明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1035)日本人を大量殺りくしながら謝罪しない国、アメリカの戦争に協力してはならない!(上)

2015年02月04日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1001~1100)

守田です。(20150204 22:30)

後藤さんが殺害されたと報道されて以降、安倍首相は急速に日本を「イスラム国」などの「過激派」との闘いの渦の中に引き込もうとしています。
いつものことですが、政府の責任者として人質の解放に完全に失敗したことに頬かむりをしています。
そればかりか2人が人質になっていることを知りながら、あたかも「イスラム国」攻撃を支援するかのような形で2億ドルもの援助を行うことを公言し、一気に2人の命を危機に陥れたことも何の反省もしない。
「絶対に反省せず、相手の言い分に耳を貸さず、一方的に自論だけを述べ、適切な反論には逆切れする」のが安倍首相のスタイルですが、この対話のできない首相のもとに、私たちの国は本当に危険な状態に追いやられつつあります。

私たちが一番に整理しておくべきことは、安倍首相が日本の自衛隊や、私たちの命を差し出そうとしているアメリカという国が日本に対して何をした国なのかということです。
表題に掲げたように、アメリカは最もたくさんの日本人を殺した国です。しかも軍隊だけでなくたくさんの民間人をです。
そもそも軍隊と軍隊の戦闘としての日米戦争は1944年末までにはほぼ決着がついていました。日本は連合艦隊の主力艦船のほとんどを沈められてしまい、陸軍も相次いで占領地で全滅に追い込まれて「玉砕」ばかり行っていました。
戦争の行く末は見えており、民間人を殺傷せずに大日本帝国政府を降伏に追い込むことは十分に可能でした。

しかしアメリカはそうはしませんでした。1945年3月10日未明に行った東京大空襲で、一晩で10万人以上の人々を焼き殺しました。そのほとんどは民間人でした。老若男女を問わない大虐殺でした。
アメリカはその後に全土に空襲を拡大し、どこでもかしこでも大量の民間人殺害を犯しました。東京空襲は合計106回、名古屋空襲は63回、大阪空襲は33回、神戸空襲は128回も続けられました。
全国200以上の都市が空襲され、「内地」(植民地支配していた朝鮮半島、台湾などをのぞいた当時の日本の呼び方)のなんと2割の家々が焼失させられました。通常の空襲による死者合計数は東京新聞の推計で558,863人にも及びます。
戦闘ではなくて一方的な殺戮、虐殺でした。完全なる戦争犯罪でした。

アメリカが日本人に対して行った戦争犯罪はこれにとどまりません。4月からは沖縄への上陸戦が行われ、日本軍との闘いの中で、軍隊と民間人を区別しない無差別攻撃が行われました。
沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人であるとされてます。
戦域以外の餓死者、病没者等々を入れれば犠牲者総数はもっと多く24万人にも上るとも言われています。この甚大な被害は民間人を戦争に巻き込んだ日本軍にも重大な責任がありますが、民間人を保護せずに殺害した米軍の責任も甚大です。
さらに許しがたいのは、アメリカがその後70年経った今も、沖縄の一部を軍事占領し、土地を返還しないことです。それどころか辺野古に新しい基地を作らせようとしていることです。70年も軍事占領が続いているのです。

日本中の都市への無差別空襲、沖縄での住民を全面的に巻き込んだ戦闘、これだけでも許すことのできない戦争犯罪の連続ですが、さらにアメリカは広島、長崎へ原爆投下を行いました。
原爆では熱戦で一瞬のうちに多数の人々が溶かされて殺されてしまい、関係記録も焼失していて被害実態を把握することは困難ですが、放射線影響研究所は被ばくから2~4か月の間の死亡者数として広島9万~16万6千、長崎6万~8万という数を公表しています。
しかしこれらはアメリカ軍とアメリカ政府が行った排他的独占的被害調査に基づいた被害を極端に軽く見積もった数値でしかありません。放射線影響研究所は米日の合同機関であり、アメリカの原爆傷害調査委員会(ABCC)を引き継いだものです。
ここにはあとから市内に入って被曝し亡くなった方など、たくさんの被曝被害が除外されています。総数を推定するのはあまりに困難ですが、もっと膨大な人々が被曝させられ、しかも何年、何十年もの間に殺され続けてきたのです。

