守田です。(20111008 10:00)
連続投稿をお許しください。今日、10月8日は、アメリカ軍がアフガニスタンに
空襲を開始してから10年目の日です。この10年間の「対テロ戦争」で殺された
全ての方たちを追悼して、本日、午後7時より8時半まで、三条大橋の上で、追悼
のキャンドル・ビジルを行います。すでに一度、案内を流していますが、再度
掲載させていただきます。お近くのみなさま。どうかご参加ください。
昨日、「封印された原爆報告書」というNHKドキュメントの内容を文字起しした
ものを掲載しました。この報告書は、日本陸軍を中心に、日本政府のもとで作ら
れたもので、例えば広島で被ばくした17000人の子どもたちの詳細なデータが記載
されていました。
爆心地からのどれぐらいの距離では何人中、何人が死亡したのかなどのデータで、
原爆の殺傷能力を明らかにした初めてのものでした。当時、アメリカ側から調査
に関わった人物はこれを「革命的」と形容しました。このデータにより、対ソ攻撃
で、アメリカは広島原爆の何発分をどの都市に落とせば壊滅を引き起こすことが
できるかという重要な事実を知ることができたというのです。
日本人の手によって集められた子どもたちの痛ましい記録が、アメリカ核戦略の
礎となっていったのです。許すことのできないことがらです。
日本政府によるアメリカ軍事戦略への加担、賞賛はこれだけにとどまりません。
太平洋戦争末期の日本本土空襲を指揮したのは、アメリカ戦略空軍のカーチス
・ルメイという将校でした。ルメイは一般市民への無差別爆撃を指揮した戦争犯罪人
ですが、日本本土空襲の功績を買われて、その後もアメリカ空軍の指揮官として
働き、朝鮮戦争やベトナム戦争での無差別爆撃をも指揮しています。
このカーチス・ルメイに対して、日本はなんと勲章を送っています。理由は航空
自衛隊の育成に貢献したからだといいます。日本本土にじゅうたん爆撃を行い、
何十万という非戦闘員、女性・子ども、お年寄り等々を殺害した犯人を表彰して
しまったのです。もし「国辱」という言葉を使うのならば、こういうときに使うのが
ふさわしいのではないでしょうか。
アメリカはその後も、空襲戦略を続け、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク
戦争と、繰り返し無差別爆撃を繰り返しています。僕はこの一因として、日本が、
戦争直後からアメリカに徹底して媚を売り、日本の国民・住民殺害の記録を、
データとして差し出し、積極的に核戦略に加担していったことがあったと思えて
なりません。
いくら惨く相手国の国民・住民を殺しても、徹底した力を示せば、やがて相手は屈服し、
自分たちになびく。そうしたまったくあやまった教訓を、日本政府はアメリカに
与えてきてしまったのではないか。
こうした点は、使用されている兵器にもあらわされています。これらの空襲の中で
繰り返し使われているのが、クラスター(収束)爆弾です。爆撃機が親爆弾を投下
すると、空中で割れて、無数の子爆弾がばら撒かれる。殺傷能力の高さなどから、
国際的に批判が集中している爆弾ですが、そもそものクラスター爆弾の始まりも、
日本本土空襲に使われた焼夷弾でした。親爆弾の中に八角形の円筒状の筒が無数に
込められ、油を詰めて落としたのです。それが日本の諸都市に猛火を呼び起こした。
この爆弾はアフガニスタンでもイラクでも多用様されました。太平洋戦争における
日本本土空襲の経験の上に重ねられてきた米軍の戦闘経験が、朝鮮戦争、ベトナム
戦争、湾岸戦争を経て、アフガニスタン空襲にまで連綿と受け継がれてきているの
です。
そればかりか、これらの戦争では、まるで新型爆弾の見本市みたいに、あらゆる
新型爆弾が投入されました。湾岸戦争から登場した劣化ウラン弾も多用され、多くの
地域が放射性ウランによって汚染されてしまいました。オサマビン・ラディン
一人を匿ったという理由で、たくさんの、まったく関係の無いアフガニスタンの
方たちが、殺傷されました。イラクは大量破壊兵器など持っていなかったのに、侵略
され、フセインが処刑されてしまいました。
そして私たちの国はそれを支持し続けました。それがこの10年、いや第二次世界大戦
から連綿と続いてきていることがらです。そのつながりの中で、原子力発電が生まれ、
アメリカ製の原子炉が地震国日本に50以上も建てられ、そして311の大震災で、原発が
崩壊し、たくさんの放射能が飛び出して、私たちを襲っているのです。
こうした全ての流れを断ち切りたい。
そのために今、自分たち自身のこととしてこの10年の国家暴力による犠牲者を追悼
する時間をみなさんとシャアしたいと思います。今宵夜7時より、京都・三条大橋の
上でお待ちしています。
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殺された人びとへの追悼と祈りをこめて
―キャンドル・ビジルへのお誘い―
とき 10月8日(土)19:00~20:30頃まで
ところ 三条大橋周辺
主催 ピースウォーク京都 090-6325-8054
peace@pwkyoto.com
http://pwkyoto.com/
10月8日はどんな日?
