明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(490)空間線量に反映されない偏在する放射性物質の危険性

2012年06月17日 20時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)


守田です。(20120617 20:30)

原田先生と社会的共通資本についての論考が途中なのですが、ここで5月下旬
の福島市訪問に話を戻して、そこで見てきたことの報告を挟みたいと思います。
論じておかねばならないことが多くて、こんな形になっていることをお許し
ください。それで今日、触れておきたいのは、5月23日にシンポジウム参加の
ために訪れた福島大学でのこと、大学内の放射線値についてですが、書きたい
ポイントは現在の福島大学内、ないし福島市内の放射線被曝の危険性は、空間
線量だけを目安にみてとることはできないということです。それは福島に限ら
ず、放射線値の高いところに共通することだと思うのですが、それがなぜかを
書いてみます。

この日、キャンパスを訪れて、印象的だったのは、大学構内にモニタリングポ
ストが設置されて、リアルタイムに放射線値が掲示されていることでした。と
くにシンポ会場の向かい側にある大学のS棟前には、名古屋市に本社を置く
KICTEC社製の空間線量計測器が置かれており、私たちが訪れたときは0.20μS
(毎時)という値が出ていました。その前を、学生たちがマスクもすることな
く、談笑しながら歩いていました。

ポストを見ている僕の後ろから、シンポに招いてくださった福島大の先生が、
「ここもあの周りはきれいに除染してあるのですよ」と声をかけて下さいまし
た。ようするにここも「除染ポスト」なのです。少し離れれば、もっと高い値
がでるのでしょう。しかしそれでも0.20という値はけして低い値ではない。年
間の線量に換算するならば、1.66mSもあり、チェルノブイリ周辺では避難権利
区域に相当する数値です。

大学全体のことが気になって、数日前に大学ホームページを閲覧してみたとこ
ろ、驚くべきことに、0.20μS(毎時)という値は、公表されている計測値の
中でも低いものであることが分かりました。本年の6月14日に測定されたデータ
によるものですが、以下からこれを見ることができます。

福島大学キャンパス内及び附属学校園の放射線計測データ(2012年4月~)
http://www.fukushima-u.ac.jp/guidance/top/fukudai-housyasen.html

これをみると、事故から1年3ヶ月を過ぎた数日前の時点でも、大学内の調整池
前道で、0.74μS/h、プール建物前道で0.78μS/hという値が出ている。どちら
も放射線管理区域に相当する値です。西門警務員室前で0.54μS/h、本部管理
棟前で0.45μS/hという数字が出ていて、先ほど紹介したS棟前でもこの日は、
0.28μS/hと、5月23日よりも、かなり高い数値が出ていました。これだけでも
福島大学キャンパス内には大きな危険性があることが分かります。


ところがより大事なのは、先にも述べたように、こうした空間線量には反映さ
れてない危険性が存在することです。それが放射能の偏在であり、その結果と
して生じているマイクロホットスポットの存在なのです。というのは5月23日の
時点でも、確かにS棟前は、0.20μS/hという値が掲示されていたのですが、私
たちが車を止めた駐車場付近(S棟よりももう少し北のあたり)で泥が溜まっ
ているところを計測すると、すぐに3.5μS/hが計測される地点が見つかりまし
た。それを教員の方に話すと、「あちこちにそういう場所があります。僕の
知っているところでは、いつでも10μS/hぐらいは出ています」という答えが
返ってきました。

問題は、空間線量の計測に頼った現在の測定方法では、こうしてそこかしこに
偏在してマイクロホットスポットを作っている放射性物質の危険性が、なんら
反映されないことです。その意味で、空間線量計の周りだけが除染されていて、
これらの機器が、その一回り外の実測値より低い数値を出しているということ
に、問題はとどまりません。たとえこれらの機器が、そこだけの除染などなさ
れておらず、周辺の空間線量を正しく反映していたとしても、それだけでは
そこに存在する危険性を捉えきれないのです。

なぜならば、大変高い値を示しているマイクロホットスポットがあるというこ
とは、そこにその値を出している放射性物質が集中して存在しているというこ
とであり、しかもそれが周囲から風や雨水の流れから集まってきたものである
と推定されること、つまり環境中を循環しているものである限り、その物質を
含んだ泥などが、例えば夏の日差しで乾燥させられる中で舞い上がることで、
さらなる移動を行い、その過程で、構内にいる学生や教職員が吸い込んでしま
う可能性があるからです。

そうなると、ガンマ線を測定している空間線量にはまったく反映されていない
危機が人々を襲うことになる。内部被曝の危険性が生じるのです。欧州放射線
リスク委員会が、内部被曝をあえて外部被曝と比較するならば、平均して600
倍と考えるべきだと述べていることを折りに触れて説明してきましたが、そう
すると、福島大学構内には、モニタリングポストで示された数百倍の危険性が
存在していることになる。いや、実際に存在しているのです。その点をみれば
いかに危険な状態にキャンパス内があるかが見えてきます。

ところがこうした危険性を一切反映しない空間線量計の存在は、低線量被曝の
危険性はきわめて小さいと繰り返す政府や、原子力村の人々の虚言とあいまっ
て、むしろ目の前にある危険性を非常に過小評価し、小さく見せることに貢献
するものになっているように僕には思えます。それらの結果もあって、大学内
の学生たち、若者たちが誰一人、マスクもしていないのです。


シンポジウムの中でも僕はこのことを問題にし、マスクの必要性を訴えました
が、これに対して非常に印象的な質問をある学生がしてくれました。彼は言う
のです。

「僕たちはもうみんな被曝していると思うのです。今さらマスクをしても無駄
ではないでしょうか」

この言葉は非常にアンビバレントです。一方では被曝の危険性に対する危機意
識がきちんと介在していながら、しかしもう被曝対策をしても遅いのだという
虚無的な考えにとらわれているからです。恐らくこうした危機意識と、どうせ
空間線量もそれほどではないし(そんなことはまったくないですが)、きっと
そんなに危なくはないのだ。だから今さらになって、マスクなどしなくてもい
いのだという危機感が麻痺した意識の間を、学生たちの思いは揺れているので
はないか。あるいは悲しいことに、そんなに危険な場なら大学を開講すること
はないだろうという大学当局への信頼も介在しているかもしれません。

僕は述べました。「そんなことはありません。むしろマスクはすでに被曝して
しまった人がすることにより大きな効果があるとも言えます。あなたは確かに
これまで被曝していますが、あなたの若さが、放射性物質が悪さをすることを
おさえているのだと思います。免疫力によって、病が抑えられている。だから
こそ、これ以上、被曝を重ねないことが大事なのです。そのためには今からで
もマスクをして、放射性物質を吸い込まないように注意すること、内部被曝を
避けることが大切です」。

・・・もちろん、前提として、0.20μS/hという値ですら、チェルノブイリ周辺
では避難権利区域に相当するものであり、ここは普通に生活しているにはあま
りに危険性が高いこと、可能なら避難をした方がいい場であることを述べた後
での話でしたが、マスクをめぐる僕の発言に、学生さんは「分かりました」と
納得してくれたようでした。


このように、放射性物質は環境中を循環しており、ところどころにマイクロホッ
トスポットを形成しています。それは内部被曝の危険性を作り出していますが、
それは空間線量にはまったく反映されていません。そのため線量が高い地域、
具体的には年間の線量が1ミリシーベルトを越えるところはどこでも、近くに
マイクロホットスポットが存在していることを自覚し、マスクなどで防御する
とともに、これらの危険箇所に近づかないようにすることが大事です。空間線
量に惑わされずに、呼吸による内部被曝から、しっかりと身を守りましょう。


***********

福島・宮城取材報告会への参加を(6月21日)

なおこうした福島・宮城の取材で見えてきたことの報告を、6月21日に、京都市
左京区のキッチンハリーナで行います。案内を貼り付けておきます。
お近くの方、ぜひお越しください!

守田敏也さんお話会 「福島からのリポート2012・5月」

★5月に福島に取材に行かれた守田敏也さんの最新リポート。
6/21(木) @キッチンハリーナ
19:00-21:00
1ドリンク+500円
(お食事のオーダーはこの時間帯はできません)先着25名様
お問い合わせ・ご予約は: yh.soratoma@gmail.com スズキまで



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明日に向けて(489)安全性の概念をかなぐり捨てた大飯原発再稼動論

2012年06月16日 13時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120616 13:30)

昨夜、そして本日たった今、大飯再稼動反対の行動が各地で取り組まれ
ています。昨夜の首相官邸前は1万人以上が集まったそうです。動画を
見つけたので紹介します。

6・15原発再稼動許すな!首相官邸前1
http://www.youtube.com/watch?v=WM0c3t5uaGA&feature=related

16日現在の東京の様子は現在、IWJが以下で中継しています。
http://www.ustwrap.info/multi/iwakamiyasumi::iwakamiyasumi5

関西では今日、各地でデモがあり、明日は現地行動も予定されて
います。
http://www.nihon.jpn.org/ooi/


再稼動を止める運動をさらに前に進めるために、論点の整理を行って
おきたいと考え、これまで注目してきた後藤政志が6月5日に語られて
いることの簡略な文字起こしをしたのでお読みください。

後藤さんが語られているポイントは、今回の大飯原発の再稼動が、安全
性をまったく無視して行われようとしている点です。すでに多くの人が
直感的にもこれに気が付いて、積極的な行動をしているわけですが、
ここでおさえておくべきことは、政府の言っている「安全対策」が、
プラントそのものの安全のことではなく、プラントの設計思想が破産
した「過酷事故」への対策のことだという点です。つまりその時点で
プラントとしては破産しているのです。しかもその過酷事故対策すら
が、「これから対処する」などとされているものも多い。要するに、
福島事故以前と何も変わってないのだということです。

