明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1090)安倍首相は戦争には相手がいることが分かっていない。-志位さんとの論戦を観て

2015年05月30日 14時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150530 14:00)(20150602 21:20小原さんの修正を反映)

映画監督鎌仲ひとみさんのマネージャー、小原美由紀さんが、ご自身のFacebookに安保法制をめぐる論戦の重要でわかりやすいポイントを書き起こして下さいました。
「兵站」をめぐる共産党委員長志位さんと安倍首相とのやりとりです。志位さんがとても鋭い指摘を行っています。今、行われようとしている自衛隊の派兵の実態を鮮明に浮かび上がらせる指摘です。

早速、自分のFacebookページのタイムラインにも紹介しましたが、「明日に向けて」でもご紹介したいと思い、転載することにしました。何はともあれ小原さんのコメントと書き起こしをご覧下さい。
なお以下のページからの転載です。
https://www.facebook.com/miyuki.kohara.7?pnref=story

*****

『俺別に共産党に特に肩入れないし、むしろあんまり近づきたくないぐらい思ってるけど、今日の国会答弁の志位さんの力強さったらもう涙でるてか、人居なくて国会見てたら叫びそうなぐらい素晴らしい。総理は議論が出来てない。』
とか
『国会中継みながら悔し泣き。戦争法案が通りそうだから泣いてるんじゃない。こんなに重要な法案をこんなにとんちんかんなうわっつらの言葉でごまかして平気な顔してる人間を、みなが結果的に放置して好きなようにさせてることに絶望するわ…。』

とか、大事な人たちがつぶやいてるもんだから、
私ったら、私ったら、
<一部だけ、書き起こしました>

後方支援= 兵站 ・・へいたん・・(ロジスティックス)

新ガイドラインでも、全部「ロジスティックス」になっています。前方とか
後方とかという概念はありません。(後方支援と言ってるのは、日本だけ)

~~~~~~

<志位議員>

これは、米海兵隊がつくった「海兵隊教本」でございます。
現在使われているものであります。

「兵站はいかに重要か。
 兵站は軍事作戦のいかなる実施の試みに置いても不可欠な部分である。
 兵站なしには計画的で組織的な活動としての戦争は不可能である。
 兵站なしには、部隊は戦場にたどり着けない。
 兵站がなければ、武器は弾薬なしになり、装備は故障し、動かないままとなり、病人や傷病兵は治療のないままになり、前線部隊は食料や避難所や医療なしに過ごさなければならない。」

兵站の重要性について 非常にわかりやすく書かれています。

次にですね「兵站と戦争」、という項があります

「兵站は戦争の一機能であるがゆえに兵站システムとそのシステムを作動させる部隊および要員は、暴力および危険の対象となる。
兵站の部隊、設備、施設は、軍事攻撃の格好の目標であることを認識することが重要である。」

先ほど総理はですね、
「兵站は安全なところでやるのが常識なんだ」と言われましたが、
しかし、海兵隊教本には別のことが書いてあるんですよ。

戦闘部隊はいろんなところに動ける。だから柔軟性がある。
兵站というのは計画的に動かなくてはいけない。より、軍事攻撃の格好の目標になる。
軍事の常識がはっきり述べられています。

そして、結論です。

「兵站は戦争と一体不可分である。兵站が軍事行為の不可欠の一部である
兵站は、いかなる、すべての戦争の中心構成要素である。」

非常に明瞭であります。

総理に伺います。総理は昨日本会議での私の質問に関して
「我が国が行う後方支援は他国の武力の行使と一体化しないように行うものである。このようなことから、武力行使と一体不可分であるというご指摘は当たりません」
と答弁されました。

総理がなんと言おうと、自衛隊が支援する米軍が

「兵站は武力行使と一体不可分であり、兵站が戦闘行為の不可欠の一部であり、兵站は、戦争の中心構成要素だ」、ここまでいっているんですよ。

相手はこういってるんですよ。
これが兵站の本質ではないですか?

<安倍総理>

たしかにですね 今、志位委員がご紹介されたように兵站というのは重要なんですよ。
重要だからこそ、安全を確保しなければいけない。

つまり、兵站の安全が確保できないようなであれば、作戦行動は成り立たないわけなんです。
ですから、われわれが支援するのは、しっかりと兵站の安全が確保されている場所において、いわば後方支援をするわけであります。

食料等々を届けていく。攻撃されて奪われてしまったら、相手に渡るわけですから。だからこそですね
また、後方支援をしている間は攻撃に対しては脆弱である、という考え方のもとに しかし、これもちゃんと、安全を確保しましょう、という考え方でもあるんだろうと思いますよ。

えー、後方支援に際しては危険を回避し、安全を確保することは当然でありまして むしろ、軍事的に合理性があると、思います。

これは同時に、後方支援を充分に行うためにも、ま、必要なことでありまして危険な、まさに、場所にですね、物資をたくさん届けるというのは敵に届けてしまうようなことになってしまうわけでありますから、
そういうところで、いわば後方支援をしないということは、むしろ常識であるということは、繰り返し申し上げてきたわけですが、あえてまた繰り返し 申し上げたいと思うわけであります。

先ほど来、答弁させていただいていますように、戦闘現場ではない場所、そして安全を十分に確保できるということについてですね、 
しっかりと見極めながら活動をおこなっていくことに、区域を設定していくことになるわけであります。

<志位議員>

総理はね、これだけ議論したのにまた、同じ事を繰り返す。
 「安全を確保します」、と。

しかしね、議論してきたじゃないですか。
これまで「非戦闘地域」でしかやっていけないという歯止めがあった、これを廃止する。
戦闘現場でなければ。これまで政府が戦闘地域と呼んで行ったところまで自衛隊が出かけて活動することになる。
攻撃される可能性がある。これをお認めになりました。
攻撃されたら武器の使用をする。これもお認めになりました。
戦闘になるんじゃないかということを私は提起してまいりました。

まさにこれ 議論を通じて、自衛隊のやる後方支援は、戦闘になるということがはっきりしました。
これがこの議論の到達点なんですよ。

そしてですね、兵站というのは、いま、海兵隊の教本を示しましたが、
戦争行為の不可欠の一部であり武力の行使と一体不可分のものです。だから軍事攻撃の目標にされる。
これが世界の常識であり、軍事の常識です。
武力の行使と一体でない後方支援など世界でおよそ、通用するものではありません。

なお、1986年のニカラグア事件に関する国際司法裁判所の判決は兵器または兵站もしくはその他の支援の供与について、
 「武力による威嚇、または武力の行使」とみなされることもありうる、と書いている。
あらゆる兵站がすべて武力の行使でなないということがありえないということは国際司法裁判所も明記していることであります。

しかもこれまでは「非戦闘地域に限る」「弾薬を運ばない」とか言う歯止めがありましたが、今回の法案は外してしまっているではないですか。

武力の行使と一体ではない「後方支援」というごまかしは、いよいよ通用するものではありません。

今日の質疑を通じて政府の法案が 武力の行使を禁止した憲法九条一項に反する違憲立法であることは、明瞭になったと思います。

絶対に、認めるわけにはまいりません。

***

▼動画はこちら

=========

戦争法案 志位和夫議員の質問

https://www.youtube.com/watch?v=0AxtxAeVc3c&feature=youtu.be


*****

小原さんの投稿の転載は以上ですが、ここでの志位共産党委員長と安倍首相のやりとりにはかなり深い意味があったと思います。
読んでみれば誰にも分かるように、安倍首相が「兵站=ロジスティクス」と戦争ないし戦闘とは分けることにはあまりに無理があります。
なにせ安倍首相が、これから積極的に自衛隊を随伴させようとしている米軍自身が兵站と戦争の一体性を強調しているのですから。この点を的確についた志位さんの質問は秀逸です。

にもかかわらず安倍首相は同じ答弁を繰り返す。
志位さんは「総理はね、これだけ議論したのにまた、同じ事を繰り返す。「安全を確保します」、と」と慨嘆していますが、この安倍首相の返答の仕方にはこの方の思考パターンが非常によく表れてます。
返答と言うより、相手が話している論点にまったく応じず、自論だけを繰り返す。絶対に言い負けないための「戦略」でもあるのでしょうが、僕は安倍首相の他者に対する「対応不能性」が表れている「答弁」だとも思います。

実はこの点は、昨年の集団的自衛権論議から一貫していることです。
安倍首相は、自分が想定した世界に基づいてしか相手と会話しない。「その想定は現実と食い違っているのではないか」と批判されると必ず「そういう言い方こそ現実と食い違っている」とか反論する。
いや反論になってないのです。相手の指摘に「こうこうこのように食い違っていない」とは絶対に答えないで、何を言われようが自論を繰り返すだけなのですが、僕はこの方はおそらくこれしかできないのだと思います。

こうした安倍首相の傾向について、1年近く前に以下にまとめたのでご参照ください。

 明日に向けて(882)安倍首相の考え方の中にこそ戦争拡大の芽が孕まれている!(首相会見を批判する)
 2014年7月3日
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3f91aa119f5837c8bc0720a4135c6b05

さて今回の志位さんへの返答には、日本のかつての侵略戦争への反省をまったく口にしない、安倍首相の「大日本帝国」への強い郷愁、過去の賛美すらもがにじみ出ていると思いました。
というのは旧日本軍は、まさにこの兵站部門が非常に弱く、戦闘地域に食糧すら届かないことがしばしばでした。このため戦死した兵のうち過半は餓死してしまったのでした。
この点は「兵站の軽視」とも、軽視ではなかったのだけれども能力が著しく欠けていたなどとも論議されている点ですが、ともあれ、旧日本軍は弾薬だけでなく食糧などの基礎的物資の補給力が非常に弱かったのでした。

食糧もなしに現地でどう戦うのか。多用されたのは「現地調達」でした。なんのことはない、略奪に走ったのでした。このことが旧日本軍の侵略のあり方をより酷いものにし、アジア民衆の抵抗をより強いものとしました。
ところが日本の過去の反省を頑なに拒み、大日本帝国を美化する安倍首相にはこうした「敗戦から学ぶ」姿勢がまったくありません。
端的に太平洋戦争において、アメリカ軍にもともと脆弱だった兵站部門を徹底的に叩かれ、物資供給ができなくなって各地で戦闘部隊が孤立し、最後には「玉砕」などで滅亡していった酷くて悲しい戦史の捉え返しもまったくないのです。

そのためにこんな言葉が出てくるのです。
 「たしかに今、志位委員がご紹介されたように兵站というのは重要ですよ。だからこそ、安全を確保しなければいけない。
 兵站の安全が確保できないような場所であれば作戦行動は成り立たない。兵站の安全が確保されている場所において、後方支援をするわけであります。」

「兵站の安全が確保できないような場所であれば作戦行動は成り立たない」と語る安倍首相には「我が軍」しか見えていない。いやそもそもこの方は自分に都合の悪いことは一切、見ようとしないから、常に「相手」が見えない。
しかし現実の戦争に参加すれば当然にも「敵軍」が生じるわけです。その敵軍の立場から見たらどうなるのか。「兵站の安全を奪えば、作戦行動は成り立たない」わけですから、そこは当然にも重要な攻撃目標になるのです。
いや実際に太平洋戦争では、徹底的にこの点をアメリカ軍に叩かれたのです。アメリカはまずは制海権、制空権を奪い、日本の輸送船団を徹底攻撃し、太平洋各地の戦闘部隊を脆弱化していったのです。だから多くの兵士たちは餓死したのです。

その意味で志位さんが掲げたアメリカ軍のマニュアルは、もともと第二次世界大戦において旧日本軍を壊滅させる中で高められてきたものでもあります。
繰り返しますが、兵站つぶしは旧日本軍がかつて徹底して米軍にやられたことなのです。安倍首相は歴史にまったく学ばないから、太平洋戦争を振り返るだけでもあまりの愚かさが指摘できるような言動を繰り返す。過去に学ばない愚かな人物の典型です。
問題はこの方をよりましな方と変えることのできない自民党の惨状です。僕は間違いなく現在の自民党政権は戦後最弱だと思います。最弱だから最も暴力的なのです。

歪められた選挙制度のもとでの議席数に騙されてはいけません。そんなもの、国会外の行動で幾らでも覆せます。
かつてこの国を戦前のような軍国主義に向かわせようとした安倍首相の崇拝するA級戦犯・岸信介元首相を倒したのも、国会を取り巻いた何十万の人々のデモでした。民衆の力の高まりこそが軍国主義の道を阻み、私たちに平和をもたらしてくれたのです。
今も同じ力を発揮する必要がある。そのためにも国会論戦をさらにきちんと把握し、安倍首相と与党のあまりに愚かな「戦争観」に対する批判を広めていきましょう。

秀逸な質問をしてくださった志位さん、いち早く文字起こしをして拡散してくださった小原さんに感謝します!

