先生のピンチヒッターとして担任を務めたことがあった。
初めての担任で、それも何の申し送りも打ち合わせもないまま、もう、私がやるしかない状態での無謀な挑戦だった。
でも、その時は、同僚達や、生徒達、お母さん方にもたくさん支えられて、何とか1日も休むことなく、離任するまで勤め上げることが出来た。
あの貴重な経験と出逢いは、どんな大金をはたいても得ることができない、私の大切な宝物だ。
自分自身、この先、どんな大変なことがあっても、あれを乗り越えられた私に乗り越えられないわけがないという(変な)自信にもつながっている。
それを裏付けてくれるように、かつての教え子達が、いつでも、どこで会っても、私を見つけると声をかけてくれたり、会いたがってくれるのがうれしい。
それも、当時はやんちゃで手がかかった生徒ほど。


今、生徒だけでなく、現場の教師の中にも、老若男女問わず、ともするとベテランの先生ほど『鬱』になって登校拒否や、辞めてしまう先生が増えている。
現場の先生方用のカンセリング体制を敷くことは急務と思う。
そのためにも、管理職は『目標申告』や『モラル&モラールアップのためのレポート』などを提出させるだけでなく、先生方用のQU(「楽しい学校生活を送るためのアンケート」)を取って、現場の教師が意欲を失わずに教育に情熱を注ぎ続けられるような支援を考えてほしいと思う。


職場は『チームプレー』だ。
いろんな職場にはいろんな価値観や経験を持つ人間がいることだろう。
でも、縁があって出逢った『仲間』だ。
起きている間、家族よりも長い時間を共有し、一緒に行動したり会話する『戦友』なのだ。
考え方ややり方は違っても、『よりよいものを作り上げたい』と言う『志』が一緒なら、いい意見を出し合い、検討し合い、目標に向かって協力し合い、認め合い、尊敬し合い、励まし合う『同志』として活動して行きたいと思う。

そのために一番大切で、誰でも出来ることは、『挨拶』だと思う。
前日にどんなに喧嘩していても、翌日には大きな声で『おはようございます』と挨拶を交し合うことが大切だと思う。
出来れば、『笑顔』で。
自分を自己正当化し、自分の主張ばかりを押し付けるのは『北風』だ。
『太陽』のような明るい笑顔と元気な挨拶は、相手も周りも暖かい優しい気持ちにするのではないだろうか。

大器晩成

2010-01-14 06:03:00 | 徒然なるままに
1月14日(木)

『竜馬だったら、こんなとき、どう対応するだろう』

『竜馬がゆく』を読んだ後、いろいろな場面で思ったことだった。
時には
『こんな世の中は竜馬は望んでいなかっただろうに・・・!』
と、一人で憂えたり憤ってみたり、じゃぁ自分に出来ることは何か?しなければならないことは何か?なんて、真剣に考えてみたり・・・。

『クヨクヨしてたらいかんぜよ~』
『太平洋は広いぜよ~』

私の竜馬好きを知った友人が、誕生日プレゼントに送ってくれた『しゃべる竜馬人形』が落ち込んだ時の私を励ましてくれたっけ・・・。


この2、3日、職場で嫌なことがあった。
その感情を自宅に持ち込まないように、陶板浴に通って精神的なクールダウンを図った(身体的には温まったが)。
でも、やはり、4月・5月ほどではないが、精神的にかなりきつくて、胃にも来た。
口に出さないようにしようとも思いながら、ついつい、娘の前で愚痴が出てしまった。

そしたら、娘がまるで『竜馬』のようなことを言ったのだ。
「そんなこと、小さなことだよ。」
その後に続く、彼女のアドバイスは、およそ中2の女の子とは思えない、的確な言葉だった。

そう、正論だけでは世の中は成り立ってはいない。
時には流すことも必要。
大事の前の小事にとらわれて、大切なことを見失ってはいないか?
そのために、周りのバランスを考え、自分を抑え、立ち位置を考え、どう行動するか。
一方の正義だけを押し押し通しても、ぶつかるだけでそこからは何も生まれない。
義を貫くには、理不尽なことも受け止めつつ、時期を見て、言い方ややり方を変えてちゃんと『義』の通り道を考えなくてはならない。

意地を張ったり、真っ向から自爆覚悟で突っ込んでボロボロになっても、『大願成就』にはならない。


娘と話しながら、なんだか日曜日に見た『龍馬伝』を思い出していた。

上士と下士、侍と百姓、当時の身分制度の理不尽さに対し、竜馬は周りが歯がゆく思うほどの低姿勢で対応する。
だが、決してその理不尽さに屈しているわけではない。
その人間の器の大きさに心から憧れる。
まさに、『大器』だ。
剣が強くても、それを振りかざさない。
逆に、拳を振り上げて自分からはけしてして振り下ろさない人に向かって、誠心誠意諦めずに向かって行き、その人が自分から拳を下ろさせるようにするところがすごい。見習わなくてはならない。