もう少し詳しく述べると、そもそもシビアアクシデント=過酷事故とは
単なる重大事故の意味ではありません。設計上想定できない事態に立ち
入ったことを示す概念なのです。車で言えば、安全装置の基本中の基本
であるブレーキがまったく利かなくなった状態です。それが設計思想が
破産した状態なのです。そのとき、例えばサイドブレーキを引いて停ま
るようにするとか、それこそ後ろにパラシュートでもつけて開くように
するとか、根幹であるブレーキそのものの改善以外の、「外から」つけ
足したもので、これに対処するのがシビアアクシデント対策なのです。

したがってその対策をすることは、プラントが設計上、想定されない
事態に立ち至ること自身を考えたものなのです。ブレーキが利かなく
なることがありうることを認めて、高速走行するようなものです。
そのときに、やれパラシュートを用意したとか言っているわけですが、
しかも原発ではその実験も一度も行うことができない。だからそれだ
って実際に役に立つ保障などないのです。そんな対策で再稼動がされ
ようとしている。

さすがにこの再稼動については、読売・産経新聞などをのぞき、多くの
マスコミも批判的ですが、しかしこのシビアアクシデント対策の意味す
るものがけしてきちんと報道されているとは言えない。シビアアクシデ
ント対策をしましたとは、「格納容器が壊れることはありえます。それ
を想定した運転を認めてください」ということに他なりません。それが
関係自治体に政府と電力会社が求めていることの本質であることがもっ
と明確にされるべきです。

後藤さんは非常に早くからこのことを繰り返し述べてきました。例えば
ベントについても、できなかったことが問題の本質ではない。そもそも
格納容器の使命とは、放射能を閉じ込めることにあるとしているのが
設計思想なのであり、その格納容器を圧力から守るために行うベントは
「格納容器の自殺(設計者たちの言葉)」なのであって、ベントがされ
なければならない時点で、プラントは崩壊しているのであって、安全
設計とは、ベントなど絶対に必要としないものを作り出すことでなけ
ればならないのです。

この点をきちんとおさえ、再稼動反対の声をさらに高めていきましょう!
以下、後藤さんの解説の文字起こしを掲載します。ですます調を
である調に直したラフな起こしであることにご留意ください。従って、
この文面の文責は守田にあります。


*************

大飯原発再稼動問題について、安全性は確保されたか
後藤政志
http://gotomasashi.blogspot.jp/

再稼動については、もともと、ストレステストについて発言してきたが、
現時点で意見聴取会で言ってきたことが何かを考えざるを得ない。
最終的に決定するのは政治であるのは当然だが、福島の事故を考えると
一番最初に、事故が何であり、安全がどう確保されるのかということが
根幹にないとおかしい。しかしいつのまにか間にかそれが骨抜きにされ、
安全のことは二の次三の次に再稼動の決定がなされようとしてきている。
これは由々しきことだ。

私は怒りを通して呆れている。事故の当時、どう思ったのか。こんなこ
とがあるのか、とんでもないことになってしまった。どうやったら元に
戻れるのか、二度とこういうことを起こしたくないという思いを共有し
てきた。だから原発の安全問題を考え続けてきた。

そこから考えたときに、保安院などが出してきたストレステストだけで
はなく、福島の事故を受けた30項目についても10数項目しかやってない
とかいうこともある。それらを煎じ詰めると地震とか津波とかは非常に
重要な要因であるとともに、さらに加えて原子力プラントとしてどうか
という問題がある。いったん事故になってしまうと、とくに炉心が溶け
てしまうと手の打ち用がなくなる。

原子力を推進してきた側は、あれが足りなかったこれが足りなかったと
いろいろなことを言っている。しかし炉心が溶けた様子を見ると、3基
ともメルトダウンしていた。あの状態を見ると、少々何かをして、どう
にかできるとは思えない。それに対して、そもそも原子力プラントは成
立するのかと、そこまで考えなくてはいけない。小手先ではいけない。

小手先というのは、例えば格納容器の圧力が上がるのは炉心が溶けてき
たら当たり前だ。ところがそれを温度があがると、格納容器が壊れてし
まうからベントをするという。そのベントも実際にはうまくいかなかっ
た。でもそのあと結果として格納容器が守られたのかというと、守られ
てない。格納容器のいろいろなところから吹いてしまった。だからこの
ようになっているのだ。

ということは、格納容器のベントが必要で、そのためにはフィルターが
必要だということがいろいろな議論から出てきた。にもかかわらず、そ
れはまだつけてない。3年後につけるという。これはもうメルトダウン
したらそこにいく可能性が高い。だからつけるのが当たり前だと思うが
それすらつけていない。

本当はそれをつけたからいいかというと、そんなものではないのだ。
フィルターをつけたら格納容器が守られるかというとそんな簡単なこと
ではない。もっと大事なのは、あれは徐々に圧力温度があがって、仕方
がないからベントするという話だが、それにいたるところで、万一、
水素が爆発したり、あるいは溶融物が溶けたものが水と一緒になって、
水蒸気爆発を起こしたり、もっとひどいのは核反応の制御を停めるのに
失敗したり、あるいは再臨界が起こったり、こういうことが起こったら
爆発的なこと、壊滅的なことが起こる。

それへの対策は口ではあれをやったこれをやったと言っているが、現実
に本当に証明されたものはない。経験してないのだ。例えばある事故を
想定して装置をつける。それが実際の事故のときに稼動するかどうか、
それだけでは分からない。他のシステムだったらそんなことは許されな
い。実際に確認されるまでは。ところが原子力では平気でそれでいいと
しているのだ。だからそれはとても信用できるものではないのだ。

ということはまた同じことが起こりえる。爆発的になったら最悪だし、
そうではなくても徐々に圧力が上がって、今回と同じようなことになる。
しかもまたフィルターもついてない。一体、福島の事故の前と今と何が
変わっているのか。まったく変わってないと言えるではないか。

そんなことはない。過酷事故対策は何項目かしたといっている。電源に
ついては外から電源車を用意した。水についてはポンプを利用したり、
消防車もそろえた。うまくつなぐことができなかったから訓練もした、
マニュアルも作った、耐震免震棟も作ると言っている。それすらもまだ
できていないけれども、今後、作ると言っている。

いずれにしても、どれ一つとっても、安全性の本質とは関係ない。安全
はプラントそのものが安全でなければダメなのだ。外から付け足したも
ので安全を確保するというのは二番目だ。例えば建物で言えば、火災が
起こりうる。火災が起こらないようにするにはどうしたらいいかという
と、火災がおきにくい材料で作る。可燃物は扱わない。さらに万が一に
備えてスプリンクラーがついて、確実に消せるようにする。それから避
難経路も確実に複数あって、できる状態にしておく。それを建築基準法
で守ってやっている。

しかしあるときに欠陥が分かったとする。燃えやすい建物になっていて、
材料を今さら変えられない。消火のためのスプリンクラーも、容量が十
分ではないということが分かった。でもすぐに付け替えられないから、そ
のままになっている。この建物はすぐに使わなければならないというので
どうしたかというと、「いつでも消防車が呼べるようにしましたよ」と言
う。だからこれは安全だと言うだろうか。消防車を用意したから安全だな
どというわけがない。非常事態なのだから当たり前だ。

原発の過酷事故対策とはそんなものだ。プラントそのものの特性は変わら
ないで、外から何をやった、これをやったという。しかもそれも確かめら
れていない。人間のやることだからミスすることもあるし、環境が悪かっ
たらこれない。吹雪の中でどうするのかとか。地震で地割れが起こって、
これないかもしれない。そんなもので対策をしたと言っているのが、不確
かなもので、対策をしているのが、過酷事故対策だ。これが原子力の安全
と言われている論議のものすごく瑣末な、情けない結論だ。

原発の安全性はそんなことにはない。炉心を溶かさないようにするには
どうしたらいいのかという技術的な問題。また溶けた後にそれを冷やせる
かどうかが勝負なのだ。そこに対しては部分的にやっているといっている
が、福島以前とその後で本質的に変わっているとは言えない。きちんと
できているとは言えない。

そういうことを、例えば溶けてきたものを水素爆発を起こさずに冷却でき
るようになっているかとか、水素がでてきたらそれに対してはどうかとか、
沸騰水型だったらチッソが入っているから水素爆発をしなかったが、加圧
水型だったら、格納容器の中はチッソがないから、水素がそのまま出てく
る。その場合、容量が大きいから爆発できないと、机上の計算だけで言え
るのか。そういう不確かな条件に頼っている安全性は信用してはいけない
と思う。

福島の事故でもそれがごまんとある。あれが機能しなかった、これが機能
しなかったと言われている。そうすると、そういうことをもって、過酷事
故対策はできているなどという議論は止めた方がいい。だから安全を考え
るならば、出てくる結論は、安全性が確認されていないのならば、稼動し
ないことだ。これ以外には安全な方法はないというのが結論だ。

以上





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明日に向けて(488)追悼!原田正純先生(社会的共通資本と水俣)中

2012年06月16日 10時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120616 10:00)

原田先生との出会い、社会的共通資本との出会いについてのお話の続き
を書きます。

2004年になって、僕は京都精華大学を辞し、一時期、滋賀県の新しい県紙
として立ち上がらんとした『みんなの滋賀新聞』編集局に参加しました。
ある方から、日本のジャーナリズムを変えるために現場で奮闘すべきだと
説得されてのことでした。そこで僕はこの新聞社に飛び込み、非常に多く
のことを学びましたが、しかし新聞社は1年あまりで立ち行かなくなり、
やがて倒産し、解散してしまいました。

