明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(390)放射能の危機の中の京都市長選の意義

2012年01月27日 08時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120127 08:00)

東京のホテルにいます。「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の記者会見に
参加するためです。昨日はこのための打ち合わせが午後2時から、実質的に今日
の午前2時まで行われました。記者発表内容をみなさんで心を込めて作りました。
記者会見は、午前11時半~午後1時に自由報道協会にて、午後2時から3時半に
日比谷プレスセンター・日本記者クラブにて行われます。

この内容はまた詳しくお伝えしたいと思いますが、今はこの東京の地から、京
都で行われている市長選の意義について述べたいと思います。これまで繰り返
し触れてきたように、京都では2月5日投票の市長選が行われています。すでに
公示期間に入っており、公職選挙法の規制で自由に書けないことが多いのです
が、この選挙では、京都から明確な脱原発市政を登場させることができるか否
かが大きな争点になっています。

今、私たちの国は放射線に対する大変、甘い基準を採用しており、チェルノブ
イリでは避難区域、ないし避難の権利がある区域にあたる多くの地帯が、その
ままに放置されています。とくに福島には大変、線量の高いところが多くあり
ますが、避難権利がないために多くの人が、生活上の心配を抱えながら、経済
上の理由から動けずにいます。

無論、人々が動かないのはそれだけの理由ではありません。愛着のある土地と
人のつながりを捨てなければならないのはそもそも大変理不尽なことであり、
人にはそれぞれにその土地を離れたくない理由があって、それもまた尊重され
るべきことがらです。しかし政府はその上に乗っかる形で、避難を押しとどめ
ているのであり、この状態をなんとか変えていく必要があります。

そのためには、地方地自体が、どんどん放射線に対する独自の厳しい基準を定
め、そのことで政府を規制していくとともに、独自に被災地から避難してきた
人々を手厚く迎える体制を整え、避難したい人の落ち着き先を作り出していく
必要があります。つまり私たちの身の回りから変えるべきものを変えていく。
そのことで政府を動かしていくということです。

そうしたことを考えるとき、京都市で放射線被曝に対する極めて厳しい視点を
もった市政を登場させることは、日本全体に波及する大きな位置をもつことだ
と僕は思っています。福島市でも、京都で脱原発市政が登場することは、福
島のためになる。ぜひ頑張って欲しいというエールをもらいました。

そこでみなさん。とくに京都市民以外のみなさんにお願いです。ぜひこの京都
市長選の位置を多くの人に伝えてください。今、この時期、それぞれの行政が
どのような方向を向くのかということは、その行政地区の人々以外にも大きな
影響を与えます。だからそれぞれの首長選挙に相互に関心を持ち、意見を述べ、
影響を与え合っていくことが大事だと思うのです。

以下、これまで僕が京都市長選に向けての集会発言と、昨年に書いた一文などを
紹介します。集会案内も貼り付けます。ご参考ください。

1月18日1万人集会にて
http://www.youtube.com/watch?v=-eJBC9wCTQo&feature=plcp&context=C345a811UDOEgsToPDskIoeZpyCQeflcUbG_sCF-QV

「脱原発」市長誕生は、京都を越え、日本のため、世界のために画期的
http://www.youtube.com/watch?v=-eJBC9wCTQo&feature=plcp&context=C345a811UDOEgsToPDskIoeZpyCQeflcUbG_sCF-QV

中村和雄・フライングダッチマン対談
http://for-kyoto.net/video/fryingdutchman-2.html

******

講演会のご案内

3月11日に東日本を襲った大地震は、地震・津波による被害にとどまらず、福島
第一原発の事故という未曾有の恐ろしい被害を引き起こすにいたりました。放
射能の危険を逃れて、多くの人々が故郷を離れることを余儀なくされ、小さな
子どもたちのいのちに及ぼす影響を心配して不安の日々をすごす人たちも数え
きれません。

さまざまに科学・技術を発展させてきた人間の力ですが、その力が何のために
用いられてきたのか、はたして尊いいのち、調和ある美しい自然を守るために
用いられてきたのか、謙虚に反省すべきことを教えられたように思います。
引き起こされた現実の中で、放射能とともにどのように前向きに生きることが
可能なのか、平和問題、環境問題など、鋭く暖かい感性をもって取り組んでお
られる守田敏也さんをお招きして、お話を伺いたいと思います。ぜひ多くの
方々にお話を聞いていただきたく、ご案内申し上げます。


放射能の時代を前向きに生きる

日時:2012年1月28日(土)午後2時~4時
場所:京都ノートルダム女子大学 ユニソン会館 社会学習センター
講師:守田敏也氏
同志社大学社会的共通資本研究センターを客員フェローを経て、現在
フリーライターとして、原子力政策についても独自の研究を続けてい
る。震災後のデータ収集と鋭い分析力により、各地で講演活動中。

主催:ノートルダム教育修道女会 シャローム委員会

********

なおカソリックの方たちにお招きを受けるのは3度目になります。
最初にカトリック三条教会に呼んでいただきたときに書いた文章を
下記にはりつけておきます。

明日に向けて(135) カトリックと正義と平和と社会的共通資本
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3d224921a0eb57e19cddc1e2374b2c36

******

●たのしい日曜日●

守田敏也さんを招いて保育園給食を考えようという趣旨のイベントです。
ふんばろう東日本支援プロジェクト京都支部も出店します。
皆様のお越しをお待ちしています。

日時:1月29日(日曜日)
   10時から16時半

場所:岩倉奉賛会集会場 叡電岩倉駅より徒歩七分
   入場料500円(震災で避難された方は無料)

【スケジュール】
10時会場
10時半 親子ヨガ HIROMI先生
11時半ランチタイム
12時半live ベートルズ
13時 守田敏也さんのお話し(気になる放射能、内部被爆のことなど)
14時 守田さんへの質疑応答
15時 楽器で遊ぼう
15時40分 かみしばい らあちゃん
16時 live COSMIX
16時半終了

【出店店舗】
padma cafe ビーガンフード・aeeen焼き菓子・畑カフェおいしい ランチ
虹色パンダ ビーガンケーキ・おおたばたけ 無肥料無農薬野菜

おためし小児鍼ブース 鍼灸師木口裕香さん

********

脱原発を京都から!矢ヶ克馬さん×守田敏也さん対談会
http://dream.for-kyoto.net/?eid=1#sequel

【日時】 2012年1月30日(月)10:30~12:30
【場所】 東山いきいき市民活動センター
(東山区花見小路通古門前町上る東入る南側)
(「京阪三条」or市営地下鉄「東山」より徒歩5分)
【参加費】 300円
 子どもさん連れの参加OKです(保育はありません)

【企画】 「脱原発を京都から!」
特設サイト http://dream.for-kyoto.net
ツイッター http://twitter.com/kyoto2012
最新・活動情報 http://news.for-kyoto.net
⇒ チラシ見本・PDFダウンロード
【問合】 080-6121-9694
forkyoto[@]gmail.com([]を除いて送信下さい)
【共催】 放射能から子どもを守る京都・ママ・パパの会


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放射能から子どもを守るために、
いま何をすればいいのだろうか。
私たちのこれからの暮らしのために、
内部被曝について もっと知りたい。

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講師プロフィール

矢ヶ克馬さん(琉球大学名誉教授)

1943年生まれ。
広島大学大学院理学研究科で物性物理学を専攻。理学博士。
2009年3月、琉球大学理学部教授を定年退職し名誉教授に。
2003年から国を相手取った原爆症認定集団訴訟で「内部被曝」
について証言を行い、連続20回勝訴の礎となる。3・11原発事
故後は、放射能汚染=被曝の深刻さを訴え、全国で熱い講演
を続けていらっしゃいます。

守田敏也さん(フリーライター)

1959年生まれ。京都市在住。同志社大学社会的共通資本研究
センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとし
て取材活動を続けながら、社会的共通資本に関する研究を進
めている。原子力政策についても独自の研究を続けている。
震災後のデーター収集と鋭い分析力により、震災後、講演会
などに駆け回り、多忙な毎日を送られています。



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明日に向けて(389)4号機が倒壊したら、半径250キロまで避難の必要が・・・

2012年01月25日 13時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)

守田です。(20120125 13:00)

年始より、書かなければならないと思いつつ、手がまわっていなかった4号機問題についてまとめを行いたいと思います。

まず注目していただきたいのが、1月22日に共同通信によって配信された「【最悪シナリオを封印】 菅政権「なかったことに 」大量放出1年と想定 民間原発事故調が追及」という記事です。記事にはこう書かれています。

***

文書は菅氏の要請で内閣府の原子力委員会の近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)委員長が作成した昨年3月25日付の「福島第1原子力発電所の不測事態シナリオの素描」。水素爆発で1号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したと想定。注水による冷却ができなくなった2号機、3号機の原子炉や1~4号機の使用済み燃料プールから放射性物質が放出され、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性があるとしている。

***

しかし政府は、あまりの内容にショックを受け、この文章を「なかったことにしてしまおう」と相談。国民・住民に明らかにすることなく封印してしまいました。1月6日に、細野豪志大臣は、「実際にそうなったとしても逃げる時間は十分あるので発表しないことにした」と述べていますが、全くのいい逃れでしかないことは明らかです。同じ時期、政府はSPEEDYの情報も握りつぶし、原発近郊から避難を開始していた人々に、情報公開すれば避けられた被曝を負わせてしまいました。同じように最悪の事態が生じても、情報はなかなか伝えられず、膨大な数の人々が深刻な被曝をしてしまったでしょう。

問題はこれが過去のこと、終わったことにはなっていないことです。とくに最も懸念されているのが、4号機の問題です。4号機のプールには1500本を超える新旧の核燃料棒が入っています。燃料プールは原子炉の蓋に近い4階部分にありますが、4号機ではその下で初期に爆発が起こっており、建物全体が傾むいてしまっています。何度か補強が試みられていますが、高線量のため、十分な手当がなされてきたとは言えません。

