明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(788)非常に危険な福島4号機プール燃料取り出し作業が現在も進行中!注視を!(上)

2014年01月28日 20時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140128 20:00)  (20140129 20:00 一部修正)

東京都知事選が進行しています。僕は宇都宮さんを支持しますが、しかしこの都知事選で、福島原発の今があまりにも危険であること、東京でオリンピックをやる余裕など私たちの国にはまったくないということが焦点化されていないのが残念です。
そのため敢えて今、福島3号機の現状を記事にしましたが、今回は続いて福島4号機燃料プールのことを論じたいと思います。現在もものすごく危険な作業が進行中だからです。

燃料棒、正確には燃料集合体の取り出しが始まったのは昨年(2013年)11月18日のことです。
1回あたり22体の燃料集合体が4号機のプールから取り出され、地上の共用プールに移されていますが、東京電力によれば今年の1月27日までに10回の移送作業が行われたそうです。
移送された燃料集合体は、使用済みのものが全体で1331体のうち198体。まだ使われていなかった新燃料が202体のうちの22体。合計で1533体のうち220体の移送が終わったと報告されています。このため現在、燃料プールの中に残っている燃料集合体は1313体であることになります。

この情報は毎週月曜日に更新されるそうです。情報元を記しておきます。
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/removal4u/index-j.html

ちなみに燃料棒とは、正確には直径1センチ、長さ4メートルに、ウランのペレットを積み上げたものです。ジルコニウムという金属で覆われています。
使用済み燃料棒とはウランの核分裂反応が進み、核分裂生成物=放射性物質がたくさん生まれている状態で、それ以上、発電には使われなくなった燃料棒のことです。使用済みといってもまだ核分裂性のウランは残っています。
この燃料棒を8列かける8列に並べたものが燃料集合体ですが、この集合体のことを「燃料棒」と呼んでいることもあります。これが1533体ないし本あったというわけです。
ちなみに京大原子炉実験所の小出裕章さんの計算では、4号機プールの燃料棒に封印されているセシウム137の量は、広島原爆が撒き散らしたものの1万4千倍だそうです!

さてここでこの燃料集合体の移送はなぜ行われているのか、同時にどのような危険性があるのか、もう一度振り返っておきたいと思います。

2011年3月11日に大地震と津波が福島第一原発を襲ったとき、4号機は不幸中の幸いというべきか、定期点検中で運転しておらず、1号機から3号機のようなメルトダウンを免れました。
その代りに炉心の中の燃料はすべて燃料プールに移されていました。このため大量の使用済み燃料がプールの中にひしめいてる状態で事故に直面し、しかも運転中ではなかったにもかかわらず爆発を起こしました。
3号機が原子炉の上にあるオペレーションフロアで爆発が起こったのに対し、その下の階での爆発でした。
東電は3号機から発生した水素が、ベントの際に4号機の建屋の中に入り込み、爆発にいたったと発表していますが、爆発の原因は今もって不明です。

さらにこのとき4号機の水が抜け出してしまいました。使用済み燃料は空気中に出てしまうと、すぐに近くにいる作業員が即死してしまうほどの放射線を出し、大変危険な状態でした。
どれぐらいの量が抜けたのかも不明です。当時、アメリカなどで、4号機プールにはほとんど水が残ってないのではないかという憶測が繰り返し出されていました。
この点でも真相は分かりませんが、最終的にはまったくの偶然の産物で最悪の事態は免れました。
当時、4号機はプールに隣接している原子炉上部(原子炉ウェル)にまで水がはってあり、その水が燃料プールとの仕切り板を破ってプールに流れ込んだため、水が完全に干上がって燃料が溶け出し、抜け落ちてしまう悪夢の階梯が途中で止まったのです。

なぜかというと、4号機は原子炉圧力容器内に炉心を覆う形に配置されている「シュラウド」という部品の点検・交換が予定されていたのでした。このシュラウドも繰り返し損傷が発見されてきた問題部品なのですが、そのため原子炉の中に水がはってあり、上部の原子炉ウェルも水で満たされていました。
シュラウドも大量の放射線を発するため、水の中で切断・分解して取り出すためでしたが、この作業の終了予定が3月3日とされていて、順調にいけば7日には水が抜かれる予定になっていたのです。
ところが道具の不具合などがあって作業が遅延し、水抜き作業が遅れたまま4号機は事故に直面しました。このことによって原子炉ウェルに水が大量に残っており、結果的に燃料プールに流れ込むことで、悪夢が途中で止まったのです。東電が止めたのではなく、偶然に止まったのでした。
もし作業が予定通りに進んで水が抜かれていたらと思うとぞっとします。1500体以上もある燃料集合体が高熱を発しながら、抜け落ちていくことになっただろうからです。

この点については以下の記事が参考になります。
震災4日前の水抜き予定が遅れて燃料救う 福島第一原発4号機燃料プール隣の原子炉ウェル 奥山 俊宏(おくやま・としひろ)
法と経済ジャーナル2012/03/08
http://judiciary.asahi.com/articles/2012030800001.html

燃料溶解が止まらなかったら実際にはどうなっていたのか。たちまち高線量の放射線が発生して現場は撤退が余儀なくされ、1号機から4号機までがすべて手当できなくなってしまいます。当然にも次々と原子炉が崩壊し、膨大な放射能が発生します。
2011年3月25日に当時の近藤原子力委員長が政府に提出した「近藤シナリオ」によれば、半径170キロ圏が強制避難、東京を含む250キロ圏が、希望者を含んだ避難地域になるところでした。3000万人が避難対象でした。東日本壊滅が予想されましたが、これとて甘い被害想定ではなかったか僕には思えます。

この点について詳報した過去記事を紹介しておきます。
明日に向けて(389)4号機が倒壊したら、半径250キロまで避難の必要が・・・ 20120125
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b0af865e4de2a836139cfc49cd5583e6

明日に向けて(765)福島原発事故の最悪シナリオは半径170キロ圏内強制移住!250キロ圏内避難地域! 20131119
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9b867ac64be3b5c0492b5626806e9070

爆発によって吹き飛んだのは燃料プールが埋め込まれているフロアでした。このため燃料プールを支えている床が崩壊してしまいました。プールは宙吊り状態になってしまったのです。
このため事故の破局的進行が途中で止まった段階で、東電は補強工事をはじめました。プールの下から鋼鉄製の柱を立ててコンクリートで固めたのです。しかし作業はあまりの高線量の中でのもの。どれほどの強度が出ているか分かりません。
しかも床が壊れているので、プール全体をきちんとしたから支えられているわけでもありません。そのためプールは今なお非常に不安定な状態にあるのです。
それが4号機のプールの燃料集合体の、より安全性の高いところへの移送が急がれている理由ですが、この作業を途中で失敗すれば、それ自身が事故の拡大に直結する可能性があります。もの凄く危険な作業ですが、それでもやらざるを得ない。今、私たちの命は、まさに綱渡りの上にあるのです。

続く

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明日に向けて(787)東電は福島3号機のことを何ら把握できていない!政府はこれを直視し明言すべき!

2014年01月24日 23時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140124 23:30)

福島3号機に関する記事の続きです。
今回、3号機の床に非常に濃度の高い汚染水が確認されたのは18日ですが、その後、21日に東電は、再度のロボットによる確認で流量が大幅に減ったと発表しています。
しかしこのことで事態はますます分からなくなっています。東電は、核燃料を冷却して汚染された水が、格納容器の配管から漏れ出ていると発表していたのですが、それではなぜ今回、急激に減少したのか説明がつかないからです。
確認されていなかった汚染水が流れ出したことにも、それが急に減少したことにも、把握できていない何らかの状態が背後にあることが十分に考えられます。

そもそも東京電力は、肝心の核燃料が、どの辺に存在しているのかさえ、的確につかめてきていません。というのは、東電は長い間、3号機の核燃料は、一部はメルトダウンして漏れ出したものの、大半は圧力容器内部に残っていると判断していたのです。
ところがこの旧来の見解が、昨年12月13日の発表によって大きく変えられました。ほとんどが溶け落ちてしまっているというものにです。

東電の記者会見の様子を報道したANNのNEWS番組をご紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=8D7tLXKj-ww

ニュースで触れられているように、東電が見解を変えたのは、事故直後に行われた消防車による冷却水の注入が、これまでは炉心に届いていると思われていたものの、別の配管に入り込んでほとんど炉心に到達していなかったことが分かったからです。
実際に燃料の状態を調べた上での見解ではなく、どうも水が届いていなかったらしいということから、シミュレーションを変えて、燃料のほとんどが溶け落ちたことを推定しているのでしかない。
現実の燃料の状態は、放射線量が高すぎて確かめようがなく、推定に頼るしかないわけですが、今回のように前提が変われば、当然にもまた判断が大きく変わることになります。

しかもこの注水がうまくいってなかったという判断自身も、2012年6月に東電が事故調査報告書を出したものの、未解明なものが多いとして調査項目にあげてきた52項目のうちの10件の分析結果としてやっと発表されたものの一つです。
つまり東電自身があげた未解明点だけでもまだ42項目もある。それをあと2年かけて解き明かしていくというのですが、本当にまだまだ分からないことだらけなのです。
そしてだからこそ明らかなのは、現在、3号機がどのような危険を抱えているのかも、皆目見当がつかない状態にあるということです。何よりもこの点が重要です。

実際、昨年7月に3号機上部から水蒸気が発生しだしたときも、東電は理由が分かりませんでした。現在も同じです。炉内の床に大量の汚染水が流れているのが分かっても、なぜ、どこから流れてきているのかも分からない。
それが急に少なくなっても、その理由も分からない。謎だらけ。把握できないことだらけです。