ちょうどその頃、宇沢先生が京都に講演に来られることになり、お会いし
にいきました。先生は僕のことをよく覚えていてくださり、当時、自らが
主宰しておられた同志社大学社会的共通資本研究センターに、フェローと
して参加するように求めてくださいました。拾っていただけたのでした。
そうして宇沢先生に直接学びながら、社会的共通資本に関する研究を深め
る日々が始まりました。

その宇沢さんがもっとも重視されていたのが水俣でした。宇沢さんはもと
もと、東大を出てアメリカの大学に研究生として招かれ、やがてシカゴ
大学などで教鞭をとられていたのですが、ベトナム戦争が激しくなる中で
アメリカと決別し、日本に帰ってこられて、東大経済学部に加わられた
のでした。

それまで宇沢さんは、日本のことを経済指標でしか見ておらず、高度経済
成長を続ける日本が、日増しに豊かになっていくことを喜びの目で見て
いたといいます。ところが日本に帰ってきて、宇沢さんが知ったのはこの
経済成長の影に隠れて、たくさんの公害が発生していることでした。ショ
ックを受けた宇沢さんは、これらの公害現場の一つ一つを歩き始めます。

とくに宇沢さんが強い関心を寄せたのが水俣でした。水俣を訪れた宇沢さ
んはそこで原田さんと出会われ、原田さんに伴われて、胎児性水俣病患者
さんのお宅などを回られました。そのときのインパクト、感動、そして胸
の痛みを、宇沢さんは、先に紹介した『日本の教育を考える』の中で、
切々と語っています。

「私が水俣の地を訪れたのは、熊本大学の若い医学者原田正純さんに連れ
ていっていただいたのが最初でした。原田さんは脳神経を専門とされる
お医者さんですが、早くから現地で、最初の胎児性水俣病患者をはじめ、
数多くの水俣病患者の診療に当たられるだけでなく、水俣病問題の社会的、
経済的、政治的背景について、洞察力に富んだ研究を数多く発表されたの
です。」(同書p153)

「原田さんに連れられて、水俣病患者のお宅を訪ねる度に、私はいつも感
動的な場面に出会いました。それは、胎児性水俣病患者をはじめ、重篤な
水俣病患者の方々が、原田さんを見ると、じつにうれしそうな表情をして、
はいずりながら、原田さんに近づこうとする姿でした。そして、原田さん
がやさしい言葉でいたわり、容態を聞く光景をみて、私は、医師と患者の
間の理想的な信頼関係をみた思いがし、原田さんこそ、現代医学の規範で
なければならないとつよく感じたものです。同時に、医学の道を志ながら、
途中で挫折した後、社会の病いを癒すという気持ちに駆られて経済学を専
門分野として選んだ私は、それまで研究してきた経済学のあり方に対して、
つよい疑問をもち、深刻な反省を迫らざるを得ませんでした。」
(同書p153~154)

宇沢さんはその後、阿賀野川、四日市、西淀川、大分、志布志、むつ・小
川原、伊達、川崎、千葉などを、公害問題の現場を歩き回られ、その中で
近代経済学の理論的枠組みの論理的矛盾、倫理的欠陥を超えるものとして
の社会的共通資本の考えに到達していきます。そして社会的共通資本を次
のように定義されました。長くなりますが引用します。

「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域が、ゆたかな経済生活を
営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会を持続的、安定的
に維持することを可能にするような社会的装置です。社会的共通資本は社
会全体にとって大切な共通の財産であって、社会的な基準にしたがって慎
重に、大事に管理、運営されるものです。社会的共通資本の管理、運営は
市場的基準、あるいは官僚的基準によって決められるべきものではなく、
あくまでも、一人一人の市民の人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民
的自由が最大限に確保できるような社会を形成するという視点にたってお
こなわれるものです。

 大気、森林、河川、湖沼、海洋、水、土壌などの自然環境は言うまでも
なく、社会的共通資本の重要な構成要因です。公害問題は、産業的あるい
は都市的活動によって、自然環境が汚染、破壊され、その機能が阻害され、
直接、間接に人間に対して被害を与えるものです。したがって、公害を防
ぐためには、産業的あるいは都市的活動に対して、きびしい規制をもうけ
て、自然環境という社会的共通資本を傷つけることがないようにすること
が要請されます。そして、ひとたび公害問題が発生したときには、自然環
境を汚染、あるいは破壊した企業(場合によっては、特定の個人)の責任
をきびしく追及するとともに、社会的観点にたって、公害被害者の本源的
救済をおこなわなければならないわけです。」(同書p155~156)

このように読んでみると、まさにこの考えは、福島第一原発事故にそっく
りそのまま適用できるものであることがお分かりだと思うのですが、こう
した考え方を、宇沢さんは、原田さんに伴われて、水俣病患者さんの家を
周りながら、自らのうちに確固な信念として打ち立てられたのでした。


僕自身と言えば、若いときに社会主義思想、とくにマルクス主義によって
自己の世界観、正義感を形成してきました。とくに影響を受けたのは、
哲学者廣松渉さんの考察でした。廣松さんの考察は、部分的にはマルクス
主義を大きく越え出る要素をはらんでおり、その点については今も僕の考
え方の一角を形成していますが、しかしマルクスが例えば『共産党宣言』
などで提起した世界観に、僕は次第に疑問を強めるようになりました。

一番、ひっかかったのは、マルクスの提起が、「経済成長」にあまりに過
大な期待を寄せているように思えたことでした。またそのために、農の営
みが軽視されているように思え、環境問題などでさまざまに突き出されて
きた問題に、19世紀のマルクスの考察では、十分な答えがでないように
思えました。むしろ時代的制約の中を生きた一個人であるマルクスに、す
べての答えを見出そうとするほうが無理であると考え出し、マルクスの考
察の先にあるものを模索しはじめていました。

しかしそれは苦難の道でもありました。それまでの己の確信を解体し、再
創造しなくてはならない。深い心理的葛藤を伴い、またそれまでの仲間や
友人たちとの決別を含むものでもありました。そうした苦悩の繰り返しの
中にいたため、宇沢さんが、水俣に赴かれる中で、それまで己の確信とし
つつも、さまざまな懐疑を宿しつつもあった近代経済学の解体再創造に
取り組まれ始めたこと、それまでの同僚との関係をも苦悩の中で見直され
はじめたことに、僕は深い尊敬の念を抱きました。またそこでの考察は、
マルクス主義にも共通のものと僕には思われた経済成長の一面的美化への
内省を孕むものであり、社会的共通資本の考え方は、次第に、僕自身の
思想的葛藤を越えでる大きな可能性として感ぜられるようになりました。

かくして、まさに己の信念を再創造し、いかにして「豊かな社会」の実現
をめざしていくのか、またそもそも「豊かな社会」をいかなるものとして
捉えるのかという思想的確信を磨きあげる作業が、僕にとっての、同志社
大学社会的共通資本研究センター客員フェローとしての研究テーマになり
ました。

そんな僕に対して、宇沢さんは懇切丁寧に、社会的共通資本の考え方を
レクチャーしてくださいました。同時に、きわめて厳しい論文指導を繰り
返し受けました。まるで柔道の高段者に素人がポンポンと投げられるよう
な日々で、けして楽ではありませんでしたが、その中で僕は僕の思考を少し
は磨きあげることができたように思っています。

宇沢さんはまた折に触れて、社会的共通資本を考えるものにとって、水俣
は聖地であると語られていました。そしてある機会をとらえて、僕を熊本に
連れて行ってくださり、原田さんとも会わせてくださいました。その縁で
水俣をも訪れることができました。僕にとって始めての水俣でしたがこれ
ほどに思考をめぐらせて訪れた場はそれまでにありませんでした・・・。

続く












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明日に向けて(487)追悼!原田正純先生(社会的共通資本と水俣)上

2012年06月15日 07時56分43秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120615 08:00)

とても悲しい知らせが飛び込んできました。6月11日に、水俣病患者さん
とともに歩んでこられた原田正純先生がお亡くなりになられました。
14日に水俣でお別れ会が行われたとのことです。原田先生の霊前に
合掌し、安らかに眠られるようにお祈りするばかりです。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/307774

折りしも、カライモブックスでの、水俣を通じた福島の阿部さんとの
出会いについて論じており、「このことを原田先生にもお伝えしたいな」
と思ってきたときの出来事だったので、とてもショックを受けました。
もう原田先生がおられないのかと思うと、淋しくてなりません。


原田さんは、熊本大学医学部のときに水俣病と出合い、以来、もっとも
患者さんたちの近くに立って、活躍されてきました。その初期からの活
動と水俣病の実態をまとめた本に、岩波新書『水俣病』があります。
私たちが現代の日本を生きていく上での必読文献です。今、読めば、ま
さに今回の原発事故が、水俣病を生み出し、拡大させたこの国の病巣の
上にたっていることが見えてきます。ぜひ、お読みください。

原田さんとは僕は数回、ご同席させていただいただけなのですが、深い
縁に結ばれた場でのことでした。というのは僕は、2003年に、縁あ
って、京都精華大学のアドミッションズ・オフィーズに参加させていた
だきました。このオフィスが担っていたのは同大学のAO入試です。
AO入試は大学によってさまざまなあり方がありますが、当時の京都
精華大学は、大学と学生の、双方向のベストマッチングを作り出す場と
して位置づけ、「理想の入試」を目指していました。