さらに原発サイトはこれまで何度も余震に襲われており、4号機にもダメージがかなり蓄積しています。ここを大きな地震が襲った場合、4号機全体が倒壊してしまう可能性がある。そうなるとどうなるか。1500本もの燃料棒が、外に飛び出してしまいます。まったく冷却できない状態になるので、崩壊による熱が高まり、高温化し、高い線量の放射線を発しながら、どろどろになって地中に潜り始めます。

そうなると付近一体はとても近づくことができなくなり、他の原発で行なっている冷却などの措置も放棄せざるをえなくなります。そうなれば、最悪のシナリオで書かれていたのと同じことが必要になる。半径170キロからの避難、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロ圏内に及ぶということです。ただしこれは政府の試算ですから、ここでも影響を小さく見積もっていることは確実。実際には250キロ圏内ぐらいまで、ただちに避難しなければならない事態になるのではないかと思われます。450キロ圏内が避難の必要ありという見解もあります。それが私たちの前に現に今ある危機です。


この危機がにわかにクローズアップされたのが、1月1日に原発の近くで起こった震度4の地震でした。このとき福島県内のセシウム値が異常に上がり出した。何があったのでしょうか。東電は4号機プールの水位が急激に下降していることを発表しました。その後の調査により、「地震の影響により、プールからタンクに流れ込む水が一時的に止まっていた」と東電が発表したことを東京新聞が1月8日に報じていますが、セシウム値は15日ごろにも再び上昇しており、何が起こっているのか十分に明らかにされているとは言えません。

ただ確実に言えるのは、死活をなす冷却系が、震度4の地震でも壊れて動かなくなってしまう状態に4号機があるのが現実だということです。ネット上では9日ごろに小規模な爆発があったのではないかという推論も流れていますが、4号機がまだまだ大変危険な状態にあること自体は確かです。

関東・東北の方々は、地震に警戒し、常に原発の状態をチェックするようにしてください。万が一、大規模な地震が再び原発を襲った場合、ただしに避難を開始することが賢明です。政府の発表を待っていたら、確実に逃げ遅れます。その意味でいざというときの準備、持ち出すものや、家族の落ち合う場所、逃げるルートの選定、ガソリンをつねに満タンにしておく習慣を保つなどの対処をしておくことが有効です。

その意味で、仮想の避難訓練を行うことが大事です。災害心理学では人々が最悪の事態に直面したときに、それを無視することで心理的安定を保とうとする「正常性バイアス」が働き、心がロックされてしまうことが指摘されています。そうなると有効な避難行動に移れなくなってしまいます。この正常性バイアスに陥らないために最も有効なのは、事前の避難訓練であり、原発事故に対しては、最悪の事態に陥った場合を想定し、どう行動するかを決めておくことです。これまでのさまざまな災害でも避難のための事前訓練がなされていたかどうかが生死を分けています。

こうした点からも「パニック」を恐れて、今、現にある危機を国民・住民に伝えないのは、重大な誤りであることも指摘しておきたいと思います。政府は「災害心理学」の常識すら踏まえていません。最悪の場合を想定し、それへの対処の準備を進めてこそ、いざとなったときに対応できるのです。「逃げる時間が十分あるから伝えなかった」という細野大臣の言い訳は、それ自身、災害対策への知見がまったくないことを自ら明らかにしているものに他なりません。

大きな危機がまだ私たちの前に存在しています。それに対して、腹を決め、覚悟を固め、開き直って向かい合っていくことが大切です。最悪の事態を想定していれば、それ以下の小規模な事態にも対応できます。最も危険なのは、危機に対して、心理的に逃げてしまうこと、警戒心を解除してしまうことです。今ある現にある危機に、正面から向かい合い続けましょう。

*****************

【最悪シナリオを封印】 菅政権「なかったことに 」大量放出1年と想定
  民間原発事故調が追及」


公文書として扱われず

東京電力福島第1原発事故で作業員全員が退避せざるを得なくなった場合、放射性物質の断続的な大量放出が約1年続くとする「最悪シナリオ」を記した文書が昨年3月下旬、当時の菅直人首相ら一握りの政権幹部に首相執務室で示された後、「なかったこと」として封印され、昨年末まで公文書として扱われていなかったことが21日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。

民間の立場で事故を調べている福島原発事故独立検証委員会(委員長・北沢宏一(きたざわ・こういち)前科学技術振興機構理事長)も、菅氏や当時の首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相らの聞き取りを進め経緯を究明。危機時の情報管理として問題があり、情報操作の事実がなかったか追及する方針だ。

文書は菅氏の要請で内閣府の原子力委員会の近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)委員長が作成した昨年3月25日付の「福島第1原子力発電所の不測事態シナリオの素描」。水素爆発で1号機の原子炉格納容器が壊れ、放射線量が上昇して作業員全員が撤退したと想定。注水による冷却ができなくなった2号機、3号機の原子炉や1~4号機の使用済み燃料プールから放射性物質が放出され、強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性があるとしている。

政府高官の一人は「ものすごい内容だったので、文書はなかったことにした」と言明。別の政府関係者は「文書が示された際、文書の存在自体を秘匿する選択肢が論じられた」と語った。

最悪シナリオの存在は昨年9月に菅氏が認めたほか、12月に一部内容が報じられたのを受け、初めて内閣府の公文書として扱うことにした。情報公開請求にも応じることに決めたという。

細野氏は今月6日の会見で「(シナリオ通りになっても)十分に避難する時間があるということだったので、公表することで必要のない心配を及ぼす可能性があり、公表を控えた」と説明した。

政府の事故調査・検証委員会が昨年12月に公表した中間報告は、この文書に一切触れていない。
http://www.47news.jp/47topics/e/224789.php





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明日に向けて(388)京都から東北へ(本日、京都弁護士会館でお話します)

2012年01月21日 11時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120121 11:30)

「京都から東北へ」・・・これは今日、僕が京都弁護士会館でお話しするタイ
トルです。副題に「地震・津波・原発事故」とあります。僕自身が参加した
京都から東北へのかかわり、現地の被害と復旧の様子。そして原発事故による
放射能汚染の実態についてお話しますが、その準備をしていて、深い感慨にと
られられました。

そもそも僕の「京都から東北へ」の関わりの大事なきっかけを提供してくだ
さったのが、京都弁護士会に所属する島崎哲朗弁護士と、そのご友人なのでし
た。ことは、友人でサクセスランニングというランニングクラブを運営してい
る森拓哉さんの発案から始まります。ナラ枯れ問題で知り合った森さん、当初
から「明日に向けて」を読んでくれているのですが、はじめは被害の甚大さ、
漏れ出てしまった放射能の量に圧倒されて打ちひしがれてしまった。

しかし次第に自分にできることは何かと考え始め、自分はトライアスロンを
行ってきた。だから自転車に詳しい。それなら中古自転車を集めて、被災地に
送ろうと動き出しました。それで僕に京都市内で、自転車を集められるところ、
仮置き場にできるところはないかと相談してきたのです。4月のことでした。

森さんの動きに共感した僕の頭にすぐに浮かんだのは、京都大学の岡真理さん
の名前。広大な京大のキャンパスを岡さんの力で何とかしてもらおうとすぐに
電話をしました。しかし「ぜひ何とかしたいけれど、新入生が入ってくる時期
だから難しい。ごめんなさい」という返事が返ってきました。それは無理から
ぬこととあきらめ、他を探しているときに、再度、岡さんから電話が。「や
はり思い直していろいろあたってみたら、何とかなる可能性が出てきました」
と。これで自転車集めが具体化しだしました。

しかも岡さん、京都弁護士会の方たちとのML?に被災地向けの自転車募集の
お願いを投稿してくれました。すると島崎弁護士を経て、ある方から、「すい
ません。自転車はないのですが、自動車ならあるのですが・・・」というメー
ルが。すぐに岡さんから僕に電話があり、連絡をとってみて、車がイギリス製
のランドローバーという4輪駆動車であることが分かりました!

そのころ僕は、気仙沼のアビスさんという方と、メール・電話でつながってい
たのですが、「4駆自動車はいりますか」と連絡すると「ぜひ、ぜひ、ぜひ」と
いう答え。それで車を気仙沼被災地に送って役立ててもらうことにしました。
でもどうやって送るのか。そうだ、どうせなら自分が乗っていこう。乗って
いって、被災地の取材もしてこようと思い立ちました。5月のことでした。

そこでアビスさんと連絡して、敦賀港からフェリーで秋田に向かい、そこから
気仙沼をめざすルートを選択。僕としては意地でも福島原発で被曝したくなか
ったので、大きく迂回路をとることにしたのです。また一人で行くので、運転
期間を短くするための選択でした。しかし実際には、僕が敦賀港から出航した
まさにそのときに、敦賀原発が事故をおこして放射能が漏れ出し、その直近を
緩やかに航行していった僕もきっと被曝してしまったのに違いないのでした。
日本に安全なところなどないことを痛感しました・・・。


それはともあれ、そんなわけで僕は秋田に上陸し、アビスさんと合流しました。
実は秋田にはアビスさんの友人がたくさんいて、気仙沼に物資を送り込む基地
のようになっていました。僕もそこで秋田の方たちと合流。秋田大学で講演さ
せてもらいました。そのときに知り合ったのが、ネコさんこと、村上東さんら、
秋田で行動している方たち。後にこの方たちを中心に秋田で初めての脱原発
デモが行われました。村上さんは、僕の情報発信を繰り返し繰り返し、ツイッ
ター上でリツイートしてくださるので、たぶん、僕の発信は、一番、秋田
の地に届いているのではないかと思います!