2001年の「9・11事件」の報復に、米軍がアフガニスタンへの空襲を始めた日。
(干ばつに苦しむアフガンの人々に爆弾の雨を注いだのは、誰に何を報復するため?)
巨大な国家暴力が次々と牙をむき続けた10年、10月8日はその始まりの日だった。
アフガニスタンからイラクへ、あのとき始まった「戦争」は、まだ終っていない。
(イラクには大量破壊兵器なんてなかったのに)
日米同盟という“つきあい”で、私たちもまた、にんげんの命を奪い、
地球の命をも脅かすこの戦争に加担させられてきた。
戦闘機の上からの視線ではなく、地面を逃げまどう人の視線で、
「殺すな!」 と、ただそれだけを叫びたくて、
小さな一人が、いても立ってもいられずに、
「ひとりの歩みから」を始めた10年でもあった。
世界中の小さな一人のうねりが、何かを変える流れにつながるのを夢見て。
でもこの時間の中で、ありとあらゆる新兵器が殺人に使われ、劣化ウラン弾も
たくさん使われた。
放射能は今このときも、かの地の子どもたちや未来の命を脅かし、奪い続けている。
10年の後に3・11を経て、同じたくさんの放射能を浴びた私たちの大地から、
この10年の暴力の中で失われた命に想いを馳せ、
手の上に灯した小さな炎を見つめる時間をともにしよう。
すべての戦争犠牲者に哀悼を。
命を脅かすモノを「やめることができない」愚かさに終止符!の思いを込めて。
10月8日、三条大橋を灯りのリングで包み込みましょう。
希望の明日への歩みを始めるために、ともに悼む時間をご一緒しましょう。
What is “October 8th”?
It’s the day when the US started to bomb Afghanistan in the name of
retaliation against the tragedy of September 11th, 2001.
Who on earth was that against and what on earth was that for?
– throwing a shower of bombs and bullets over Afghan people who were
suffering from long period of drought.
Huge acts of violence by nations have recurred successively these
10 years.“October 8th” is the day it actually started.
The target shifted from Afghanistan to Iraq and the war that started on
that day is not ended yet although it turned out that Iraq didn’t
have weapons of mass destruction.
Under the “political relationship” called Japan-US alliance, we
Japanese were obliged to support the war that took people’s lives
and also would threaten this planet’s life.
Just to cry out “don’t kill anybody!” for people trying to escape
on the ground, many little people have taken first steps spontaneously
these ten years, dreaming that tiny ripples from all over the world
would come together to become a big wave to change the world.
Various new weapons such as DU bullets have been used to kill people
these 10 years. Radiation continues to threaten and take children’s
lives in that area.
Experiencing “March 11th” 10 years later, and living on land severely
exposed by radiation, let us think of the lives taken by the violence
of these 10 years and look quietly at the small candle lights in our
hands together.
Let us express our grief and sorrow for all war victims and put an end
to our stupidity of not giving up holding and using weapons that
threaten people’s lives.
Let us surround Sanjo Ohashi Bridge with our candle lights on October 8th.
Come and join us to share some time to mourn and to start to walk ahead
together with hope for tomorrow.