竜馬が言った。
「たった一人、上司が剣を振るうのを止めた人間を俺は知っている。おれの母親だ」
竜馬の実母・幸は、上士に手打ちにされそうになった息子を、命がけで救った。
だが、それが元で、病気が悪化し、死期を早めてしまうのだが・・・。
でも、竜馬にそう言わしめさせる幸は、竜馬が大人になっても立派な子育てをしている母親だと思う。

上士に理不尽に仲間を殺され、その上士は『お咎めなし』だということを知されて、血気に逸っている仲間たちとは逆に、遺児となった子ども達を励ます竜馬の姿に涙が出た。

また、藩に不当な扱いを受け、自棄酒で酔った勢いで上士にぶつかり、手打ちにされかかった岩崎弥太郎をかばい、下駄で頭を殴られながら必死に耐えている姿にも胸を打たれた。
それ以上に、「あいつを殺して俺も死ぬ」と怒りまくる弥太郎に対し、
「おまんは頭がいいのだから、こんなことで犬死してははいかん。お前の頭は世の中の役に立てなければならんのだから。」
と諌めるところには本当に感動した。

竜馬も言っていた。
「けんかからは、何も生まれない」


良いものを作り上げようとする時の意見のぶつかり合いは、より良いものに近づけるために必要なディスカッションだ。
でも、そこに私情が絡んで、意地の張り合いになったり、周囲を巻き込んで険悪な状態を生み出しては逆効果になる。

冷静な判断と先を見通す広い視野。
中2の娘に諌められながら、なんだか彼女を頼もしく思う私は『親ばか』だなあ・・・と思う。
娘は言う。
「明日はいつものママになって明るく行きなよね。皆さん心配してるだろうし。今の学校、あと少しなんでしょ?」

よし!復活だ!!
いつまでもしょぼくれて、胃が痛いなんて言っている場合じゃない。
特攻隊員じゃないんだ。
ちゃんと成果を挙げて家に帰り、
「ただいま~!おかげで昨日よりいい感じになれたよ」
と、明るく娘に報告できるように、今日も頑張ろう!

子離れ元年

2010-01-11 06:01:00 | 徒然なるままに
1月10日(日)

三連休二日目。
昨日今日ととても穏やかなお天気だ。
このまま、明日の成人式もお天気に恵まれたままむかえられますように・・・。

今日は、今年頂いた年賀状の送受の仕分けと住所変更の打ち込みをした。
親戚、各時代の友人、同僚、教え子・・・。
年に1度も会うこともなくなった人たちもいるし、そういう人たちのほうが多くなったのだが、忘れずに毎年年賀状を送ってくださることに改めて感謝しながら・・・。

私は、年賀状の文面は二通り作る。
『昨年中は大変お世話になりました』と言うコメントが入ったものと、
『ご無沙汰しております。お元気ですか?』と言うコメントが入ったものと。
もちろんそれに付け加えて、一人ひとりへのメッセージも書き込むのだが。

以前は、子ども達の成長振りを写真に撮って加工したものを作っていたのだが、講師になってからは、イラストを描くようになった。
親戚や、子ども達と関わりのある友人達には、写真入りの年賀状。
同僚や、教え子達には、イラスト入り年賀状を。
でも、そのうち、子ども達が恥ずかしがって写真を撮らせてくれなくなってしまった。
それでも、3人そろっての写真ではなくてもそれぞれの写真を載せていたのだが、亥年の年賀状の時は、子ども達に似せた『3匹の瓜坊』のイラストになってしまった。

今回、頂いた中で、家族写真入の年賀状を見ながら、そういえば最近、子ども達の写真を撮っていないことに気がついた。
それぞれの写真はある。が、3人そろっての写真と言うのがない。


去年の年末から、息子も長女も、家を出て自活を始めた。
毎朝の寝坊助トリオをたたき起こすバトルが、今は末娘だけになってしまった。
ご飯も、一日一食3合炊いて足りないくらいだったのに、1回3合炊いたら2日でも余ってしまう。
洗濯だって、毎日でなくてもOKだ。
息子がサッカー部だった頃は、泥汚れの下洗いから、日に3回は洗濯機を回して、手は靴下の下洗いでボロボロだった。