その後、アビスさんと僕は、宮城県大崎市・仙台市を経由して、気仙沼市へ。
それぞれの地で講演を行い、たくさんの知り合いを増やし、ようやく気仙沼に
ついて、震災当初から被災者救援を始め、救援物資を細やかに配っていた
渡辺道徳さんと出合い、ランドローバーをお渡しできました。気仙沼ではたく
さんの方からの聞き取りも行いました。渡辺さん自身が、被災者からたくさん
のお話を聞いている方でした。聞くことが少しでも心の負担を減らすことに
なるのです。反対に聞いた側に負担が溜まる。だからそれをみんなでシェア
して分け合っていくことの大切さをしみじみと感じました。

ここでランドローバーとはお別れして、さらに僕とアビスさんが向かったのが
宮城県角田市のピースファームという農場でした。ここを経営しているのは
しょんつぁんと姫ちゃん!素敵なカップルです。有機農業を営んでいました。
そこに近郊の有機農家の方たちが集まってきた。双葉町から避難されている
ご夫婦や、南相馬から避難されているご夫婦も参加されていました。


ここでの出会いは僕にとって大変、思い出深いものになりました。角田市は
福島原発から60キロあまりの距離にあり、とても悲しいことに土壌が汚染さ
れていました。車で現地に着くと、もうみなさんが集まっていた。手に手に
ガイガーカウンターを持っていました。これまでの各地の訪問よりも、放射能
汚染と直面している緊迫感がありました。

僕はいきなり「守田さん。俺らここで農業を続けていっていいだべか」と
聞かれた。僕は思わず「うっ」と言葉に詰まってしまった。そうしたらみんな
「あ、つまってる、つまってる」と言って笑いました。僕は言葉を飲み込んで
から、「とにかく汚染の実態を測って知りましょう」とこたえました。

さらにしょんつぁん・ひめちゃんの素敵な家の中に入って、講演をさせても
らいました。その質疑応答のときのこと、双葉町から来てくださった大工の
棟梁、目黒さんのお連れ合いのとみ子さんが、次のように言われました。
「私は故郷に帰れる割合が5割。帰れない割合が5割だと思っています。どうな
りますか。守田さん、はっきりおっしゃってください・・・」

「きた!」と僕は思いました。いかにお答えするか、僕自身が問われている。
僕はこう答えました。「大変申し訳ないですが、僕は帰れないと思います」。
60歳を越えているであろう、とみ子さんは、こうおっしゃいました。「そう
やって、はっきりと言ってくだされば、私たちも気持ちに踏ん切りをつけて
次に向かうことができます。ありがとうございました」。

僕の気持ちの中になんともいえない感情が沸き起こりました。とみ子さんの
強い気持が、真実を伝えようとする勇気をしっかりと受け止めて下さったこと
を感じ、とてもありがたい気持ちがしました。同時に、どうしようもなく、
悲しい気持ちに襲われました。僕にとってこのときのことは、その後の自分の
行動を支える一つの原点になっています。

ちなみにとみ子さんとはその後の8月のピースファームの訪問のときにもお会い
することができました。僕が来ると知ってわざわざ来てくださったのです。
暑いさなかにテント生活をされていると聞いていたので、開口一番、「お体の
調子はいかがですか」と聞いたのですが、とみ子さん、「もう数ヶ月が経ちま
した。この年になってまあ・・・」とそこでいったん言葉を区切られた。

僕は「この年になってまあ、こんなに苦労するとは」と言う言葉が続くのだと
思って、奥歯をかみ締めて次の言葉を待ちました。するととみ子さんはこう
続けられました。「この年になってまあ・・・こんなにたくさんの人の温かい
気持ちに触れようとは思ってもいませんでした。素晴らしい体験をさせても
らいました」・・・また泣きたくなってしまいました。今度はとみ子さんの
温かくしなやかで強い気持ちに感動して、涙腺が破れそうになってしまった
のです。

さて5月のピースファームでの討論に話を戻します。放射能の危険性を討論
の中でこれまでにも増してきちんとつかんだみなさんと話をしたのは、とに
かく放射線測定を進めましょうということでした。「よし、百姓がそこいら
中を測ってやるべか」「凄いことになるな」なんて声も飛び出してきました。

そうして実際にこの方たちは、その後、土壌の調査などを推し進め、やがて
自ら高価な計測器を購入して市民放射線測定室を立ち上げていくことを決定
していきます。こうしてこの輪の中から、「みんなの市民放射線測定室てと
てと」と「小さき花市民の放射能測定室」が生まれました。
今回の僕の東北への旅でも、この二箇所を訪れましたが、みなさん、さらに
着実に歩みを進めておられました。この点、詳しい記事をまた書きます。


このように振り返ってみると、京都から東北への僕の関わりは、不思議な縁の
連鎖の中でつながってきました。しかも驚いたことは、行く先々の方が、度々、
古くからの知り合いを共有していたり、何かで事前につながっていたりした
ことでした。だから何か懐かしい旧友との出会いのような体験をたくさんしま
した。

そしてそこに共通に流れる思いは、もうここいらで、本当に、この世の流れを
変えていこう、人間的で温かい何か、本当の豊かさといえるものをつむぎだし
ていこうという思いでした。僕は今、どこにいっても、その思いをともに抱け
る実感、ある種の安心感のようなものを感じます。それが今、私たちの国を確
かに覆いだしていることを僕は感じます。

その意味で、「京都から東北へ」僕は「支援」や「援助」に赴いているのでは
ありません。世の中を温かい方向に向けかえる事業をともにするために赴いて
いるのです。そしてその流れを作り出すことに、一歩も二歩も進んでいるかの
地の方々に学ぶために、僕は通い続けています。今日の講演でも、僕はその
ことを訴えようと思います。お時間のある方はお越しください!

以下、22日、23日の企画を含めて、本日の企画をご紹介します。

*****************

◇1月21日 京都弁護士会館地階大ホール◇

当会の「人権救済基金制度」という法律援助事業を、もっと多くの市民に知っ
て頂くため、「第16回 法律援助を広げる市民のつどい」を開催します。
内容は以下のとおりです。制度説明や事例報告の他に、フリーライターの守田
敏也氏に「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」をテーマとした講演を
行って頂きます。また、中国琵琶親子演奏のミニコンサートも予定しています。
事前予約や参加費は不要ですので、皆さんどうぞお気軽にお越し下さい。
http://www.kyotoben.or.jp/event.cfm

● 日 時
2012年(平成24年)1月21日(土)
開場:午後1時  開演:午後1時30分

● 場 所
京都弁護士会
京都市中京区富小路通丸太町下ル

● 内 容
◆人権救済基金等についての説明
◆人権救済基金利用者からの報告
◆ミニコンサート(中国琵琶親子演奏)
◆講演 守田敏也氏 「京都から東北へ‐地震、津波、原発事故‐」

★☆★参加無料★☆★

問い合わせ
京都市弁護士会館
075-231-2378

***

いただきますカフェ

次回のカフェトークでは、内部被爆のエキスパート守田敏也さんに来ていただ
ます。とても分かりやすく放射能問題や内部被爆について話してくださる守田
さんは、東日本大震災以降、原発事故問題をおいかけ、現地に行ったり呼ばれ
た先でお話ししたりと、とても精力的に活動しておられます。気さくなお人柄
で今回私たちのカフェにも来ていただけることになりました!

福島から遠いと思っていても、食物の流通によって関西圏に住む私達も内部被
爆の危険にさらされています。そして、放射能汚染された震災ガレキの受け入
れを自治体が決定したら外部被爆の問題も・・・
また、原発銀座 若狭湾の原発が事故を起こさないと断言できますか?
琵琶湖も京都も大飯原発から80km圏内にすっぽり入ってしまいます。

放射能に関する色々な情報が錯綜する中、正しい知識で身を守りたいですね。

守田敏也(もりたとしや):
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリー
ライター。社会的共通資本の研究を進める一方、311以降は原発事故問題をおい
かけている。

日時:1月22日(日) 14:00-17:00
(14:00-15:30お話 15:30-17:00 お茶しながらの交流タイム)
場所: 京都市白川児童館横 コミュニティスペース
参加費(カンパ):投げ銭(500円ぐらい)

お問合せ:岡田喜美子 tel:090-6060-3674, mail: inokimi699@k.vodafone.ne.jp
主催:給食の安全を考える三錦父母の会

小学生以上は隣の学童、小さいお子さんは横で遊ばすことができるので、子連れ
でも参加できます♪みんなで楽しく学びましょう。
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明日に向けて(387)humanERROR100万人パレードへに参加しよう!

2012年01月20日 13時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120120 13:00)

先日、中村和雄さんと対談をしてくれた京都のロックバンド、
FRYING DUTCHMANが、「humanERROR100万人パレード」をよびか
けています。311から1年目の今年の3月11日、ないし10日に、
全国各地で、humanERRORをかけながら、一緒に反原発、脱原発
の声をあげよう、思いを重ねようとの提案です。僕も賛同しま
した。

以下のサイトに、呼びかけ文、フライヤー、参加登録フォーム
があるので、ぜひご覧ください。
http://fryingdutchman.jp/parade/

なおここには京都三条大橋下の河川敷でライブする彼らの姿も
写っています。リー君が歌っている姿が見れます。なんとも
かっこいいです。ちなみにこの場は、京都市内を歩くさまざま
なデモ・ウォークの出発点として繰り返し使われてきた場。
またさまざまな大道芸やミュージックが演じられてきた場でも
あります。三条河川敷ライブをぜひご覧ください。

以下、呼びかけ文を貼り付けます。

*************

2012.3.10( 土) ~ 3.11( 日)
「humanERROR 100万人パレード」
全世界+日本全国47 都道府県一斉決行・参加者大募集!!