僕が担当したのは、AO入試での大学と受験生の濃密な対話を経た後に
合格となった学生に、入学前教育を施すことでした。僕が参加したとき
にはプログラムの概要が決まっており、すでに走りだしている段階でし
たが、主要な文献として、鹿野政道著『日本の現代』(岩波ジュニア新
書)が、また重要文献として、宇沢弘文著『日本の教育を考える』
(岩波新書)や原田さんの『水俣病』などが指定されていました。

それを具体的にどう使い、学生(実態は高校生)に読み解いてもらい、
さらに主体的な読書を行ってもらうのか、その実際を担うのが僕の仕事
でしたが、ここで僕はこれらの書物を何度も読み解き、そのエッセンス
をいかに合格生たちとの対話に生かしていくかを考え抜きました。

ちなみに『水俣病』が採択されたのは、当時の京都精華大学に、水俣と
の関わりの強い教員が多かったからです。当時の学長で、AO入試全体
の取り仕切りを行っていた中尾はじめさん、また環境社会学の立場から
水俣にかかわり、のちに滋賀県知事となられた嘉田由紀子さんなどがい
ました。

これらの文献を使いながら、僕が目指したのは、高校生たちに、学問を
することの意義と、本質的な楽しさを知ってもらうことでした。それま
で強制されてきた暗記の世界と決別し、自らの自由な意見を持ち、闊達
にそれを論じることを求めました。だから必ずしも、指定文献の内容に
同調することは求めず、ただひたすら、自らがそれに対してどのような
意見を持とうとするのか、その主体性を問いました。

そうすると学生たちは、どんどん伸び始めました。一例として、『日本
の現代』を読んだある学生の感想文をここに紹介します。当時、17歳
の女子学生の書いた文章です。

***


『日本の現代』を読んで

四大公害病。学んだことは何かを考えた時に、心の奥の方からこの文字
がぶつぶつと浮かんできた。

小学生のときに、学校と塾で四大公害病という過去の出来事を学んだ。
教科書に映る公害病で苦しむ人を感じて、多少なりとも私は胸を痛めた。
ただその頃の私にとっては、四大公害問題もベトナム戦争も可哀相なこと
が起きた過去の出来事でしかなかった。それから何度か四大公害問題を目
にしたが、私がそれ以上の感情移入をすることはなかった。

今回も、『日本の現代』を読み進めて、四大公害問題と出会った時、私は
いい加減にうんざりしていた。「またか。この話は何度も勉強してきたか
ら知っているよ」と私は非難しながら読んでいた。ところが1冊を読み終
えて心に残ったことを考えてみると、四大公害病が何よりも深く残ってい
たのだ。

「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。残念か。
(中略)手も体も、いつもこげんふるいよるでっしょが」「ほんに海の上
はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえ
してもろて、自分で舟漕いで働こうごたる。いまは、ほんに情けなか。」

水俣病患者の坂上ゆきさんの悲痛な叫びが届いた。お嫁に行って3年になる
と、そこでの生活に慣れ、楽しみも発見し、生き生きとしていたのかもし
れない。そんな時に、水俣病という恐ろしくも奇妙な病気にかかり、これ
から先にあったであろう未来が型を変えて坂上さんを押し潰した。無念さ、
自責、失望。原因がわからず、また企業が認めずにいた日々はさらにそう
いった憤りが重く病気になってしまった自分にのしかかったのだと思う。

気がつくと、私は歯をくいしばりたいのにそれができない気持ちでいた。
病気になってしまった自分を責めることは間違っている。けれど、今でも、
矛先がわからずに自分を追いつめている人はいるのだと思う。私のように、
四大公害病と聞いてうんざりする人は何人いるのだろうか。どれだけの人
が彼らの叫びに耳を傾けたのだろうか。そして、もし企業側の立場にたっ
たとしたら、自分達の責任を誠実に認めることができる人がいるのだろう
か。私は問わずにはいられない。

私が学んだことの中で一番衝撃を受けたことは、四大公害病に苦しむ人の
声。その声のほとんどが届いていないということ。私は聞こうとしなかっ
た自分を反省するとともに、『日本の現代』を通して、1つの声と出会えた
ことを、本当に嬉しく思っている。そして、水俣病以外の様々な被害者の
声もまた、たくさん私の胸につき刺さり私は多くのことを学んだ。

***

この学生は、言うまでもなく、さらに他の書籍へも進み、素晴らしくその
思考を伸ばしてくれていったのですが、当時、僕はそのことを「頭が開い
た」と表現していました。無味乾燥な暗記の世界を抜け出たとき、世界が
フルカラービジョンで迫ってきて、それに応接して、自らの生き方を探り
出していく能動性が目覚めたのです。それを僕は「学問を始める準備」と
呼んでいました。


さて原田先生との直接的な邂逅はこの先に訪れます。先にも述べたように
このプログラムでは宇沢弘文さんの『日本の教育を考える』を使用してい
ました。ワークシートを作って、読み解きを進めながら、最終的に僕は
学生たちに原稿用紙8枚におよぶ感想文の提出を求めました。日本の歪ん
だ公教育の在り方を告発する宇沢さんの提言との対話の中から、自分が
何を、なぜ、どうして、いかにして学ぶのかを考えることを求めたのです。

これに対しては、プログラムに参加したすべての学生が作品を提出するに
はいたりませんでしたが、何十編かの素晴らしい論考が集まりました。そ
れは僕の求めたレベルをはるかに凌駕するものでした。学生たちの生き生
きとした思考がそこに踊っていました。非常に感激したので、僕はそれを
大学に論文集にまとめていただき、著者の宇沢先生にお送りしたのです。
すると、熱いハートをお持ちの宇沢先生から、ご返事が来ました。それが
僕と宇沢先生の出会いのきっかけとなりました。そうして僕はやがて
宇沢先生に伴われて水俣を訪れ、原田先生ともお会いすることになった
のです。

続く






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明日に向けて(486)6月後半、各地で講演・企画参加をします!

2012年06月14日 10時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120614 10:00)

6月後半に各地で企画参加します。ドイツからECRR委員長と、ドイツ放射線防護
協会会長が来日され、福島・広島・京都・東京へまわられます。このうち、内部被曝
問題研が主催ないし共催している広島から東京への企画に僕も同行します。
以下、スケジュールを書きます。

6月16日午後2時より、京都市左京区の茶山のさとでお話します。

6月20日午前10時より、生活クラブ京都エル・コープ西センターでお話します。

6月21日午後7時より、京都市左京区のキッチンハリーナで、福島取材の報告会を行います。

6月22日午後6時半より、兵庫県篠山市で、映画チェルノブイリハート上映の前に
お話します。上映後に質疑応答も受けます。

6月23日午前10時半より、兵庫県丹波市で、映画チェルノブイリハート上映の前に
お話します。上映後に質疑応答も受けます。

6月23日午後4時より、京都府舞鶴市で、舞鶴社会保障推進協議会の定期総会後の
記念講演でお話します。

6月24日午後7時より、三重県四日市市でお話します。

6月26日午後6時より、広島市で行われるECRR委員長インゲさんと、ドイツ放射線
防護協会会長のセバスチャンさんの講演会で司会を務めます。

6月28日午後2時より、京都市で行われる同上の講演会に参加します。

6月29日午後6時より、東京で行われる同上の講演会・懇談会に参加します。

6月30日午後1時半より、京都市龍谷大学で、飯舘村の酪農家長谷川
健一さんをお招きした講演会で、コーディネーターを務めます。

6月30日午後8時ごろより、京都市ひとまち交流館で、映画『内部被ばく
を生き抜く』上映後にお話します。

以下は詳細です。

**********

京都市左京区 6月16日

明日に向けて~いま、私たちにできること

原発に関する問題、福島のことや、瓦礫の広域処理、内部被曝のこと
京都でフリーライターとして活動されている 守田敏也さん から
お話を聞きます

今、私たちは、被災地に生きる人々とどう『痛み』を分かち合っていけるの
でしょうか。わからないこと、不安なことを分かち合う時間を多く設けました。
5月20日から再び東北を訪ねられたホットな報告も聞き逃せません。
わたしたちが、今これからを生きていくヒントがちりばめられています。
ぜひご参加ください。

とき  6月16日(土)午後2時~4時
ところ 茶山のさと 4階会議室(エレベーターをお使いください)
    左京区田中上大久保町15 075-712-3663
資料代 お一人300円

この学習・講演会は、「ハリーナ九条の会」「養徳九条の会」
「京都市政刷新の会養徳連絡会」三会の共催です。

お問い合わせ・連絡先
山田勝暉 090-8144-2930

***********

京都市南区 6月20日

生活クラブ京都エル・コープ西センターにて
6月20日10時半より。
公開かどうかなど、詳細はまだ聞いていません。

***********

京都市左京区 6月21日

守田敏也さんお話会 「福島からのリポート2012・5月」
★5月に福島に取材に行かれた守田敏也さんの最新リポート。
6/21(木) @キッチンハリーナ
19:00-21:00
1ドリンク+500円(お食事のオーダーはこの時間帯はできません)先着25名様
お問い合わせ・ご予約は: yh.soratoma@gmail.com スズキまで

***********

兵庫県篠山市 6月22日
兵庫県丹波市 6月23日


事故から25年・・・・まだ終わっていない
◆今だからこそ目をそらさず、ひとりでも多くの人に見てほしいーーー。
1986年4月26日チェルノブイリ原発事故発生。それは、当時生まれた子供たち
にたくさんの災いを及ぼした・・・。
◆〈チェルノブイリ・ハート〉それは放射線の影響で心臓に重度の障害を持った子供
たちのこと。
◆監督のマリオン・デレオが体当たり取材したアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞
受賞作品!