 

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明日に向けて(1089)放射線の「透過力」を考察する・・・内部被曝の危険性をつかむために(下)

2015年05月29日 09時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150529 09:30)

一昨日の続きです。(上)の内容をしっかりと頭に入れてはじめて外部被曝と内部被曝の違いが見えてきます。
外部被曝は人体の外から放射線に当たることですが、α線は空気中で40ミリしか飛ばないし、紙一枚で隔てられてもその紙を激しく分子切断してそこで止まっているので、滅多なことでは外部被曝しません。
β線の場合は、ものによって違うもののセシウムの場合だと1メートルは飛ぶので、地面に近いところでは外部被曝します。一番、被曝しやすいのは足の裏です。足の筋肉などもに当たります。しかしその場合も最大で1センチぐらいしか入ってきません。

このため外部被曝でもっぱら当たるのはγ線だと言えます。β線の場合、足への被曝や地面にしゃがみ込んだときの生殖器への被曝の危険性などは無視できませんが、しかし他の臓器で考えると外部被曝することはまれです。
γ線は身体の内部のどこにでも当たります。空気中でも長い距離を飛ぶし、遮蔽物もすり抜けてしまうことが多いので、どこから飛んで来てもあたりやすい。
これに対して内部被曝は、これらの放射線を出すもとである放射能を体内に入れてしまうのですから、すべての放射線に当たります。

しかもα線やβ線はすべてのエネルギーを身体の中で使い果たします。α線は40マイクロメートルの球状に放射され、その部分で激しく分子切断を行います。被曝のあり方がきわめて集中しています。
β線の場合も約1センチの球状に放射され、α線ほどではないものの、激しい分子切断を行います。この場合も身体の外までは出てくることがなく、外から測ることはできません。
γ線も球状に放射されますが、繰り返し述べてきたように体内でエネルギーを使い果たさないので外にまで出てきます。ちなみにこれを外でキャッチして、人体内部にある放射能の量を類推するのが「ホールボディカウンター」です。

このため同じ量の放射線微粒子からの被曝では内部被曝の方が圧倒的に危険であることが分かると思います。外側からだとγ線が主に当たることに対して内側からだとα線、β線、γ線のどれにもあたるからです。
ちなみにこの3種類の放射線を同時に出すものはなくて、α線とγ線、β線とγ線という組み合わせが多いですが、いずれにせよ内部被曝の方がずっとあたりやすいことは明白です。
さらにγ線をみてもやはり放射状=球状に発せられるわけですから、外からあたる場合はその一部に被曝するのに対して、内側からはすべてに被曝することになります。同一量の微粒子からのγ線の被曝量も内側からの方が圧倒的に多くなるのです。

重要なのはこの先です。外部被曝と内部被曝では人体への当たり方の具体性も違うということです。
外側から飛んでくる主にγ線にあたる外部被曝では、放射線に晒された部分に均等に当たります。そのため被曝のあり方はまばらになります。ところが内部被曝では身体の一点から放射状に被曝が起こり、α線やβ線の場合はごく小さい地域への被曝となります。
この被曝の具体性の違いが、人体の回復力を大きく左右することになるのです。

私たちにとってDNAは命の鎖であり、まさに生命線です。このため人間や霊長類はDNAが切れた場合にもう一度つなぎ直す高い修復力を持っています。あらゆる生物の中でも最もその力が強いと言われています。
切断されたDNAのつなぎ直しが可能なのかどうかは、切断が二重の鎖で構成されているDNAの1本だけなのか、二重切断になっているのかなど被曝の具体性によって大きく変わってきますが、α線の場合にはもっとも回復の難しい集中的な切断がなされてしまいます。
つまりα線は電離作用が強いだけでなく局所を集中的に襲うことからも生命体にとって脅威なのです。β線はこれにつぐ密集力をもっており、一番、被曝がまばらになるのがγ線です。

つまり大事なのは、人体にあたった放射線のエネルギーが同じであっても、被曝の具体性によってダメージが変わってくるということです。
まったく同じ力でダメージを与えられても、局所的に与えられるのか、全身に均一に与えられるのかによって被曝のあり方、人体のダメージのあり方、修復の可能性に当然にも大きな開きが出るのです。
この点でも、密集被曝となる内部被曝は外部被曝よりも激しいダメージをもたらすのです。

ここまでのことを踏まえた上で、押さえておきたいのは、放射線の人体へのダメージの国際的な基準を出している国際放射線防護委員会(ICRP)が、被曝のこの具体性をまったく評価しようとしていないことです。
実際の被曝のリアリティを見ることなく、被曝をせいぜい臓器ごとの被曝に還元してしまいます。その場合も臓器の一部に集中的にあたったのか、それとも臓器に均一にあたったのかなどの具体性を無視しています。
その上で被曝が人体にあたった放射線のエネルギー量だけに還元されてしまうのです。こうなると集中被曝によって生じる具体的なダメージが、まばらな被曝によるダメージと変わりないものにされてしまい、被曝被害が過小評価されてしまいます。

しかもICRPは、臓器ごとの被曝を一見、考慮しているように見えながら、その実、がん死亡率だけを放射線のリスクと考え、それぞれの臓器に恣意的な係数をかけて被曝を評価しています。
「組織加重係数」というものがその場合の係数ですが、全身に放射線があたったとき、各臓器にどれだけのリスクがもたらせられるのかを係数にしています。これをかけて被曝を評価したものが「実効線量」と呼ばれています。単位はシーベルトです。
この点、多くの方が取り違えていますが、シーベルトは身体にあたった物理量ではないのです。人間が恣意的に判断した係数が加味されているからです。それを客観的な物理量かのようにICRPが扱っていることも、科学からの逸脱と言わざるを得ない点です。

「組織加重係数」についてはあらためてじっくりと批判を行わなければなりませんが、例えば一つのポイントを紹介すると、心臓の係数が大変小さく見積もられています。放射線の被害をガンに限定しているからです。
しかもこうした結論も、心臓の被曝を具体的に観察した科学的知見から導き出したものではないのです。心臓の被曝の具体性についての研究など実際にはないに等しい状態です。ガンのみをリスクに取り上げるために心臓のリスクは非常に小さく見積もられてしまっているのです。
実はここにも国際放射線防護委員会(ICRP)の非科学性が浮き彫りになっています。組織加重係数は恣意的に決められたものであって、内臓の被曝の丹念な研究に基づいた実証的なデータではありません。

いやもっと重要な問題があります。そもそも内部被曝の実相は現代科学ではほとんど把握できないのです。
放射能は身体の隅々にまで運ばれていきます。ヨウ素は甲状腺に、ストロンチウムは骨髄に集まりやすいですが、それとても100%がそうであるわけではありません。体内に入った放射能がどこでどのように被曝を与えているかを把握するのは極めて難しい。
しかもガン退治のための医療的な放射性ヨウ素の投入ならまだしも、核事故による被曝においては、放射能そのものがどのような形状で飛散し、身体の中に入ってきたのかをつかむことそのものが困難です。

例えばセシウムの場合でも、水溶性の化合物となっているのか、非水溶性なのかによって、身体の中への滞留の仕方がまるで変わってきます。
あるいはある放射線微粒子の中にいったいどれだけの核種が混ざり合わさっているのかを捉えるのも極めて困難で、現代科学の最先端でようやく解明されつつあるところです。
ようするに内部被曝はその具体性をつかむことがもともと極めて困難なのです。

肝腎なことは、それでは内部被曝に対する管理値を設けることができないことです。とてもではないけれども、ここまでは安全などという言うだけの科学的根拠を導出することなどできない。
しかしそれでは被曝管理ができないので、放射線防護体系が作れません。そのために核推進派は、あたかも内部被曝を「分かったかのような」顔をしてきたのです。そう言わないと核産業が成り立たないからです。
事実はこれまで見てきたように、内部被曝は、単一の核種を使った限定的な医療使用以外ではとても管理できません。だから被曝防護も成り立ちません。そのため、放射能漏れを必然として伴う核産業は禁止されるべきなのです。

以上が内部被曝問題の核心です。
そのことを解明する糸口として「透過力」問題を把握し、核のない世の中をへのアピールに役立てて欲しいと思います。

終わり

*****

高槻・市民放射能測定所開設2周年 ”内部被ばく”を考える講演・学習会

日時:2015年5月31日(日)13:30開場 14:00開始~16:30終了予定
場所:本澄寺
参加費:500円(資料代)※避難者・被災者無料

福島第一原発事故の発生から4年あまりが経過しました。
事故収束の見通しが立たない中、一般食品は上限100Bq/kgまで流通が許されるなど、内部被ばくを軽視した政策がとられ続けています。
政府にはこのような甘い基準の撤回を求めるとともに、内部被ばくによる健康被害の拡大を防ぐために、市民自身が意識を持って生活を見直す必要があります。

高槻・市民放射能測定所は開設2年を迎えるにあたり、 今一度、内部被ばくについて考える機会を設けたいという思いから、講演・学習会を開催します。

プログラム
■14:00 高槻・市民放射能測定所より「測定所2年間の歩み」
■14:20 守田敏也さん講演 「内部被曝について」

主催:高槻・市民放射能測定所
〒569-0003 高槻市上牧町2-6-31 本澄寺内
ブログ http://takatsuki-sokuteisyo.blog.so-net.ne.jp/
申込み・問合せ先
電 話:072-669-1897(本澄寺)
    090-1023-6809(時枝)
メール:hsnk@tcn.zaq.ne.jp

駐車スペースには限りがあります。駐車場のご利用を
希望される場合は事前にお問合せください。

 

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明日に向けて(1088)放射線の「透過力」を考察する・・・内部被曝の危険性をつかむために(上)

2015年05月27日 21時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150527 21:00)

今週末、5月31日に高槻の市民放射能測定所開設2周年企画でお話します。タイトルは「内部被曝について」です。
今回は測定所での講演ということもあり、内部被曝の危険性をあたらめて問うことに話しの軸を設定したいと思っています。

内部被曝のメカニズムをお話したいと思いますが、この際、僕はいつも放射線の「透過力」について大きく取り上げることにしています。
この点を説明すると、放射線に対する理解の中で、しばしば起こりがちな混乱を正すことができ、放射線の性質に対する理解が進むからです。
明石市の講演でもこの点に触れましたが、参加したある方から、この点がまだ良く分からないという質問をいただいたのでここでお答えしておこうと思います。

放射線には種類がたくさんありますが、私たちが向かい合っているのは、原発から飛び出してきた放射能から発する放射線ですから、α線、β線、γ線について問題にすれば良いと思います。
このうち私たちが最も多く向かい合わざるを得ないのは、ほとんどの放射能から飛び出してくるβ線とγ線です。
環境中で最も多く観測されるセシウムはβ線を出します。一つの原子は放射線を出すことによって違う物質に変わりますが、セシウムの場合はバリウムになり、そのバリウムがγ線を出します。

よく「セシウムのγ線」という言い方がされますが、正確にはセシウムがβ線を出して変化したバリウムから出てくるのがγ線です。
γ線は、どの放射能から出てきたのかによってエネルギーが違うので、放射線測定器(ベクレルモニター)では、このγ線を計測し、「このエネルギーのγ線があるということは、セシウムがあることだ」と結論づけています。
一方で放射能の中でも身体への打撃力が高いストロンチウムはβ線を出しますが、その後にγ線が出てこないため、γ線を測定するベクレルモニターでは計測できません。β線は物質による違いがはっきりしないため、それだけでは物質の特定もできません。

これに対してα線を出す物質は質量の高い物質=原子番号の大きな物質に多いです。主なものにウランやプルトニウムなどがあげられます。
ウランはα線を出して崩壊しますが、次の物質がまた同じようにα線を出して崩壊し、次の物質がまた・・・という現象を繰り返し、その過程でラドンなどを生みます。ラドンは自然界に最も多く存在するα線を発する放射能です。
他にも幾つものものがありますが、私たちの生活との関係性が深いものを一つあげるとポロニウムです。煙草に含まれていて、肺に吸引されることによりα線被曝を起こします。喫煙者に多く見られる肺がんの根拠の一つであると考えられています。

さてα線、β線、γ線にはそれぞれ特徴がありますが、物質との関係で重要なのは物質を壊してしまう性質です。
物質は微小単位では原子と原子が結びついて作られる分子によって構成されています。分子は原子核と周囲を周る原子から成り立っていますが、この分子のつながりは、多くの場合、原子の周りをまわっている電子の軌道を共有する形で成り立っています。
放射線はこの原子と原子を結びつけている電子に玉つき現象を起こし、軌道から弾き飛ばしてしまいます。このことで分子の切断が起こり、物質の構成が変えられてしまうのでこれを電離作用と呼びます。

私たち生物の場合は、私たちの遺伝情報の鎖であるDNAへの切断作用としてあらわれます。放射線が飛んで来てDNAをつないでいる電子が弾き飛ばされてDNAがダメージを受けるのです。
さらに私たちの身体は、水分が大半を占めています。水の分子は二つの水素と一つの酸素によって成り立っていますが、それが分子切断されると、「フリーラジカル」と呼ばれる身体に損傷を与える物質が生み出され、DNAがより損傷されてしまいます。
これが放射線被曝の実体をなします。電離作用による分子切断が私たちの身体の中で起こるということです。

電離作用を及ぼす力は放射線によって異なります。最も強いのはα線、続いてβ線、γ線の順番です。
最も強いということはその分、放射線が飛ぶ先にある分子をよりたくさん切断するということです。このためα線は長い距離は飛びません。空気中では45ミリぐらい。その間にある分子を次々と切断してエネルギーを失ってしまうのです。
β線は種類によって飛ぶ距離が違いますが、セシウムから出てくるものなどは飛距離が1メートルぐらいです。γ線の場合はもっとずっと長い距離を飛びます。それだけ同じ距離の間での分子切断の量が少ないのです。

人体の中ではどうか。α線が細胞の中で進むのはわずかに40マイクロメートルぐらいです。1000分の40ミリです。人体の細胞は6~25マイクロメートルぐらいと言われていますので、細胞数個分です。
β線の場合は概ね1センチぐらい。10ミリですから細胞数百個から数千個ぐらいの距離です。これに対してγ線は人体の中ではエネルギーを使い切らずに外に出て行ってしまいます。
α線は細胞をもっとも激しく破壊します。しかも密集した被曝をもたらします。β線も打撃力は大きいですがα線から比べるとまばらです。γ線はそもそも人体の中ではエネルギーを使いきれないので、その分、ダメージが少なくなります。

これらの放射線の進み方を表したものに「透過力」という表現があります。
良く次のように表現されます。「透過力=ものを突き抜ける力。α線は紙一枚で止まり、β線は金属板で止まり、γ線は厚味のある鉛版でないと止まらない。」
これを図示したものもよく用いられますが、このように表現されてしまうと、どうしてもγ線が最も力の強い放射線であるかのように思えてしまいます。よく示されるものから一つを紹介しておきます。

 α線、β線、γ線の放射線遮へい
 http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/16/16020103/02.gif
 (一般財団法人・高度情報科学技術研究機構「原子力百科事典ATOMICA」より)

どうしても一番、怖いのは鉛板でなければ止まらないγ線に見えてしまうかと思うのですが、物質に対する作用という面で一番大きな力を持っているのはあくまでもα線です。
なぜそうなのかを理解することが放射線の性質を理解する早道になりますが、その際、私たちが着目しなければならないのは、物理的世界と私たちの日常的感覚との大きな違いです。
原子は先に述べたように原子核と電子から成り立っているわけですが、原子核が野球のボールぐらいだとすると、電子は東京ドーム全体のどこかを飛んでいる非常に小さな玉であることになります。

どこにあるかは確率的にしか分からないのですが、ともあれ私たちの日常感覚からすると、原子の内部はそのほとんどがスカスカなのです。これはもう「そういうものだ」と飲み込んでください!