息子も、長女も、家を出てから話し方が穏やかになった。
電話で話すときも、「ありがとう」と言う言葉や、私を気遣う言葉が多いような気がする。
私が口うるさいようなことを言う時も、ちゃんと返事をしてくれる。
寄ると触ると喧嘩していたりしたのに、兄妹のことを気遣ったりする言葉もあって・・・。
長女は、年末に妹に服を買ってくれていた。
末娘はそれはそれは大喜びだった。

この3連休は帰ってくるのかなあ・・と思っていたら、息子は進級試験で忙しく、長女は仕事と言うことだった。

お休みの日は鍋料理が定番だった我家の夕食も、しばらくは鍋の出番はなくなるんだなあ・・・。
昨夜作ったカレーは、ついついいつもの量を作ってしまって、大量に残っているし・・・。

私も弟も妹も、18歳で家を出て上京し、それぞれ東京で進学した。
子ども達が小さい時から、18歳になったら家を出して自活させようと思ってはいた私だった。
でも、こうして、次々と巣立って行かれてしまうと正直、寂しい。

寂しいのは私だけではない。
末娘にとっては私以上に寂しいことだろう。
その末娘だって、あと4年もすれば、自分の進路に向かって巣立っていくことだろう・・・。
それまでの1日1日の生活を大切に、喧嘩しながらも仲良く過ごして行きたいと思う。

今年は、息子と長女にとって、「親離れ」1年目。
私にとっては「子離れ」1年目。

今度、兄妹3人がそろうようなことがあったら、忘れずに写真を撮ろうと思う。

3人の今年の健康と活躍を心から祈る。


明日は末娘と一緒に、子どもネットの*(バス)*旅行で、千葉県こどもの国に行ってくる。

『竜馬』と『龍馬』と私と・・・

2010-01-10 08:37:00 | 徒然なるままに
1月9日(土)

今日、『龍馬伝』の再放送を見た。
3日に見たときは、ストーリーや、役者の表情を追うので精一杯だったが、今回は、脇役や、セット、伏線となるだろう台詞にいたるまでじっくり見ることが出来た。

まだスタートしたばかりなので、あれやこれや言うのは控えるとして、スタッフやキャストの意気込みだけは十分に感じられる作品だった。
特に、NHKの気合の入れようはハンパではない。単に視聴率を上げるということだけではなく、本当に、たくさんの人に『龍馬』を見てほしい、知らない人に知ってほしいと言う気持ちで取り組んでいるのが、本編の作り方や、番組紹介の仕方などから伝わってくる。

NHKは1968年1月7日~12月29日まで放送されたNHK大河ドラマ第6作として、司馬遼太郎原作ドラマ『竜馬がゆく』を制作している。
明治百周年を記念して制作されたこの作品は、当時の日本人の心をわしづかみにしたことだろう。
私自身、当時は小学2年生だったが、その第一回目を映像ごと今でもしっかり覚えている。
フィルムは当時、放映したら即消去していたとかで、第16話しか残っていないとか。実に残念な話だ。

私が、司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』を読んだのは、20歳のとき。
成人式の日、式典にも出ず、アパートで卒業制作に追われていたら、陣中見舞いにサークルの先輩が差し入れに来てくれた。
その先輩が、熱く語っていたのが『竜馬がゆく』だった。
「これからの日本の若者は『竜馬がゆく』を読まなきゃいかん!」
あまりの熱弁に、当時の私は思いっきり引いてしまったのだが・・・。

大学を卒業し、最初に就職した会社で自分の理想と現実とのギャップに苦しみ、半年で挫折し、故郷に逃げ帰った。
自分の原風景を辿りながら、故郷でとれた米、野菜、魚を食べ、水を飲み、空気を吸って、次第に元気を取り戻して行った。
大学受験を祈願し初日の出を拝んだ同じ場所に立って水平線を見ながら、
『このまま志を捨てて帰るわけには行かない。
ここに帰るのは、私を元気にしてくれた故郷を元気に出来るようになった時だ。
夢を夢では終わらせない』
と心に誓った。

東京に帰る電車の中で読むために買ったのが、『竜馬がゆく』だった。

司馬遼太郎氏の文体はとても読みやすく、再就職先に電車で通勤する時は必ず読んだ。
最終話のラストシーンを乗換駅に停車中の終電の中で読んで、号泣している時に、同じアパートに住む友人が乗ってきて、びっくりして心配してくれたこともあったっけ。

以来、『竜馬がゆく』は、私のバイブルとなった。


何故、先輩が進めてくれたときに素直に読まなかったのか・・・。
その時には自覚が無かったのだが、私は東北人であり、小学6年生の修学旅行で行った『白虎隊』のお墓参りや、会津藩の終焉について学んでいるので、どうしても、薩長や幕末の志士たちに対して多少の嫌悪感があったのかも知れない。どちらかと言うと新選組のほうが好きだった。