政府が直視すべきなのは、何ら原子炉の実態が把握できていない、この極めて厳しい現状です。何度も言いますが、コントロールできているとかいないとかそんなレベルではありません。
もの凄く危険な、溶け落ちてしまった核燃料の状態が、皆目、分からないのです。それでつい一月前までは、ほとんどが圧力容器の中にあると言っていたのに、突然、ほとんど落ちていたに変わってしまった。

当然ですが、ほとんどが圧力容器の中にあるほうが、落ちてしまった状態よりずっとましです。圧力容器と、格納容器と二つの容器の中にまだあることになるからです。
しかしどうもそうではなかった。つまり想定していたより、ずっと危なかったということです。しかしこれまで東電は、より危険性が低い判断をしていた。それが事故後、2年9か月も維持されてきたのです。

だとするならば、当然にも、今も把握されていない危険性がたくさんあることが予見されます。だからこそ、危機に備える必要があるのです。現状の悪化への備え。いざというときの避難体制の確立を中心とした対応策を積み上げることです。
にもかかわらず政府はこの危機を直視しようとしない。いやできないのでしょう。危機を直視する精神力に欠けているからです。今の政府には、この国に住まう人々を本当に守ろうとする気概と責任感が著しく欠けているのです。
これに対して私たちは、あくまでも危機を直視し、避難体制を民衆の手で、下から作り出していく必要があります。災害心理学に言う「正常性バイアス」にかかったこの国の状態を変える事こそが、たくさんの命を守るために最も必要なことです。

ちなみに東京都知事選が華々しくスタートしていますが、残念ながら、この福島原発の危機が、選挙の争点に挙げられていません。
もちろん、極端な右傾化を強める安倍政権の暴走は食い止めるべきですが、しかし私たちは同時に、あるいはそれよりも、日本にとって、世界にとって、まったく状態すらつかめていない福島原発の存在そのものがものすごい脅威であることを忘れてはなりません。

どの候補も、東京オリンピック反対を掲げたら、それだけで票が取れなくなってしまうのかもしれませんが、それでも僕は、こんな危険な原発を抱えた日本で、オリンピックなどやるべきではないという声を東京から上げて欲しいです。
いや選挙でそれが争点にならない限り、他ならぬ僕自身が、例えどれほど小さな声に過ぎなかろうとも、「オリンピックどころの話ではない。そんな予算があるのなら、すべてを福島原発事故の真の収束に使うべきだ!被曝対策、避難や治療に使うべきだ!」と言い続けようと思います。

福島3号機をめぐる情報は、このように読み解くべきだと僕は思います。この視点に立ち続けた原発のウォッチを続けます。


 

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明日に向けて(786)福島3号機の床に出どころ不明の超高濃度汚染水が!

2014年01月23日 16時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140123 16:30)

福島3号機の建屋の床にものすごい濃度の放射能汚染水が流れていることが、18日に東電によって発表されました。
ストロンチウムなどのベータ線を出す放射性物質が、なんと1リットルあたり2400万ベクレルも確認されています。
汚染水は、セシウム134も70万ベクレル、セシウム137は170万ベクレル確認されており、あわせて240万ベクレルのセシウム値を示しています。

これを報じたFNNのニュース映像をご紹介しておきます。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00261568.html

最も重要な点は、この汚染水の正体、どこから流れてきているものかが分からないことです。
つまり福島3号機の中で、何が起こっているのかよく分からないということ。当然にもどのような危険があるのかもつかめていないということです。

これに対して東京電力は、3号機に投入している冷却水の温度が約7度であることに対して、この汚染水の温度が約20度であることから、核燃料を冷やした後の汚染水が、格納容器から漏れているという分析を発表しています。
残念ながら、ほとんどのマスコミが、この東電の分析をそのまま伝えているだけです。読売新聞などは、さらに東電の言葉を以下のように付け加えて、あたかも問題が小さいかのように表しています。
「これまで3号機の建屋地下では、汚染水がたまっていることが確認されているが、1階で見つかったのは初めて。1階では、廃炉に向けて、がれき撤去が進められているが、ロボットを使った遠隔作業のため、当面、障害になる恐れは小さいと説明している。」

これに対して、より優れた分析を出しているのは東京新聞です。東京新聞はまず問題をいかのように捉えています。
「建屋の床には本来、水がないはずで、これまで判明していない何らかの異常があることの証しだ。」

その通り!問題は、これまで判明していない何らかの異常がある可能性が極めて高いことです。

その上で、東京新聞は、以下のように分析を続けています。

***

原因として考えられるのは、冷却水が格納容器内の核燃料にまで届かず、途中で漏れていること。雨が建屋に流れ込むことも考えられる。しかし、どちらの水だとしても、床を流れる汚染水ほどの放射性物質を含んでいない。最近は、まとまった雨も降っていない。
使用済み核燃料プールの水は、セシウム濃度がほぼ一致する。問題は位置が離れていること。汚染水が見つかった場所からみると、プールは格納容器の向こう側になる。プールの水位にも大きな異常はない。
ほかに可能性があるのは、溶け落ちた核燃料を冷やした後の高濃度汚染水が、格納容器の損傷部分から漏れていること。東電はこの見方を取っている。しかし、容器からの汚染水なら、もっと高濃度の放射性物質を含んでいるとみられる。
しかも、水は隣接するタービン建屋側から格納容器に向かって流れている。格納容器からの漏出なら、流れは逆のはずだ。

***

優れた分析だと思います。ただし、きちんと分析する気になれば、おのずと見えてくるような分析でもあります。他の新聞社がこの当たり前の作業を放棄してしまっていることが問題です。

ポイントは、確かに床の汚染水が、冷却のために投入されているものよりも高温であることを考えると、核燃料の持つ熱を何らかの形で吸収していることが考えられるわけですが、しかし流れが、タービン建屋から格納容器方向である点です。
これが、格納容器からのものとは、推論しにくくさせている。どこか他から、水が回っている可能性や、まったく把握されていないところの破断によって、汚染水が出てきている可能性もあるわけです。
ともあれ判明していない異常があるのです。にもかかわらず、東電は「当面、障害になる恐れは小さい」と説明しており、それを読売新聞がそのまま垂れ流しています。

私たちがつかまねばならないのは、福島3号機、いや1号機、2号機と、メルトダウンして燃料が原子炉圧力容器から漏れ出してしまっているこれらの原子炉は、まったく実態が把握できていないということです。
安倍首相は、東京五輪招致演説で、福島原発はコントロールされていると大嘘をつきましたが、実態はコントロールされているか、されていないかの以前の段階です。現状が把握できていないのですから。

しかしこの事態を直視せず、原因も分からないのに「障害になる恐れは小さい」などと繰り返すあり方が、私たちの前に依然としてある大きな危機をより強めているのです。
このことこそが問題の核心です!私たちは、この大きな危機とこそ、きちんと向かい合わなければなりません。
ぜひとも関東・東北を中心に、広域の避難訓練を実行し、現状が把握できていない、この恐ろしく壊れた福島原発が、より破局的な危機に陥る事態に備えなくてはなりません。そのような備えこそがまた、現場の緊張感を高め、危機を真に遠ざける営為につながるのです。

以上の点を踏まえて、原発のウォッチを続けます。
ベータ線核種2400万ベクレルとか、次々と出てくるあまりに高い汚染地に、感覚を麻痺させられてしまわずに、危機と向いあい続けましょう!

なお7月に福島3号機から原因不明の白煙が上がりだしたときの分析を再度、紹介しておきます。

明日に向けて(718)福島3号機は未だ不安定。この現実にいかに向き合うのか・・・。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/03c2c8ba70f8144fea875446bf2fb156
http://toshikyoto.com/press/914

紹介した東京新聞の記事は以下です。

***

福島第一3号機 床の汚染水どこから 東電は格納容器損傷説
東京新聞2014年1月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014012102000140.html

東京電力福島第一原発3号機の原子炉建屋一階の床を、大量の汚染水が流れているのが見つかった。建屋の床で大量の汚染水流出が確認されたのは、事故後初めて。東電は二十日、格納容器から漏れた水との見方を示したが、濃度からは使用済み核燃料プールなども疑われ、漏出元ははっきりしない。
建屋の床には本来、水がないはずで、これまで判明していない何らかの異常があることの証しだ。作業用ロボットが撮影した動画で確認された汚染水は、三十センチ幅で床を流れ、排水口から地下に流れ込んでいた。大浴場に注がれるお湯のような勢いだった。放射性セシウムの濃度は一リットル当たり二四〇万ベクレル。海への放出が認められる基準の一万六千倍だった。

原因として考えられるのは、冷却水が格納容器内の核燃料にまで届かず、途中で漏れていること。雨が建屋に流れ込むことも考えられる。しかし、どちらの水だとしても、床を流れる汚染水ほどの放射性物質を含んでいない。最近は、まとまった雨も降っていない。
使用済み核燃料プールの水は、セシウム濃度がほぼ一致する。問題は位置が離れていること。汚染水が見つかった場所からみると、プールは格納容器の向こう側になる。プールの水位にも大きな異常はない。
ほかに可能性があるのは、溶け落ちた核燃料を冷やした後の高濃度汚染水が、格納容器の損傷部分から漏れていること。東電はこの見方を取っている。しかし、容器からの汚染水なら、もっと高濃度の放射性物質を含んでいるとみられる。しかも、水は隣接するタービン建屋側から格納容器に向かって流れている。格納容器からの漏出なら、流れは逆のはずだ。

エネルギー総合工学研究所の内藤正則部長は「漏出元が格納容器と確認できれば、中の冷却水の水位が分かる可能性があり、今後の廃炉作業に役立つ」と述べる。
現場近くは放射線量が高く、人が近寄れない。今後の調査は難航しそうだ。 (清水祐樹)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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明日に向けて(783)小泉原発ゼロ宣言の背景としての自民党政治の変容―2

2014年01月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140112 23:30)