ここに放射線が飛んでくるわけですが、α線の場合、β線に比べるとずっと大きな粒子なので、その分、電子と当たりやすいのです。このためにそこで電離作用を行ってエネルギーを失います。
紙の表面もまた分子から構成されていて、スカスカなのですが、それでもα線は紙の分子とあたり、激しく電離作用をおこしてそこでエネルギーを使い果たすのです。

これに対してβ線はα線よりもずっと小さいので、紙の場合だとあまりあたらないですり抜けてしまうのです。これが「透過力」の正体ですが、「ものを突き抜ける力」という表現は誤解を生みやすいですね。
私たちの日常感覚のように、ものを破壊しながら突き破っていくような意味での「突き抜ける力」ではありません。すり抜けていってしまう性質なのです。
β線の場合、分子と分子の間が紙よりは詰まっている金属板の場合だと、ようやくすり抜けることなくその分子のなかの電子とぶつかり、電離作用を起こして止まるのです。

これに対してγ線はもっと分子と当たらない。紙や金属板ぐらいではすり抜けてしまうのです。もっと分子が密集していている鉛板でもってはじめて分子の中の電子と衝突し、電離作用を起こして止まるのです。
ちなみにγ線は電磁波のなかまで波の性格をもっていて粒子ではないのですが、原子核と電子の間の私たちの日常感覚からは「スカスカ」なところをどんどんすり抜けるがゆえに遠くまで飛ぶのです。
このため紙や金属板と比べて、はるかに分子がぎっしりと詰まって構成されている鉛の厚い板を持ってきた時に、はじめて鉛分子の中の電子とぶつかり、電離作用を起こしてエネルギーを使い果たすのです。

人体の中でも同じことです。多くの場合、γ線は人体の細胞とあたるにはあたりますが、平均回数が少ないのでエネルギーを使い切らずに人体の外まで出ていきます。
中には人体の中で止まるものもあるかもしれませんが、反対に人体の中ではほとんど細胞とあたらずに通り過ぎていくものもあるでしょう。その総体をならしたものがγ線の「透過力」ですが、それが「強い」のはその分電離作用が少ないことを意味します。
このため電離作用のことを「物質との相互作用」とも言います。物質に影響を及ぼし、自らもエネルギーを失うからです。繰り返しますが相互作用を一番、激しくもたらすのがα線であり、一番弱いのがγ線なのです。

続く

*****

高槻・市民放射能測定所開設2周年 ”内部被ばく”を考える講演・学習会

日時:2015年5月31日(日)13:30開場 14:00開始~16:30終了予定
場所:本澄寺
参加費:500円(資料代)※避難者・被災者無料

福島第一原発事故の発生から4年あまりが経過しました。
事故収束の見通しが立たない中、一般食品は上限100Bq/kgまで流通が許されるなど、内部被ばくを軽視した政策がとられ続けています。
政府にはこのような甘い基準の撤回を求めるとともに、内部被ばくによる健康被害の拡大を防ぐために、市民自身が意識を持って生活を見直す必要があります。

高槻・市民放射能測定所は開設2年を迎えるにあたり、 今一度、内部被ばくについて考える機会を設けたいという思いから、講演・学習会を開催します。

プログラム
■14:00 高槻・市民放射能測定所より「測定所2年間の歩み」
■14:20 守田敏也さん講演 「内部被ばくについて」

主催:高槻・市民放射能測定所
〒569-0003 高槻市上牧町2-6-31 本澄寺内
ブログ http://takatsuki-sokuteisyo.blog.so-net.ne.jp/
申込み・問合せ先
電 話:072-669-1897(本澄寺)
    090-1023-6809(時枝)
メール:hsnk@tcn.zaq.ne.jp

駐車スペースには限りがあります。駐車場のご利用を
希望される場合は事前にお問合せください。

 

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明日に向けて(1087)戦争への流れを「愛の心」で止めよう!

2015年05月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150522 23:30)

このところ、連日、連夜、講演やその打ち合わせ、あるいは戦争に反対し、原発再稼働に反対する運動関連の相談、調査、取材などなどで飛び回っています。
なかなか「明日に向けて」を書く時間がとれず、記事が配信できずに申し訳なく思いますが、なんとか頑張って、明日に向けての課題を論じ続けていきたいと思います。

この間の最大のトピックスとしてみなさんにお伝えしたいのは、戦争の流れに対して、子どもを持つ若い女性たちと中心とした新たなムーブメントがじわりじわりと動き出している場面に立ち会ってきたことです。
これは5月18日月曜日の午前10時からの滋賀県甲賀市水口でのお話会へのお招きを受け、集まった方たちとやり取りをしている中で確信を深めたことです。
この日、集まってくださったのは26人の女性。その多くが小さな子どもを連れていました。乳飲み子から小学校低学年ぐらいまでだったでしょうか。もちろん子どものいない女性たちもいたのだと思います。

講演会のタイトルは「戦争と政治」。あらかじめ集まってきた質問の多くが「どうしたら戦争を止められるのか」「母として子どもを戦場に送らないためにできることは何か」などでした。
「どうしたら戦争を進める自民党の議員を落とせるのか」「政治の仕組みが分からないからどこへどうアクションしたらいいか分からない。教えて欲しい」などもありました。
それぞれへの答えは後にゆずるとして、ともあれ参加者が集まってくるや否や、すごい情熱が伝わってきました。僕も懸命に応えようとしましたが、珍しく?時間をまったく間違えて暴走。1時間半のところ2時間半も話してしまいました。

かなり長くて申し訳なかったのですが、みなさん、前のめりになって聞いてくださり、まったく集中力が途切れませんでした。
話しを終えた後に質疑応答を行って、会を一応締めくくったのちも、そのまま車座になってたくさんの女性たちが会場に残り、1時間ぐらいさらに話を重ねました。そののちにスタッフの方たちとお話して、会場を後にしたのは3時半だったでしょうか。
なんとも素敵な場でした。こう言ってはなんですが、かなり喋らせられてしまったというか、僕の内側にあるものを引き出された気がしました。もちろんとても心地の良い時間でした。

「ああ、この感じは何かに似ている」と思って脳裏に蘇ってきたのが、福島原発事故以降、1カ月ぐらい経ってから爆発的に増えだした若い女性たちを中心とした内部被曝に関する学習会でした。
あのとき、福島や関東から避難してきた女性たちを交えつつ、たくさんの若い女性たちが起ちあがり、何かのアクションを担いながら、連続的に学習会を行っていきました。
僕はそこに連続的に呼んでいただけたのですが、その多くが平日の午前10時からでした。会場の中に小さな子どもたちがたくさん入っていました。常時、泣き声が響き渡る中での学習会でした。

「この子を被曝させてなるものか」「どの子たちも絶対に被曝させない」・・・。会場に溢れていたのはそんな女性たちの必死の思いでした。
もちろんそれに共感し、子どもを守ろうと起ちあがった同世代の男性たちもたくさん参加していました。その誰もが自分でもどんどん学習を進めており、その中でさらに確かなことを知ろうとして僕の話を聞きに来てくれていました。
会場はなんとも言えない緊張感に溢れていたけれども、しかし僕はいつでも奥底に流れる感動的な温かさを感じていました。その場が命を慈しみ、育もうとする人間的愛に埋め尽くされていたからでした。僕自身、この力に強く動かされました。

今、それと同じようなムーブメントが本当に力強く起き出していることを僕は感じています。
もともと僕は、長いことピースウォーク京都に参加して、世界で起こっている戦争への反対活動を続けてきました。2000年代になってからはアフガン、イラク戦争やイスラエルのガザ攻撃に反対して何度もウォークやビジルなどを行いました。
それでも福島原発事故以降、もっぱら僕に対する講演要請は内部被曝問題や、原子力災害対策が中心でした。

流れが変わったのは昨年の秋でした。滋賀県の近江八幡市で長年平和運動を担ってきた女性から、「集団的自衛権」についてうまく解説して欲しい、日本が戦争の中に入りつつある危機を語って欲しいと頼まれました。
放射線防護をめぐる僕の講演では、人間と放射線被曝の問題を語る上で最も重要なことが原爆による被ばくであること。その調査にあたったアメリカが内部被曝隠しを主導してきたこと、それが今なお私たちにとっての脅威であることを説いてきました。
その意味で、戦争と被曝の大きなつながりをこれまでも説いてきたので、僕にとって戦争のことを語ることそのものはけして最近になって始めたことではありません。

しかし被曝問題ではなく、戦争を主題として語って欲しいと言われたことは福島原発事故以降では昨秋が初めてでした。安倍政権の戦争政策が深まっていることの反映ですが、同時に戦争のことを身に惹きつけて考えだしている人の急増も表れています。
続いて僕を呼んで下さったのは大阪の「ポトラッチ9条の会」の方たちでした。西成区の参学寺さんの場でのお話でした。年末にはびわこ123キャンプで、「集団的自衛権」とは何かを子どもたちに話しました。

さらに年をあけて滋賀県での取り組みが続きました。1月末に近江八幡市を中心としている「ひとつぶてんとう園」さんから、やはり戦争の問題と被曝の問題を重ねての学習会を依頼されました。
この時、ちょっと劇的なことがありました。主催者の方との打ち合わせの中で僕の方から「ぜひとも小さいお子さんがそのまま会場に入れるようにしてください。託児よりも、赤ちゃんと一緒にお母さんが入れるようにしてくだい」と頼みました。
託児は子どものいる女性にとってとても有効ですが、しかし子どもによってはお母さんと長く離れられない場合もあります。そのため「泣き声はまったく気にしないで下さい。泣き声OKの場にしましょう」と話して会場に入れる人を増やすことにしたのです。

ところが当日、会場に着くと、僕の想像を上回る設定がなされていました。僕が話す演壇の目の前に、何枚もシートや毛布が重ねられてふかふかの良い場ができて、そこに子どもを抱きかかえた女性たちが座ったのです。
まさにこういう場を作って欲しかったのですが、今まで僕が見たのはどれも部屋の後ろの方に設けられた親子席でした。
「一番前に持ってきたのか。わあ、凄い。これはいい。真似しよう!」と即座に心に決めました。

ちょうどその10日ぐらい後に、京都大学に矢ヶ崎さんをお招きし、講演会とパネルディスカッションを行ったのですが、早速この場でこの方式を導入。京大の緩やかな階段教室の一番前、演壇のすぐ横に子どもたちと親が一緒にいれるスペースを作りました。
パネルディスカッションの時には何人もの子どもたちが演壇によじ登ってこようとしてはお母さんに降ろされていましたが、会場全体がそれを見守ってくれ、なんとも温かい空気が流れていました。多くの方が泣き声の中での企画を受け入れて下さいました。

3月には東近江市の「たむたむ畑」に招かれました。「でこ姉妹舎」さんのお招きでした。「そもそもたむたむ畑とはなんぞや?」と思いつつ現場に向かったら、古くて大きな日本家屋を子育て世代に解放している場でした。近くに本当の畑もあるそうです。
この時も部屋中のあちこちに子どもたちがわあわあと動き回っている場で、戦争について、被曝についてお話することができました。

そして今回、5月18日の甲賀市でのお話会。主催して下さったのは産休・育休中の小学校の先生などを中心に始めたお母さんたちの学習交流サークルでした。