FRYING DUTCHMAN は311以降、国政に対して福島原発
の収束どころか放射能汚染を助長し、被災者切り捨てとも思
われる政策に憤りを感じています。8月22日にシングル
CD「Human ERROR」をリリースし、僕達は切実な思いを訴
えてきました。youtube にアップした「Human ERROR」は
皆さんの応援のおかげで、1ヶ月に30万件を超えるアクセ
スを記録し、全国各地でこの曲が流れるようになりました。
僕達は、今、音楽の力をあらためて実感し、そして「今こそ」
みんなが一つになれるチャンスだと感じています。
この取り返しもつかない大人災が3月11日で1年を迎える
にあたり、全国的に反原発・脱原発・被災地支援等の大きな
うねりが形成されると思います。僕達は、デモに参加される
方・集会に参加される方・仲間と行動する方・家族で訴える
方・自宅で一人祈る方等、そんな全ての人々と音楽を通じて
繋がりたいと考え、「全世界+日本全国 Human ERROR10
0万人パレード」を提案したいと思います。皆さん、是非ご
参加ください。

デモを行う団体はもちろん、集会や講演会等イベントを企画
されておられる方、又はそれらに参加しないけれど、街角や
お店や車や自宅で流したり、友達と一緒に集まって聞く等誰
かと共有出来たら更に素晴らしいし、各々が独自のアイデア
を盛り込んでパレードを盛り上げてくれれば良いと思いま
す。100万人集まれば海外メディアも注目するでしょう。
その時、いったい日本のメディアはどう動くのでしょう…?
 皆で動かしましょう!

この国は国民の命よりお金や経済を優先し、この期に及んで
まだ国民を欺いて真実を隠し、東電を擁護する姿勢を崩しま
せん。大きな地震と津波による甚大な被害の後、 福島原発事
故という「人災」とも言うべき大災難が起こりました。事故
の収束も進まない状態で被災地切り捨てとも思われる政策を
とり、瓦礫拡散・食品汚染による被ばくの全国的広がりが懸
念される事態となっています。今、ひとりひとりが心を開い
て様々な情報を知りそれを精査し、「どんな意見を持つのか」
が大切です。そしてみんなが勇気をもって発信し共有し行動
する、そうして未来をしっかり形成していくことが重要だと
思います。このパレードによって「無関心」という壁を破壊
することが出来れば、僕たちはきっと日本の未来を子供たち
に繋ぐことが出来るでしょう。これがこのパレードに込める
僕たちの願いです。

今、この時代を共に生きている皆さんとの必然的な出逢いに
愛と感謝を込めて、僕たちFRYING DUTCHMAN は、皆さん
と共に、大きく立ち上がってゆこうと思います。
是非「HumanERROR100万人パレード」にご参加くださる
ようお願い申し上げます。

【参加方法】
● 3月10日、11日は全国的に様々なイベントや集いが
催されます。「Human ERROR100万人パレード」は10日
の正午より全国一斉スタートです。「 Human ERROR」を流す
ことで重なる思いをさらに多くの人々にひろげてください。
皆さんのひとりひとりがこの2日間、パレードをしているイ
メージで「Human ERROR」をかけまくって下さい。そして
安全で平和な世界と日本を願う未だ知らぬ仲間達と繋がりま
しょう。
● 僕達FRYING DUTCHMAN は3月11日(日)15:30 ~、
沖縄の「ティダノワ祭」から日本全国に向け、魂をこめて
「Human ERROR」を発信します。ユーストリームで中継され
ますので是非家族やお友達とご覧ください。この時間、世界
中の仲間達と思いをシンクロさせましょう。
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明日に向けて(386)明日21日から連続で講演会、演説会に参加します。

2012年01月20日 12時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120120 12:30)

関東・東北の旅から18日夕方に帰ってきました。途中で体調不良になり多くの
方に心配をかけてしまいました。申し訳ありません。放射能との共存時代を
どう生き抜くのか、被爆医師の肥田舜太郎さんに尋ねたときに、「腹を決め、
開きなおり、覚悟を決める。そして免疫力を最大限に高めて、病の発症と闘う
ことが肝心」というコメントをいただき、そのメッセンジャーたらんと考えて
きたので、これではいけないと猛反省しています。

そこで自分の内側のことですが、「明日に向けて」の夜以降の投稿を自粛し、
早寝早起きを習慣化し、投稿を朝にもってくること、また311以降、非常に少な
くなってしまっていたトレイルランニング(大文字山がフィールドです)を
復活させ、心身ともに健康であることをもっと明確に目的意識化して歩みを進
めたいと思います。お気遣いをいただいた方、どうもありがとうございました。


さて福島市・仙台市・気仙沼などで見てきたこと、伝えたいことがまだまだた
くさんあるのですが、先に、今後のスケジュールをお伝えしておきます。講演
では今回撮ってきた写真や動画で、最新情報をお伝えします。

1月21日京都市弁護士会館で講演。午後1時半より開演。

1月22日いただきますカフェ第2回目。北白川児童館わきのコミュニティスペー
スにて。午後2時より5時まで。

1月23日美容室ママネで講演(京都市中京区西夷川町560中島ビル1F)
午前10時半より。

1月23日夕方、風の子保育園で講演。クローズドな企画です。

1月24日京都市長選演説会で弁士として話します。午後7時よりルミノ堀川+他1箇所。

1月25日同じく市長選演説会でお話します。(詳細未定)

1月27日東京で内部被曝問題研究会立ち上げ記者会見に参加。

1月28日京都ノートルダム女子大学で講演。午後2時より。

1月29日岩倉奉賛会集会場で講演。午後1時より。

1月30日矢ヶ克馬・守田敏也との対談会でお話します。東山いきいきセンター
で午前10時半より。

1月31日京都市長選演説会で弁士として話します。午後7時より室町小学校+他1箇所。

2月4日堺町画廊冬カフェで講演。午後3時より。

・・・なお以下に案内を貼り付けたものを作ったのですが、なぜか繰り返し作業をしても
アップができません。
とりあえずこの文面だけ投稿し、あとでまた具体的な案内を掲載します。
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明日に向けて(385)吾妻連峰は限りなく美しかった(福島市を訪れて その1)

2012年01月17日 10時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120117 10:30)

昨日朝10時、新幹線で福島駅につきました。あらかじめお約束していた中里見
博さんと改札で合流しました。中里見さんは、福島大学の教員ですが、事故後
にただちに家族を避難させるとともに、ご自身は、山形に生活拠点を作り、そ
こから福島まで新幹線で通勤しています。この日も僕が東北新幹線にのってく
るのにあわせて、山形新幹線でかけつけてくださいました。

改札で中里見さんをみるときっちりとしたマスクを着用。僕ももちろん着用し
ていましたが、長身でハンサムな中里見さんの顔が隠れているのはなんだか、
もったいないなあという気がチラリとしました。でもしっかりマスクをしてい
る姿は、中里見さんの生きる姿勢の象徴でもあり、そうだよな、これがかっこ
いいんだよなとも思いなおしました。こんなことを思うのは、福島駅で、ほとん
ど誰も、マスクをしていないからです。

駅を出るとロータリーに、深田和秀さんも車を止めて待っていてくださいまし
た。深田さんは、10月に除染活動で訪れたときに、いろいろとお世話になった
方。ある方の家の屋根の除染実験で、一緒に屋根の上に上って、計測を繰り返
し、屋根の除染の難しさを二人でしみじみと感じて、屋根上で話し合った仲で
もあります。深田さんについては以下の記事でも紹介しています。

明日に向けて(346)「除染に限界痛感」・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(6)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b378b00134b23473ccd556f0e8a43dad

僕は中里見さんの車に載せていただき、さっそく市内の渡利地区へと向かい
出しました。車の中で中里見さんといろいろとお話しましたが、健康被害は何
かないですか?という質問に、「印象深いのは、6月に電気の量販店の駐車場を
緊急除染したときのことです。150マイクロシーベルト毎時の放射線の出ていた
ところです。その後に、全身が筋肉痛に襲われました」と語られました。

それでどう対処したのかというと、破傷風の可能性もあるので、すぐに病院に
言った方がいいという京都精華大学の細川弘明さんのアドバイスもあって、受
診されたそうですが、破傷風の疑いはなし。何らかの感染症ではないかとのこ
とでしたが、ウイルスなども出てこなかったそうです。結局、原因不明のまま
に、だんだん回復していったそうです。

「被曝の影響かもしれませんね」と僕。「そうかもしれないと思うんです」と
中里見さん。実際、最近、いろいろな方から、これまでの人生で味わったこと
のないような体の不調を覚えたことを耳にしており、なおかつ免疫系にダメー
ジを与え、極微量な粒子が体の中に入っても、被曝する当該箇所にとっては高
密度、高線量の被曝になる内部被曝のことを考えると、十分にその可能性が
疑われます。

「診断書もあるでしょうが、克明に記録しておくといいですよ」と僕。中里見
さんもそうしたことには自覚的で、自らを含め、こうした健康上の問題を多く
の人々がきちんと記録化していくことの必要性を語り合いました。そうこうし
ているうちに一番目の目的地へ。


ついたのはNPO法人ILセンター福島です。ここは、東北で二番目に立ち上がった
障がい者自立生活で、1996年4月にオープンしたそうです。「自立生活センター
とは、障がい当事者自らが主体となって運営し、自立生活のための様々な活動を
行う団体です」とホームページに書かれています。素敵な建物も見れるので、
ぜひ以下をご覧ください。
http://www.d5.dion.ne.jp/~s-plan21/top.htm