東京都知事選に細川元首相が出馬しようとしており、小泉元首相が後押ししようとしています。まだ最終的にどうなるか分かりませんが、元首相連合の登場に、安倍自民党が動揺しているようです。
小泉脱原発宣言を大きく持ち上げてきた「週刊フライデー」は、これを次のように報じています。
「細川・小泉連合で民意の都知事 脱原発!」・・・本当にそうでしょうか。僕はまったくそうは思いません。

しかし脱原発をのぞむ人々の間で、「原発廃止の一点で細川・小泉連合」を応援しようと言う声も出てくるでしょう。すでに市民派候補の宇都宮さんに立候補撤回を囁く声もあるようです。
今、私たちの眼前で起こっていることは何なのか。これを紐解くためには歴史の振り返りが非常に重要です。自民党政治が大きな分岐点に立っていることこそが見据えられねばなりません。
すでに年末にこの考察の一端を行いました。以下の3つの記事がそれです。まだ読まれていない方は、東京都知事選の分析のためにも、ぜひお読み下さい。

明日に向けて(773)小泉元首相(イラク戦争犯罪人)の原発ゼロ宣言をいかにとらえるのか?(上)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/e2e1ba2e26e12f38885fb0d99f53bde0
http://toshikyoto.com/press/1109

明日に向けて(774)小泉元首相(イラク戦争犯罪人)の原発ゼロ宣言をいかにとらえるのか?(下)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b0e443e9c2cb34d0c263cc5eaca5864b
http://toshikyoto.com/press/1112

明日に向けて(775)小泉原発ゼロ宣言の背景としての自民党政治の変容―1
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c9df522feadcec12af251e20d39bbf49

今回は「明日に向けて(775)小泉原発ゼロ宣言の背景としての自民党政治の変容-1」の続きを書いていきたいと思いますが、もう少し、ケインズ主義とその行き詰まりについて書き足しておきたいと思います。

前回の記事で僕が書いたのは、自民党がかつてはケインズ主義の立場にあったことです。ケインズ主義は1929年の世界恐慌を経て、第二次世界大戦にいたっていった20世紀資本主義の反省から生まれたものでした。
経済を市場の動向に任せるのではなく、政府が金融政策などから積極的に市場に介入し、恐慌を避けて、「健全な」経済成長を保障する政策です。
同時に、ロシア革命以降の社会主義の歴史的発展に対抗すべく、社会福祉政策をそれまでより重視し、累進課税性などによって貧富の差の拡大の一定の是正などを行うことも特徴としてきました。

自民党の場合は、1960年の安保闘争の大きな広がりを経て、岸政権のように軍国主義に舞い戻る政策を戒め、安保条約のもとで、「軍事はアメリカに任せて経済発展を重視する」ことをうたう路線が定着しました。
これ以降、自民党は主に経済的利益の分配によって集票構造を維持し、さまざまな批判や不満を、主に金銭的に吸収していくことを構造化しました。かくして自民党は長期政権を現出させました。

ここで私たちが踏まえておかなければならないのが、「軍事はアメリカに任せて経済成長を重視する」ということが何を意味していたかです。
端的に言えば、アメリカが戦争を行い、日本はそのものもとで発展するということです。事実、私たちの国は、戦後の混乱から「朝鮮戦争特需」によって経済的復興しました。アメリカが戦争のための資材を日本で調達したからです。
さらに「ベトナム戦争特需」によっても日本は大変な利益を上げました。その利益の国内への分配で、私たちの国の民はまるめこまれてきてしまった。経済的利益の分配で、世界への目、正義への目が曇らされてきたのです。

私たちはこの構造は、今もなお続いていることに十分な注意を傾ける必要があります。福島原発事故によって覚醒した多くの人々が全国でデモを行っているのに、なぜ原発再稼働を掲げる安倍政権が存在できているのか。
「アベノミクス」による「まるめこみ」の力の方がなお大きいからです。いやより正確には、これと現在の選挙制度の歪みが重なることによって、少数派による多数派の仮称が可能になっていることがからなっていますが、いずれにせよ、自民党の集票構造は今なお大きく経済的利害に偏っています。

しかしその世界的な枠組みは、1970年代に大きく崩れ出しました。

戦後のケインズ主義政策は、第二次世界大戦を通じて、政治的経済的な圧倒的な覇者となったアメリカの、潤沢な資金の存在によって可能となったものでした。第三世界=旧植民地諸国から生み出される安い工業資源もこれを支えました。
ところがアメリカは1960年代からベトナム戦争にのめり込み、多大な軍事支出によって、次第に世界経済の中心国としての重みに耐えなれなくなり、1971年、ドルショックを宣言して、ドルと金の兌換を一方的に廃止してしまいました。
さらに1973年、中東の産油国の連合であるOPECが、エネルギ―戦略を発動、原油価格を一気に高騰させました。このためにケインズ主義的政策は、各国で音を立てて崩れ始めます。

このときケインズ主義の、「大きな政府」路線、政府による経済への介入や、福祉政策の充実こそが、経済停滞の要因だと主張して登場してきたのが、今、世界を席巻してる「新自由主義」です。新自由主義はケインズ主義を「社会主義」として攻撃しました。
当時、新自由主義政策を唱えたのはアメリカ・レーガン政権と、イギリス・サッチャー政権、日本・中曽根政権でしたが、実はもう一つ、大きな国が、新自由主義政策の道を走り出しました。赤い資本主義の国、中国です。
なぜ中国は新自由主義路線を走り出したのか。この時期、中国は文化大革命が終焉し、「開放・改革経済」に向かい始めたところでした。「開放・改革」経済は、それまで戒めてきた資本主義的発想を取り込むことを目指すものでしたが、取り込む相手がこの時、新自由主義に転換しつつあったのでした。
文化大革命は、極端な平等化や金儲け主義の徹底した否定という側面を持っており、そのもとで生まれた政治的混乱が長く続いたため、新自由主義による社会主義批判が、文化大革命批判と結合してしまった側面が大きくありました。

かくして世界は1980年代より、弱肉強食の資本主義に舞い戻り始めたのですが、これに対抗する位置があったはずの社会主義各国もまた、経済発展において完全に行き詰まり、資本主義への対抗軸の位置を大きく後退させてしまいました。
あたかもそれは新自由主義の正当性を証明するような錯誤を生みましたが、むしろ露呈したのは、それまで唱えられてきた社会主義の主張の多くが「資本主義より社会主義の方が経済発展する」という点に偏ってしまい、資本主義的な、金儲けの追及を中心とする人生観や幸福感を、十分に批判できていない点であったと僕は思います。
特にソ連邦は、アメリカとの軍拡競争の中で疲弊を深めるとともに、1979年から開始したアフガニスタン侵攻によっても、かつてアメリカがべトナム戦争によって疲弊したのと同じ構造に落ち込みました。
さらに1986年、チェルノブイリ原発が巨大な事故を起こし、政府や社会主義からの人心の離反を促進させてしまいました。社会主義の下では幸せになれないという思いが、東欧、旧ソ連邦に広がっていったのです。

しかしケインズ主義から新自由主義への転換を図ったはずのアメリカでも矛盾が続いていました。強烈な反ソ連政策を掲げたレーガン政権が、大軍拡路線を取りつづけたからです。軍拡は政府による大きな財政出動のもとでしか実現できないもので、むしろケインズ主義そのものと言ってもいいものでした。
アメリカは軍拡競争にうちてこれなくなったソ連に対してこそ優位性を示したものの、財政出動によって巨額の赤字を作り出してしまいました。
それでは日本はどうだったのでしょうか。世界的にケインズ主義が行き詰った1980年代になお順調な成長を続けたのは日本でした。日本もまた高度経済成長が1970年代にいたって頭打ちになり、政府の財政が赤字に転落しましたが、なお積極的な経済介入の政策が続きました。
そのもとで自動車や家電などの「ハイテク産業」を中心に、欧米への輸出を伸ばし続けたのです。アメリカの産業が他国に転出する「空洞化」を迎えたことに対し、発展を続ける日本経済は、アメリカの反感を買い「日米経済摩擦」が生じます。
アメリカはこのころ、ベトナム戦争で自国が疲弊する過程で、輸出貿易を軸に大きな経済発展を実現した日本を、次第に経済的な「敵」と認識し始めていました。かくして対日赤字を削減するための圧力が強まり、1985年の「プラザ合意」によって、「円高」が現出し、日本経済もまた大きな転換の渦に巻き込まれていくこととなりました。

続く

 


 

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明日に向けて(779)放射線防護のため内部被曝のメカニズムを知り避難の準備を進めよう!(VIDEO)

2014年01月06日 15時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140106 15:30)

舞鶴市に住む友人の田中ユージさんが、講演会などに向けた僕の自己紹介のビデオクリップを作ってくださいました。
2分48秒で僕の言わんとすることを見事にまとめてくれています。

あらゆる講演の基礎になるものですので、みなさんにご紹介したいと思います。まずは以下のビデオを見て下さい。
文字でも起こしておきます。(読みやすいように、一部、話し言葉を書き言葉に変えてあります)
なおこれは1月17日の舞鶴での企画に向けて作られたものです。同じページに案内もありますのでご覧ください。

*****

放射線防護のため、内部被曝のメカニズムを知り、避難の準備を進めよう!
https://www.youtube.com/watch?v=P1zXCU3yO5E

守田敏也です。京都市在住のフリーライターです。僕はけっこう若いころから社会運動をやってきました。
高校3年生の時から本当にいろいろな運動をやってきたのですけれども、2011年3月11日の福島原発事故以降は、もっぱら放射線防護活動をしています。

「放射線防護活動」ということを強調するのですが、もちろん僕は脱原発だし、原発ゼロを目指しています。
けれども原発問題というのは、これから原発をどう廃止していくのかということと、すでに福島原発事故で出てしまった放射能とどう向き合うのか、大雑把に分ければ2つのことがあると思うのですね。
その中で僕は、今、進んでいる被曝をどうやって防ぐのか、あるいは減らすのか。そのことを中心に活動しています。