●2012年6月22日(金)
上映時間①午後2時、②午後4時、③午後7時
篠山市民センター・多目的ホール(篠山市黒岡)
※午後6時半から、フリーライター・守田敏也さんのミニ講演会があります。
(守田敏也さんは、丹波ブックレット「内部被曝」の著者の一人です。)

●2012年6月23日(土)
上映時間①午前11時、②午後1時、③午後3時
ポップアップホール(丹波市氷上町・ゆめタウン2F)
※午前10半から、フリーライター・守田敏也さんのミニ講演会があります。

主催/憲法たんば(平和憲法を守る丹波地区連絡会)ひょうご丹波・憲法を生かす会
後援/篠山市教育委員会、丹波市教育委員会、神戸新聞社、丹波新聞社

前売券/500円(当日800円) ※小中学生無料
申込み&問い合わせ/℡0795*73*3869
FAX0795*72*3639
〈前売券取扱所〉
小山書店(篠山市魚屋町、℡079*552*0019)
コミュニティカフェみーつけた(篠山市乾新町、℡079*554*2600)
みんなの家(篠山市魚屋町、℡079*554*2525)
かいばら観光案内所(丹波市柏原町、℡0795*73*0303)
ゆめタウン1階サービスカウンター(丹波市氷上町、℡0795*82*8600)

開催期間:2012年6月22日(金) ~ 2012年6月23日(土)
地 域:兵庫県
場 所:篠山市黒岡191番地 篠山市民センター・多目的ホール他
最寄り駅:JR篠山口駅
http://www.hnpo.comsapo.net/weblog/myblog/697/41326

**********

京都府舞鶴市 6月23日

舞鶴社会保障推進協議会

第11回定期総会・記念講演会

日時 6月23日(土)

場所 サンライフ4階 第1会議室

内容 定期総会 午後3:00~4:00

   記念講演会 午後4:00~5:30(どなたでもご参加いただけます)

  ”震災がれき問題と内部被曝”

  講師   守田 敏也 氏

舞鶴市は、震災がれきの受け入れを決めていますが、がれきってどんなもの…?
消却しても大丈夫…? 内部被曝のお話も交えながら、わかりやすくお話していただきます。
皆さんと共に考えていきましょう。

☆守田敏也さんのプロフィール☆
同志社大学社会共通資本研究センター客員フリーライター。3.11以降は原発事故問題を追って
物理学者の矢ヶ崎克馬氏と共に岩波ブックレットを上梓。ブログ「明日に向けて」発信中。

主催  舞鶴社会保障推進協議会(連絡先 舞鶴健康友の会事務所内 ℡ 78-3201)

**********

24日、30日の講演会・企画参加については
明日に向けて(479)をご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/daae3c13d4ffe7286158e93baf38a5d0

ECRR委員長とドイツ放射線防護協会会長来日については、
明日に向けて(485)および、内部被曝問題研HPをご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/835413fc39cd5a4605a47d59a0551e62
http://www.acsir.org/

内部被曝問題研の主催ではありませんが、6月23日、24日にも
インゲ・セバスチャンさんらの参加のもと、福島で「市民科学者国際会議」が行われます。
以下から案内を見ることができます。
http://csrp.blog.fc2.com/
https://docs.google.com/file/d/0B2tR1I9RUQjAcE1MMWZCWDlKM00/edit?pli=1




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明日に向けて(485)ECRR委員長とドイツ放射線防護協会会長が来日します!

2012年06月13日 20時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120613 20:30)

ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)委員長のインゲ・シュミッツー
フォイヤハーケさんと、ドイツ放射線防護協会会長のセバスチャン・プルーク
バイルさんが来日されます。

福島の国際会議に参加されますが、その後に、広島・京都・東京で講演されます。
僕もこの広島から東京までの企画に、内部被曝問題研の一員として同行します。
みなさま、どうかお近くの会場にお越しください。

**************

「放射線に立ち向かうドイツ専門家の講演・懇談会
 -フクシマ、ヒロシマ、ドイツを考える」
http://www.acsir.org/info.php?13

内部被爆問題を世界で初めて指摘したドイツの研究者インゲ・シュミッツー
フォイヤハーケさん(ヨーロッパ放射線リスク委員会ECRR委員長)、
ドイツ放射線防護協会会長のセバスチャン・プルークバイルさん来日。

・福島(6月23−24日、市民科学者国際会議主催)
・広島(26日、市民と科学者の内部被曝問題研究会主催)
http://acsir.org/0626.pdf
・京都(28日、内部被曝問題研究会・核戦争防止国際医師会議京都府支部主催)
http://acsir.org/0628.pdf 
・東京(29日、内部被曝問題研究会主催)
http://acsir.org/0629.pdf  


講師紹介
[インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ女史]
欧州放射線リスク委員会委員長の医学研究者で物理学者。「非核の未来賞」
を受賞。30年前の1983年、広島の原爆被害のデータを基にして、いま大きな
問題になっている内部被曝の真実を明らかにした。喜寿の年をおしての初来日。

[セバスチャン・プフルークバイル博士]
ドイツ放射線防護協会会長で医療分野の物理学者。チェルノブイリ事故による
欧州の数多くの被曝データと福島原発事故を低線量被曝として論証を進めている。
たびたび訪日して日本へメッセ-ジを精力的に届けてきている。1946年生まれ。
同じ敗戦国ながら東電の原発事故を契機に脱原発に踏み切ったドイツから学ぶ
ものは多い。
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明日に向けて(484)中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている(阿部さん談)下

2012年06月13日 18時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)

守田です。(20120613 18:30)

昨日に続いて、阿部さんのお話の続きをお届けしたいと思いますが、福島からあるところへ避難されている方から、佐藤雄平知事に関する事実関係が少し違っているというご指摘を受けました。正しくは以下のような経緯をたどったと教えていただきました。

***

福島県民は、佐藤雄平知事を2度、当選させています。
2010年2月にプルサーマルに関して県の態度を180度転換。
2010年8月6日にプルサーマル受け入れ決定→MOX燃料装填
2010年9月に試運転開始
2010年10月に商業運転開始
そしてこういうことがあってから、2010年10月末に、佐藤雄平知事を「再選」
したのです。

***

僕自身も調べてみたところ、第一期の当選が2006年、その後、2009年ごろまでプルサーマルに慎重な姿勢をとっていたものの、ご指摘のように、2010年に転換し受け入れを表明しています。第二期の選挙は2010年10月で、民主、社民に加え、自民も「プルサーマルを受け入れてくれたから」と支持を表明。唯一の対抗馬だった、共産党の佐藤克朗氏を破って当選しています。その意味で福島県民は、確かにプルサーマルを選択した佐藤雄平知事を、この選挙で選択したことになります。

この点、訂正してお詫びします。僕がきちんと調査して書くべきでした。
申し訳ありません。

さて、以上のことに踏まえつつ、阿部さんの話に戻りたいと思います。話はようやく阿部さんがカライモブックスに辿り着いたものの、かぎがかかっていて中に入れないところからです。

******

中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている 下
フォーラム福島支配人 阿部泰宏


あのとき、ここがなかなか分からなかったのですけれども、ここをようやく探し当てて辿り着いたら、せっかくきたのに、かぎがしまっていて、ここで何かをやっていて、「なんだ」とか思ったのだけれど、そこのガラス窓にあった、「今、福島のことについて、市民を集めて、討論をしているので、申し訳ありませんが5時までお客様はお待ちください」という張り紙を見て、僕と嫁さんは、すごくありがたいと思いました。

僕は本当に不思議な気持ちになりました。水俣のことを自分が知りたくてここに来たら、福島のことを憂慮する方たちが集まって、ジャーナリストの方の話を熱心に聴いているのですよ。女の子とか学生さんとか、お母さんたちがいて、僕はあのとき本当に救われました。これしかないんです。われわれには。解放されるとか、救われるということは。

だから少ないかもしれないけれど、福島のことを気遣ってくれて、明日は我が身だという危機感で動いてくれている人たちをつなぐというか、これしかもう福島県民が救われる道はないなと思ったのですけれども、大多数の福島県民はそのことに気づいてない気がします。だから吉野さんなどは、そういう意味ではまるでミツバチような存在だと自分で思って、日本中を飛び回っています。
だから本当に今日は、守田さんの話を聞いて、こういう場にいて、こういうことを言って、僕自身にとって、セラピーになっているなと思います。

守田「とても嬉しいです」

―たたきつけるようなことで申し訳ないのですけれども、本当に思うことは福島のことを助けてくれとかそういうことではないんです。京都を汚さないで欲しい。ここは盆地で、福島とまったく地形が同じなのです。幾ら除染したって戻ってきます。周りが山に囲まれているし。

守田「山がやられたらもう駄目ですよね」

―駄目です。除染なんて、あれは金儲けのためにやっているだけです。除染は科学的な見地や技術ですが、本当は理念や哲学が必要だと思います。なんのためにやるのかという高い志があって初めてできる作業です。金のためでは駄目です。

僕は劇場をやっているので、いろいろなメンテナンス業者さんが入りこんできます。あるとき、気の置けない業者がこういうことを言ったのです。

原発事故前まで、建設業はどん底状態だった。しかし建設業関係は、今は、復興や原発特需で沸いている。除染はエンドス。いくらでも金が入ってくる。だから息を吹き返したし、今は仕事に困らない。次から次へと、やってくれという発注で予約でいっぱいだ。でもその担当の方は、僕にこう言ったのです。「仕事がらある家やある企業のビルとかをくまなく測るけれど、単純に思う。人間の住める場所ではない」と。そして「いくらやったって無理だ」と。でも、その人はそれを言ってしまったら終わりなのです。そういう状況になってます。