滋賀県はこの他にもユニークな集まりがたくさんあります。昨年秋はアースデイしがにも呼んでいただき、映画『小さき声のカノン』を完成させたばかりの鎌仲ひとみさんとの対談をさせてもらいました。
また三日月知事をしがの市民の方たちがまるっと囲んでいる場にも同席させていただいてトークをしました。この他、民主党議員の田島一成さんをしがの方たちが同じようにまるっと囲んでいる場にも足を運ばせていただています。

滋賀県にはもともと「あすのわ」というネットワークや、春夏冬と、かなり長い日程での保養キャンプを重ねてきた「びわこ123キャンプ」の取り組み、高島市での放射能チップ問題での取り組み他、さまざまな動きがあります。とても書ききれない。
それらがあたたかく会を重ねていて、その上にさらにこうした「戦争と政治」に関する取り組みが始まっているのだと思いはしますが、それでも僕は今起こっていることは、しがに特殊なことではないとように思います。
しがにそうした人々の思いを大らかに表現できていくさまざまな場があって、こういう学習会が連続しているのだとは思いますが、しかしもっと広範に、若い世代の、戦争を止めようとする新たな力が沸きだしているように思えます。

こうした力をもっと豊かなものにしたい。そのことで戦争への道を止めて行きたいと強く思いますが、そのために僕は命を尊び、慈しみ、育んでいく愛の力をもっと大事にし、発展することが必要だと思います。
とくに遮二無二戦争に向かっている安倍首相と向かいあう上でとても大事なのは、彼の放つ独特の、イライラとしていて、なんだかこちらが無性に腹立たしくなってしまうような、あの「オーラ」に毒されないことだと思うのです。
安倍首相はとにかく論敵、政敵を嫌な気持ちにさせる何とも言えない雰囲気を強く持っています。多分それは彼の心の中に巣食う、暴力的なものへの憧憬とコンプレックスが、嫌な形で表出されることで生じているものだと思えます。

とにかくこれに毒されてはいけない。毒されて、安倍首相と同次元のイライラした面持ちで争うようになってはいけない。もっと気高い人間的精神や品性、優しさを持って、戦争の道を止めて行きたいと強く思います。
毒されるとはどういうことか。相手の暴力を止めようとしているうちにこちらも相手と同じように暴力的で野蛮になってしまうことです。暴力に飲み込まれてしまうのです。
その典型が「イスラミック・ステート」ではないでしょうか。彼ら彼女らが行っているのは、何のまともな理由もなしにイラクを侵略し蹂躙した米軍やイラク政府への報復なのでしょうが、そのことで実はアメリカの暴力に屈しているのではないでしょうか。

僕は広島・長崎への原爆投下や東京大空襲、沖縄地上戦はすべて戦争犯罪だと思っていますが、だからといってアメリカの誰にも報復したいなどとは思っていません。そうではなくアメリカがこの罪に目覚め、人間愛に立ち戻って欲しいのです。
僕は東京大空襲と広島原爆のサバイバーの両親から生まれた子どもです。その立場から自らの戦争犯罪の歴史を捉え返すことをアメリカの人々に訴え続けたいです。
同時に僕は長い間、軍隊「慰安婦」問題に関わり、被害者のおばあさんたちと親しくしてきました。そのことで日本の行った罪を償い、戦争の痛みを癒そうと活動してきました。僕はその中で得られた素晴らしい思いをアメリカの人々にも知って欲しいのです。

過去の罪を捉え返すことは、けして惨めなことではありません。過去を見つめることの中でこそ私たちは未来への可能性を見出すこともできます。
また人は時に、ある人が、過去の過ちにいかに真摯に向かい合うかでその人物を評価したりもします。だから過去と真剣に向かい合う努力は往々にして思っていたよりも格段に相手側の信頼や親近感を巻き起こすのです。
残念ながら安倍首相は人生の中で一度もそんな経験してこなかったために、人に謝ったり頭を下げることができないのだと思います。自分の中の弱い部分も認められないのでしょうが、それが暴力的なものへの強いコンプレックスを作っているのでしょう。

これに対して私たちは、戦争への流れに対して、あくまでも愛の心を持って向かい合っていきましょう。気高い気持ちで、豊かな人間的精神でもって、暴力の連鎖を食い止めるための努力を重ねていきましょう。
そのことはけして、戦争に進もうとする人々を激しく批判すること、ときに身体をはって戦争への道に立ちふさがる激しさの中に身を置くことを何ら否定するものではありません。愛は時に激しく、燃えるようにも輝くものです。
繰り返しますが大事なのは心を毒されないことです。恨み、妬み、つらみなどから行動するのではなく、子どもたちを見て心の中に温かいものが沸き起こってくるあの刹那のような思いを一番大事にして行動するということです。

僕はやはり子どもを守りたいという女性たちの立ち上がりにはそうした気持ちが強く含まれていると思います。もちろんそれは男性の中にもあるものであり、だから僕の中にもしっかりとあるものですが、その力が社会的に高まるには女性の行動がもっともっと必要です。
だから女性たちがより行動しやすい場を増やしたい。女性たち、とくに子どものいる女性たちが参加しやすい場の設定、集会の作り方、対話のあり方をもっと深めましょう。きっとそこに私たちの平和力がさらに逞しく育って行くヒントがあると思います。
なのでぜひぜひ、放射線防護のための集会でも、脱原発の集会でも、集団的自衛権反対の集会でも、子どもたちが親たちと一緒に会場の中に入ることができる設定を考えて欲しいと思います。このことで僕は私たちの運動の質が一段、アップすると思います。

愛の心を、この国の中に、世界の中にに、豊かに広げていきましょう。新自由主義が蔓延させている、人を蹴落とし、這い上がろうとするのをよしとするさもしい心をまるっと包囲し、鎮めてしましましょう。
僕はそんな行動を重ねることが、戦争を止める一番の近道だと思いますが、同時に我が身に突きつけていきたいのは、戦争から自由になるのはこの国だけであってはならないということです。
「アメリカの戦争に巻き込まれないようにする」のではなく、アメリカに殺される人々をいかに減らせるのか、無くせるのかを考えましょう。アメリカの若者たちにもこれ以上人を殺させなくない、殺されて欲しくない。そのことも訴えましょう。

愛の心こそが戦争を止める!
ともに本当の平和を作り出しましょう!

 

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明日に向けて(1086)【要注意】福島第一原発1号機カバー解体作業が始まりました!

2015年05月15日 22時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150515 22:00)

福島第一原発1号機建屋カバーの解体作業が始まりました。放射能が飛散する可能性があるので要注意です。
このカバーは放射能の継続的な飛散がある1号機に設けられたものです。放射性物質の浮遊、拡散防止を目的としてきました。
しかし1号機の中には2、3号機と同じように使用済み燃料プールがあります。ここに392体の燃料集合体が沈められており、一刻も早く降ろした方が良い。そのためにカバー解体が必要とされているのです。

実はこの作業は昨年の10月22日から試験的に行われています。まずはパネルを少しだけはずし、中に放射能飛散を抑える薬剤を撒き、飛散が抑えられるかのテストを行ったのです。
これに基づいて本年3月に本格的な作業が開始される予定でしたが、2013年8月19日に行われた3号機のガレキ撤去時に、相当量の放射能を飛散させてしまったことが事後的に発覚したことや、サイト内で死亡事故などが起こった影響で延期されていました。
今回もまずは1週間かけて48か所の穴から薬剤を散布し、放射能の飛散を抑えたことを確認しながら作業を進めるとされています。

しかし不安が残るのは、これまで東電が繰り返し甘い見通しや、嘘の発表を繰り返してきたことです。とくに2013年8月の3号機ガレキ撤去では、東電の発表で4兆ベクレルもの放射能を飛散させたにもかかわらず、なんと1年近く秘密にしていました。
明らかにされたのは2014年7月16日だったのです。これらについては以下の2つの記事で特集してあります。これらからこのカバー解体工事期間、福島第一原発により近い地域を中心に、放射性物質の飛散への注意をこれまで以上に強める必要があります。

 明日に向けて(954)要注意!福島原発1号機のカバー解体が22日から始まります!
 20141016
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b0fc0fec3cb9187e66931def004845c2

 明日に向けて(896)昨夏、がれき撤去で福島原発から膨大な放射性粉じんが飛んでいた!
 20140719
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/18ec6ca3381185dae0d4e5b316d8c520

さて今回の工事の特徴として、毎日新聞が次のように報じています。
 「屋根は幅約7メートル、長さ約43メートルのパネルを6枚並べた構造。
 8月中旬ごろまでにパネルをすべて取り外し、その後、放射性物質飛散防止のため防風シートなどを取り付ける。放射性物質の飛散を防ぎながら作業を進めるため、解体には約1年半かかる見通し。」

幅約7メートル、長さ約43メートルのパネルを6枚はずすだけで今から3ヶ月もかかるとされているところから考えられるのは、相当、慎重に進めるべき仕事と東電が考えていることです。
またパネルをとってからさらに防風シートなどが取付けられるわけです。それを含めた解体が約1年半かかるのですから、これまたかなりの慎重さが求められるのだということです。
もちろん作業には十分に慎重さを期してもらいたいですが、問題なのは、もし途中で放射能を飛散させてしまったときに、東電がただちに住民にそれを伝えるとは考えられず、こちらの側が疑い、警戒し続けざるを得ないことです。

作業工程の発表からも作業の困難さが垣間見えるのですから、もっと率直にそのことを明らかにし、放射能の飛散がありうることもはっきりと社会に告げ、いざというときの放射線防護を十二分に呼びかけて仕事を進めるべきです。
にもかかわらず嘘をつき続けるので、現場作業の困難さ、福島第一原発の深刻な状況への理解も生まれません。それはそもそもの目的の燃料プールの核燃料おろしの作業にも共通する問題です。
同じく毎日新聞の記事には2019年度に核燃料取り出しを始め、2025年度に原子炉内に溶けた核燃料デブリの取り出しを始めると書かれていますが、実はそれも昨年の試験的なパネル外しのさいに大幅に延期された計画です。

というのは昨年10月まで、東電は1号機の核燃料取り出しを2017年度に始めると言っていたのでした。しかしパネルを外した一週間の調査で2019年度からに延期され、デブリ取り出しも2020年度から2025年度に延期されたのです。
ここでも実際にあったことは、パネルを開けて調べてみたら、1号機の状態が思ったより悪く、とても2017年度からの取り出しなどできないことが分かったということでした。いやすぐに発表されましたから、予想されていたのだとも思われます。
この際、東電の担当者は「そもそもデブリの状態が分からない」とも述べました。それらからも2019年度からの燃料の取り出しも2025年度からのデブリの取り出しも、根拠なしに語られている可能性が高いです。この点は以下の記事を参照して下さい。

 明日に向けて(967)福島1号機 燃料棒取り出しは極めて困難!