今、僕が力を入れていることは、1つは内部被曝の危険性を把握して、多くの人に知ってもらうことです。
なぜならば、これだけたくさんの放射能が出ていながら、今でも、福島とか関東・東北の非常に汚染の高い地帯に、たくさんの人が住んでいる。あるいは住まわされているわけですね。
住まわされている1つのロジックとして、内部被曝の危険性が非常に軽く扱われていることがあります。実際には非常に危険なわけです。

なので僕が大きく力を入れていることの1つは、内部被曝の危険性を多くの人に知ってもらうことです。
内部被曝のメカニズムがどういうものなのかということを、できるだけあっちこっちで説明して、被曝を避けることを考えてもらう、あるいは実行してもらうことです。

もう一つ、大きく力を入れていることは、原発がまた事故を起こすかもしれないという点です。
その場合、一番事故を起こす可能性が高いのは、いや事故を起こす可能性と言うよりも、今の福島第一原発がもっとひどいことになって、事故が拡大する可能性が非常に高い。
だとしたらそれに対しては絶対に避難訓練をやるべきで、実際に事故が起こった時の準備を多くの人にして欲しい。そのことを広めるための活動に力を入れています。

だから内部被曝のメカニズムを明らかにすることと、原発災害に対する避難の準備を進めること、あるいは心構えを作ること、それが今、僕が一番力を入れていることです。

*****

ビデオクリップはここまでですが、最後の方で、福島第一原発事故のことにしか触れていないもの、もちろん他の原発でも問題は同じです。
福島の事故で明らかになったのは、原発がどれほど脆弱な構造物でしかないかということです。たとえ運転してなくても、自然災害を引き金にどのような大事故に発展するか分からない。
だからこそ避難訓練に真剣に取り組んでいくことが問われています。


本年もこうした内容を軸に、あちこちでお話を行いたいと思いますが、講演会を企画していただくときに、この自己紹介ビデオを、案内や宣伝でお使いいただければと思います。
実は作成者の田中ユージさんが、前から強くこのことを僕にサゼッションしてくださっていました。僕の言わんとする趣旨を、短くまとめたビデオを作って、宣伝に使うと良いと。

僕もわれながら「明日に向けて」の記事が長いものが多くなりがちで、「これでは読む人が大変だよなあ」と思ってきました。(ごめんなさい!)
しかし「短い時間では長い文章しか書けない!」ジレンマに陥り続けてきました。僕の場合、短くするためには、勢いをつけて一気に書いた文章を、倍以上の時間をかけて推敲しないとできないのです。

ユージさんの協力は僕には渡りに船で、とても助けられています。非常に強い助っ人です!
今年はユージさんにお頼みして、もっとたくさんのビデオメッセージを作り、みなさんに大事なことを短く伝えられるようにしたいです。

こんな技?も活用しながら、私たち、民衆の力をつけるための努力を重ねていきます。みなさんも、拡散していただくことをはじめ、ぜひ力をお貸しください!みんなで「民衆の力」を育てていきましょう!

 

 

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明日に向けて(777)Power to the People!!・・・新年にあたって(2014)

2014年01月03日 10時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20140103 10:00)

みなさま。
明けましておめでとうございます。
民主主義と放射線防護にとって正念場の年が明けました。
私たちがこれからの1年をどう生きるか、何をどこまで実現するのかで、この後の長い年月の方向性が決まる、そんな1年です。

この大事な年のはじめにみなさんに送りたいのは次の言葉です。
Power to the people!!
民衆に力を! 
人民に権力を!でも良い。私たちに力を!・・・です。

この言葉は紡ぎだしてくれたのはジョン・レノンです。
日本語に訳された歌詞のついた動画を紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=Wos-dDxpJlQ

ジョン・レノンはこの中で、次のように述べています。
Say we want a revolution
We better get on right away
(守田訳)
革命をしたいって言うなら
今すぐやったほうがいいぜ!

明らかに彼は、革命について語っているのですが、革命の本義を民衆が力をつけることにおいている。いいなあ、そうだよなあと僕は思うのです。

民衆に力のある状態。それが民主主義の本義です。
デモクラシーの語源は、ギリシャ語のデモスクラチア。デモス(民衆)にクラチア(力)のある状態です。その発揚を目指す運動を、ラディカル・デモクラシーといいます。
だから私たちは私たちのクラチアを発揮していく必要がある。
ジョン・レノンが言うように、革命がしたいならいますぐ行ったほうがいい!

私たちはどのようにして私たちの力を強めるのか。
もちろん戦争に向かう安倍政権のさまざまなひどい政策と全面的に対決することによってです。民衆の力で、この悪い政権を倒すことを通じてです。
とくに今、大事なのは、民衆の直接行動です。

もちろん選挙も大事です。それぞれの地方選挙もがんばる必要がある。
しかしこれから3年間、国政選挙はない可能性があります。
選挙でしか、政府の横暴は止められないのでしょうか。そんなことはありません。
選挙は間接民主主義、それに対して私たちには直接民主主義の発揚としてのさまざまな行動を起こす権利があります。それが人権です。

事実、日本中の原発をいまだ止めている力は、全国各地のデモに象徴される直接行動によるものです。選挙を媒介とはしていません。だから自民党が選挙で圧勝してなお、一基の原発の再稼働もできていないのです。私たちがどんどん私たちの力を強める中で創り出されてきた状態です。何よりもこのことに熱く注目しましょう。自信を持ちましょう。

Power to the people right on!
そう、たった今、どんどんつけている私たちの力を、さらに大きくしていく必要がある。
ちなみにラディカル・デモクラシーは特定の政体を求めるものではありません。どのような政体のもとでも、国家や官僚、政治家たちにではなく、民衆にもっとも強い力が宿っている状態を目指し続ける運動です。永遠に受け継がれていく運動です。

安倍政権が秘密保護法に走った背景の一つにあるのは、根本的には民衆の力の高まりへの恐れです。とくに重要なフィールドは放射線被曝問題です。
現に進む原発事故に対して、安倍政権は何らの有効な対応策を持っていない。ただ「原発はコントロールされている」「放射能はブロックされている」「今も未来も健康被害はない」と大嘘をついて現実をみないようにしているだけです。

事実はどうか。原発は今なお瀕死の状態です。健康被害は爆発的に進行中です。
安倍政権は、国家を揺るがしつつあるこの事実と向かい合う英知も勇気も持っていない。なんと弱い政権でしょうか。国を守る気概も知恵もない。国と民を愛する心がないのです。この国が亡国の道にあることをみすえられない。ただ嘘で事実をないものとすることしかできないのです。もちろんそれでも不安なので、どんどん凶暴化しているのです。
真に民衆に愛され、自信を持った政権なら、重要な案件の拙速で強引な決定などしはしません。説得力がないから、強行採決が続いているのです。不安でたまらないから、ただデモを行うだけで、「テロだ」と叫びだす閣僚がでてしまうのです。このことを私たちはしっかりと見据えましょう。

一方で、多くの民衆が原発事故のもたらしたものに気がつき、すでに積極的な行動をたくさん重ねてきています。大事なのはもはやその動きが「政党」の枠を超えて広がりつつあることです。

僕はその先頭を走ってきたのが、原発事故に際して、政治家や科学者たち、マスコミの「安全宣言」をまったく信じずに、福島を、東北を、関東を飛び出して避難を決行した人々だと思います。それが本当に全国を揺るがしました。

避難・移住は今や最大の抵抗の一つです。避難を決行した人々は、自分と家族の命を守るだけでなく、私たちの未来を守ってくれています。多くの人々がその熱い思いに共感した。それが全国の脱原発行動の大きなエネルギーに転化しました。
避難=被曝防護という抵抗は、移住という形だけをとってはいません。多くの人々が、そこまではできずとも、自宅の中に避難したり、食べ物に最大の注意を払うなど、放射線被曝と必死に立ち向かっています。それを助ける形の保養キャンプも各地で精力的に行われている。僕はそれもまた大きな変革のエネルギーを生み出している源の一つだと思います。

民衆を、長い間、お金儲けを通じた操作の対象としてしかみてこなかった自民党はもちろんこの動きにとまどうばかりです。安倍政権が「実現」できたのは、通貨の乱発によるバブルの形成を通じた、一時的な経済回復の演出にすぎません。いつはじけるともしれない、いやいつかは必ずはじけるあまりに危うい政策でしか「人気」をとれないのです。
しかもそれはまだ覚醒していない民衆の「人気」です。政治のことはすべて政党に任せ、自分は身の回りのことをがんばっていればいいと考えてきた、ついこの間までの私たちの大半を占めていた意識におもねった「人気」なのです。

一方で野党の多くも、民衆の覚醒に十分についてきているとは言えません。そのため原発問題が、エネルギー問題としてのみ論じられてしまっています。選挙の争点に、人々の避難の権利の獲得や、放射線防護の徹底化が掲げられていないことにそれがあらわれています。

瀕死の状態にある福島原発をかかえた私たちの国が、放射能に汚染された東京でオリンピックを開こうとすることに対して、国会議員で反対を掲げたのが、覚醒しつつある民衆の代表として議席をとった山本太郎議員一人であったことにもこのことが象徴されています。野党のみなさん、ぜひ覚醒して欲しい。覚醒を続ける民衆に学び、大いなる脱皮をとげて欲しいと切に思います。

このような状態の中で、私たちがなすべきことは、ありとあらゆる手段を通じて、私たちの力を育てることです。何より、あらゆるところに仲間を増やしましょう。
そのためにデモ、講演会、学習会、討論会を重ねましょう。さらなる避難の実行と支援、保養キャンプの開催も重要です。

とくに大事なのは内部被曝のメカニズムと危険性をしっかりと把握することです。広島・長崎原爆以来、もっとも強く隠されてきたものがこれだからです。現在の被曝にあまりに甘い社会の在り方のロジックをなしているのも、内部被曝の極端な過小評価です。だからこの「秘密」を暴くことに、原子力が象徴する暴力の世紀をひっくり返すもっとも重要なエッセンスがあります。そのためにチェルノブイリの現実にももっと学ぶ必要があります。科学を民衆の手に取り戻しましょう。歴史を学び、隠されてきたものを白日のもとにさらしましょう。

みなさん。
私たちの力をさらに逞しく育てるのがこの1年間の課題です。民衆の力の高まりの中で、安倍政権を倒しましょう。民主主義の源である私たちの人権をいかんなく発揮しましょう。私たちが自信を強めれば必ず圧政をひっくり返すことはできます。
2014年を私たちの国の新たな方向を切り開く大転換の年にしましょう!