ここでお会いしたのは中手聖一さん。深田さんなども参加する「子どもたちを
放射能から守る福島ネットワーク代表」を勤めるなど、早くから、福島市民の
先頭にたって、放射線から子どもたち、人々を守るために奮闘されてきた方で
その中手さんが、この日は急がしい間を縫って、僕に渡利地区の案内をして下さ
ることになったのです。

ILセンターも、もともと中手さんたちが、仲間たちと廃品回収などで資金を
集めていくことなどからはじめて、苦労した末に立ち上げた拠点だそうで、
中手さんの今の活躍のバックグラウンドが一気に見えたような気がしました。
そんな中手さんたちが手塩にかけてきて育てたのであろうILセンターは、作り
からしておしゃれで、とても居心地がいい建物です。でも中にはいっても、
線量が0.6マイクロシーベルト毎時ぐらいは出ている。

もう一度外にでて、駐車場で渡利地区の概要を聞きました。渡利というのは
阿武隈川をわたってきた側という意味に由来としていること、もともとは住み
やすいところなのですが、この上を放射性ブルームが通り、雪が降って汚染
されてしまった。しかも背後にすぐに山々が迫っていて、そこの汚染が激しい
ため、市内の除染は困難を極めています。

「まずマイクロホットスポットを紹介しましょう」と中手さん。駐車場の外の
側溝にいってそこを指差しました。建物の屋根から落ちが雨水が流れてくる
ところです。「線量計があったらおいてください」という中手さんの言葉に
したがって、僕の「RADEX RD1503」をおいたら、「ああ、それじゃだめだな」
と中手さんが言う。事実、見る間にRADEXは上限値の9.99マイクロシーベルト
をさして、ピーッと警戒音を鳴らしています。

「ここはどのぐらいなんですか」と聞くと「180マイクロシーベルトぐらいで
す。立ち入り禁止にしようと思っているのですが、その前に市役所に何とか
してもらいたいと思って、連絡したのですね。でも何も対処してくれないので
す」という。「ひゃ、ひゃくはちじゅう?」思わず絶句してしまいました。
今にいたるも街中でそんな値が出ている現実、しかも障がい者自立センターの
駐車場横でそんな値が出ていることに胸が締め付けられるような気がしました。


続いて、中手さんの車に4人で乗って渡利地区を回り始めました。観光名所の
花見山、渡利小学校、焼却場と重要ポイントの3つを案内していただきました。
その詳細はまた次の通信で書きますが、この道中、とても印象的だったのは
渡利地区のどこからも、東方にある吾妻連峰が見えていることでした。雪を
かぶった吾妻連峰がとても美しい。

「どこからでも吾妻連峰がみえるんですね。きれいですね」と僕が言うと、
「そうでしょう。この季節になると、いつも町の電柱と電線を全部とっぱら
ってやりたいという気になるのですよ」と中手さん。その吾妻連峰は、福島
市に比べれば汚染は低い。その手前の谷間になる仲通りを放射性ブルームが
抜けていったからです。

だからこの美しい吾妻連峰をのぞむ、この渡利地区はどこもかしこも線量が
高い。しかも半端でなく高いのです。放射線管理区域の目安である0.6
マイクロシーベルトを各地で軽く越えてしまう。美しい吾妻連峰を眺めながら
僕はその理不尽さが納得できませんでした。こんなことがあっていいはずがない。
山々が美しければ美しいだけ、そんな思いがこみ上げてくるのでした。

・・・福島訪問記はまだ続きます。とりあえずたった今は、二つの放射線
測定室にむけて旅立ちます!

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明日に向けて(384)笠間市のこと、内部被曝問題研究会のこと

2012年01月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120116 23:30)

深く心に残る旅を続けています。1月14日、僕は笠間市を訪れました。2回目の
訪問でした。午前中に笠間芸術の森公園にいって、放射線測定会を開催。集
まった方たちと、ガイガーカウンター5台を持って、各所を測定しました。線
量は公園全体的に0.2マイクロシーベルト以上あり、特定の遊具の下や、駐車場
の壁面の下などで0.5~0.6マイクロシーベルトが計測される高い地点もみつけ
ました。

その後、午後になって近くの会場で講演会を開催。60名ぐらいの方が参加され
たでしょうか。およそ1時間少し話させてもらったのち、質疑応答に移りました
が、切れ目なく質問が続きました。それも「自分は杉の木に囲まれて暮らして
いる。こういう場では放射性物質がついているかもしれない花粉にはどう対処
したらいいか」「友人の家は、屋根からの放射線が高いようで部屋の中が0.2
マイクロシーベルト以上ある。葺き替えに助成を得られるそうだが進めるべき
きかどうか」などなど、中身の濃い具体的な話が続きました。

僕は「花粉がそんなに多く、放射性物質が付着している可能性があるのなら
せめてその時期だけでも避難してはどうか」「健康の問題から考えるなら、
葺き替えたほうがいい。でもそれを行う業者の被曝や、葺き替えたかわらが
どこにいくのかを考えると、悩ましい面もある」と答えました。とにかく
始終、会場が熱気あふれていて、とても印象に残る場でした。

その後、笠間市で、産廃問題などで長く活躍されてきた方の家にお邪魔になり
歓談しました。ここでもとても印象的な話がたくさんあったのですが、今日の
ところは割愛して次に進みます。


さて、この日の夜、僕は笠間のホテルに泊まったのですが、エアコンで暖を
とっているとのどが痛くなったため、エアコンを切って寝たところ、体がか
なり冷え切ってしまい、その日の夜から激しい下痢に襲われました。翌朝も
たっていられないほどで、なおかつ体が寒くてガタガタ震えてしまいます。
ひょっとしたら、放射線の影響ではないかという思いが頭をかすめます。

しかしこの日は脱原発国際会議での内部被曝問題研究会の会合に出ると決め
てあったので、這うようにして電車にのり、横浜に向かいました。途中で
何度もトイレに入ることに。とにかく何も食べることができず、また食べる
気にもならず、ほうほうの態で会場につきました。

午前中は、高橋博子さんと、澤田昭二さんの講演がありましたが、部屋に
入ったら物凄い熱気。僕はいすに座っているのがやっとで、途中からは
耐え切れずにフロアーにあぐらをかいてしまいましたが、なんとか講演を
拝聴しました。すでに何度か学んできている内容でしたが、多くの人たちと
こうして聞くことに意義を感じました。

その後、昼の休憩時間に矢ヶ崎さんとお会いし、お昼を誘ってくださった
のですが、とても食べれる状態になかったので、部屋に残り、体を休める
ことにしました。その後、午後になって「内部被曝なんでも相談会」がはじ
まりました。登壇したのは、澤田昭二さん(名古屋大学名誉教授)松井英介
さん(医師)大石又七(第五福竜丸元乗組員)、矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉
教授)、高橋博子(広島平和研究所)、西尾正道(北海道がんセンター院長)
という豪華メンバー。

会場からは自己体験に基づく切実な質問が相次ぎましたが、ややもすると、
これまでの「学者」総体に対する怒りが、目の前にいる方々にむけられて
しまう面も。そうしたときに、大石さんが、被爆者の立場から発言。自分も
学者はまったく信頼していない。あのビキニのことからきちんと学んでい
れば今日の事態はなかったと発言。会場は拍手に沸きました。

これをうけて澤田さんが、「僕は大石さんに信頼されている学者だと思う
のですよね」と発話。大石さんのうなずきに会場から笑いが漏れます。そ
うなのです。ここにいる方は、「御用学者」のあり方に怒りをいだき、市
民の側から科学を再構築しようとしている科学者の方たちなのです。

僕もフロアから発言しました。「問題は、放射線による被害が、急性症状と
晩発性障害の二つに二元論的に分かれてしまっていて、その間にあるのでは
ないかと思われるもの、まさに多くの人が感じている健康被害に当てはまる
ものが、放射線の影響として語られていないことになるのではないか。そう
した可能性にもっと目を向けることが必要ではないか」というのが僕の発言
の趣旨でした。

すると矢ヶ崎さんが、「科学を考える限り、あらゆる可能性を否定せず、
一つ一つを検討していくことが重要だ。その意味で、みなさんが語られてい
るいろいろなことを、可能性を否定せずに、一緒に研究していきたい」とい
う趣旨の発言で答えてくださいました。僕としてはとても納得のいく回答
でした。

さて、セッションが終わって、発言者の方々と挨拶していると、参加者の
多くの方が、声をかけてきてくださり、名刺交換することになりました。
「こども福島」から参加している方もいれば、北海道に避難している方、
産廃問題を深めている方等々、実に多彩な方でした。本当に貴重なひと時
でした。


さて、その後も僕の下痢は治らず、企画全体が終わった後に、研究会の方たち
の歓談の場があるかもとのお誘いもあったのですが、会場を後にしてホテルに
直行しました。そして部屋を暖め、いったんは寝て、少し体調を整えてから
外にでて、必要と思われる漢方薬を買ってきました。気功師の友人に電話で
治療もしてもらい、あとはひたすら寝て直すと決意。なんともいえない一晩の
格闘を経て、朝にかなりましに。コンビニで、白桃の入ったゼリーを買って
きて食べたら、おいしくて嬉しくなりました。

それで予定通り、朝、7時半にホテルをでて、福島へ。10時過ぎに福島駅に
つき、福島訪問が始まりました。ここでの出会いと体験がまた非常に濃かった
のですが、それはまた次の通信で書こうと思います。

とまれ今、僕は福島市のホテルに滞在中。旅はまだまだ続きます!