でも、『竜馬がゆく』を読んでみて、あの『幕末』は、いろいろな視点から学ばなくてはいけないのでは?と思うようになった。
司馬遼太郎氏は、その幕末をあらゆる視点から書いている。あの頃の私はそれらを片っ端から読み漁り、『歴史街道』などの雑誌を購入し、資料を探しに図書館に通った。

会津に旅をし、萩にも行った。
結婚してからは、京都に竜馬の足跡を辿り、霊山護国神社の竜馬と中岡慎太郎の並んだ墓前で、
『あなた達の意思を継ぐような辰年生まれの男の子が授かりますように』
と拝んだ。(その年の10月に生まれたのが息子)

息子が20歳になった時、その話をした。
その時、息子は笑っていたが、就活をはじめたとき、
「何で金融関係なの?」
と聞いたら、
「日本の経済を元気にするため」
とのたまった。(その前に自分と我家の経済を元気にしてくれ~*(汗)*)
さてさて、どうなることやら・・・。

『龍馬伝』を見て、龍馬の母・幸が
「龍馬さんはきっと立派なお侍になりますよ。母はそう信じとりますき」
と龍馬を励ましているシーンがあった。
その母が、上司に手打ちにされかかった龍馬を雨の中土下座して命乞いするシーンに、中学時代のやんちゃな息子と、コメツキバッタのようにあちこちに謝ってばかりだった自分が重なった。

当時、どん底状態の家庭環境での思春期の子育てに悩んでいた私に
「親の生き様を見せなさい。」
とアドバイスしてくれた人がいた。
どんな理由があろうと、「だめなものはだめ」
どんなに反抗されたって、世の中敵に回したって、最後に子どもを信じて守るのは親だから。

今ではそんな毎日のバトルも懐かしい思い出だけど・・・。

幸さんは竜馬の成長を見届けることなくなくなってしまうけれど、
「暴力ではなく上士を動かした人を一人知っている。俺の母親だ。」
と息子に言わしめる幸さんは、亡くなった後もしっかりと息子を育てているんだなあ・・・と思った。

竜馬とお母さんとのエピソードはもっといろいろあるのに、(『海』と言う文字を竜馬に教えた話とか)子ども時代が1話の前半で終わってしまったのが残念だ。
再来週にはもう『脱藩』するみたいだし・・・。
もうちょっと土佐時代の竜馬を見ていたかったな・・・。



『龍馬伝』は原作が無く、岩崎弥太郎の視点で描いていくものになるということで、司馬遼太郎氏の視点や解釈とは違う幕末・龍馬像が楽しみだ。

司馬遼太郎氏の『竜馬』と『龍馬伝』の『龍馬』。読み方は一緒でも、新しい龍馬像として福山雅治演じる坂本龍馬を見ていこう。

そうそう、私と同じく『竜馬がゆく』をバイブルとする坂本金八役であり、『海援隊』の武田鉄矢扮する勝海舟も楽しみだ。

『永遠の二十歳』を目指して・・・

2010-01-09 17:27:00 | 徒然なるままに
1月8日(金)

生徒達から受ける質問が毎年いくつかある。

そのトップが私の年齢についてだ。
何ゆえそんなに知りたがるのか・・・?

講師になって最初の頃は
「永遠の19歳」
と言っていたのだが、ある生徒に
「先生、それじゃあ、忘年会とかじゃ未成年だから飲めないんだね。かわいそう」
と指摘され、翌年から
「永遠の二十歳」
と言うようになった。
ところが、去年の勤務校の美術部の部長に
「先生、2回もギックリやって『永遠の二十歳』じゃ悲しくて笑えないよ」
といわれ、挙句、成人式を迎えた息子からは
「俺と『タメ』なわけ?」
とあきれられ、去年からは
「ママになってから二十歳」という某CMの受け売りで答えるようにしている。

で、今年も学年、男女問わず、あちこちでいつもの質問をぶつけられる。
プラス、
「結婚してるの?」
「してるよ。」
「子どもいるの?」
「いるよ。3人。」
「え~~~っ*(驚き)*じゃ、3回もヤッタの?」
・・・この続きは『梨の選果作業』の話の時に書いたので、割愛する。

別なシーンでも
「上のお子さんはいくつですか?」
「今、大学3年生だよ」
「じゃあ、20歳?」
「そう、だから、私は『ママになってから二十歳』なの~*(酔払い)*」
そこで皆は、いくつの時に生んだ子どもなのかをあれこれ計算し始める。
「じゃあ、先生、今、42歳なの?」
「だから、『ママになってから二十歳』なんだってば」
「あ~、ごまかしてる!やっぱ42歳なんだ~!!」
要するに、13歳の彼らから見たら、30代も40代も、あまり変わらないらしい。おばさんはおばさんなのだ。
これが50才を過ぎると『初老』のおばあさんになるのだそうだが・・・。
実際、同級生や2歳年上のいとこには孫がいる!!!