 

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明日に向けて(776)安倍首相の靖国参拝強行を批判する

2013年12月30日 23時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131230 23:00)

年末の諸事に奔走していて、明日に向けての更新が滞ってしまいました。申し訳ありません。
小泉原発ゼロ宣言の背景にある自民党政治の変容を論じていましたが、ある意味ではそれを象徴するような安倍首相の靖国参拝の強行と、中国、韓国政府の猛反発、アメリカ政府の不快感、EUやユダヤ人団体の批判などが行われました。

もちろん僕も安倍首相の靖国参拝強行を許せません。しかしこの問題をめぐっては賛否両論を含めて、かなり論理が錯綜していることを感じています。歴史的経緯を追って考えている論考が少ないのが残念です。

なぜ首相の靖国参拝は認められないのか。論点を整理しておきたいと思います。
まず中国や韓国が非常に強い抗議を行っているのは、靖国神社に、第二次世界大戦後の東京裁判でA級戦犯とされた人々が合祀されているからです。合祀とは、申請のあった人物を靖国神社側が認めて「魂を招き」、それまで祀られていた魂と一緒に祀るということです。

これに対して、中国が激しく批判するのは、中国がA級戦犯を、日本の進路を誤らせて中国侵略戦争を起こし、中国民衆、のみならず日本民衆をも悲惨な戦火の中に巻き込んだと捉えてきたからです。この点は、日本民衆にとって極めて重要なポイントながらほとんど論じられていません。

中国は日本との国交回復のときに、戦争における対日賠償請求を国家としては自己放棄してくれているのです。なぜか。先にも述べたごとく、中国は大多数の日本民衆をも軍国主義者の犠牲者と捉えたからです。中国の賠償請求が、犠牲者である日本民衆の上にのしかかることをよしとしなかったのです。これは当時の中国政府が、世界の民衆の利害は一つであるという「国際主義」の立場をとっていたことに影響されたものです。残念ながら現在の中国政府はこの素晴らしい観点をまったく継承していません。

私たちにとって考えなければならないのは、A級戦犯は、「国のために命を捧げた」のではなく、国の進路をあやまり、多くの人々に命を捧げることを強制した人々であるということです。だから中国がA級戦犯合祀を認めないと宣言したのは、私たち日本の民衆の立場にも合致するものです。こうした人々を祀る場に日本の首相が赴くことが許されてよいはずがないのです。

これに対して「右翼」の人々は、繰り返し、東京裁判は戦勝国の側が行った一方的なものであるから無効だと主張しています。安倍首相も本心はそちらの側にあるのでしょう。アメリカはこれに反発して「失望」を示しているわけですが、しかしだから安倍首相の参拝は国益を損ねたという批判は僕は妥当だとは思えません。

東京裁判は、確かに戦勝国側の裁判です。しかしそこには日本軍のむごい侵略を受けたアジア民衆の怒り、苦しみ、嘆きが強く反映されており、単なる戦勝国の側の一方的な裁きだったのではありません。その点で、A級戦犯らが裁かれたことには社会的正義があるのです。
東京裁判に決定的に欠けていたのは、むしろ戦勝国の側の戦争犯罪への裁きです。アメリカによる日本全土の空襲、原爆投下、沖縄上陸作戦の強行による民間人の大量虐殺が裁かれていないことこそ、東京裁判の欠陥なのです。

しかし日本政府も右翼勢力も、ただの一度もこの点を批判などしてきませんでした。その意味で、東京裁判の不当性を批判してきたなどとはまったく言えないのです。右翼など「愛国」といいながら、日本に住まう人々がこれほど酷く殺された歴史を一度も批判してこなかったことが僕には理解できません。というよりこの人たちの国を「愛する」気持ちに少しも誠意など感じられないのです。この点で、右翼による東京裁判批判はまったく的を得ていないことをおさえる必要があります。

一方で問題にしなければならないのは、靖国神社にA級戦犯が祀られていなければそれで良いのかという点です。この点で、朝日新聞や、毎日新聞は、昭和天皇がA級戦犯合祀に非常に強い不快感を示し、合祀後は一度も参拝をしなかったこと。現天皇も参拝を行っていないことを紹介しています。天皇ですらが参拝などする気になれなかったのがA級戦犯であることを紹介することから、安倍首相の参拝を批判していることになります。

これは正しい批判だとは僕には全く思えまえん。そうではなく、靖国神社という「国家装置」そのものが、日本民衆を戦争や国策に駆り立てるものであったこと、このことが批判されなければならないのです。
そもそも靖国神社は本当に「国のために死んだ人」を祀っているのでしょうか。断じて否。もともと天皇のために、より正確には天皇を担いだ時の政権のために、命を投げ出した人々、ないし投げ出させられた人々を祀っているのでしかないのです。

多くの人々が知らないのは、例えば幕末で、幕府の側についた新撰組をはじめ、戊辰戦争で敗れていった側の藩兵などはすべて除外されている点です。西南の役をおこした西郷隆盛もそうです。
さらに第二次世界大戦を前にして、この国の進路をあやまらせないために、戦争に果敢に反対し、特高警察につかまって監獄の露と消えた人々なども入っていません。政府の戦争政策を積極的にせよ消極的にせよ受け入れ、侵略戦争に駆り出されていった人々のみが祀られているのです。これで「国のため」と言えるでしょうか。

しかも戦場に送られた兵士たちは本当に悲惨でした。もともと日本軍に人権意識が乏しく、暴力的虐待が構造化されているとともに、戦場における作戦指揮が極めて雑で、軍事的に意味がなく、徒労としか呼べないような多くの作戦が強行されたからです。
これには枚挙のいとまがありませんが、兵士たちは本当に消耗品のように扱われ、米軍に次々と酷く殺されたり、飢餓地獄の中を彷徨ったりしました。その意味で大半が国家政策の犠牲者なのです。

もちろん犠牲者である彼らの多くが、自らの受けた構造的虐待を、アジア民衆の側に向けていったこと、それこそ鬼のようになって、何千万ともいわれる命を奪ったこともけして忘れてはなりません。僕自身は、犠牲者である彼らの大きな罪を、背負っていきいたい、そうすることで犠牲になった人々の魂を安らげたいと思いますが、多くの兵士たちが、アジアの人々にとって自分たちの肉親を虐殺した「下手人」であったことはけして忘れてはならない事実です。

これらの人々を、「国のために殉じた英霊」としてしまってよいのでしょうか。絶対にいけません。それでは、これらの人々に犠牲を強い、さらには鬼へと転化させていった軍部や、戦争遂行者たちの罪がまったく消えてしまいます。
実は安倍首相が本当に求めるのもこの点にあります。自らの祖父である岸信介氏をはじめ、戦前の指導者が日本とアジアの民衆に対して犯した罪を、己のアイデンティティの問題としても永久に消し去りたいのでしょう。そしてそれこそが最も許されないことです。

私たちは、靖国に合祀されている人々を、国のあやまった政策の犠牲者としてとらえ、追悼していくことこそが問われています。英霊と呼ばれてこれらの人は満足でしょうか。けしれそんなことはない。あれほどひどい境遇に自分たちを陥れた社会構造にこそメスを入れてほしいと願っていると僕は思います。

そしてその中に僕は、先にも述べたように、私たちがその人々の罪を背負うことが含まれていると思います。罪を私たちが償うことで、罪を犯したまま亡くなった人々の魂を救いたいし、ぜひ多くの人々にそうした優しさを持って欲しいと思います。もちろんその優しさは、殺されたアジアの民衆の怨嗟を、片時も忘れるものであってはなりません。

その意味で、靖国神社は廃止されなければなりません。これにかえて、国家的な「追悼と反省」の場を作り出すべきです。そこに私たちはこう書きこむべきです。「安らかにお眠りください。二度と過ちは起こしません。あなたたちの受けた被害に謝罪します。あなたたちの罪を私たちが償います」と。

安倍首相は、本当に戦争の犠牲になった人々のことなど考えていません。アジアの民衆の痛みなど、なにほどのものとも思っていない。それだけではないのです。戦争に駆り出された日本軍兵士たちの苦しみ、悲しみ、その中で犯した罪への痛みもなにもない。兵士たちへの思いやりなどほんのかけらも感じられません。

これらの観点から、アジアと日本の戦争の中で亡くなった人々の魂を踏みにじる安倍首相の靖国参拝強行を僕は心の底から批判します。
「積極的平和主義」などとまたも大嘘をついて平和の心を踏みにじるこの首相をけして許してはなりません。本当の平和のために行動しましょう!