ある新聞記者が僕に言い訳のように言いました。「いろいろと頑張ったけれど、編集会議をすると、まるでゲートルを巻いた上司が機関銃を構えていて、それをちらつかせながら言われている気がします」と。ある県庁マンが僕に言いました。「阿部さん。阿武隈川もう、みな底は原子炉なみで、とても公表できません」と。仙台湾を調べるべきなのに、調べないのは、とんでもないことになっているからです。太平洋側の魚は当分、食べないほうがいいです。とくに子どもさんは、これから本当に大変な時代を生きなくてはいけないということに関しては、本当に・・・」(声がつまる)

・・・参加者からの意見(省略)

―福島を覆っているのは同調圧力なのですよ。さっき守田さんがモニタリングポストについて話してくれました。(モニタリングポスト周辺だけ除染されている。だから福島の人に「これはモニタリングポストではなくて、除染ポストですよね」と言ったらみなさん笑う・・・という話)まさにその通りで、一番低い数字が公表されているのです。守田さんがおっしゃったことは事実で、このことは少なくとも福島市民は全員知っています。この実態を。だから誰も公表された数値など本当は信じてないのです。でも無理やりそれを信じ込ませて生活しているのです。

毎朝起きると、NHKで、今日の放射線値が報道されています。新聞をめくれば、株の銘柄ではないかと思うぐらい、事細かに今日の数値が書いてあります。
ありますけれど、それはまったくのまやかしです。そこで測ったのは事実かもしれないけれども、1メートルあがればぜんぜん違うかもしれないし、地表で測ったら0.6マイクロシーベルト毎時だったものが、2とか、3マイクロシーベルトだったりするし、そこから数十センチ離れたところで、とんでもない数値が出たりするのです。うちの劇場の裏を測ったら、40マイクロシーベルト(毎時)を振り切りました。

そうした中で、健康被害も起きているはずですが、どこかで自治体なりがある程度観念して、やはりそれはあるのだと認めない限り、大多数の人間は、自らまやかしに同調しようとすることを続けてしまいます。そうしないと暮らせないのです。普通の生活が送れないのです。そこで深く突っ込んで考えてしまったら、逃げるしかなくなるのです。

弁護士さんの集まりがあって、訴訟のための窓口なのですが、人生相談的な色合いも持っているところがあるのですが、僕がそこにいったときに、あるお母さんがきていて、そのお母さんはどちらかというと、県や国の言うことを丸飲みにしていた方でした。市民運動や守田さんが言われることは一切、信じなかった。そのことに反発すら覚えていた。

ところがあるとき、5歳の男の子をばあちゃんに預けてパートに出ていた。そうしたらばあちゃんから電話がかかってきて、今、孫が鼻血を出した。すぐに戻ってこいという。今までも一度も鼻血を出したことのない自分の子どもが、ダーっとすごい鼻血を出して、いくら対処しても止まらなかったそうです。30分出し続けたそうです。でも医者に駆け込んで、放射能のせいでしょうといっても、立証されていないし、違うと思う。何かストレスのせいではないかと片付けられてしまったそうです。それでそのお母さんは一発で変わりました。

それでも吉野さんの活動や、矢ヶ崎先生や守田さんの話に対しては、やはり直視したくない、突っ込めないという面があります。でも自分の子どもにそれが起こったら逃げなくちゃいけない、どうしたらいいと変わったのです。私はシングルマザーで何もない。逃げたはいいけれど、その先でどうやって生活したらいいのという話になったのです。

なのでそういう健康被害の話は幾らでもあるのです。でもそれを真に受けてしまったら、直視してしまったら、何かをしなくてはいけなくなる。映画でアル・ゴアの『不都合な真実』というものがあるのですが、われわれ自らが、ガバナンスが発するまやかしだと思っている情報に、自ら積極的に、もうそれでいい、これを受け止めてしまおうという、自ら進んで同調してしまう何かがあるのですよ。

だから最初のうちは、福島市民はすごく怒っていたし、みんなカーッとなっていました。しかし怒りは持続しないのです。慣れるし、忘れるし、しまいには諦めの境地になってしまい、大きいものに自分を預けてしまったほうがいい、自由なんか捨ててしまったほうが楽だという、退廃的な感覚が蔓延していると僕は思います。

・・・以降、参加者の討論が続く。記録はここまで。


*******

阿部さんの発言には、福島の今が鮮やかに切り取られていました。
僕は阿部さんの文学的・哲学的な力を感じました。
ある友人が、今の状況下での「文学の使命」を語り続けているのですが、
それを思い起こさせらる発言でもありました。

問題はもちろん、この「退廃的な感覚」をどうするのかですが、そのためにこうした「感覚」が、けして福島に特有のものではなく、私たちの日常の中にあるものであること、それと対決し続けなければ、非常時に全面化してしまうものであることをつかみとっていくことが大事だと僕には思えます。

そして同時に、このことと自らが対決する中から、私たちは自らのうちに、福島の人たちに語りかけていくべき言葉を見出すことができるだろうし、みいだすべき責務があるのだと僕は思うのです。その言葉はあるいは、「同調」の中にある人を傷つけるものになるのかもしれません。しかしそれでも僕は、その痛みを恐れながらも、言葉を発し続けていこうと思います。

未来に向けて、阿部さんとの連携を続けていきたいです。

連載終わり









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明日に向けて(483)中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている(阿部さん談)上

2012年06月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)

守田です。(20120612 23:30)

日曜日に肥田さんと一緒に京丹波町に訪問しました。素敵な企画が実現されました。その報告をしたいところですが、先に、前回お知らせした、福島の映画館「フォーラム福島」支配人の阿部泰宏さんの、カライモブックスでの発言をご紹介したいと思います。

阿部さんの発言は、参加者との質疑応答、感想討論の中で行われたので、完結したものとはなっていませんし、福島の現状を踏まえて、どこに向かうのかを明示したものとは必ずしもなっていません。しかし前回も書いたように、僕はここから何かを一緒に生み出せると確信しているし、ぜひみなさんにもその展望をシェアしていただきたいと思います。

そしてそのためには、福島市民の多くが置かれている現状、阿部さんが発言の中で「究極のジレンマ」と言いなした事態、なかなか答えの出てこない現実をぜひ自らのものとして捉えて欲しいと思います。
今日は、解説はこれぐらいにしておきます。みなさん、それぞれで阿部さんの言葉に耳を傾けられ、その奥底から、福島市に住まう多くの方たちの息遣いを感じ取ってください。

なお、タイトルは阿部さんの発言の中から僕が抽出しました。またやりとりの中での発言のため、幾つか他の方の発言も補いました。

**********

中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている
フォーラム福島支配人 阿部泰宏


―みなさんの話を聞いていて思うのは、本当になんだか申し訳ないなということです。自分の県からこういうことになってしまって、今日、ここに来ているお母さんや、妊婦さんに対して、こういう悩みを京都の人たちに与えているんだなと思うと、本当に申し訳ないと思います。

守田「申し訳ないなんてことないですよ。」
参加者(杏さん) 「県民のせいではないですよ」

吉野「僕らは佐藤雄平(福島県知事)に投票したりしているんですよ。」

守田「ああ・・・・」

吉野「あの時は、共産党か雄平かしかいなくて、しょうがないから、棄権するわけにもいかないからということで投票したりもしているんです。最初、雄平は原発に慎重な姿勢だったのです。ところがころっと変わって、プルサーマルを受け入れるといって、装てんしたのだから、これが飛び散っているのは、福島県の有権者に責任があるんです。そう考えるんです」

守田「はい・・・」

―震災が起こったあとに、世界の映画人からのメッセージということで、劇場のネットワークを利用して、世界中の映画監督からメッセージをもらった中で仙台出身の岩井 俊二という監督のメールが非常に印象的だったのですよ。
彼は原発事故当時にアメリカにいたのですけれども、地震と津波に関しては本当にお気の毒だと、心からの哀悼の意を述べますということで、友だちから慰めの言葉をもらえるのだけれども、原発事故に対しては、海外の人たちのトーンが違う。何か複雑な感じがあって、彼自身も罪悪感を感じた。日本人として世界の人たちに迷惑をかけてしまったと感じだそうです。
だから日本の人たちは、もっと海外の人たちがどういう反応をしているのか、海外からどのような目で見られているのか、もうちょっと時間が経って落ちついたら、そういうことも考えて欲しいということを言ってきたのです。

僕らは最初から疎外感を感じていて、3・11という言葉に疎外感があります。
というのは3・11は少なくとも僕ら中通りの人間にとってはリアリティがなんです。(注 福島県中通りは、福島市・二本松市・郡山市などのこと)津波と地震に対しては、内陸部にいるわれわれは、直接にひどい目にはあってないです。むしろワンセグとかで映像を見せられて、沿岸部の北から南にどんどん被害が南下してどんてもないことになっていて、「大変だね」ということで、他人事だったのです。

ところが半日もしないうちに、まったく津波や地震とは関係ないことがおきて、それが原発事故で、まさか自分たちの住んでいるところがこんなことになるなんて、自分たちにとっては「えっ」という感じだったわけです。
そして3月12日に1号機が水素爆発し、14日に爆発。そしてまた、2、4と続いていって、だからわれわれにとっては、3・12なんですよ。そこからもう福島県の中通りは疎外感があるのです。

3・11の宮城や岩手とかとはニュアンスが違う。他の県は、津波にあって家や家族をなくし、あの人たちは本当に可哀想だと。でもまだ納得いくときが来ると思うのですよ、自然災害なので。何十年も経てば、総括できるかもしれません。でも僕が確信しているのは、われわれは、何十年経っても、悩みを繰り返すというか。このジレンマから逃れられないなと思うのです。