またまた別なシーン
「先生、結婚してんの?*(退屈)*」
「してるよ。子どももいるし*(笑顔)*」
「なんだ、してるのか*(いっぷく)*」
「何歳で結婚したの?*(ジロ)*」
「内緒*(ウインク)*」
「今、何歳なわけ?*(退屈)*」
そこに昨日の生徒がやってきて
「先生、42なんだよ~*(ニヤ)*」
「え~?見えね~!*(驚き)*」
「40過ぎには見えねよ~*(驚き)*」
それって、どうとっていいのだろう???

でも、さすがに今年は『天命を知る』年齢を迎えるにあたって、このままでいいのか?と言う気持ちになってきた。
若く見えるというのは、シビアな見方をすれば、
・年相応の落ち着きが無い
・幼い
・頼りない
と言うことにもなる。
生徒から気安く声をかけられると言うのも
・甘く見られている
・緊張感が無い
・成長しない

・・・・

当たらずとも遠からずかな。
でも、いったん授業に入ったり、指導にはいると、私はかなり厳しいらしい。
4月当初に生徒達と交わした、安全で楽しく学校生活を送り、授業を受けるための10の約束を守れなかった生徒やクラスへの指導は、自分でもかなり手厳しいとは思う。
でも、刃物を使う授業でもあり、こちらも体張って、首かけて教える覚悟があっての授業をしているのだ。気合が違う。
また、自分の作品や他人の作品を大切にしないときもかなり怖い。
同じものは作者自身でも2度と描けない、作れないのだ。

生徒指導にいたっては、どんなやんちゃ坊主にだって引かない。逃げない。諦めない。

私には、冗談は通じない。
駆け引きも泣き落としも通じない。『言葉のあや』もだめ。
かといって、切ることも、省くことも、見捨てることも出来ない。

妹には
「お姉ちゃんは自分でトラブルを吸い寄せているみたい。もっと楽に生きられないの?」
弟には
「もっと世の中を斜めに見る視点を持ったほうがいいよ」
子ども達には
「思春期の子どもにとっては恥ずかしい親。もっと普通に目立たないように大人しくしていて。」

と思われている。
同級会では、恩師からも、同級生からも
「いつ会っても、思いっきり変わっていない人No.1」
と言われ、別れ際には
「そのまんま、50才になっても、60,70才になっても変わらないでね」
と、再会を約束しあう。

自分では。
多分、かなり波乱万丈な人生を送っており、文字にすれば、次々とトラブルや不幸な目に会っている、可愛そうで気の毒な人・・・と言うことになるのだが。
生来の楽天家、父親譲りの超プラス思考、母方の祖母譲りの『おだづもっこ』、「ちゅらさん」の主人公顔負けの立ち直りの早さでここまで生きてきた。

皆に心配をかけ、迷惑をかけ、恥ずかしい思いをさせてしまうこともあるだろうが、治らないものは治らない。諦めてもらうしかない。でも、自分で意識して変えて成長していかなくてはならないことは努力して行こうと思っている。

結論。
年齢相応に見せるために、似合わない化粧や服装、持ち物に気やお金を使うのはなんだかしっくり来ない。
見た目は幼くて、落ち着いた雰囲気は無いかもしれないけれど、知識や経験だけは豊富な、心の引き出しをたくさん持っている人になりたい。
更に。いつでも青春現役。美しいものや素晴しいことに素直に感動でき、初めてのことには子どものようにワクワクし、素敵な人との出逢いには少女のようにときめく心を持ち続け、歳をとっても夢を追いかけそのために努力し続けられる『永遠の20歳』でいたい。

と、ここまで書いて、ハタと思い当たった。
私が幼く見られる原因。(子ども達が恥ずかしがる原因でもある)
リアクションだ。
生徒の作品で、いい作品を見ると、瞬間
「かわいい*(ハート3つ)*!」
「いいね~!*(クローバー)*」
「かっこいい*(青ハート)*!!」
「色使いがグー*(グッド)*!!」
「この発想は只者ではない*(キラキラ)*!!」
「ここまでこだわるとは!○○の手法のプロ並み!えらい!!」
などなど、オーバーアクションでやたらめったら褒めちぎる。
反対に
「忘れ物をしました」
「出来ませんでした」
と言ってくる生徒には
「私には『だからC下さい』と変換されて聞こえているんだけど。未提出は『2でいいです』って言ってるの?評価には間に合わなくても、全員提出だから」
と、かなり手厳しい。