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明日に向けて(775)小泉原発ゼロ宣言の背景としての自民党政治の変容―1

2013年12月21日 11時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131221 11:00)

小泉元首相の原発ゼロ発言をいかに捉えるのか。2回にわたる考察を踏まえて、今回はより根本的なことに踏み込んでいきたいと思います。小泉発言のさらに大きな背景としてある自民党政治の大きな転換についてです。
ただ歴史の流れなので書き出したら、分量が多くなってしまいました。また小泉首相の発言とは大きく離れるので、タイトルを変えて新しい連載とすることにしました。これに伴って、(774)を(中)から(下)に訂正します。

さて本題ですが、これまで自民党の中には、伝統的に野党や反対派を取り込んでいく「左向き」の政策や勢力がありました。この部分を野党時代にすっかり失い、あるいはそぎ落として、「右向き」の政策、勢力のみで登場してきているのが今の安倍政権です。
「左向き」とは、自民党の中で政治理念よりも利益分配によって支持を集めようとする政策のことで、その中には社会保障制度の確立、維持にに力を入れたり、経済格差の一定の是正などを目指す人々のことです。小泉政権時代に「抵抗勢力」としてそぎ落とされてきた勢力のことでもあります。
この勢力は、自民党の伝統政治の中で、常に自民党政治に不満を持つ人々を吸収し、野党や左翼の側に人々の支持が向かないための役割を果たしてきました。不満のショックアブソーバーでした。それが自民党の極めて長期にわたる政権を支えてきたとも言えます。
今の自民党にはそうした勢力が不在です。小泉氏自身が解体を進めたためですが、野党になることで利益分配ができなくなってしまったことも大きい。そのため自民党はショックアブソーバーを持たないむき出しの右翼政権になっています。実は本質的には、高度経済成長期よりずっと弱いのです。

自民党の長期政権を可能にしたこれらの人々の持つ政治的傾向は、戦後政治史では「保守本流路線」と総称され、吉田茂―池田隼人―田中角栄―宮沢喜一などに継承されてきたものと分類されています。(以下、歴史的記述では敬称を省略します)
「軍事小国・経済大国路線」などとも言われますが、しかしそれがはっきりとした定着を見たのは、安倍首相の祖父の岸伸介による戦前回帰、軍事大国化路線が民衆によって否定される中でのことでした。
戦後の混乱期を経て、1955年に保守合同がなしとげられて自由民主党が成立した時、自民党の中には、戦前のような国家に回帰しようとする潮流と、戦前の様な軍部独裁は二度とごめんだと考える潮流が矛盾的に併存していました。
こうした中でで首相となった岸伸介は、戦前回帰の代表として振る舞い、対米従属も超えた軍事大国に日本を発展させようとして、日米安保条約改定を重要政治課題に据えます。こうした中で1960年、条約の改定の日が近づいてきました。

岸内閣の政策に戦前のファシズム国家の再来を見た民衆は、安保改定反対を叫んで行動を開始。やがて国会前には数十万のデモ隊が連日包囲する状況が生まれました。人々は軍国主義的な岸内閣退陣を叫び続けました。
やがて岸伸介は、安保条約改定を強引に実現したものの、退陣を余儀なくされました。民衆の力が軍事大国化を阻んだのです。
続いて登場したのが池田勇人を首班とする内閣でした。戦前回帰の岸伸介に対し、池田が打ち出したのは「所得倍増計画」でした。安保をめぐる矛盾を、民衆の生活の向上の中で解消しようとしたのです。このため池田内閣は野党から「低姿勢内閣」などと呼ばれました。
池田は、安保条約を維持する理由についても、岸内閣のようにアメリカと対等な軍事同盟を保持する国家に変貌していくためのものではなく、経済的に不効率な軍事部門をアメリカに任せ、日本はその分、経済成長に邁進することができるから良いのだとうたいました。

池田内閣はさらに国民皆保険制度をはじめ、社会保障制度の充実も推し進めつつ、1964年の東京オリンピックに向かいだしました。経済発展の象徴として新幹線や首都高速、東京タワーなどが次々と作られていき、実際に所得が大きく伸び始める中で、安保闘争は次第に後景化していきました。
このとき池田首相のブレーンであり、のちに首相となった宮沢喜一氏が、こうした政策を「ニューライト」路線と名付けました。その中には左翼政党が主張する社会改革の内容を、自民党が取り込み、実現していくというモメントも含まれていました。
宮沢らは、戦前への回帰を目指す「オールドライト」に対して、安保闘争に日本の民衆の中への民主主義の浸透を認め、それとの融和を目指したのでした。そのため軍事・外交路線の政治焦点化は避け、生活向上を政治の争点にし、「豊かさ」の中に民衆を包摂しようとしたのでした。
これは安保反対運動の大きな高揚、民衆の力の台頭への恐れからきたものでもありますが、同時にいかにそのエネルギーを解体し、取り込み、経済成長の活力に転化していくのかを考え抜いたものでもありました。

こうした政策は、もともとロシア革命以降の世界的な社会主義の台頭に対応し、第二次世界大戦後のイギリスを中心に、自由主義諸国で生まれたケインズ主義的な政策を下地としていました。政府が積極的に財政出動を行い、需要を創出して経済成長を果たしつつ、同時に高福祉国家を実現する政策です。
戦後の荒廃の中から立ち上がった日本では、経済再建の分野で、政府が強力にリードしていくケインズ主義が確立していましたが、池田内閣以降に積極化されたのは、「所得倍増」の合言葉のもとさらに公共投資を拡大しつつ、民衆へも一定の利益配分を行うことでした。
東京オリンピックはその絶好の機会でした。日本はこれを契機に「高度経済成長」の道をひた走っていくようになります。池田政権はケインズ主義を社会保障制度の拡充にも適用し、皆保険制度のもとでの医療の充実などが図られていきました。
このもとに国会を取り巻く数十万のデモで岸内閣が倒されながら、自民党は政権を失わず、その後の野党勢力の拡大を押しとどめて、民衆の支持の拡大をもう一度、実現することに成功しました。

しかし民主主義を求める民衆の声は、1960年代後半から再度、再燃していきました。60年代にアメリカがベトナム戦争を開始し、日本各地の米軍基地から爆撃機が飛び立つ情勢の中で「ベトナム反戦」を軸に民衆が再度、大きく立ち上がったのです。
この時、自民党の中で台頭してきたのがのちの首相の田中角栄でした。田中角栄は、民衆運動の中でも突出して高揚する学生運動を力づくで押しつぶすことを画策。「大学運営に関する特別措置法」という法律を国会通過させました。それまで「聖域」として警察が介入できなかった大学に、警察権力=機動隊の導入を可能にした法律です。
田中のライバルだった大平正芳のブレーンの伊藤昌哉は、自著『自民党戦国史』の中で、このとき田中角栄がこの法案を手に「これでわしに天下がやってくる」と叫びながら国会の廊下を走ったという逸話を紹介しています。それほどに学生運動を潰すことは、国家にとって重要な課題だったのです。
やがて田中は「天下をとって」首相になりましたが、政権をとるやいなや、伝統的な経済的取り込み路線を大々的に推し進めました。日本中に金をばらまいた「日本列島改造論」です。新幹線や高速道路の拡張を軸に、公共投資をさらに拡大し、生産力をどこまでも伸ばしていくことが目ざれました。原発もその重要な柱の一つとされました。

保守本流路線はこのように、1970年代も貫かれていきましたが、しかしこの路線は、戦後世界の枠組みの大きな変容の中で次第に展望が見えなくなっていきます。最も大きな要因は、ベトナム戦争で疲弊したアメリカが1971年に、ドルと金の兌換を一方的に取りやめる宣言をなしたことです。
これに追い打ちをかけたのが1973年のOPEC諸国による石油戦略の発動でした。アメリカの豊富なドルの力を背景としたスペンディングポリシー=公共投資による有効需要拡大政策と、安い石油原料を背景とした加工貿易体制が大きくぐらつきだしたのです。
1970年代は世界的に資本主義の行方をめぐる動揺の時代とでしたが、次第にアメリカの中からケインズ主義による有効需要創出の創出や、社会の安定化のための社会保障制度の拡充を否定する潮流が台頭してきました。いわゆる「新自由主義」です。
経済学の分野で中心をになったのは、経済学者のミルトン・フリードマンでした。フリードマンはケインズ主義のような政府による市場への介入が自由競争を阻害していると激しく非難。また社会保障制度があるから競争心が育たないのだと主張し、弱肉強食の市場原理こそが経済を発展させると顕揚しました。

やがてフリードマンらの経済政策を採用しつつ、他方で強引な軍拡を行うという矛盾をはらんだ政権がアメリカに登場します。レーガン政権です。レーガンは強いアメリカの復活を掲げ、そのために自由競争の強化が必要だと訴え、社会保障制度の切り捨てを始めました。
一方で大規模な軍拡を主張。大陸間弾道弾とは別に、トマホークなどの巡航ミサイルに搭載した戦術核の使用にまで言及。この点が「小さな政府論」とは矛盾していたのですが、レーガンはさらに、大気圏外に打ち上げられた衛星からのレーザービームによってソ連邦の大陸間弾道弾を撃ち落とす「スターウォーズ計画」をすら表明します。
このレーガンの登場に呼応するようにして登場してきたのが、イギリスのサッチャー政権でした。サッチャーも、社会保障制度の充実化こそがイギリスを構造的な停滞においやったと唱え、自由競争の強化を掲げました。
日本でも、自民党の傍流に位置していた中曽根康弘が首相の座につき、伝統的な保守本流路線の清算を意味する「戦後政治の総決算」を呼号しました。中曽根は社会的共通資本であった国鉄の分割民営化を叫び、日本労働運動の拠点であった国鉄労働組合(国労)の強引な解体を推し進めました。