 20141107
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/da656ba70392764d8ad907fe30275c06

こうした事実が明らかにしているのは、一つに、今、行っているのは事故の収束作業であって、廃炉工程になどまだまったく入れていないのだということです。
それを無理やり「事故は収束した」だとか「原発はコントロールされている」だとかの大嘘をついているから、事態の危険性を明らかにできず、被曝防護を訴えながらの作業が行えないのです。ここが根本的矛盾であり、私たちの危機そのものです。
ともあれこの報道からこれから行われる作業が放射能が飛散するかもしれない危険作業だということがはっきりとしているのですから、私たちは身構えた方が良いです。8月まではカバーを外しその後に防風シートを張るのですから長きにわたる警戒が必要です。

どうすれば良いのかというと空間線量をチェックし続けることですが、この点でこの間、原発の周辺で何度も空間線量測定器の不具合が言われ、異常値を示すたびに「壊れていた」とされることが続いていて、なんとも厳しい状態が続いています。
こうした重要な計測器でのエラーが繰り返されていると当たり前のことですが警戒心は落ちてしまいます。それこそ毎日、「オオカミが来たぞ」と言われて、実際には「何もなかった」と事後に訂正されることが続いてきたからです。
いや2013年8月19日には多くの人が気が付かない間に、少なくとも半径50キロの地点まで放射能が新たに運ばれてきていたのですからより状態は悪い。本当に苦しい状態です。

具体的な対処法を考えてみたいと思います。まずガイガーカウンターを持たれている方は、それで日常的に近くのモニタリングポストを点検するとともに、同じく計測器を持っている友人・知人間で情報のシェア体制を作っておくと良いと思います。
自分の身の回りで異常値が出ているときにすぐに連絡を取り合い、一斉に異常値が出ているときは危険性が高まっていると考えて退避行動をとる。
自分の機材や身の回りのものだけが異常値を示しているときは、とりあえずその場を離れる。そうした対応を行うのが合理的なように思えます。

また暑い最中にマスクの着用は大変、苦しいことだと思いますが、しかしとくに福島原発方面から風が流れてくる時は着用した方が良いです。
マスクをできずとも、まめにうがいをすればそれなりの効果があるのではないかと思えます。少なくともやらないよりはやった方がいいです。
ただ夏にこうした防御を重ねることは本当に困難で、それだけで気が疲れてしまいます。被曝防護はall or nothingではなくて「少しでもやった方がまし」と考えて、可能な努力を重ねられて下さい。

もちろん可能な方、機会をうかがっている方がおられるならば、この時期に避難移住されることをお勧めします。
そうでなくても夏に向けて積極的に保養に出られると良いと思います。
それらも適わない方もたくさんおられると思います。その場合も健康生活に留意し、うがい、手洗いなどで日常的にまめに放射能を落とすなどして対処されてください。

お仕事やお知り合いを訪ねるなどでこの時期に原発の近くを訪れられる方にも十分な警戒を呼びかけたいと思います。
こうした心配が杞憂に終わり、放射性物質の大量飛散などないままに、カバーが解体され、燃料棒が取り出されることを願うばかりですが、これまでの東電の仕事の進め方、体質を考えたときに、やはり防護を訴えざるを得ません。
どうかお身体をお守りください。

重要情報ですので、毎日新聞の記事を貼り付けておきます。

*****

 福島第1原発1号機:建屋カバー解体開始…来秋完了目指す
 毎日新聞 2015年05月15日 11時50分(最終更新 05月15日 11時51分)
 http://mainichi.jp/select/news/20150515k0000e040200000c.html

東京電力は15日午前、福島第1原発1号機の廃炉に向けて、原子炉建屋全体を覆っているカバーの解体作業を始めた。来秋までに解体し、建屋内のがれきを撤去した上で、使用済み核燃料プールからの核燃料取り出しを目指している。     
1号機建屋の最上階には使用済み核燃料プールがあり、392体の核燃料が残っているが、周辺には原発事故によるがれきが散乱したままで、核燃料取り出しの障害となっている。
そこで、事故後に放射性物質の飛散を防ぐために設置した建屋カバーを取り外し、がれきを撤去する。

この日は、カバーの屋根に計12カ所の穴を開け、内部に飛散防止剤をまく作業を始めた。屋根は幅約7メートル、長さ約43メートルのパネルを6枚並べた構造。
8月中旬ごろまでにパネルをすべて取り外し、その後、放射性物質飛散防止のため防風シートなどを取り付ける。放射性物質の飛散を防ぎながら作業を進めるため、解体には約1年半かかる見通し。
計画によると、2019年度に使用済み核燃料プールから核燃料を取り出す作業を始め、25年度に原子炉内に溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しにかかる。廃炉作業の終了は2040〜50年ごろになるという。【斎藤有香】

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明日に向けて(1084)原発延命策の中間貯蔵施設を許さず原発を完全に止め、核燃料の安全処理に向かおう!

2015年05月12日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150512 23:30)

9日に宮津で「原発ゼロネット宮津・与謝ネットワーク」結成集会に参加して、中間貯蔵施設のことなどをお話してきました。
前日から主催者のうちの宇都宮和子さん、綾さんのペンションに泊めていただき、たくさんのことをお話してきました。
ちなみにこのペンションは4階建てしかもセルフビルドで建てられた実に豪勢なものでした。

居間にはグランドピアノが置いてあるほか、ウッドベース、チェロ、バイオリン、ギターなどなどが壁を取り巻いており、「音楽と教養」が溢れていました。
また和子さんのお連れ合いの宇都宮さんは、ミュージカルにも造詣が深く、なんと「サウンドミュージック」のシナリオを手に入れて自ら8割も書き直し、これをもとに宮津の人々を主体に本当にミュージカルを実現してしまった経験もお持ちでした。
ビックリしました。感動しました。なんというか、「こういう文化があってこその私たちの人生だよなあ」とか思いました。放射線防護を貫きながらもこういう一時、思いをこれからも忘れずにいたいです。

ネットワーク結成集会当日は会場いっぱいの方が集まってくださいました。遠く、高槻市、京都市から。また近くは舞鶴や丹波、綾部などからの参加もありました。
中間貯蔵施設について、この日の集会までに連載を終えることができませんでしたが、でかける直前までパワーポイントを作り込み、なんとかまとまった提案をできたように思います。
みなさん。非常に熱心に聞いてくださいました。内容についてはこの後に書かせていただきます。

さて集会後は実行委の方たちと喫茶店でお茶をして、その後に伊根町に送っていただきました。これまで2回、講演させていただいた町ですが、この日は、みなさんに歓迎の宴を催していただきました。
伊根の造り酒屋さんからの美味しいお酒も届き、集まっていただいた方とかなり遅くまで歓談しました。
宮津も伊根も高浜原発から30キロに町ですが、きれいな若狭湾が広がり、古くからさまざまに営まれてきた人々の生活を感じることのできる温かい町です。この場を原発事故から放射能のこれ以上の押しつけから守りたいです。そんな思いを高めた訪問でした。


さて前回は中間貯蔵施設建設の前提として、全国の原発の燃料プールがつめつめになっていることを書きました。
現在のプールの使用量は全国平均で容量の7割とされていますが、この数字には既に説明したように重大な虚構があります。本当はもう満杯になってしまっていたのに、リラッキングとラック増設で無理やり容量を広げてきたからです。
政府と電力会社が中間貯蔵施設建設に焦りを持っているのは、もうすぐに燃料プールがいっぱいになって稼働ができなくなってしまうからです。いやそれだけではなくて、政府も電力会社も、現状が非常に危険であることも承知していると思います。

その意味では中間貯蔵施設は、原発輸出と並んで、滅びゆく原子力政策の必死の延命策としての位置を大きく持っています。
だからこそ私たちは全国の連携でこの施設を建てさせず、再稼働を永遠に止めて行く必要があります。

一方で私たちが押さえておくべきなのは中間貯蔵施設の固有の問題とは何かです。この点についてもっとも端的なまとめを行っているのは、京大原子炉実験所時代の小出裕章さんの以下の文章だと思われますのでご紹介します。

 中間貯蔵施設とは
 2004年5月21日~23日 小出裕章 宮崎県内連続講演会より
 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/myzk0405.pdf

この中で小出さんは、この施設が核燃料サイクルの破産の中ででてきたものであり、「中間」ではなくそのまま「最終処分場」になる可能性も秘めたものであること、そこに膨大な放射能が持ち込まれようとしていることを指摘して以下のように書いています。
 「現在計画されている中間貯蔵施設は、金属製のキャスクと呼ばれる巨大な容器の中に5トンの使用済み核燃料を入れ、それを1000基つまり5000トン分の使用済み核燃料を保管しようとする。
 100万kWの原子力発電所では1年間に30トンの使用済み核燃料を生み、その中に広島原爆1000発分の死の灰が含まれている。したがって、キャスク1基には広島原爆150から200発分の放射能が含まれ、中間貯蔵施設全体では17万発分にも達する。」

その場合の危険性とはどのようなものでしょうか。小出さんは以下のように述べています。
 「中間貯蔵施設はたしかに原子力発電所や再処理工場のように、厖大な熱を発生させたり、ポンプを稼動させたり、長大な配管を持っていたりしない。
 そのため、中間貯蔵施設が抱える危険性は原子力発電所や再処理工場のものとは異なる。それは時間の長さに関係する危険性である。」

中間貯蔵施設・・・とうより核燃料はいずれ最終処分をしなくてはならないわけですが、その管理年月はなんと100万年という想像を絶する長さです。しかし現在の施設は50年から100年ぐらいの強度しか持っていません。その先、どうするというのでしょうか。
私たちが向かい合わなければならないことは、わずか数十年の発電のために、この想像を絶する長い時間、人類が管理しなければならないものを私たちの世代の人類が作りだしてしまったという現実です。
そしてそれは実はいつかどこかに必ず作らなければならないものです。その場合、建物は何度も何度も作り変えられなくてはならないのですから、地上管理していく必要があります。地震大国のこの国で地下に埋めるなど言語道断です。

ではどこに作るべきでしょうか。小出さんは都会に作るべきではないかと述べています。電力を一番使ってきた東京や大阪等々にです。
少なくとも宮津を始め、たいして電力も使ってはいないのに、都会の電力の供給地とされてきた場やその周辺に押し付けるべきではありません。それが倫理的に正しい答えだと僕にも思えます。

ただここで極めて重要なのはそれはいつから始めるべきことなのかということです。
これには燃料プールが現状でつめつめになっており、臨界事故などが起きかねない状態になっていること、その点では一刻も早く燃料プールの核燃料を乾式キャスクに送っていくことが必要であることとも深く関連した問題です。
今すぐ貯蔵する施設を作って乾式キャスクに入れて降ろすべきなのでしょうか。悩ましいですが、答えは「再稼働しないならどんどん降ろすべきだけれども、現状では否だと言わざるを得な」だと僕は思います。

現状での中間貯蔵施設建設は、再稼働のためのものだからです。再稼働されてしまえば、せっかくそれなりに冷えた状態の核燃料が乾式キャスクに移されても、空いた隙間にまた使用済み核燃料が入れられてしまいます。
核燃料は運転の終わった直後が飛び出してくる放射線値も、崩壊熱も、格段に高い状態にあります。現状では日本の原発は平均3年11カ月止まっていますから、その分、冷却が進んでいるものが多い。
もちろんそれでもなお、燃料棒にはウランやプルトニウムなどの核分裂性物質を含んでいるので、詰まっている状態はあまりに危険なのですが、これ以上、新たな使用済み核燃料をふやしプールに詰めてしまうことは避けるべきです。

そのためまずは再稼働の完全な断念を導き出すとともに、その中で核燃料の最終処分場をどこに作るべきかの全住民的討論を巻き起こす必要があります。
この討論の時には、けしてこれまでのような騙しを使わず、危険なことはきちんと明らかにした上で、もっとも倫理にかなった核燃料の超長期の保管のあり方を討論し、実行に移していく必要があります。
しかしそれまで待てるだろうか。とにかく今すぐ降ろさないと危険なのではないだろうか。かりにどこかに中間貯蔵施設ができたとしても、再稼働しないのだならば、誰にとっても今の状態よりは安全なのではないかという意見もあると思います。

僕もその点では悩ましさを感じます。しかし政府と電力会社が再稼働やいわんやプルサーマル計画など、核燃料サイクルを諦めない限り、どうしたって、これを止めることを優先する以外ないと思うのです。
またこの点で問題なのはこの燃料プールの抱えている巨大な危険性が十分に社会的に伝わっていない点です。だから「脱原発依存」などという一定期間の稼働を認めた論議も出てくる。そんな余裕などまったくないことをもっと広めなくてはいけません。
再稼働をやめさせるだけでなく、それでこそ燃料プールの危険状態に終止符を打ち、どんどん安全状態に移していく展望も開けるからです。

では今あるこの巨大な危険性に対してはどう対処すべきなのか。僕は原子力災害対策を重ね、避難計画を作ってのぞむことが重要だと思います。
ただしその場合の避難計画は、原子力規制庁が打ち出した「原子力災害対策指針」にあるような、まったくの絵に描いた餅のようなものではありません。
実際の事故をリアルに想定し、場合によってはかなりの被害も避けられないことが原子力災害であることをはっきりさせ、しかも必ず誰かを人柱にしてしまう性格をもったものがリアルな避難計画であることを明らかにして作り上げるのです。