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明日に向けて(383)仙台の二つの放射線測定室を訪問します!(1月17日)

2012年01月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120113 23:30)

今日は京都と千葉県浦安市の二つの会場でお話しました。どちらも若いお母さん
たちが、子どもさんを連れてたくさん参加してくださいました。みなさん、よく
勉強されていて、詳しいデータを話してくださる方もいました。またお子さん
におっぱいをあげながら、夢中で僕のお話を聞いてくださる方もいました。たく
さんの子どもの元気な声に囲まれながら、僕はこうやってみんなで一生懸命に
何かをしていけば、必ずこの子達に明るい未来を渡すこたができる。あるいは
人間として懸命に生きていく勇気を与えることができると思いました。
今日のお話会に集まってくださったみなさん。本当にありがとうございました。

さて、明日は茨城県笠間市でお話し、あさっては横浜で脱原発国際会議に参加
しますが、その翌日17日は、宮城県の二つの放射線測定室を訪問します。
一つは「みんなの放射線測定室てとてと」です。
http://sokuteimiyagi.blog.fc2.com/
もう一つは「小さき花 市民放射能測定室」です。
http://ameblo.jp/foreston39/

僕は講演で、たびたび、消費者として放射線から身を守るために、市場で
何を買うかを考えるだけではだめだ。それだけでは追い詰められてしまう。
むしろ消費者は、安全なものを作ってくれる生産者を守るべきだと語ってい
ます。

実は僕がそのことを語るとき、いつも頭の中に思い浮かべるのは、この二つの
測定室を立ち上げた方たちなのです。なぜか。有機農家のみなさんを中心に立ち
あげてきたからです。この方たちは、311以降、早い段階で自主的に出荷を断念
した。いわゆる政府の「規制値」=本当は我慢値ですが、それよりかなり下の
ものでも、放射能という毒がついているものを自分たちは出せないと、出荷を
やめたのです。

それだけでも消費者としては本当に頭が下がります。安全なものを供給してきて
くれたこの方たちは、危険だとわかったら、出荷をとめてくれたのです。こうい
う方たちが、これまでも私たちの健康を守ってきてくれたのです。

その有機農家や周辺に住んでいるみなさんと僕がはじめてお会いしたのは5月
のときのこと。角田市のある農家でのことでした。僕が忘れられないのは、
最初に僕がみなさんが集まっているところに入っていったとき、いきなり
こう言われたことでした。「守田さん、俺らここで農業を続けていていいだ
べか」・・・。そのとき、僕は思わず「うっ」と言葉に詰まってしまった。
そうしたらみなさん、「ああ、詰まってる、詰まってる」と僕をさして、
笑われた。

こうも聞かれました。「守田さん。放射能と抗生物質とどっちがやばいだべ
か」。僕はうーんとうなって、「濃度でしょうね」と答えた。「そりゃあ、
そうだなあ」という答えが返ってきました。

結局、その日の討論で、僕が語ったのは、「何がどれだけ降っているがわか
らない。厳しいかもしれないけれど、僕にもはっきりとしたデータがない。
なのでどんどん測ることが大事です」ということでした。

そうしたらみなさん、自分の畑の土壌を専門会社に測ってもらったりし始めた。
僕が訪問する前からもすでに踏み込んでいたのですが、その中で厳しい
現実に向かい合っていかれた。そうして出てきたのが、市民放射線測定室を
立ち上げるという話でした。そうして出荷を自主的に断念した有機農家さん
たちが、カンパを集めつつ、自前で数百万もする機械を買い、測定を
開始したのです。すでに二つの測定室とも、測定器が届いて、検査を開始して
います。ともに市民に大きく門戸を開いて展開しています。

実は今回の僕の訪問にはちょっとしたミッションがあります。二つの測定室向け
に京都でカンパを託されたのです。託してくださったのは、パレスチナの朗読劇
を行った「国境なき朗読者たち」=つばめ劇団の面々です。この場でもお知らせ
したように、昨年末に3回の講演を行ったのですが、その会場で得た入場料を、
被災地支援にあてることになり、幾つかの対象の中から、僕が推薦した二つの
測定室に託してくれることになりました。この件は、17日無事、ミッションを
終了した後にまた詳しい報告をしたいと思います。


みなさんにも、ぜひこの二つの測定室の「活用」、そして支援をお願いし
たいのですが、今日は、測定室を立ち上げたある方が、どんな思いでここまで
いたったのかを紹介したいと思います。「てとてと」立ち上げに関わったある方が、
年末に親しい方に送られたメールをご本人の承諾を得て、転載しますので、どうか
お読み下さい。

メールの中で、この方は、結局、農場を去る決意をしたことを述べています。
そしてそのあとに僕が個人的にいただいたメールには、農業を辞めるとも
書かれていました。僕はこの二つのメールを読んで泣きました。
でも、てとてとも、小さき花も、打ちひしがれているばかりではありません。
希望に向けて力強く、歩みだしています。17日、僕はその息吹を取材してきます!

**************

お元気ですか?

大変ご無沙汰しております。
ブログの更新も滞ってしまい、元気なの~?と心配の声もいただきましたが、
元気(?)です。

震災から9ヶ月たちました。皆様やご家族やご友人にも大変な状況になられたた
くさんの方がいると思います。お見舞い申し上げます。

3.11日、あの地震で私たちの住んでいる古い家はつぶれもせず、薪ストーブ
で暖もとれ、やっぱり自然は偉大だなあ、ありがたいなあと思ったのもつかの間、
福島の原発が爆発しました。

手回しラジオからの情報は「今すぐ影響はありません」
ここは福島原発からから約70キロ。
何がどのくらい危険なのか、まったくわからないまま、でも、ラジオから聞こえ
てくる沿岸部の悲惨な状況に「早く早く助けてあげて」と祈るばかりでした。

電気が復旧し、ネットがつながって、いろいろな情報を得ることが出来ました。
なんといっても、放射能のこと、原発のこと、たくさん調べました。
たくさんの情報が錯綜する中、政府や東電の言っていることよりも、以前から
原発や再処理工場に警告を発していた科学者や活動家の言い分の方が説得力が
あり、政府の言っていることがまるで国民を騙しているようにしか聞こえません
でした。

3月18日、仙台から新潟まで無料バスを用意したから今はとにかく逃げたほう
がいいと、知識も行動力もあるMさんから電話をいただきました。(Mさん夫妻は
いち早く仙台を出て、全国各地のネットワークから募金を集め、仙台と新潟の
無料バスを数台手配されていました。)

しかし、仙台まで行く足がなかった。電車もバスも動いてなく、ガソリンもあり
ませんでした。また、数日後には子供の小学校の卒業式が控えており、「自分だ
け逃げるのは一生の恥だ」と言う言葉。とりあえず、動くことが出来ないし、
子供の気持ちも考えて、留まることにしました。

卒業式終了後、ガソリンも入れることが出来、春休みの間、私の実家の岩手県
一関市に向かいました。今となっては、一関市はかなり放射能が降り注いだとい
うことがわかりますが、その時はまったく情報がなかった。

とにかく、どこにどのくらい放射能が降り注いだのか、原発はどのくらいやばい
のか、正しい情報はまったくわかりませんでした。
このままここで農業をしていいのか?子供達は?自分たちにもまったくわかりま
せんでした。そして、そのことを声に上げることが「風評被害だ」といわれた
時期でもありました。

まるで、第2次世界大戦末期の日本と同じでした。(今もそうですが)
「日本は負けん。絶対に勝つ」(放射能には負けない!絶対に勝つ)
「戦争に負けるという者は非国民だ」(放射能は危ないというものは風評被害だ)
「兵隊さんがこんなに頑張っているのだから我々はまだまだ我慢が足りない」
(福島県の放射線レベルに比べたら、このくらい我慢すべき)
考え方、立場の違いから溝が生まれました。
でも、よくよく考えてみれば、誰が悪いわけでもない。

隣町の福島により近い丸森町の友人たちは爆発があってからすぐに避難しました。
今まで本当に頑張って築き上げた手作りの家、借金して買った土地を置いて・・・。

3月は夏野菜の苗を育てる、大事な時です。
暖かくなるにつれて、どんどん野菜の種まきが始まります。
1万円だして、研究機関に土壌調査もお願いしました。
確実に土壌に放射能が存在することがわかりました。
土壌中1キロあたり690ベクレルのセシウムがありました。
ここから植物にどのくらい移行するのだろう?食べられるのか、食べられないのか。
わからないからって、やめたくない。食べられるかもしれないなら、とりあえず
播きたい。

春に畑にあった、菜の花を抜き取れば、除染になるのではないか。と考え、がん
ばって抜き取って、一輪車で運び出しました。(だれも入らないであろう奥の空
き地。高レベル放射能廃棄物置き場になってしまった)

しかし、この作業をしながら、農業者が一番被爆すると感じました。
簡単に「除染」といいますが、土を吸い込みます。土が爪の間に入ります。
放射能は土や埃のまわりにくっついています。

昨年はWWOOFという有機農業や持続可能な社会に関心のある方たちのネットワーク
にホストとして登録し、有機農業に関心のある人たちをホームステイして一緒に
農作業していただきました。昨年は日本、フランス、アメリカ、オランダ、オー
ストラリア、香港、台湾、から10人受け入れしました。
また、角田に来てから5年間、毎月、農的暮らしをテーマにワークショップも行
い、小さな子供たちもたくさん来てくれました。

一緒に土まみれになって、大地からのエネルギーをいただくことが喜びでした。
でも、これから子供を生む可能性のある人たちに今の状況でここで一緒に作業を
することは、自分にはできません。

宮城県南部の有機農業をやってる仲間と、東電や行政に細かな検査体制を求める
ために要望書を提出しました。しかし、まったく動きがありませんでした。そこ
で、その仲間たちと「みんなの放射能測定室てとてと」を立ち上げました。
この地で有機農業を何十年もやってきた北村さんや三田さんなど、本当に精力的
に動いてくださりました。私は、同じ価値観の人の側にいたい・・・というだけ
で、あまり何もできませんでしたが・・・。