これらの政策は、世界的にも日本国内でも、自由主義政権が人々の支持を取り付けるために行ってきた「左向き」の政策を捨てることを意味しており、国内矛盾の激化が必至のものでしたが、もっと大きな世界史的要因によって、政策遂行者を有利な立場に置きました。ソ連や東欧の社会主義が行き詰まり、崩壊しだしたことです。
1970年代、資本主義各国は、アメリカの経済力と、安い資源によって生産力の拡大を実現し、利益分配を可能にして資本主義体制のもとに人々をつなぎとめきたそれまでの政策の根拠を失い、政治的な不安定を迎えていました。
ところが資本主義の競争相手であった社会主義各国も、社会の硬直化の中で生産拡大のインセンティブを失い、行き詰っていました。こうした中でソ連邦は、レーガン政権のとった大規模な軍拡路線に対抗しきれなくなっていきます。
こうした中で1985年、ソ連共産党の新たな書記長にミハエル・ゴルバチョフが就任し、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)軸とする大改革が断行されはじめました。アメリカとも電撃的に軍縮会談を行い、冷戦終焉がにわかに現実味を帯びるようになりました。

ゴルバチョフはまた「人間の顔をした社会主義」を標榜し、ソ連や東欧社会主義の硬直化を脱することを目指しました。しかしそれまでの長きにわたる共産党独裁体制からの転換は、それまで押さえつけられていた矛盾の一挙的な噴出となって現れました。
これに拍車をかけたのが1986年に起こったチェルノブイリ原発事故でした。事故直後のソ連当局の事故隠しの在り方が、政府に対する民衆の信用を大きく後退させるとともに、長きにわたって上からの指令のもとで暮らしてきたあり方の見直しが始まったのでした。
ソ連内部から始まったこの大きな変動はたちまちのうちに東欧社会主義各国に波及、各国共産党も、ソ連の後追いをするに「改革」政策を打ち出しますが、それよりも民衆の覚醒が早く進んで体制が大きく揺らぎ始め、社会主義各国が1980年末に次々と瓦解。やがてソ連邦までもが1991年に崩壊してしまいました。
自由主義圏各国内部にもこれが波及。多くの国で民衆運動や労働運動に影響力を持っていた左翼政党が、社会主義の世界史的後退の中で支持を失い、新自由主義的な政策は、十分な対抗軸が形成されないままに社会に浸透しだしてしまいました。

続く

 

 

 

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明日に向けて(774)小泉元首相(イラク戦争犯罪人)の原発ゼロ宣言をいかにとらえるのか?(下)

2013年12月19日 23時00分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131219 23:00)

小泉元首相の原発ゼロ発言をいかにとらえるのか、今回は、小泉元首相が、なぜ今、原発ゼロを言い出したのか、またそれはどのような意味を持つのかの分析を行いたいと思います。
ネットを検索すると、幾人かの方が、小泉原発ゼロ宣言の背景を鋭く分析しています。それぞれに参考になりましたが、僕が一番、すっと共感できたのは、山本太郎さんの次の言葉でした。

*****

「小泉さんの『原発ゼロ』提言が本物であるかどうかは、有権者である国民が、しっかりとチェックする必要があります。
小泉さんには、いま実際に被災地が直面する被曝の問題についても聞いてみたいですね。『脱原発』は発言できても『脱被曝』は口にしていない。
いまも、高線量の地域なのにもかかわらず、安全といわれて暮らしている方々がいる。子供たちの避難、避難の権利についてはどう思うのか、小泉さんに問いかけたい。
本当に脱原発を考えているかどうかの『踏み絵』を踏ませることになります。
地震大国である日本が、原発による発電を放棄しなければならないことは明らかなことです。脱原発は、当然の政策です。その意味で、小泉さんは当たり前のことしか言っていません。
小泉さんの提言については、喜ばしいことと思うのと同時に、懐疑的な見方もしてしまいます」。

「現在の安倍政権は極右政権であるばかりか、原発再稼働というとんでもない道に日本を導こうとしている。そんな中で、小泉さんは、自民党の中にもブレーキがあるというアピールをしているように思えます。
また、政権にしてみれば、自民党に対して直接的な影響力を持たない小泉さんが『原発ゼロ』を宣言したところで、マイナスはない。
これから消費税増税がはじまり、政権の足元は揺らぐ。そうだとしたら、次に選挙になったときに、自民党の中で票を逃がさないための求心力が必要とされるわけです。
自民党内に『脱原発』という動きがあることをアピールしておくために、小泉さんの提言は絶妙のタイミングだった」。

「現代ビジネス 経済の死角」より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37434?page=4

*****

僕も一番強く感じたのはこの点でした。小泉元首相は、民衆の動向に敏感で、なおかつそれを自分の政治路線に取り込む手腕が高い方です。ようするに稀代のペテン師です。
その「手腕」で日本の社会保障制度も壊してしまったし、大量殺戮を伴うイラク戦争に自衛隊を出してしまいながらなんらの責任も問われずにいます。
その小泉氏が着目しているのは、何よりも「高支持率」と言われてきた安倍・自民党政権の危うさと、民衆の中で育つ、脱原発の意志の強固さだと思うのです。
実際、つい先日も小泉氏は安倍首相と同席しましたが、原発問題には触れませんでした。秘密保護法の強引な可決で、安倍内閣の支持率が急落したために、原発問題でさらに窮地に立たせることを避けたかったのではないかと思われます。

小泉氏から見て、安倍政権はどのような危うさを持っているのでしょうか。一つには安倍首相が、何らかの理念で民衆の支持を得ているわけではなく、「アベノミックス」による「景気回復」で、支持率を獲得してきたことです。
また旧民主党政権へのかなり深い失望感が支持を押し上げもした。いわばライバルのエラーで得をしたようなもので、安倍氏自身が、民衆の心をつかんで支持を押し上げたわけではありません。
しかも安倍氏は、東京オリンピック招致発言に見られるような嘘を平気で言う人物です。根本的に人を説得して信用を得ようとする姿勢や資質がありません。
こうした嘘をついてもまだ「支持」が持続したのは、東京オリンピックにおける経済効果などが期待されているからにすぎないでしょう。

アベノミクスとは、これまでの常識を逸脱したような極端な金融緩和を行い、投資家の期待感をあおり、為替を円安に誘導することを基軸としています。そうなれば当然、輸出企業の利益が拡大し、株価が上昇するので「経済成長」を演出できます。
インフレを誘導する単純なバブル政策ですが、しかし金融緩和が、実態としての経済を成長させているわけではありません。期待感をあおることでの円安が基軸ですから、反対にいつ期待感がしぼんでしまうか分からない。
つまりアベノミクスは、いつ崩壊するかわからないしろものなのです。そうなると表面化するのは、日本経済の実際の問題としての、分配の不平等性の著しい拡大という現実です。
端的に企業は儲かっても、大多数の民衆の生活は良くなってなどいない。若者の多くがワーキングプアで、仕事探しも難しい状態です。来年の消費税アップや、TPPによってさらに民衆の生活は悪くなろうとしています。

アベノミクスへの幻想が消えて、この点がクローズアップされてくると、実は困るのは小泉氏本人でもあります。分配の不平等性の著しい拡大は、安倍氏よりも、むしろ小泉元首相の下でこそ拡大したのだからです。
このために安倍自民党は、弱肉強食の市場論理を推し進めるTPPに一度は反対の姿勢をにじませたほどでした。小泉政権のもとでの施策が何をもたらしたのかが次第に明らかになりだす中でのことでした。
その点で、小泉氏が見ているのは、実は現在の自民党や安倍氏の人気よりも、根本的には、小泉政権に対する歴史評価がどうなるのかという点でもあるようにも思えます。
好景気観が消え去り、人々の経済的苦境が際立ってくるにしたがって、問題は小泉政権にあったことが見えてきてしまう。というか、そこが見えるようになることこそ、民衆の覚醒です。小泉氏はこの点を恐れているのではないでしょうか。

とくにイラク戦争については、あやまりがはっきりしていて、イギリスではブレア元首相が何度も議会での追求を受けています。ブッシュ政権の元ブレーンたちも社会的信用を失っています。小泉氏の盟友はあのときのみんな失墜しているのです。
しかもイラクはその後も政治的に安定していない。イスラム圏でのアメリカへの怒りはますます高まるばかりであり、戦争犯罪としてのイラク戦争への追及も今後、さらに行われていく可能性があります。
こうした海外事情を小泉氏が知らないはずがありません。つまり小泉氏は、いつどこで自分が批判にさらされるかもしれない危うい位置に自分自身が立っていることを熟知していると思われます。
しかも原発政策についても小泉政権は強烈に推進したのですから、福島原発事故以降のムーブメントもが自分に向きかねない恐れがある。そのために先に防御を施すこと、先手を打って、攻撃をかわし、「味方」を増やすことを考えたのではないか。

そのために小泉氏は、現在の自民党が、嫌われないための手を打ってきた。山本太郎さんが「小泉さんは、自民党の中にもブレーキがあるというアピールをしているように思えます」と書いた点です。
さらに僕は、その貴重なブレーキが自分なのだと強調することで、小泉氏は、安倍政権への批判が歴史を遡り、自分に波及することをも防ごうとしていると分析したわけですが、そのことの象徴が、「原発ゼロ」を「郵政民営化」になぞらえている点ではないでしょうか。
安倍氏に対しても、民衆の変革への希望を上から吸収してしまうこと、民衆が自ら変革の道を歩まないようにすることこそ、首相として最も大事なことなのだという「教え」を行っているのだと思えます。
民衆の動向に敏感な小泉氏は、民衆がまだ覚醒仕切らない今だからこそ、何らかの手段で、民衆のエネルギーを取り込めると考え、それが野党をも出し抜くような「原発ゼロ発言」に集約されたのではないかと僕には思えます。