でもって、極め付けが『声』だ。
電話やマイクを通して聞くと、『10代』で通る声なのだそうだ。
私だと知らないで声だけ聞いていると、声変わり前のボーイソプラノの少年か、美少女を連想するそうだ。*(酔払い)*(*(ジロ)*お世辞です。)
教室で職員室からのインターホンを受けると、生徒と間違われて「先生をお願いします」と言われる。*(シャイ)*

う~~~ん。リアクションと声かぁ・・・
これはきっと10年経っても変わっていないような気がする。

『天命』ってなんだろう。
『不惑』の40代は、常に惑いっぱなしだったと言うのに・・・。
誕生日まであと7ヶ月余り。『天命』を知る前に、まずは自分の半世紀を振り返って、『己』を知らねば。

心は『永遠の二十歳』のつもりでも、体力・視力の衰えと体型の崩れは年々恐ろしいほどだ。
気持ちの上での若さを保つ意味でも、体力・健康づくりとメタボ撃退は急務だ。
がんばれ!(見た目)『42歳!』*(汗)*

携帯電話教室

2010-01-09 09:08:00 | 徒然なるままに
1月7日(木)

今日から授業が始まった。
二期制なので始業式はなかったが、全校集会の後、『情報教育講演会』が、午前中は生徒向けに、午後からは教員と保護者向けにあった。

『情報教育講演会』とは。
講師はKDDIの方。そう、中学生向けの携帯電話の講習会だった。

今や、自分用、親との共有を含め、ほとんどの中学生が携帯電話を使用している。
講師の方は、
「携帯電話は、道具です。はさみやカッターと同じ。でも、使い方を間違えると、他人を傷つけ、自分の命をも危険に晒す、人生をも変えてしまう怖い凶器になってしまいます。」
とおっしゃっていた。

携帯電話に限らず、PCでも、インターネットに関わるサイバー犯罪が急増している。

知らずに開いたリンク先から高額な請求が来たり、出会い系サイトの恐ろしさ、チェーンメールによる嫌がらせ、学校サイトなどの掲示板に匿名で書かれるいじめにつながる書き込み、いたずら半分で書き込む周りを振り回す悪質なデマ、無料で遊べるゲーム登録の陰に潜む個人情報の漏洩と悪質な乱用・・・。

無知で無防備な子ども達を悪質な手口でだますサイバー犯罪。そして子ども達自身も、『匿名』という卑怯な手口を利用して、相手を傷つけ、最終的には自分自身を休止に追い込むことになる。

『便利なツール』は『危険への入り口』でもある。
著作権について、セキュリティーにについて、より便利で、有効に、安全な、正しい使い方を学習し、認識するにはこういう講習会は必要不可欠だと思う。

とにかく、『携帯電話』は、料金が発生するものだ。
未だ義務教育中の収入が無い小・中学生に携帯を買い与え、料金を払っている保護者についても同様のことが言える。

『携帯を使うルール』を各家庭でしっかり話し合い、決めたことは守らせ、ルールを守れなかったときには厳しく対応して、我が子を守っていかなければならないと思う。

今更、携帯電話が無かった昔には戻れないのだから、古きよき昔を懐かしむなとはいえないけれど、常に、前を向いて、進歩する文明の利器を取り入れていかなければならない。 昔ながらのアナログ時代の良さは、忘れることなくこだわり続けていけばいい。

中学生と携帯電話。便利なツールでありながら、トラブルの素でもある。
多少の失敗は、大人になるために必要な学習であり、正しい使い方を痛感するために必ずぶつかる壁なのだろう。
むやみに取り上げたり、禁止すれば子どもは見つからないように隠れて使い、それがばれるのが怖くて、トラブルに巻き込まれても誰にも相談できなくて一人で苦しむことになる。

『自由』には『責任』*(怒り)*が伴うこと、
『便利』と『不便』は表裏一体であること*(困る)**(すっぱい)*、
『ただより怖いものは無い』*(青ざめ)**(ショック)**(泣く)*こと、
改めて自分自身にも言い聞かせよう。

といいながら・・・
私の携帯電話は『携帯しないケータイ 』で、100ある便利な機能の1割ぐらいしか活用できていない私・・・。*(ジロ)*
せっかく、高額の基本料金を払っているのだから、ちゃんと機能の勉強をし、有効に使いこなせるように頑張ろう*(シャイ)*

七福神のご利益がありますように。

2010-01-07 22:25:00 | 徒然なるままに
1月6日(水)

今日は日直。
電話番をしながら、1月の掲示物作りをした。
明日から学校が始まるし、保護者参加の講演会もあるので、なんとしても明日の朝には掲示板に貼り出さなくっちゃ!