もっとも大事な点は、これらの戦争犯罪、日本人や当時日本に住んでいた人々に対する大虐殺を、アメリカはただの一度も謝罪していないし、反省もしていないことです。まったく頬かむりし続けています。
私たちは何よりもこのことに立ち戻らなければなりません。私たち日本民衆はもっと強くアメリカに謝罪を求めるべきでした。アメリカの戦争犯罪を告発し、処罰を求めるべきでした。アメリカを訴える裁判を起こすべきでした。学校で徹底して教育すべきでした。
何故でしょうか。それがアメリカの人々と世界のためだったからです。第二次世界大戦における大虐殺を反省しなかったばかりに、アメリカは同じことを全世界でし続けてきてしまいました。その歴史こそ私たちは反省的に捉え返さなくてはなりません。
私たち日本民衆は、戦前の軍部への批判は懸命に行いました。日本の侵略の罪をずいぶん捉え返し、反省も深めてきました。しかしアメリカに対する批判は、被爆者の必死の訴えなどをのぞいて、決定的に弱かったと僕には思えます。

アメリカがその後に行ったことを見てみましょう。まず朝鮮戦争で大空襲を行いました。さらにベトナム戦争でも北爆などB52を使った「絨毯爆撃」を行いました。枯葉剤などの毒薬もたくさん投下しました。すべて戦争犯罪でした。
このとき日本本土への空襲の経験がフルに生かされました。日本ではアメリカの石油会社が開発した焼夷弾(しょういだん)がたくさん使われました。油を筒にいれて束ねて落し、バラバラに地上に到達して火を燃え広がらせ、火炎地獄を作る恐ろしい兵器でした。
焼夷弾は朝鮮戦争でも使われ、ベトナム戦争時にはより火力性の強い油脂を詰め込んだ「ナパーム弾」へとバージョンアップされました。アフガン戦争、イラク戦争での空襲では、子爆弾をたくさん詰め込んだ「クラスター爆弾」へとバージョンアップされました。
しかも日本本土空襲と朝鮮半島への空襲、ベトナムの北爆は同じ司令官が指揮しました。アメリカ戦略空軍のカーチス・ルメイ将軍でした。これが数々の虐殺作戦を考案した首謀者でした。

ところが日本は1964年にカーチス・ルメイになんと日本国天皇裕仁の名で勲一等旭日大勲章を授与しているのです。理由は日本の航空自衛隊の育成に貢献したからだそうです。
昭和天皇は当初、日本人虐殺の責任者であるこの将軍への勲章授与を拒んだそうです。そのとき説得したのが小泉純也自民党議員でした。小泉純一郎元首相の父親です。その「功績」で日本人を虐殺したカーチス・ルメイは日本国天皇から大勲章をもらったのです。
私たちの国はなんと自虐的な国でしょうか。アメリカの戦争犯罪、自国民の大量虐殺に一度も抗議できていないばかりか、日本人大量虐殺の首謀者を賞賛し、勲章を与え、褒めちぎったのです。
こうしたことがアメリカ社会に本当に悪い影響を与えたのではないか。どんなにひどい虐殺を行おうとも徹底して殺して殺して殺しまくり、最後にひれ伏せさせることができれば完全に服従させることができるという経験を与えてしまったのではないでしょうか。

カーチス・ルメイに勲章を送ることに功績をあげた小泉純也議員の息子の小泉純一郎議員が、その後、首相となり、アメリカのイラク戦争を全面的に支援したことは何か非常に悪い暴力の連鎖を感じさせます。
小泉元首相はそれだけではなくて、日本の人々の生活の安定を支えていた郵政制度をアメリカ資本の自由参入のために壊してしまいました。イラク戦争全面支援とアメリカ資本への日本市場の開放はセットで進行していました。
にもかかわらず私たちの国はこのときもマスコミが操作されてしまい、小泉人気が造成され、アメリカのイラク戦争への批判が十分にできませんでした。もちろん必死で反対した人々もいましたが、国論を二分するような反戦運動は起こせませんでした。
私たちの国はそうして長くアメリカの暴力に組み伏せられてきました。ときには「朝鮮特需」「ベトナム特需」など、アメリカの戦争によって潤おいさえしながらです。こうした本当に自虐的な歴史こそをあらためる必要があります。

続く

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