僕は1年経った今でも、朝起きると、どうやって生きていったらよいかと思うのです。それで1日中悩んで、夕方ぐらいになって、悩み疲れるのです。それで寝るじゃないですか。翌朝起きると同じ悩みが繰り返すのです。このメンタリティって、会津の人たちともまた違います。また原発に近い、浜通りの人たちともまた違うのです。

福島県といっても、カタカナの「フクシマ」はイメージであって、現実の福島は、昔、10藩あったのです。京都も僕にとっては「キョウト」ですけれども、みなさんにとっての京都って、非常に複雑で、人情も地域性も場所によって違うのだと思うのです。ここに来て、自分の家族がお世話になっているので、よくよく聞いてみるとみんな違う。いかに人間がイメージで見ているかを、今回本当に痛感しました。

だから僕は中通りの人間として言うけれども、中通りというのは、いわゆる避難区域には指定されず、かといって、線量は、相馬などよりぜんぜん高い。いわゆる放射線管理区域に入るところばかりです。さきほど、守田さんがスライドを見せてくれて、あそこは僕の地元なので本当によく分かるのですけれども、ちょっと努力すれば、100マイクロシーベルト(毎時)なんて、幾らでも探せる。本当に感覚が麻痺している。完全に異常な状況の中で生きていくためには、忘れなくちゃいけないし、慣れなくちゃいけないのです。無理やり自分で自分を抑圧するのですよね。

これは、どんなに偉い学者さんが、どんなに実績のある知識人が、「心配することはないんだ。原水爆の実験とときよりも、今回の方が線量が低かった。
チェルノブイリの10分の1に過ぎない。低線量内部被曝の危険性は、科学的に確かめられていないから大丈夫だ」と幾ら言われたって、心の中に芽生えた不安は、やはり消せないです。

そして最も呪うべきというか、情けないなと思うのは、人と言うのは、100マイクロシーベルトだって生きるのです。くよくよしながら生きるのです。でもやはり無理だと、家財も仕事も何もかも捨てて、逃げなくてはいけないのではないかと思っても、そういうことができた人たちは、子どもを持っている人たちです。それと自然をいじくっている人たちです。農業とか、水産業や、土をいじくって焼き物を作っている陶芸家の人とか。この2種類の人だけで、いわゆるサラリーマンや、都市生活者は、言われことは耳に痛いし、理屈としては分かるのですけれども、でも捨てられないのです。

それが今の現実の福島だから、なんだ、福島に来たら普通に人が暮らしているし、みんな、普通の市民生活をしているじゃないか。福島は大丈夫だよと思うのだけれど、でも一週間でもいて欲しい・・・というか、人間の住める場所ではないですから、そこが言いづらいところなのですけれども、1週間か10日いないと見えてこないことがあります。

本当にわれわれは抑圧されているし、だから僕が言いたいのは、原発事故は起こしたらおしまいだということです。もう復帰は無理です。起こしたらおしまいなんだということを、とにかく言いたい。だから自分はどうでもいいけれども、自分の子どもだけにはそんな十字架を背負わせたくないので、何か申し訳ないと思いつつも疎開という道を選んでいったのです。

でも本当に逃げてきたら逃げてきたで後ろめたいし、福島から京都に来る道すがらは、遠ざかれば遠ざかるほど、深呼吸ができる。ストレスから解放される感じになる反面、ものすごく罪悪感を持ってしまう。そんな状況にここがなって欲しくない。でもそんな反面教師的な日本国民が現れたということを、絶対に国だって、自治体だって、認めたがらないです。でもそれをやはり伝えていかなくてはいけない。

福島の人たちはみんな今、ビクビクしているのです。何か、お互いに探りあっているような状態で、あの家の人が、洗濯物を外に干しているか、中に干しているかによって、自分の仲間なのかそうではないのかということを見ている状態で、だから本当に原発事故は、百害あって一利なしという感じで、話にもならないような状況を今、生んでいるし、守田さんがおっしゃられた状態、その通りです。誇張でもなんでもないです。

むしろ僕は、守田さんは、福島市の人間ではないのに、本当によく、短期間にここまで本質をつかんでくれているなと思いますけれど、でももっと言えない話があるし、だから僕はゲットーだと言っているのですよ。だから原発事故は起きたらもうおしまい。本当におしまいなのです。やはり心がやられるのですよ。経済とか健康とかも、もちろん大変なことですけれども、もっとやっかいなのは、人間の心を悩ますことです。

みんな自信が持てない状態にいます。福島の人は。何か言ったら、攻撃されるのではないか。自分の言っていることが、正しいのか、間違っているのか、わからないから、口をつぐんでいるという感じで、イメージで言うなら、みんなでどーんと、プールの中に飛び込んで、鼻をつまんで、お互いににらみ合っているのです。どこまで長く潜っていられるか、我慢しているようなものです。これこそ抑圧。

だから究極のジレンマというものを、今回、僕は味合わされて、そこから抜け出すのにどうしらよいか分からなくて、京都に逃げてきたときに、水俣というのが頭に浮かんできたのです。何かこう、今まで、水俣というのは、自分にとってよそ事だったけれども、昔知った何かが、自分の中にひっかかってきて、水俣について知りたいなと思ったときに、こちらのカライモブックスさんが、石牟礼道子さんと深い間柄で、石牟礼さんの本を集中的に扱っている古本屋さんだということで、訪ねてきたのですよ。それからお付き合いをさせてもらっているのです。

奥田「前回の、守田さんのカライモ学校のときに見えられたのです」
守田「え、そ、そうだったんですか」
阿部「あのときが守田さんだったのですか」
奥田「そうなんです」

・・・続く











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明日に向けて(482)悲しみの中から生まれつつあるもの(カライモブックスでの出合い)

2012年06月09日 23時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120609 23:30)

みなさま。一昨日、広島を往復してきました。広島市の平和研究所を訪れ、
横川からバスで某診療所に治療を受けに行き、帰りに尾道に寄って、活発
な活動を続けている市民のみなさんとお話をしてきました。帰りの新幹線
の中でこの文章を書き、京都の我が家に帰って投稿をと思ったのですが、
帰ってから寝入ってしまいました・・・。

今朝は朝から知人たちと重要なスカイプ会議を行い、その後、宇治市に赴
いて、内部被曝も問題をお話してきました。宇治市の平和の会の方たちと
使い捨て時代を考える会の共催でした。いろいろな方が参加してください
ましたが、印象に残ったのは、広島で被爆され、その体験を切々と語られ
てこられた米澤鉄志さんや、使い捨て時代を考える会の槌田劭さんがご
参加くださり、その前でお話ができたことです。

槌田さんは、全原発の停止がカウントダウンに入ったときに、関西電力
京都支店前で、15日間にもおよぶハンストを決行をしてくださいました。
また今日まで、同会を主催して、大量生産大量消費の現代社会のあり方を
告発してこられました。その槌田さんは、終始、相槌を打たれながら僕が
語る内部被曝のメカニズムの問題、「がれき」の問題などを聴いてくだ
さいました。

ちょうど前日に、尾道市でみなさんとお話し、被ばくの地、広島からこそ
内部被曝の脅威を一緒に学んで告発していこうということになり、8月の
17日から19日あたりで、尾道・三原・福山あたりで僕の講演会を開催して
くださることになっただけに、米沢さんや、宇治で核兵器を問題にして
平和活動をされてきた「平和の会」のみなさん、そして、使い捨て時代を
考える会のみなさんの前でお話できることが、何か太い糸でつながって
いるように感じられ、気持ちが高揚しました。何かに導かれて、こうした
縁のつながりの中を歩いているように感じました。


さてそれで、尾道の帰りの新幹線の中で記した内容なのですが、それもまた
最近、僕が出会ったとても不思議な出合い、深い縁についてです。それは
この4日に行ったカライモブックス(京都市上京区)でのお話しの際にめぐ
り合えたものでした。

僕がこの素敵なお店で話するのは2度目。同書店が開催するカライモ学校に
呼んでいただいて、震災遺物(いわゆる「がれき」)問題についてお話した
のですが、このとき、福島市から二人の方が参加してくださいました。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの吉野弘之さんと、福島の映
画館フォーラム福島支配人の阿部泰宏さんです。嬉しいご参加でした。

吉野さんとは福島市内での講演会の後の交流会でもご一緒しました。福島に
いったときに、市民の方がこういったことを僕は過去に紹介しました。
「放射能に苦しんでいるのは福島県民だけではありません。他の県の方も大
変、苦しんでいます。にもかかわらず市民的支援はどうしても福島に集中し
がちです。ありがたいことなのですが、他の県の方もどうか支援してくださ
いという声を、福島側からあげていかないと」。僕は福島の方は優しいと
書きましたが、この発言をされたのが吉野さんなのでした。

明日に向けて(473)福島市訪問を終えて・・・その1
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/fc1ee4b56bceefd3149277d79cdef224

実は宣伝できなかったのですが、その吉野さんは6月3日に、友人で絵本作家
のふしはらのじこさんの主宰する「堺町画廊」でお話をされたのでした。
その吉野さんが、阿部さんを伴ってあらわれた。お二人とも、お連れ合いと
お子さんが京都に避難しておられるのだそうです。このお二人の参加が嬉し
かったので、講演の後の質疑応答のときに話を振りました。

そうしたら阿部さん、冒頭に「福島から出た放射能のことで、本当にみなさん
に大変な苦しみを与えて申し訳ないです」とおしゃる。「県民のせいとちゃい
ますよ」と思わず参加者の女性が声をかけます。僕も「そんなあ、謝らないで
くださいよ」と声を出しました。