と言うわけで、いろいろ試行錯誤した挙句の末、出来たのがこちらです。
photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

実際の作品は、船の帆に学校名が書いてあるのだけれど、アップ用にPCのペイントで『宝』の文字に変更しました。
本当は『合格祈願』『大願成就』『無病息災』と書いたお札を散らそうと思ったのだけれど、あまりににぎやかになるので割愛しました。

みんなにご利益がありますように・・・!

*(みかん)**(ハート)**(みかん)**(クローバー)**(みかん)*

2010-01-07 21:33:00 | 徒然なるままに
1月5日(火)*(みかん)*

今日は午後から仕事始め。
久々の勤務校は、今更ながら遠かった。
でも、この学校に通うのも、あと3ヶ月もないんだなあ・・・。と思うと感慨もひとしおだ。
いろいろなことがあったけれど、3月31日の離任式まで、休まず1日1日を大切に、1時間1時間の授業を充実させて頑張っていこう。

今日は机上整理をして、始業日に貼り出す月の予定表をパソコンで打った。
明日は日直。1月の掲示板作りをしよう。

夕方、末娘のお友達のママから携帯に☎があり、急遽そのお宅でミニ新年会をやった。
でも、明日から学校が始まる末娘はまだ出来ていない宿題があるというので、早々においとまをした。

帰宅したら、Cafeで知り合った*(みかん)*農家のaooniさんから*(みかん)*が届いていた。
年末は実家にも送ってもらい、あまりの美味しさに3ヶ日の内に10Kg箱がスッカラカンになるほどの売れ行きだった。
今回は、職員室へのお年始用と自宅用の2箱注文したのだが、速攻でなくなってしまうことだろう。
ゴルフボールよりちょっと大きいぐらいの小玉*(みかん)*が、濃厚でジューシーでとっても美味しい*(笑顔)**(キラキラ)**(びっくり2)*皮をむいたら一口で食べられるので、何個でも食べられちゃうのだ*(ウインク)*。
aooniさんのHPで摘果の時からその生育過程を見たり、苦労話を知っているだけに、その*(みかん)*がこんなに美味しくなって自分の手元にあると思うと、とっても不思議で幸せな気持になる。*(酔払い)*
今度はいよかんを注文しようっと*(ハート)*

aooniさんのHPはこちらです。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/aooni23

娘と『二人暮らしをenjoyする方法』*(クローバー)*

2010-01-05 23:44:00 | 徒然なるままに
1月4日(月)

早朝発の高速*(バス)*で故郷を後にし、一路東京へ。

息子と連絡を取り、息子、彼女、末娘、私の4人で湯島天神にお参りした。
http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm

息子達は就活、公務員試験合格、末娘は今年中3になるし、私は教員採用試験合格を祈って・・・。

私は、お守りやおみくじではなく、御朱印帳に記名と押印をしてもらい、合格鉛筆を1ダース買ってきた。
この鉛筆がみんなチビ鉛筆になるくらい勉強して、デッサンをするぞ!

帰りにアメ横に寄って、4人で海鮮丼を食べた。
前日に小学校6年生の時の同級会に出席した息子の話で盛り上がり、小・中・高と『伝説の男』武勇伝ならぬ、ズッコケ話で更に盛り上がり、それは大学でもそうらしいという彼女の証言で、大いに盛り上がった。

若い二人はそのまま雑踏へと消え、私と末娘はなぜかアメ横で4P1,000円のイチゴを買って帰路に着いた。

帰りの京成線の中で、末娘と『二人暮らしをエンジョイする方法』について話し合った。
*(クローバー)*1.(出来るだけ)一緒にご飯を食べる。
 娘は、朝ごはんをしっかり食べてから登校できるように早起きをする。
 私は、効率よく仕事を終えて、早めの帰宅を心がけ、一緒に夕飯を食べるようにする。
 朝ごはんは私、平日の夕食は娘が担当し、休日の夕食は一緒に作ることになった。

*(クローバー)*2.省エネ・節約を心がけ、つもり貯金をして、月に一度ご褒美として外食か、カラオケに行く。

*(クローバー)*3.出したものはもとあったところに戻して出しっぱなしにしないなど、整理整頓、いつでもお友達を呼べるすっきりした部屋を維持する。気が付いた人が自分が出したものでなくても片付ける。