以上はあくまでも推論の領域になりますが、小泉氏の真意がどこにあるにせよ、彼の原発ゼロ宣言は、どのような政治的位置性を持っているかをしっかりと見ておくことが大切だと思います。
前回、僕は小泉氏の発言を安易に評価してはならないと書きましたが、原発ゼロ宣言で小泉「人気」が維持されたり、再燃してしまえば、郵政民営化をはじめ彼の行った民衆を苦しめるさまざまな政策への批判がまたも曇らされてしまいます。
いわんや、秘密保護法反対の運動が、安倍自民党政権退陣へと大きく発展するや否や、これを切り崩し、取り込むために、現政権が電撃的に脱原発への転換をうたいだした場合、最も危険な状態が生まれます。
実際には脱原発といっても、何十年かかけてという話にすれば、野党の吸収も可能であり、その間の再稼働も、野党多数の合意のもとに可能にする道も開きうるのです。

最悪のシナリオは、安倍政権が脱原発への転換のもとで支持率を回復し、秘密保護法をはじめとした戦争政策をどんどん推し進めることです。
現状ではそのような流れになる可能性はまだそれほど多くはないかもしれませんが、脱原発勢力が「小泉発言を利用するのだ」とばかりに、小泉元首相を押し立てる形で脱原発運動を進めていけば「小泉氏に説得されて自民党が脱原発にかわる」可能性は拡大します。
何より民衆の力がそれを後押しすることになりかねない。そうなると、何十年後かの原発の廃止という、実現されるかもどうかも分からない公約と引き換えに、民衆の側は、TPPなどの新自由主義政策の強化や、自衛隊のアメリカの属国軍化への抵抗力も失ってしまいかねない。
だからこそ、小泉元首相の原発ゼロ宣言に私たちは絶対に乗らず、むしろ小泉政権のさまざまなあやまりの追及を行うべきなのです。

繰り返しますが、私たちは今、覚醒を推し進めなければなりません。その重要な一つの柱が、小泉劇場政治に民衆の多くも踊らされてしまい、日本の中でイラク戦争反対の大きな運動を起こせなかったことの反省です。
小泉政権のもとで、社会保障制度がどんどん切り崩され、経済格差が開いてしまったのに、それを見据えた大きな抵抗運動を作れなかったことへの反省です。
総じて小泉氏によって民衆の多くが騙されてきたことに気づくことが最も大切です。
僕もそのために、さらに新自由主義への批判を強めていこうと思います。

終わり

ここまで書いてきて、安倍政権の現在の傾向や小泉発言の大きな背景にある自民党の伝統的路線からの大きな転換、というよりも、これまで民衆を取り込んできた大きな力の衰えの側面を論じるべきことが見えてきました。
このため次回からは、戦後史の中で自民党が取りつづけてきた政策を検証し、ここから逸脱した現在の自民党政権の歴史的位置を明らかにするなかで、今、私たちが進めるべき「覚醒」の方向性を考察していきたいと思います。

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明日に向けて(773)小泉元首相(イラク戦争犯罪人)の原発ゼロ宣言をいかにとらえるのか?(上)

2013年12月14日 09時30分00秒 | 明日に向けて(701)~(800)

守田です。(20131214 09:30)

秘密保護法を強引に通過させた安倍政権は、民衆の怒りの声に激しく動揺しつつも、さらに共謀罪を画策し、国家安全保障基本法成立は集団的自衛権の「行使」など、戦争政策への傾斜を強めつつあります。
この流れにいかに民衆的抵抗を対置するのかを考える上で、昨秋、小泉元首相が行った原発ゼロ宣言をいかに捉えるのかについて、考えの整理をしておきたいと思います。
僕の結論は、タイトルを見ればお分かりのように、イラク戦争に大きな責任がある小泉元首相の発言を、安易に評価すべきではないというものです。

小泉元首相は、安倍首相の「指南役」であり、今も強い影響力を持っています。その小泉元首相が推し進めたものこそ、イラク戦争への日本の協力であり、自衛隊の派遣でした。戦後日本史を画する戦争政策でした。
自衛隊が大規模に後方支援が行ったこの戦争は、しかし何らの正当な根拠もない侵略戦争でした。「イラクが大量破壊兵器を隠している」という一方的ないいがかりで、大規模な戦闘が行われました。完全な戦争犯罪です。米英のブッシュ元大統領やブレア元首相は、大量殺戮の犯人です。
小泉元首相はこの戦争に加担したのです。戦争犯罪への全面協力です。その小泉氏が指南してきた安倍首相が今、より大々的なアメリカの戦争への協力の道を開くために、秘密保護法の強行採決などを行っているのです。

小泉元首相が行った根深い過ちは、イラク戦争への加担だけではありません。市場原理主義という弱肉強食の論理を日本にもちこみ、「郵政の民営化」など、社会のセーフティーネットを壊し、アメリカ資本の日本への進出に大きく道を明けたこともそうです。
今、多くの若者がワーキングプアに悩んでいます。若者だけではない。たくさんの人々が正規雇用からはじき出され、収入も雇用も不安的な状況におかれています。こうした道を強く推し進めものこそ小泉政権だったのです。
にもかかわらず小泉元首相が、いまだに「人気」があるのは、私たち民衆がまだまだ覚醒しきれていないためです。私たちは、早急にここからの目覚めを進めていかなくてはなりません。だからこの「人気」を「利用する」ことなどもってのほかなのです。

「しかし小泉元首相の原発ゼロ論はそれ自体はまっとうなのではないか。安倍政権や読売新聞などの批判とたたかうべきではないか」という意見もあるかと思います。原発ゼロ論に対して「対案がないのは無責任だ」という批判がなされたからです。
小泉元首相の読売新聞への反論は、「対案など、自分一人で出せるものではない。みんなで知恵を出して考えることだ。政治家はまず道筋をつけるのが大事なのだ。安倍首相が決断すればできるのだ」というものでした。
確かに使用済み燃料の処理方法がないから原発をゼロにすべきだということも、対案がなければ反対できないというのは間違いだというのも、それ自体は正しい。安倍政権や読売新聞の反論の方がまったく間違っていることは明らかです。

実はここには、私たちが脱原発を進める上での、非常に大きな論点が横たわっています。原発はなぜ許してはいけないのか。事故の可能性があるからというのはもちろんです。使用済み燃料の処理方法がないのもそうです。
しかしより大事なのは、原発が通常運転をしていても、「許容値」という名の下に一定量の放射能を漏らしており、それが人体に非常に危険なためです。よくに原発の運転・維持のために、被曝労働が構造化されており、原発はそれ自身が巨大な人を被曝させる装置であり続けてきたのです。
事故の可能性や、未来の問題だけでなく、現に今まで、漏らしてきた放射能が危険だから、原発労働者と周辺住民を構造的に被曝させてきたから、原発はその存在が許されてはならないのです。

歴代の首相はこの被曝に全面的な責任を負っています。もちろん小泉元首相もそうですが、この方は在任期間中に、もんじゅの事故やJCO事故によって、暗礁に乗り上げてきた原子力政策を、むしろ強力に推し進めた張本人なのです。
その重要な柱が2005年に原子力委員会から提出され、政府方針として閣議決定された「原子力政策大綱」でした。これは小泉政権の2006年の「骨太方針」にも明記されています。さらにこれに基づき、2006年に綜合資源エネルギー調査会原子力部会によって「原子力立国計画」が確定されました。
既存原発の60年間運転、2030年以後も原発依存を30~40%程度以上に維持、プルサーマル・再処理の推進、もんじゅの運転再開と高速増殖炉サイクル路線の推進、核廃棄物処分場対策の推進、海外進出を念頭においた「次世代原子炉」開発、ウラン資源の確保、原子力行政の再編と地元対策の強化などがその内容です。

原子力政策大綱
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/taikou/kettei/siryo1.pdf

原子力立国計画
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/images/060901-keikaku.pdf

小泉元首相が、真摯に原発ゼロを唱えるならば、何よりも長年、自民党政権が行ってきた被曝の放置を謝罪すべきであり、自らの政権が決定した「原子力政策大綱」とそれに基づいた原子力立国計画への反省と撤回を行うべきです。
にもかかわらず、小泉元首相は、事故の連続で頓挫しかかっていたこの国の原子力政策を、自らの「人気」をテコに回復させ、強化した歴史には何ら触れていない。
小泉氏を師とあおぐ安倍首相からすれば、自分は小泉路線を継承しているのに、なんで批判されなければらないのかという被害者意識にすら陥っているのではとすら思えます。安倍首相の原発維持路線は、間違いなく小泉路線の継承なのだからです。

小泉発言に飛びついてしまったマスコミは、どうしてこの点を問わないのでしょうか。2005年、あの時に小泉政権が、もんじゅ事故やJCO事故の検証を強力に推し進めていたら、あるいは福島原発事故は未然に防げたかもしれないのです。
さらに小泉氏は原発のもとに構造化された被曝問題の捉え返しなどは一切、行っていません。いわんや福島原発事故のもたらした膨大で深刻な被曝についても何ら言及していません。
福島原発事故の問題で、一番に焦点をあて、検証していかなければならないのもこの点です。原発ゼロも大量被曝への反省に立脚されたものでなければなりません。しかし非常に簡単なこの問いが出てこない。とても残念です。

私たちが何度も確認しておかなければならないのは、原発の問題は、被曝問題だということです。とくに低線量内部被曝の危険性が隠され、たくさんの人々が被曝させられながら、この政策が貫かれてきたことです。政策遂行者には加害責任があります。
この点を抜きに、原発問題をエネルギー問題として、また廃棄物処理問題としてとらえることは非常に危険です。なぜか。現在も放置されたままの大量被曝の現状、福島をはじめ東北・関東の多くの人々が、継続的に被曝を強いられている現実から目をそらされてしまうからです。
その意味で、イラク戦争の戦争犯罪人であり、私たちの社会を弱肉強食の場に変えてきた張本人であり、なおかつ、2000年代に協力に原発政策を推し進めた来た小泉元首相には、何よりも反省と謝罪、罪をつぐなうことこそを問うべきなのです。

続く

次回は、なぜ小泉元首相が原発ゼロを言い出したのかという点を推論したいと思います。

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