その場合の視点は、減災の観点です。災害からの被害をすべて免れることは極めて厳しいことを前提にした上で、少しでも被曝を減らす方策を重ねていくのです。
繰り返しますが、私たちの前に現に膨大な数の核燃料が存在してしまっています。だからその巨大な危機とリアルに向き合うことこそが大事なのです。
防災の利点は、原発賛成・反対をひとまずおいて討論できることでもあります。その上で私たちの周りにある危険性をきちんと目の前に引きずり出す。とくに各原発の燃料プールと福島第一原発の危機を全市民的に共通意識化していく必要があります。

そもそも人々に正しい危機意識を持ってもらうことこそが、防災の重要な第一歩です。反対に言えば、だからこそ日本政府は福島原発事故までまともな原子力災害対策をしてこなかったのです。人々が原発の危険性に目覚めてしまうからです。
原子力規制庁が各行政が作る対策のひな形として作った「原子力防災対策指針」もこれと同じ位置性を持っています。原発事故が非常に小さく書かれており、あたかも30キロ圏以遠はほとんど被害を受けないかのような書きぶりです。
これを崩すためにも、下から原子力災害対策を築き、燃料棒の危険性や、福島第一原発が抱えている危険性をもっと明るみに出して、その中で現状がイデオロギーの問題ではなく、安全性の問題としてもう待ったなしであることを広げる必要があります。

以上で中間貯蔵施設に関する考察を終えます。これからも宮津の人々、いやもっと広範な人々と協力して、原発再稼働前提としたこの施設の建設を食い止めていきたいと思います。

連載終わり

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明日に向けて(1083)核燃料サイクルとん挫のため燃料プールは過密状態(中間貯蔵施設問題-その3)

2015年05月07日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です(20150507 23:30)

5月9日に行う京都府宮津市での講演にむけての考察の続きです。とくに問題にしたいのは宮津で浮上している中間貯蔵施設建設についてです。
端的に言ってこの施設が必要になったのは、核燃料サイクルがとん挫しているからです。このためそれぞれの原発の使用済み核燃料の搬出先がなく、燃料プールが満杯になりつつあります。
いや正確には多くの原発が実質的にはすでに満杯状態を越えているのです。それでも満杯と言わないのは、燃料体の間隔をつめて入れ直す「リラックング」や、燃料棒を入れる「ラック増設」を行い、安全性を犠牲にして容量を増やしたからです。

使用済み核燃料の中間貯蔵施設が必要とされているのは、これ以上、危険なリラッキングや増設を進めるわけにはいかないので、燃料をどこかに移して燃料プールに隙間を作らないと再稼働してもすぐに行き詰ってしまうからです。
そのためもともとの予定にはなかった再処理工場に送る前のつなぎとして「中間」という施設名が生まれたのですが、この施設がなければ例え再稼働を強行しても、早晩、原発は止めざるを得なくなります。
再稼働はもっとも危険な行為です。しかも危険な使用済み核燃料を作り出してしまいます。さらに宮津の貯蔵施設には直接的には高浜原発再稼働との連関の動きであって、は危険なプルサーマルにも連動しています。だからこそ止める必要があります。

ただし私たちはその先も見据えていく必要があります。リラッキングしてつめつめになった現在の燃料プールは極めて危険です。ここから降ろして乾式キャスクに入れた方が(性能に不安がありますが)まだしも安全です。この作業自身は急ぐべきです。
そのために必要なのは原子力政策のあまりの危険性をさらにもっと強く社会にアピールし、一刻も早くこの国の方向性を原発ゼロに向けさせ、廃炉過程に向かうことです。
このことを抜きに使用済み核燃料をプールから降ろし始めても、再稼働をして降ろした隙間にあらなた使用済み核燃料が入れられれば、かえって危険性は増します。燃料棒は使った直後がもっとも放射能が多く、熱量も高いからです。
これらのことをより詳しく押さえるための考察を続けます。

核燃料サイクルの頓挫

前回、「明日に向けて1082」の考察の中で、原発が原爆製造の中から生まれてきたこと、今もなお、核政策に寄り添ったものであることを述べました。
その際、ポイントとして原子炉が核分裂実験の装置として生まれるとともに、核分裂しないウラン238に中性子をあてて、プルトニウム239を製造する装置として発展してきたことを述べました。
このプルトニウム239の製造をより効率的に行うために開発されたのが高速増殖炉でした。高速の中性子を使い、プルトニウムを増殖すうことからこのネーミングが生まれました。

ただ前回の説明で少々足りなかったことと誤まった点がありました。説明が足りなかったのは原子炉の中の中性子の減速についてです。
原爆に使用されるウラン235やプルトニウム239は限りなく100%に近く作られておりて、爆発にいたる臨界量が一気に通常火薬の爆発で一か所に集まって瞬時に爆発を起こすようにセットされています。
これに対してアメリカで1942年に作られた原子炉では天然のウランがそのまま使用されました。ウラン235の割合は0.7%とごく僅かだったのです。その後、多少濃縮されたものが使われましたがそれでも3%ぐらいでした。

このためウラン235は連続的に並んでいません。ここに最初の核分裂で飛び出してきた中性子が飛んでくるのですが、この時の中性子のスピードは大変速いので、まばらに存在してるウラン235にはなかなか当たらないのです。
減速はそのために中性子のスピードを著しく落とし、ウラン235にぶつかりやすくするためのものでした。それが結果的に原爆と比べてずっと遅い核分裂連鎖反応を作り出したのでした。
ウラン235の核分裂のためにはこれが合理的なのですが、しかし原子炉に入ったウラン238が中性子をとりこんでプルトニウム239に変わっていくためには不効率なことが分かり、そのために中性子のスピードを落とさない高速増殖炉の建設が目指されたのでした。

しかも燃料にもより核分裂性が高く、たくさんの中性子を出すプルトニウム239がウラン235とともに入れられました。このため高速増殖炉には減速材は入れられず、熱を処理するための冷却材のみが入れられ、液体ナトリウムが選ばれました。
高速増殖炉はそれまでの炉よりより核分裂を行うので発生する熱も多く、水では冷却しきれないことも液体ナトリウムが選ばれた原因でした。
(この点、前回はそれでも減速が必要なため、水よりも減速性が低い物質を選んだと書いてしまいました。誤りです。お詫びして訂正します。なおブログ上の文章はすでに訂正してあります)

このため実は人類最初の原子力発電もアメリカの高速増殖炉によって行われています。アメリカは軍事物資としてのプルトニウム製造を急いだために高速増殖炉の建設を優先したのでした。
ところが高速増殖炉はそれまでの炉に比べてもより扱いにくい構造的な問題を持っていました。
一つにはもともとはウランやプルトニウムによりあたりにくい高速中性子が使われており、ウランやプルトニウムをより詰めて装填せざるをえないことなどから暴走しやすいことです。

また液体ナトリウムは、水と接触すると激しく燃え出す特徴をもっているため大変扱いにくいこともあります。炉内のナトリウムはそれ自身が放射性物質にかわっていくため、二次冷却剤としてナトリウムをまわし熱交換を行います。
それを三次冷却剤として回している水と、パイプを通じて接触させて熱交換を行うのですが、ここでピンホールなどがあいただけで大火災が発生してしまいます。これらから実際に深刻な事故が相次ぎました。
さらに高速増殖炉は毒性の高いプルトニウムを扱っているため事故時の被害も桁外れになります。このためアメリカなどで軍事用プルトニウムの生産は実現したものの、発電設備としては完成せず、各国が次々と開発から撤退していくこととなりました。

これに対してあくまでも高速増殖炉建設にしがみついたのがフランスと日本でした。日本は「もんじゅ」こそが世界中での高速増殖炉開発計画の挫折を越えるとの意気込みで開発を進めましたが1995年に運転直後にナトリウム漏れ火災事故を起こしました。
高速増殖炉のとん挫だけではありません。運転をしながらウラン238に中性子をあて、プルトニウム239を取り出すためには使用済み核燃料の「再処理」が必要となりますが、これがまた大きな危険性を伴います。
燃料棒を分解して燃え残りのウラン235と新しくできたプルトニウム239を回収しようとするのですが、燃料棒に封じ込まれている死の灰も出してしまうことになるため、放射能汚染が不可避的に生じるからです。

実際、イギリスのウインズケールにある再処理工場からは、度々、高濃度に汚染された放射能がアイリッシュ海に流れ込み、福島原発事故以前は、この海は世界でもっとも汚染された海と呼ばれるようになってしまいました。
アイルランド共和国政府は、再三、イギリスに再処理工場の運転中止を求めましたが、核大国であるイギリスは拒否し続けました。そのイギリスの工場に日本もまたたくさんの核燃料の再処理を委託して行い、汚染に加担してきてしまっています。
日本はさらに現在、東海村にある小規模な再処理工場に加えて、青森県の六ケ所村に大規模な再処理工場を建設し、運転しようとし来ていますが、その度に事故を繰り返し、いまだ経常運転に成功していません。

プールに溢れる使用済み燃料棒

これらの結果として実は世界中で生じているのが、行き先を失った燃料棒が燃料プールに溢れてしまう事態でした。
そもそも現在稼働している原発の多くが1960年代から70年代に設計されたものですが、その時は核燃料サイクル計画を前提としていたので、燃料プールは数年分の燃料を入れる容量しか作られなかったのです。
燃料棒は運転を終えた直後はもっともたくさんの放射能を有しており、高い線量の放射線を出しています。さまざまな放射性核種が放射線を出して違う物質に変わっていく「壊変」という現象が起こっており、その時にたくさんの熱も出します。
このため当初は水に沈めて冷却するとともに放射線を遮蔽するしかないので、プールに沈める以外の方法がとれません。この段階では乾式の保管方法はないのです。

ところが5年ぐらいを過ぎるとそれなりに放射能量が減り、壊変によって生じる熱も下がってくるので、取り出して再処理工場に運べると計算されたのです。
この時、プールの中に金属製の筒=キャスターを沈めて燃料棒を入れ、蓋をして空冷に任せつつ、車両、列車、船などで再処理工場に運ぶことが想定され、事実一部はそのように運ばれました。
ところが再処理をしてもその先に新たに取り出したプルトニウムを含んだ新燃料を装填する場がない。高速増殖炉建設が各国ともにとん挫していてプルトニウムを燃やす場がなくなってしまったのです。

このため使用済み核燃料を持ち出す場がなくなり燃料プールはどんどん隙間がなくなっていってしまいました。
これに対して各国の電力会社が始めたのが「リラッキング」、および「ラック増設」でした。燃料の間隔をつめて入れ直し、ラックそのものも増やすのです。このことで設計段階の容量の倍ぐらいの燃料棒を詰めてしまうような事態が生まれ始めました。
しかしこれは大変な危険を生じさせています。

なぜかというとウラン235やプルトニウム239などの核分裂性物質は、一定量が集まると臨界状態に達してしまう恐ろしい性質を持っているからです。
このため燃料プールでは核物質が何らかのはずみで集合してしまわないように、一定の間隔をあけて入れるように設計されたのです。満杯になる前に順次、再処理工場に送り出すことも想定されていました。
リラッキングやラック増設はこの設計思想に背き、燃料を無理に詰めてしまう行為です。核燃料サイクルの行き詰まりに対する典型的な弥縫策で、場当たり的な、もっとも危険な対処であると言わざるをえません。

このリラッキングとラック創設はどれぐらい行われているのでしょうか。以下に資料があります。

 政策選択肢の重要課題: 使用済燃料管理について -国内の動向-
 2012年2月23日 内閣府 原子力政策担当室
 http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/hatukaku/siryo/siryo8/siryo3-2.pdf

これをみると北海道電力の泊原発と東北電力の女川、東通原発をのぞいて、ほとんどの原発がリラッキングやラック増設を行ってきたことが分かります。
実はもっともそれが進んでいたのが福島第一原発なのでした。福島第一は1~6号機のすべての燃料プールでリラッキングが行われていましたが、実はそれでも足りなくなって原発敷地内に新たな巨大プールを作って共用としていたのでした。
つまりそれをしなければ実はかなり前に運転を止めざるを得ない状態だったのです。しかもそこまで容量を増やしてなお、貯蔵割合は国内の全原発の中で一番高い93%になっていたのでした。

ここで思い出されるのが3号機の爆発です。1号機と3号機とともに「水素爆発」とされていますが、二つの爆発はまったく違ったタイプであることが一目瞭然でした。
1号機に比して3号機はクレーンなどと思われる建屋内の構造物を空高く舞い上がらせるほどの爆発力を持っており、しかも小型のキノコ雲のような巨大な黒煙も生じさせていました。
これに対して、アメリカのアーニー・ガンダーセン教授が、3号機プールで臨界爆発があった可能性を主張し続けていますが、その根拠としてあげられているのも、福島第一原発の燃料プールが、日本中の原発の中でも最も過密な状態になっていたためでした。

続く

*****

中間貯蔵施設問題については5月9日の宮津の企画でまとめてお話します。以下、企画案内を記しておきます。

原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク結成のつどい
~わたしたちは原発再稼働に反対です。京都・宮津に使用済み核燃料の中間貯蔵施設をつくるのはごめんです~

宮津市 歴史の館にて 午後1時より
1、オープニングの歌
2、原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク結成宣言
3、あいさつ(津島英一)
4、福島支援宮津プロジェクトからの報告
5、講演「生き続けられるふるさとを~高浜原発再稼働問題から~」(守田敏也)
6、今後の取組と行動提起(濱中博)