すると吉野さんが、「だって僕ら、佐藤知事に投票しているんですよ。県民が
あの知事を選んだんですよ」と言われる。「そうかあ」と僕。「佐藤知事と
共産党候補の一騎打ちで、共産党はどうもと思っている人は佐藤知事に投票し
てしまった。でも最初は原発に慎重なようなことを言っていた佐藤知事は、
プルサーマルを認めてしまい、原発の擁護に走った。それに投票した僕らの
責任があります」と吉野さん。

ああ、主体的だなと思いました。否定できない高い志だなとも。もちろん福島
県民にそこまでの責任があるのなら、同様に僕らにもある。そうして僕自身も
僕の責任を感じて行動しているので、やはり自分の責任を感じている阿部さん
の言葉にうなづくものがありました。でもだからといって、あれほどの被曝が
許されていいはずなどあるわけがない。家に住めなくなり、家族がバラバラの
生活が強いられて良いはずがない。福島県民が主体的に捉え返すことがあった
にせよ、受けている仕打ちはあまりに理不尽です。
 
その後に続いた阿部さんの発言は、さらに圧巻でした。これについては、さき
ほどご本人の承諾が得られたので、ここで要点を載せずに、文字起こしして
後日、紹介させていただきますが、驚いたのは最後の方で阿部さんが触れた、
カライモブックスとのかかわり、そしてまた僕とのかかわりについてした。

というのは福島の出口のない現実の中で、心が沈むばかりの苦しい日々を送っ
てきた阿部さんは、あるときふと、今の福島は、水俣につながっているのでは
ないかと思われたのだそうです。それで京都で水俣につながる場を求めた。
そうして石牟礼道子さんにこだわり、水俣関連の本をそろえてきたカライモ
ブックスのことを知ることになりました。

水俣のつながりとの中に心のよりどころがあるのではと感じた阿部さんは、
お連れ合いとカライモブックスを訪ねに来られたそうです。しかし不案内な
京都でのこと。道に迷いながら苦労しながらカライモブックスに来られた。
ところがです。その日、カライモブックスは第5回のカライモ学校を行ってい
て、店を閉めていたのです。そうして中で講演を行っていたのが、なんと
僕だったのでした。

そのとき頼まれたのは僕が見た福島や被災地の様子についての講演でした。そ
の前に、「京都ママパパの会」で僕が被災地のことを話したことを聞いた同
書店の奥田直美さんが、その話をカライモでもして欲しいと頼んでくださっ
たのです。その日、カライモブックスはそのことを店のドアに貼り出してい
ました。ガラス越しに内部の様子も見ることができました。それで阿部さん
はそこで福島のことが話し合われていることを知ったのでした。

やっとのことで探し当てた店で、中に入れなくて、何だと思ったのだけれど、
そこで人が集って、福島のことを話し合っている。のぞいてみると、若い学生
さんたちや、赤ちゃんを連れた女性たちがたくさんいて、真剣な討論が行われ
ている。その予期しなかった光景に、阿部さんの胸はいっぱいになったそうで
す。「ああ、こんなところで福島のことを思ってくれる人たちがいる。」そう
して阿部さんは心が癒されるのを感じたといいます。

そんな縁でカライモブックスと結ばれた阿部さん、それから何度も、このお店
を訪れたそうですが、今回、僕が再度、お話しすると聞いて、満を持して来て
下さったのでした。大震災以前から親友だった吉野さんも一緒でした。そうし
て僕と阿部さんはカライモブックスを通じて、そうして水俣を通じて、出会う
ことができたのです。もちろんそれは福島の痛みの上での出会いです。だから
きっかけは深い悲しみによっています。でも僕はこの出会いから何かを生み出
せるに違いないと直感しました。そうしてまたしても誰かが、あるいは何かが、
僕の背中を押して、阿部さんや吉野さんと出会わせたのだなとも・・・。


みなさま。今、私たちの国を深い苦しみと悲しみが襲っています。そこで私たち
は血の涙を流し続けてきました。でも泣いているだけではなくて、事態を何とか
好転させようと、必死の努力を続けてきました。そうしてその途上で、本当に
無数の新たな出会いが生まれました。僕自身を振り返っても、この1年あまりほど、
多くの方と出合い、熱い思いの交換を行った日々はありません。

そしてそこで日々生まれている新たなつながり、あらたな熱こそが、私たちの国
を根本から変えていくエネルギーに転換しつつあるのだと僕は思うのです。まさ
に我がこと、我が身に起こりつつあることとして実感します。そうしてそれは
革命の流れと言ってよいのだと思います。革命とは人と人のつながり方が変わる
ことです。まさに私たちは今、その途上にあるのではないでしょうか。僕には
そんな風に思えるのです。

明日はそんな縁の一つを結びに、京都府京丹波町に行きます。ここに肥田舜太郎
さんをお招きして、講演していただくのです。僕も京都駅までお迎えし、一緒に
会場にいき、司会などさせていただきます。「がれき」問題へのコメントも行い
ます。映画「内部被ばくを生き抜く」の上映もあります。企画の詳細については
以下をご参照ください。
http://kyotanba.org/ev/20120610_hida/

新たなるつながりを求めて、何かに背中を押されるままに、僕は、みなさんと
一緒に、前に進みます。


*****

以下、カライモブックスについて書いた記事を紹介しておきます。

明日に向けて(322)水俣から日本の今を見る! エッセー「私の石牟礼道子」に触れて
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/9d63546d11c359004805e91c04683439
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明日に向けて(481)すごい!原発事故・被害拡大責任者を、福島県民1301人が告訴!!

2012年06月06日 16時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120606 16:00)

明日に向けて(478)で福島県民による原発事故・被害拡大責任者を相手取った告訴の
準備が進められていることを紹介しましたが、6月3日の締め切りまでに、なんと
1301人の告訴人が集まりました。すごい!5月上旬でもまだ300人代、僕が
お知らせした5月31日でもまだ700人ぐらいだったのに、急速に数が伸びました!

県民の怒りの声をとりまとめてくださった告訴団のみなさまのご尽力に拍手を送り
ます。同時に第二次告訴にむけて熱い決意が沸いてきます。ありとあらゆる手段を
使って、全国から(全世界から?)怒りの声を集めましょう。

僕は常々怒りには二つの種類があることを強調しています。一つは個人の恨みから
発するもの。私憤です。もう一つは社会的正義にのっとったもの、公共的憤慨=公憤
です。私的怒りはできることならしずめた方が良い。私憤はたびたびわが身を焼き
尽くす業火にもなりうるからです。

しかし公憤は、けしてあいまいにしてはならない。正当に怒りをうたわなければなら
ない。この領域ではけして優しくあってはなりません。いや人間的愛情や優しさを
大事にすればこそ、社会的悪を見過ごしてはならないのです。悪を正すことは社会的
な尊い義務です。公憤はそれほどに重要なものです。

告訴人になることを決意した福島県民1301人は、私たちの国の中での公憤の発露
の道筋をつけてくれました。なんとしてもこれに続きましょう。ぜひとも第二次告訴
において、歴史に残るような大告訴団を作り出しましょう。僕も今後の講演の折に
必ずこのお話を付け加えることにします。

以下、6月11日の告訴状提出にむけて、報道関係者にむけて出されたお知らせを
転載します。取材可能な方はご参加いただきたいですが、場所が福島市内の信夫山
のそばで、線量が高いところであることが明記されています。取材の場合は、被曝
防護対策を十分に施しておのぞみください。

*********

福島原発告訴団 第一次告訴のお知らせ

報道関係者のみな様

「福島原発告訴団」は、東京電力福島第一原子力発電所の事故により
被害を受けた住民で構成し、原発事故を起こし被害を拡大した責任者たちの
刑事裁判を求め、福島地方検察庁へ告訴を行います。
来たる6月11日、福島県内1301人の告訴人による告訴状を提出いたします。
終わらない原発事故の責任に対する私たち被害者の声を聴いてください。
ぜひ取材にお越しください。

6月11日 (月)
12:30集合:福島市市民会館* 第2ホール
13:00出発:福島地方検察庁へ全員で徒歩移動
13:30告訴状提出:福島地方検察庁
    (弁護団・団長・副団長・各地区代表)
14:30記者会見:福島市市民会館第2ホール
15:00頃「告訴報告集会」:同所
16:15頃 閉会

*福島市市民会館・・・・・福島市五老内町3-1 TEL024-535-0111
※福島市の中でも信夫山の麓の線量の高めのところであるため、被曝防護にご注意ください。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
「福島原発告訴団」 ブログ福島原発告訴団(累計35000ページビュー超)
住所〒963-4316田村市船引町芦沢字小倉140-1
メール1fkokuso@gmail.com TEL080-5359-7279
-------------------------------------------------------------------------------------------------
★告訴宣言  http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/p/blog-page_17.html
★陳述書記述例として、何通かの実際の陳述書を読むことができます。
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/p/blog-page_07.html
★週刊金曜日に連載されている「福島原発告訴団の想い」がネット公開されています(連載は7回までの予定です)。
第1回武藤類子さんhttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120511-00000302-kinyobi-soci
第2回浅田眞理子さんhttp://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=1972
第3回人見やよいさんhttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120525-00000302-kinyobi-soci
第4回片岡輝美さんhttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120531-00000302-kinyobi-soci

以下は、告訴団に共感を寄せていただき、紹介してくださっている記事です。
★明日に向けて http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1b7dc53e218c2ff2236505fc4447dc9c


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