「てとてと」は11月にオープンし、測定を重ねるにつれて、傾向がわかってき
ました。
粘土質の畑からの野菜からは意外なほど、放射能の移行は少ないのだなというこ
とがわかりました。
ベラルーシ製のAT1320という測定器はセシウム134セシウム137それぞ
れ検出限界10ベクレルです。10ベクレル以上のセシウムが出る野菜はほとん
どありません。土壌の資質が大きく関係しているようで、粘土質だと放射能が
土にキャッチされ、そのまま動かずにそこにいてくれるようです。同じ空間線量
でも砂地と粘土では、放射能の植物への移行係数が違うようです。このあたりは
粘土質の土壌が多いので、それも関係しているようです。

野生に近いもの、たけのこ、いのしし、山のきのこ、柿、お茶、栗、イチジク、
キウイ、などはセシウム検出されました。(10ベクレル以上は確実に測定さ
れます)

野生に近いものが放射能をたくさんつかんでくれました。人工的なハウス栽培や
水耕栽培が安全?
どっちにしろ、人間は弱くなっていくんだな、もう人間は地球にとっては必要な
いものなんだ。人間は地球から拒絶されたようなメッセージを受け取ってしまい、
かなりへこんでいました。

そのことを測定室のてとてとの仲間に愚痴ったら
「それでも生きていくんだよ」
「このままではいけないっていうメッセージで、変わるチャンスなんだよ」と。

しかも、Kさんは「米のとぎ汁乳酸菌で作った豆乳ヨーグルトを奥さんがこっそ
りいろんな料理にいれるからか、3.11よりも体調がいいんだ!」とのこと。
やっぱり微生物だ!発酵食品だ!
もう、俄然元気が出てきました。
それでも生きていく!って。

でも、ここでの農業はやめることにしました。
薪の灰から1キロ当たり2万ベクレルのセシウムが検出されまいた。

循環する暮らしをしたくて、少しでも、石油や電気に頼らないエネルギーの自給
をしたくての薪風呂、薪ストーブ生活でしたが、煙を吸い込むことが危険です。
今まで、灰は畑の肥料として田畑に撒いての循環する生活でしたが、放射能も
一緒に循環してしまう。

年度が替わるのを機に仙台あたりに引っ越すことを考えています。
これからまた町の中で循環する暮らしをするにはどうしたら良いのか。
やはり、土のある暮らしがしたいです。

原子力発電所や再処理工場が立地されるのは、仕事がない過疎地。
原発が建つことで、補助金が自治体に支払われ、原発関係の仕事が生まれる。
原発を立地しないたいためには、原発以外の仕事が必要で、だからこそ、
農業だ!地産地消で有機農業を中心とした産業が育つことが原発を地元に招か
ないことにつながる!と信じていました。

しかし、今、敗北感を感じています。

また、原発を卒業するために、自分に出来ることはなんだろう。
そんなことを考えています。

2011年12月






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明日に向けて(382)13日、浦安でお話します。その後、関東・東北を周ります!

2012年01月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20110112 23:30)

明日13日は、午前中に京都でお話しますが、その後、千葉県の浦安市に伺う
ことになりました。案内を貼り付けますので、ご覧ください。

なお13日浦安に続き、14日は茨城県笠間市でお話させていただき、15日に
横浜の反原発国際会議での「内部被曝研 講演となんでも質問会」に参加。
16日に福島市を訪問します。17日に宮城県の二つの放射線測定室を訪問し、
18日早朝に気仙沼湾を取材してから京都に戻る予定です。

行く先々で多くのみなさまにお世話になります。どうかよろしくお願いします!

以下、浦安での企画の案内です。

********************

みなさん、こんにちは。

大変急ですが、今週金曜日午後6時からブログ「明日に向けて」でいつも大
切な記事を発信してくださっている守田敏也さんのお話会を開催します。

守田さんが上京する機会に、ここ浦安にもちょっと立ち寄ってくださるとの
ことで、秋からずっと機会を狙っていましたが、ここに晴れて実現すること
となりました。

守田さんはこのたび肥田舜太郎さん名誉会長を筆頭に立ち上がったばかりの
「内部被爆研究会」の呼びかけ人にもなっていらっしゃいます。

もう放射能が降ったことは誰も否定できません。

私たちの望みは、その中にあっても前向きに健康に生き続けることです。

たくさんの疑問や不安をなんでもいいから出し合って、一つでも意義のある
情報を持ち帰っていただければと思います。

食べ物や飲み物の持ち込みも自由です。車じゃない方はお酒も可。
ただし飲食は会の後半19時半ごろ以降を予定しています。
質疑応答などを、食べたり飲んだりしながら、気軽にわいわい行え
みなさんの本音がたくさん出てくるといいなあと目論んでおります。

森沢典子

■■■ 守田敏也と話そう ■■■

~どうして怖いの?内部被爆
     何が出来る?放射能汚染の時代を生きる私たち~

●日時 1月13日(金)17時半開場 18時開始  

●場所 入船北東合同集会所(1階洋室)

千葉県浦安市入船6丁目5-1
JR京葉線 新浦安駅下車徒歩6分(下記の地図参照ください)
ダイエー横、シンボルロードを総合公園方面に向かい
入船保育園を左折、次の信号左手の二階建て建物です

●参加費 投げ銭制(聞いた分だけ、感じた分だけ、感謝の分だけカンパ)