*つどいの終了後、ミップル前宣伝。

主催 原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク
連絡先 与謝地方教職員組合内 0772-22-0321

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明日に向けて(1082)原爆から生まれた原子力政策の本質を捉え返そう(中間貯蔵施設問題によせてー2)

2015年05月06日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150506 23:30) (0507 17:30訂正)

5月9日に京都府宮津市でお話しますが、大きな課題として宮津に使用済み核燃料中間貯蔵施設建設が持ちあがっています。
中間貯蔵施設建設は、原発の再稼働のための必須の施設です。もともと各地の原発の燃料プールが使用済み核燃料で一杯になっている状態を前に製造が考えられたもので、これがないと例え再稼働してもすぐに燃料交換ができない状態に陥ってしまいます。
反対に言えば中間貯蔵施設を作らせなければ原発は稼働できなくなります。その意味で宮津に中間貯蔵施設を作らせないことは、全国各地の原発を動かさずにこのまま廃炉を実現するための大きな一歩になります。

ただしこの問題はもう一つ、重大な事実を抱えています。使用済み燃料プールが一杯であることそのものです。それ自身が大変、危険なことです。
福島原発事故での4号機の危機で明らかになったように、燃料プールはきわめて脆弱な構造nのもとにあります。万が一、冷却水が抜けてしまえばただちに高温を発して溶け出し、ジルコニウムの被覆管に覆われた膨大な放射能が出てきてしまいます。
このため燃料棒そのものは可能な限り早く燃料プールから降ろし、水を使用しない乾式キャスクと呼ばれる入れ物に移すべきです。その方がまだしも危険性が小さくなるからです。

これらの問題をいかに解決するのかをも視野にいれつつ、中間貯蔵施設問題をここでまとめておきたいと思いますが、そのためにはそもそも核エネルギーとは何かに立ち戻って考察を進める必要があります。

核エネルギーの使用は原爆開発から始まり今も核兵器に寄り添っている

「中間貯蔵施設」はその名前そのものが原子力政策の行き詰まりを表すものです。ここで少し原子力政策とは何だったのかを振り返っておきたいと思います。
もともと原子力政策は核兵器開発の副産物として生まれました。核兵器とは物質の核分裂の際に飛び出してくる膨大なエネルギーを爆弾に使用したもので、天然界のウランの中にごく微量に存在する核分裂するウラン235を軸にアメリカによって作られました。
ウラン235に中性子を当てると核分裂が起こり、エネルギーと放射性物質(死の灰)が作られると同時に、2~3個の中性子が飛び出してきて次のウラン235にあたり、核分裂連鎖反応が起きます。持続的に続くことを臨界といいます。
一瞬のうちに核分裂連鎖反応が起こると一気に強いエネルギーが発生し、核爆発が起こるわけですが、そのためにはウラン235を次々と核分裂するように並べておく必要があります。

ところが自然界にあるウランのうちのウラン235の含有率は0.7%しかないのでこれでは核爆弾は作れません。中性子が次のウラン235になかなか当たらないからです。
そのため生まれたのが「濃縮」という技術です。自然界のウランの中から0.7%のウラン235だけをかき集めるのです。こうして濃度を100%近くにまで高めることで原爆が製造が可能になります。
同時に核分裂連鎖反応についての知識を高める必要から、実験的に、核爆発よりも遅いスピードで核分裂を起こさせる装置として「原子炉」が開発されました。1942年11月のことでした。

核爆発より遅いスピードで核分裂を連鎖させるにはどうしたら良いのか。一つに中性子のスピードを落としてやることです。このため水(重水、軽水)や炭素などが使われました。中性子がこれらに当たってスピードが落ち、連鎖反応がゆっくりになります。
さらに中性子を吸収して次のウランに当てなくする物質(カドミウムなど)も使われました。これらによって中性子のスピードも数も調整できるようになり、臨界状態に達した核分裂をそれ以上拡大しないで維持することもできるようになりました。
この原子炉の登場のもとで、さまざまに臨界実験が重ねられるようになり、原爆製造は一気に現実味を帯びてきました。

こうなると重要なのは核爆弾として破裂するだけのウラン235を蓄積することでした。臨界実験から一定の量がなければ爆弾として使用できないことが分かり、さまざまウランの濃縮方法が重ねられ、100%に近いウラン235の塊の獲得が目指されました。
しかし濃縮は非常に難しい技術でした。先にも述べたように天然界のウランの99.3%はウラン238という核分裂しないウランです。このためウラン235と238を分離しなければならないのですが、化学的性質が同じなので両者の重さの違いしか利用できません。
このため遠心分離などを活用するのですが、重さの違いといってもわずかに235対238しかないため、濃縮は難しく莫大なコストがかりました。

これに対して注目されたのが、原子炉の中で起こっている新たな反応でした。
原子炉は核爆弾と違い、中性子の速度を遅くしているために濃度が数パーセントの濃縮ウランで運転が可能でした。ウラン235が数パーセントになったウランを原子炉に入れるということは、反対に核分裂しないウラン238が90%以上装填されることになります。
ここにも中性子があたるわけですが、すると幾つかの過程を経てプルトニウム239という新しい核分裂性の物質が生まれることが分かりました。プルトニウムは自然界にはほとんど存在しない、人類が新しく生み出した物質でした。
これを事後的に収集すれは、ウランの高いレベルでの濃縮が必要ありません。またプルトニウム239は、ウラン235よりも核分裂性が高く、しかも分裂のときに飛び出す中性子の数もウラン235よりも多く、核分裂連鎖反応も拡大させやすいことが分かりました。

このようにアメリカは第二次世界大戦当時、ウラン濃縮による原爆と、プルトニウムによる原爆という二つのタイプの原爆を並行的に作っていました。まだどちらが効率がよいか分からなかったので、二つの計画を同時に走らせたのでした。
この結果アメリカは、人類史上初の原爆投下において、二つ以上の原爆を投下することを必要とするようになりました。二つのタイプの原爆で人体実験をしたかったからです。
かくして1945年8月、広島にウラン型原爆が、長崎にプルトニウム型原爆が投下されました。まったく許しがたい暴挙でした。

プルトニウムを効率よく作る=高速増殖炉の登場

原爆投下の実績から、アメリカは原子爆弾を作るのにより効率的でコストパフォーマンスもいいのはプルトニウム型原爆だという結論を得ました。以降、アメリカはウラン型原爆の製造を中止し、もっぱらプルトニウム型原爆を製造するようになりました。
そうなるといかに効率よくプルトニウムを手にするのかが問題になり、原子炉の改良が問題とされました。
原子炉内ではウラン235の核分裂が起こりながら、ウラン238が中性子を吸収し、プルトニウム239が作られていましたが、そこに中性子があたりプルトニウム239の核分裂も起こっていました。プルトニウムは生まれるや否や核分裂してもいたのでした。

これに対して減速材で落した中性子のスピードをもう一度、速めてやるとプルトニウム239が核分裂するよりも、ウラン238が中性子を吸収し、プルトニウム239が生成される方が上回ることが分かってきました。
このように減速をさせない中性子は「高速中性子」と呼ばれます。このもとでウラン235を核分裂させながらプルトニウム239を効率よく「増殖」させる炉が作られました。これが「高速増殖炉」です。

つまり「高速増殖炉」もまたもともとは核兵器の材料としてのプルトニウムを効率よく製造するために開発された原子炉なのでした。
ここでは中性子のスピードを水などを使用した時のように落とさないために、ナトリウムなど液体金属が冷却材として使用されました。
「明日に向けて(1078)」の記述の中で、「人類はいまだ高速増殖炉に成功していない」と書きましたが、正確には成功してないのは商業的発電炉としての高速増殖炉のことであり、原爆の材料を作るための高速増殖炉はすでに1950年代に完成して、たくさんのプルトニウムを作り出しました。

原子力の平和利用とは何か

今見てきたように、核エネルギー体系はもっぱら原子爆弾製造のために開発されてきたものでした。
原子炉はもともと核爆弾製造のための知識を得るための実験器具として作られたのであり、その後にプルトニウムを作り出す装置へと位置が変わりました。
高速増殖炉もプルトニウムをより効率的に生産する炉として開発されたのでした。そうであるがゆえに「平和利用」を口にしようとも、原発を導入すれば核兵器製造技術の大きな部分が手に入ることになることを私たちは知っておかなくてはなりません。

いや原子力の平和利用も、もともと1950年代に相次いた米ソの核実験競争に対して全世界的に反核の機運が広がったことに対し、核戦略を生き延びさせるために提唱されたものなのでした。
原子炉の中には減速材が入れられていましたが、同時にそれは核分裂によって生じる膨大なエネルギーを除去するための「冷却材」の位置も持っていました。
水の場合で言えば、高温になったそれを熱交換機を通じて海に捨てることで処理していましたが、その過程にタービンを組み込み、排熱を利用して発電につなげたのが原子力発電なのでした。

これには二つの意図がありました。一つに原子力が軍事利用ばかりでなく民生利用できること=平和利用できることをアピールすることにより、高まる核兵器反対運動をかわして核体系を生き延びさせることでした。
その際、核エネルギーは単に発電を行うだけでなく、高速増殖炉によって発電を行いながら同時にプルトニウムを製造することで、発電しながら新たな燃料を作り出せる夢の体系として喧伝されました。
そのことで数パーセントにするためだけでも非常に高いコストがつくウラン濃縮工程を生き延びさせることが可能になりました。濃縮ウランの需要を、プルトニウム製造のためだけではなく、民生用の発電に拡大することで濃縮工場を延命させたのでした。

続く

*****

中間貯蔵施設問題については5月9日の宮津の企画でまとめてお話します。以下、企画案内を記しておきます。

原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク結成のつどい
~わたしたちは原発再稼働に反対です。京都・宮津に使用済み核燃料の中間貯蔵施設をつくるのはごめんです~

宮津市 歴史の館にて 午後1時より
1、オープニングの歌
2、原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク結成宣言
3、あいさつ(津島英一)
4、福島支援宮津プロジェクトからの報告
5、講演「生き続けられるふるさとを~高浜原発再稼働問題から~」(守田敏也)
6、今後の取組と行動提起(濱中博)
*つどいの終了後、ミップル前宣伝。

主催 原発ゼロをめざす宮津・与謝ネットワーク
連絡先 与謝地方教職員組合内 0772-22-0321

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明日に向けて(1081)「いかなる国のいかなる軍隊より強力」な憲法9条を今こそ輝かせよう!

2015年05月02日 09時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150502 09:30)

明日、5月3日に憲法は施行68周年を迎えます。
これに際して、僕は今日、これから兵庫県篠山市に赴いてお話させていただきますが、明日3日の深夜に読売テレビで注目すべき番組が放映されるのでご紹介します。
元米海兵隊兵士で、退役後に平和を訴えて世界をかけめぐったアレン・ネルソンさんを描いたドキュメンタリーです。
タイトルは「9条を抱きしめて」。すでに同盟のDVDが発売されていますが、その完全版にあたる内容だそうです。ぜひご覧ください。

アレンさんはこの中で例えば次のような胸をうつメッセージを発して下さいました。

 日本国憲法第9条はいかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊より強力なのです。
 日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔にとても素晴らしく美しくかけがえのないものが私には見えます。子どもたちの表情から戦争を知らないことがわかるのです。それこそ第九条の持つ力です。
 日本のみなさんは憲法に9条があることの幸せに気づくべきだと思います。

 ほとんどの国の子どもたちが戦争を知っています。アメリカの私の子どもたちは戦争を知っています。イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子どもたち、みんな戦争を知っています。
 しかしここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみからみなさんを救ってきたからです。

 ご存知のように多くの政治家が憲法から第九条を消し去ろうと躍起になっています。断じてそれを許してはなりません。
 みなさんとみなさんの子どもたちはこれまで憲法第9条に守られてきました。今度はみなさんが第9条を守るために立ち上がり、声をあげなくてはなりません。
 第9条は日本人にのみ大切なのではありません。地球に住むすべての人間にとって大切なものなのです。アメリカにも9条があって欲しい。地球上のすべての国に9条があって欲しい。

 世界平和はアメリカから始まるのではありません。国連から始まるのでもありません。ヨーロッパから始まるものでもありません。
 世界平和はここからこの部屋からわたしたち一人一人から始まるのです。


殺し殺される戦場の惨劇の中で、自らPTSDにもがき苦しんだアレンさんがつかんだ確信です。
私たちは本当に「憲法9条があることの幸せ」に気づき、その幸せを守るために最大限の努力を傾けなければならないと思います。
そのためにも憲法記念日の日の深夜(24時55分より)の番組にご注目ください。

以下、番組情報を記しておきます。
このことをお知らせして、篠山市へと向かいます!