*(クローバー)*4.末娘は、朝、早起きをするために、夜11時には就寝し、翌朝6時には起床しているように心がける。夜10時以降に見たい番組は録画しておいて後日見る。

*(クローバー)*5.お弁当作りの日は、朝から揚げ物*(チキン)*をしない。
 前の晩のうちに下ごしらえをして置いた物を、翌朝手早く短時間に調理するように心がける。
 お弁当箱や水筒は、その日のうちに洗ってしまっておくこと。

*(クローバー)*6.春までに二人で家の中のいらないもの整理をする。

*(クローバー)*7.『仲良し』でいるために、自分ひとりだけ我慢しない。言いたいことがあったら言う。悪いところを注意されたら、謝って、治すように気をつける。

以上、二人で思いつくままにあげてみた。
娘はこの春中3になる。
受験勉強が本格的になる前に、中学校総合体育大会(総体)がある。
*(テニス)*部活動最後の夏に向けて、毎日の練習や土日の練習試合にベストを尽くせるよう、体調管理は大切だ。
特に今月末のスキー合宿に向けて、コンディションの調整や風邪予防は、実行委員長としての必須事項だ。
夏休みには小学生から参加してきたキャンプがある。
全部の行事に『中学校生活最後の』と言う枕詞が付く。
健康で、事故なく、楽しい思い出をたくさん作るために。志望校に確実に合格するために。
私に注意される前に、自分でちゃんと取り組む。
最初から出来なくても、1ヵ月後、3ヵ月後、半年、1年後・・・少しずつ出来るようになって行ってほしい。

私は、3月までは現勤務校の仕事をきっちりこなし、病気や怪我で休まないように健康管理を心がける。
4月からのことは全く未定だが、7月の教員採用試験に向けて、勉強と仕事と家事の3つ巴を両立させる。
無事故無違反で交通安全を厳守する。

お互いの立場を理解し、励まし合い、フォローし合って、仲良くやっていこう!
と『約束』したところで、家からの『最寄り駅』に着いた。

今年、1年、良い年になりますように。
いや、良い年にするぞ!!

恩師との再会と同窓会幹事学年

2010-01-05 11:07:00 | 徒然なるままに
1月3日

高校時代の友人と、高校時代の恩師のお宅にお邪魔した。

恩師は美術の先生で、高校時代は音楽選択で演劇部だった私とは、高2まで全く接点がなかった。
高3になって進学を決めるときに、私が描いた文化祭のポスターなどを見て、美大進学を勧めてくださったのが恩師だった。

当時、私は演劇部で、できれば演劇科のある大学への進学か、アニメーションの専門学校の進学かで迷っていた。そんなときに恩師の勧めてくれた舞台美術やアニメーションも学べる美大進学はとても魅力的だった。

高3の夏休みに、代々木の予備校で1ヶ月夏期講習を受け、部活動引退後の2学期からは美術部員と一緒に、毎日デッサンに励んだ。(美術部の後輩達の中には、私を美術部の先輩だと思っている人が多い)

美大卒業後、アニメの道に進んでも、ずっと恩師とは年賀状のやり取りを続けてきた。美術の講師になってからはなおのこと。

今回は更に、今年の宮城県立石巻女子高等学校東京支部の同窓会の幹事学年になり、恩師への連絡係として新年早々に久々のご挨拶を兼ねて伺ったのだ。

恩師は、現在も精力的に作品を制作し、発表し続けている。髪は白くなったとはいえ、バイタリティーは昔とぜんぜん変わらない。
初めてアトリエを見せてもらったり、懐かしい昔話や、同級生や当時の先生方のその後や近況を聞かせてもらい、楽しく過ごした。

18年間も私達母校で教鞭をとられた恩師の母校への思いは、私達以上のものがあるようだった。また、それ以上に、故郷宮城県・石巻市への故郷を思う気持は、作品の端々からにじみ出て、あふれ出してくるようだ。

7月の同窓会に、
『出席者全員に、恩師が母校をスケッチしたポストカードをお土産に配ってはどうか?』
と言う私の提案を幹事全員が賛同してくれて、今回は、そのお願い訪問だったのだが、恩師はそれを快諾してくださったばかりではなく、貴重な画集やポストカードセットを記念のお土産にサイン入りで私と友人にプレゼントしてくれた。感激*(酔払い)**(ハート3つ)*

同窓会の当日は、千葉県の教員採用試験の日と重なってしまい、幹事でありながら残念ながら私は欠席をせざるをえない。
でも、来てくださった同窓生達、遠路はるばるご出席くださる恩師の方々に満足いただけるような同窓会にしなければと、決意を新たにした。