●お子さん連れの参加OK

保育はありませんが、隣で折り紙したり絵を描いたり、何か軽食を
食べさせてあげたりしながらご参加いただいて構いません。

あんまり騒いでしまう場合はお子様にとっても、会の運営にも
負担がかかってしまいますので、保護者の方が様子を見ながら
お子さんに無理のないように、途中退室もお気軽になさってくださいね。



~~~守田敏也さんプロフィール~~~

1959年生まれ。京都市在住。京都精華大学AO室入学前教育担当・
「みんなの滋賀新聞」編集局・同志社大学社会的共通資本研究
センター客員フェローなどを経て、現在フリーライターとして取材活動を
続けながら、社会的共通資本に関する研究を進めている。

ナラ枯れ問題(山里のナラ類がカシノナガキクイムシの害で激しく
枯れていく問題)に深く関わり、京都大文字山での害虫防除なども実施。
平和を訴えるピースウォーク京都の活動に参加し、アフガン援助を続ける
ペシャワール会を支えるとともに、旧日本軍性奴隷問題(いわゆる慰安婦問題)
にも関わり、被害女性との交流を深めてきた。原子力政策に関しても独自の
研究と批判活動を展開し、原発事故の恐ろしさを訴えてきた。

 3.11以降は、連日、ブログ「明日に向けて」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011
を通じて原発情報を発信。
各地で講演を行いつつ、放射線被曝の恐ろしさを明らかにし、防護を
訴えている。被災地に自転車を送るプロジェクトを担いつつ、三陸海岸
の各都市を訪問・取材し、その現状を広く伝え続けてきた。10月からは
福島における放射能除染プロジェクトにも参加。宮城県南部での市民
放射能測定室の立ち上げにも関わっている。

【明日に向けて】
被爆医師、肥田舜太郎さんが語る内部被爆の脅威
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3a83b4c78012ad806f3d59f636afbf5b

入船北東合同集会所地図
http://www.mapion.co.jp/m/35.647675_139.9211444_8/v=m2:%E6%B5%A6%E5%AE%89%E5%B8%82%E5%BD%B9%E6%89%80%E5%85%A5%E8%88%B9%E6%9D%B1%E3%83%BB%E5%8C%97%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E5%90%88%E5%90%8C%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E9%9B%86%E4%BC%9A%E6%89%80/




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明日に向けて(381)世界から日本を見たFryingDutchman、今、若者をこう思う・・・。(対談2)

2012年01月12日 01時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20120112 01:00)

FryingDutchmanと中村和雄さんの対談、2回目をお届けします。今回は後から
このバンドに飛び込んだ、一番若いタイガくんの思い、海外公演の中で見え
てきた日本の姿、今の若者の姿をどう思うか、思うところを存分に述べて
もらっています。

「FryingDutchmanに飛び込んだタイガくんの思い」「日本を離れて見る日本」
「バーチャルな世代」「若い世代は変化しているのか?」という章にわけ
ました。

なおこのパートの文字起こしは、「中村和雄さんを市長にしよう!勝手連」の
神門佐千子さんが担当してくださり、守田の責任で編集しました。
加門さん、ありがとうございました!

****************

世界から日本を見たFryingDutchman、今、若者をこう思う・・・。
フライングダッチマン・中村和雄対談・・・その2
http://for-kyoto.net/video/fryingdutchman2.html
全体のダイジェスト版(4分)は下をクリック
http://www.youtube.com/watch?v=yJPLoktpB3M

FryingDutchmanに飛び込んだタイガくんの思い

守田)タイガくんは最初に聞いてどうでしたか?
タイガ) 僕は関心のない若い世代の代表だという感覚があるのですけれど、
リーさんから初めてそういう問題を聞いて、すぐには信じられへんかった、
というか、僕自身も興味あることだけに突き進むタイプなので、いつも音楽
に夢中なだけやったんで、あまりそちらの方へ向いていかへんかったんです。
 そやけど、human ERRORの元々のネタとなった文章を、周りの友だちなり家
族なりに見せて、すごいことが書いてあるなって反応が返ってきて、そうい
う風に絡んでいく中で自分でも度々読み返していました。
 そうこうするうちに311になって、まさしく言うたはった通りになってる
し、言うたはった通りとどころか、こうしてあらためてたくさんの有識者の
人たちと話してたら、悔しいってみんな言うてはるし、負けたって言うては
るし、ほんとうに、わーっと思いました。今でも僕はライブしながら、自分に
も言葉が刺さってくるのですよね。自分でも一リスナーとして、一緒にやりな
がら、それを音に混ぜる気持ちでやっている節がありますね。

リー)どう思うんっすか。(笑)
タイガ)さっきから言ってたのですが、「寝てる場合じゃねえんだよ」ってあ
って。寝坊助なので、僕。わーっと思って。(笑)
リー)本当に寝坊助なんですよ。僕は1年ぐらい、彼の目覚まし時計になってる
んです。だから、too late なんです。
守田) ああ、それでtoo lateなんだ。
コータ) いつも遅れるから。
リー) バイト先の店長から世界最強の目覚まし時計を買うてもろて、それで
も起きんやつなんで。

守田) でも彼は、実際はFrying Dutchmanの救世主なんですよ。彼らが海外
公演を決めた時に、なんと突然ドラマーの人が辞めると言い出した。公演も決
まっているのに。そんなんやめてくれんなやとなったのだけれど、辞めてし
まって、それで、ドラマーを応募したら、19歳で彼が出てきてたのです。それ
で入って2ヶ月後に海外公演に。大冒険。
中村) 良かったね。
タイガ) もう、まず、そのメンバー募集という張り紙が、楽器屋さんなり練
習スタジオなり、ライブハウスなりにあって。僕は昔からいろいろな人と繋が
るのが好きで、そういうのを活用していたのですね。そうしたらライブの写真
があって、イスラエルから入って、オランダに抜けてとか書いてあるし。しか
も誰も連絡先の紙をちぎってなくて「うわーチャンスや。俺しかいいひん」と
思って、ピット切って、電話したのです。
中村) そのときは遅れてこなかった?
タイガ) それも(バイクが)ガス欠になって、その時、彼(リーくん)も携
帯を持っていなかったので、連絡が取れへんかって、とかありました。(笑)

日本を離れて見る日本

守田) 最初に行ったのがイスラエルですか?
タイガ) そうですね。イギリスとイスラエルです。
リー) そうやね。オープニングはイスラエルから。
中村) それはやはり、ああいう国を回って訴えたいというか、コンサートを
したいという思いがあったのですか?
リー) ええ。昔から世界中を飛び回って、世界中の人と一緒に音をだして、
分かち合っていくんが、人生の醍醐味やと思っているから、そのスタイルは変
わらないですね。個人的に、いろいろと旅したりするのも好きやし。
中村) やっぱり違いますか?回っていてどうですか?
リー) 全然違いますね。
中村) その経験は、帰ってきてこちらで活動する時に、身に付いてますか?
リー) そうですね。身に付いてますし、いろいろな国の考え方があるから、
外に出ると日本のええところも見えるし、音も聞こえたりするし。
中村) 原発問題もそうなんですよね。ドイツでああいうふうにもうやらない
と決めて、張本人の、事故を起こした日本がいつまでたっても決断できない。
情けないと思うけどね。まあでも今からだから、決してあきらめる必要はない
けれど。
リー) そうですね。
中村) これから本当にどうやってみんなで止めていくか。その意味でもあな
たたちはすごく大きな力になっているし、もっともっとがんばってもらいたい。
守田) 彼らとさっき話していたのですが、ヨーロッパとかイスラエルとか、
ものすごく乗りがいいらしいです。その場を楽しもうという力に長けている人
たちだと彼らは言っていましたけれど、そういうパワーがあってね、ああいう
国で、こういうことが起こったら、もっと大騒ぎになっているはずだ。日本は
おとなしいねって言ってましたよね。

リー) 外国に出るといつも思うんですけれど、ヨーロッパの人たちは、大人
なんですよね。いい意味で子どもで。
中村) ヨーロッパの大人の人たちがいい意味の子ども?
リー) ヨーロッパの人たちは、若者でもしっかりと自分の中で考えて、人と
コミュニケーションをとって自分を確立していくというスタイルがあります。
日本の人は、人とちょっと距離を置いて、自分のスタイルを確立していくとい
うか、人と距離があるのですよね。そういうことを感じます。日本からちょっ
と韓国へ出ても、全然、人が違うというか。閉鎖的なんですよね、日本は。
感情を出さへんようになってるし。他所の国にいるとそこを感じますよね。
外国人も嘘をつくし、悪い人は何人であっても悪いのですけれど、何というか、
人のエネルギーというか、そこが違いますね。

バーチャルな世代

コータ) まず携帯とパソコンをし過ぎですよね。僕らの世代はスーパーファ
ミコンの世代なんですけど、僕もファミコンを狂ったようにしていましたね。
自分も含めてバーチャルな世界に入り過ぎなんですよ。
タイガ) 僕の世代は特に現実味がないですね。事件に対して。
守田) 現実味がない?
タイガ) 現実味がないです。
コータ) 過言じゃないね。テレビの中のできごととしか、としかというわけ
だけではないやろうけれども、そのレベルでしか感じてへんのかなあ、捉えら
れへんのかな、みたいな人が多いですね、やっぱり。
中村) 難しくなってしまっているね。湾岸戦争の時に、戦争をやっているこ
とを、テレビでみんな見ていたでしょう。いわゆるバーチャルな、戦争物語だ
とかテレビだとかゲームと同じ感覚で、現実に起きているあの戦争を見ていた
のだよね。だから何か凄く不思議な世界ですよね。
リー) 自分もその一人なのですよね。
タイガ) 時が経ったら、すぐに薄れますしね。どっかの殺人事件で、残酷
やったとちょっと目をひいて悲しんで、それで終わりという節があると感じら
れてしまいます。
中村 大切なのは、どうやって共感を持ったり、人の痛みとかを理解して、感
じ続けられるかということだと思うのだよね。同じような、似たような思いが
あれば共感するし、全然違う分野でも自分のこととして感じられになっていく
と思うのだよね。そういう機会が昔に比べると少なくなってきているのかなあ
という気がするのですけどね。

守田) コータくんは、そこからどうやって出てきたのですか?バーチャルな
世界から。
タイガ) そんなにバーチャルではないですよ。(笑)
コータ) うーん。音楽ですかねえ。やっぱり。(笑)
守田) ああ、音楽ね。
コータ) いや、自分もその中に今もいるところはありますよ。自分のテンシ
ョンが、「よっしゃ、やってやる」みたいになっている時とかは、たとえば、
リーくんがさっき言ってましたけど、銭湯でとなりになった人とかに「どう思
う?」とか話しかけたり、できるだけ無差別的に語りかけて・・・。
守田) (中村さんに)銭湯で大きな声で、周りに聞こえるようにしゃべるそ
うです。(笑)
リー) 定食屋で定食を食うてても、テレビ見てて、悪い政治家とか映ったら、
「ああ、こいつ悪いやつや〜」って。(笑)それで友達とそいつについて、ぶ
わーっと、みんなに聞こえるようにやりやったりとかね。「みなさん、どう
思います~?」って。
コータ) ・・・というような感じになっているときもあるんですけれど、時
にはコタツにくるまって、ピコピコ、ピコピコ携帯でツイッターして、という
時もあります。

若い世代は変化しているのか?

中村) やっぱりどうかな?311の後に、若い人たちが変わったというよう
な思いはありますか?
リー) 活動を通して、今まで伝えようとしてきて、親しい家族もそうやし、
すごい近くにいる友達とかにもなかなか伝わらへんかったんですけれど、それ
がまあだんだんとここまできたし。僕らが叫んでも過去は取り戻せへん状態
ですけど。もちろん、にもかかわらず関心のない人もいるんですけど、その
なかでも徐々に、分かってきてくれているという実感はありますね。だんだん
痛みを感じてはる、プロパガンダの麻酔が切れてきた・・・。
中村) 派遣村の活動をずっとやってきて、学生とか若い人が5年ぐらい前か
らだいぶん変わってきているなという気がしているのですよ。貧困だとかいろ
いろなことが自分の思いにもなってきたというのかな。それまで何となく暮ら
していったら何とかなるだろうと思ってきたのが、そういう世代ではなく
なってきている。自分が政治に興味を持っていかなくてはいけない、自分が発
言していかなくてはいけないという人たちが増えてきていると思うのですよね。

コータ) それは僕もうっすらと感じますね。ちょうど僕と彼(タイガくん)
は5、6歳違います。それで僕が、"humanERROR"のCDの関心を広めるべく、夜な
夜な、バーとか店を営業に回るのですけれども、そんな時に話す機会がある
じゃないですか。CDをまず店でかけてもらって「これどう思う?」とか。い
ろいろな世代と話すのですけれども、22歳ぐらいとか、大学4回生ぐらいの人
の方が、自分の世代、周りの友達とかよりも、まだしっかり考えてくれるし、
聞いてくれるし、返ってくるしという印象はありますね。
 僕の近親憎悪かもしれませんけれども。自分の世代、自分の周りはひどいな
という気がありますね。一番、諦め感を植えつけられてるみたいな。友達に
おうても、「お前相変わらず熱いなあ」みたいな、「がんばれよ」みたいな感
じで。「いや、お前もがんばれよ」と返してますけれども。

タイガ) 僕の世代はもっと無関心ですね。
中村) 無関心?
タイガ) たぶん、コータくんの世代は、年取ったときにもう少し世の中のこ
とが見えてきて、でも自分のしがらみとかの中で生きているし、結構知りつつ
も、他人事の節がある世代やと思うのですが、僕らは・・・。
コータ) 僕と意見くい違ってるやん。(笑)僕は君の世代の方がまだ関心が
あると言ってんねんで。
タイガ) 僕の周りはという話ですよ。僕の周りは関心ないです。
コータ)自分の友達とかか。ああ。
リー) 若い分、頭は柔らかいと。
タイガ)でもプラマイゼロですね。どっちにも流れる可能性がすごい高いです。
だからこそどうしたら伝わるのかなあと、さっきもみんなで話していたので
すけれど。

続く
コメント
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