*****

NNNドキュメント'15
http://www.ntv.co.jp/document/#__utma=1.187778976.1430525984.1430525984.1430525984.1&__utmb=1.6.9.1430526078158&__utmc=1&__utmx=-&__utmz=1.1430525984.1.1.utmcsr=google|utmccn=(organic)|utmcmd=organic|utmctr=(not%20provided)&__utmv=-

&__utmk=72282899

9条を抱きしめて
元米海兵隊員が語る戦争と平和
放送 2015年5月3日24:55~

予告動画
http://vod.ntv.co.jp/f/view/?contentsId=9720

戦後70年、日本は国家として他国民を誰一人殺さず、また殺されもしなかった。非戦を貫けたのは、戦争の放棄を定めた憲法9条があったからにほかならない。
戦争は、国家間の争いだが、実際に戦闘に携わるのは紛れもなく人間。人殺し、殺し合いに他ならない。
アレン・ネルソンさん。ベトナム戦争に従軍した元米海兵隊員だ。戦場で数えきれないくらいの人を殺害し、帰還後PTSDに苦しめられるが、自らの過ちを認めることをきっかけに立ち直った。
96年から日本で講演活動を開始した彼が最も大切にしたのが憲法9条。暴力的な方法に頼らない唯一の道は9条の理念にあると訴え続けた。
ネルソンさんの半生、証言を通し、‘9条’が日本で、そして国際社会で果たしてきた役割、意味を問い直す。

*****

過去にアレン・ネルソンさんについて書いた記事もご紹介しておきます。

明日に向けて(871)憲法9条はいかなる国のいかなる軍隊より強い!(アレン・ネルソン談)2014年6月15日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/94b6e50b749131f1e9f0b962bfca8b14

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明日に向けて(1080)がんが急速に増えている、命を守る活動の強化を!

2015年05月01日 22時00分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150501 22:00)

4月28日、国立がん研究センターが、2015年に国内で新たにがんと診断される患者数が、2014年よりも10万人増え、98万人に上るとする予測を発表しました。
なんと一年で88万人から98万人への増加の予測です。率にして11%も増えると考えられるのですから、きわめて大きな変化であると言わざるを得ません。情報は以下から見ることができます。

 2015年のがん統計予測
 国立がん研究センターがん対策情報センター 2015年04月28日
 http://ganjoho.jp/public/statistics/pub/short_pred.html

この予測は2014年から開始されたもので、最初の予測が2014年7月10日に出されています。
この時に出された2014年の予測罹患数は、約88万2千例(男性50万2千例、女性38万例)でした。
この情報には「2010年の全国がん罹患モニタリング集計結果と比較すると、合計で約8万例増加」という説明が加えられていました。

これに対して2015年の予測罹患数は約98万2千100例(男性56万300例、女性42万1千800例)となっています。
男女の合計で約10万例増加ですが、2010年と2014年の比較による増加が約8万例であったことに対し、1年で10万例増加ですからこれだけを見ると激増に見えます。
もっともこの予測データは最初に提出されたのが2014年であり、2010年のものは予測値ではなく実測値なので、同じように比較はできないのかもしれません。

がん研究センターはこうした急速ながん罹患数の増加の要因を、主に高齢化によるがん罹患者の増加のためとしていますが、それで1年間で10%以上も増えるのでしょうか。
やはり広範囲な被曝の影響が表立って出始めているのではないでしょうか。

部位別データを見ると、もっとはっとすることがありました。放射線被曝との関連性が強いとされている男性の前立腺がんが突出して増えているからです。
2014年では75400例であったものが、2015年では98400例となり、同じく2014年に90600例から2015年に90800例へと微増した胃がんを抜いて、罹患数のトップに躍り出ました。

ちなみに過去のデータをいろいろ見てみると、2008年のがん罹患数は、男性437,787例、女性311,980例で合計749,767例。約75万例でその後2年間で約88万例になっていますから、この間、1年で約6万5千例づつ増えていたことが分かります。
このときの前立腺がんの罹患数は51,534例で、胃がん、肺がん、大腸がんについで4番目の位置にありました。ちなみにトップだった胃がんはこの年で84,082例でした。これもがん研究センターのデータです。以下にアドレスを示しておきます。

 部位別罹患数(2008年)
 http://ganjoho.jp/data/professional/statistics/backnumber/2013/fig04.pdf

前立腺がんはアメリカではずいぶん前から男性のがん罹患数のトップにあり、がん死亡の中でも2位の位置につけているがんですが、日本ではもともとは罹患率が低く1950年の死亡者数は83人ととても少ないがんでした。
ところが1980年代後半ごろから急速に増えだしました。1975年の罹患数は約2000例でしたが、2000年には約2万3千例、2006年4万2千例、2008年51,534例と急激に増加してきて2015年98400例となっているのです。

今回の予測値においても1年間でなんと2万3千例の激増です。1975年の罹患数が約2千例だった病が、なんと10万例に届こうとしているのです。
この1年間の激増については「前立腺がん検診であるPSA検査(血液検査)が普及したため」との説明もなされており、確かにその側面もあるのかもしれませんが、しかしそれでも大変な急増であることは間違いありません。

女性について部位別にはどうかというと、やはり被曝との関連性が高いと言われる乳がんが2014年も2015年もトップを占めていて、86,700例から89,400例へと増加しています。2008年もトップでした。
乳がんがやはり胃がんを抜いて女性の罹患数のトップとなったのは1996年です。
最近では生涯において、12人~15人に1人の女性が乳がんに罹患するとも発表されていますが、これもまた1975年約1万例だったものが1990年2万5千例、2000年3万7千例、2004年5万例、2008年6万例、2015年約9万例と増加してきてのことです。

 TBS ピンクリボンプロジェクト
 http://www.tbs.co.jp/pink-ribbon/data/
 ただし原資料はがん研究センター

こうしたもともと日本の中で少なかった前立腺がんや乳がんの急激な増加の原因として指摘されているのが「食事の欧米化」です。
確かにその側面はあるでしょう。「欧米食」が身体に悪いことを如実に示していると言えますが、しかしそれではとくに1980年代、90年代から急速に増加に向かってきたことの説明が十分にはつきません。

この点で指摘したいのは、「欧米食」と一口にいっても、アメリカやヨーロッパの食事もまた大きくさまがわりしており、とくに近年、劇的と言えるまでに内容が悪くなっていることです。
象徴しているのは質の悪い油や糖分を多用したファーストフードの激増ですが、このためアメリカ内部をみても1980年と2015年の間に肥満率が倍以上に伸びてしまっています。この悪くなる一方の「食の欧米化」が日本にも流入していると考えられます。

しかし一方で1980年代以降の前立腺がんや乳がんの激増の、一方での大きな原因となってきたのは、1950年代から60年代にかけての大気中核実験の頻発と、その後の原子力発電所の急増ではないかと思われます。
前立腺がんは50~60代以降に発症するケースが多いものであり、乳がんは30代後半から発症しはじめ、40代後半でピークを迎える傾向にあります。
50年代から60年代の核実験の激発の最中に生まれた年齢層(1959年生まれの僕もその1人です)の発症年齢への到達と、先に示した増加のカーブに対応関係が見られるのではないでしょうか。
この点を考えると、乳がんが先に1996年に罹患数のトップに躍り出て、前立腺がんが2015年に初めてトップに躍り出てきたことにもうなづけるものがあります。同じころに被曝した結果ががんとして表れるのに女性と男性(乳がんと前立腺がん)で時間差があったと考えられるからです。

原発の場合はどうか。原発は実は事故を起こさなくても放射能を排出しています。排出しながら「許容量で環境に影響はない」などと言われてきたのです。その上、度々事故隠しも行われてきました。
こうした現実に対して、アメリカでは原発と乳がんの関連性を調査した優れた書物が出ています。ジェイ・エム・グールドによる『内部の敵』です。被爆医師、肥田舜太郎さんが中心になって翻訳され、自家出版されています。

グールドは合衆国の乳がん死亡率が、核実験が頻繁に行われるようになった1950年から1989年までの間に2倍になったこと、最も増加率の高い郡では4.8倍にまでなったことに着目し、全データをコンピュータに入力して大掛かりな解析を行いました。
そこでは殺虫剤や農薬を含め、様々ながん発生因子が扱われましたが、死亡率が有意に上昇したアメリカの全ての郡に共通する因子を調べて、唯一あがってくるのは、その地域が核施設から100マイル(160キロ)以内にあることだったことが明らかになりました。
肥田舜太郎さんはこれに基づいて、日本地図に原発からの160キロラインを引きはじめましたが、途中でほぼ全国が入ることが分かって止めたと語られていました。正確には和歌山県南部と北海道東部、沖縄諸島だけが160キロ圏を免れます。

アメリカは全土に約100基の原発を持っており、その上に軍事用のプルトニウム生産炉を持っています。
この他ウランの濃縮工場や再処理施設、核兵器製造工場など日本とは比較にならない数の核施設を持っており、ハンフォード基地の放射能漏れ事故などをはじめ、たびたび深刻な事故を起こしてきました。
しかも冷戦の最中の軍事施設の事故であることを理由に、その多くが隠され、人々が知らぬ間に被曝してしまっています。ネバタ砂漠で核実験が繰り返されたことを含めると、世界の中で最も深刻な被曝が繰り返されてきた地の一つがアメリカだと思えます。
そのためアメリカは前立腺がんも乳がんも、罹患率、死亡率ともに高いことが考えられます。

日本はどうか。核兵器製造施設はありませんが、アメリカよりも圧倒的に小さな国土に最大で54基もの原発を抱えて運転してきてしまいました。
もともとそのことが食べ物の悪化とともに乳がんや前立腺がんをはじめ、全体としてのがんの罹患数を増やす因子となってきたのではないでしょうか。これと化学物質の汚染が複合してきたのではないか。
そしてそうした健康悪化が重ねられた上に、つまりがんがどんどん上昇しつつある状態の上に、福島原発事故によるものすごい規模の放射能被曝を私たちは被ってしまったのです。

これらから、2015年において前年比で11%ものがんの罹患数増が予測されていること、しかも男性の前立腺がんの伸びが著しく罹患数の中でトップに躍り出たことに、僕は福島原発事故による被曝が大きく関連しているのでないかという強い疑いを持たざるを得ません。
ただし科学的に確証していくためにはより綿密なデータ精査が必要です。こうしたデータは数年経ってから揃ってくることも踏まえつつ、分析力をアップしながらこうした作業へのチャレンジを続けたいと思います。

なお一番肝心なことは、こうしたデータの把握を通じて私たちがなすべきことは、がんの増加をただ手をこまねいて見ているのでなく、私たちの健康を守るあらゆる試みを強化していくことです。
その中心になるのは放射線被曝防護であり、今でも被曝量の高い地域の方たちをいかに守るのかということです。

放射線防護だけを考えれば、理想的には線量の高い地域から避難を促進することが大事ですが、しかし故郷に住み続けたいと思うのも尊重されるべき重要な人権です。だからこそ避難の権利の確立への努力とともに、各地で可能な限りの防護を積み重ねる必要があります。
そのためには政府の原発安全神話ならぬ「放射能安全神話」に対抗し、放射線防護-内部被曝防護に関する知識を増やすとともに、子どもたちの保養を増やし、疎開の可能性を探っていくことが大事だと思います。

同時に、これだけ「食の欧米化ががんを増やしている」と言われているのですから、食の安全性全体を見直し、ゆっくりしっかりよく噛んで食べることなども含めた、食べ方の改善を進めていくことが大切です。
がんの急速な増加の現実をしっかりと見据え、命を守る活動を強化していきましょう。

 

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