明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1315)原発と地球人・地球環境の生存権(日本環境会議沖縄大会報告から)

2016年11月02日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です。(20161102 23:30)

沖縄訪問報告の続編です。今回は日本環境会議沖縄大会2日目に行われた第五分科会、「放射能公害と生存権」の中での自分の報告をご紹介したいと思います。
この分科会は、この大会にぜひとも放射能公害の問題、被曝防護の徹底化の必要性をしっかりと入れ込みたいと考えた矢ヶ崎克馬さんによって立ち上げられました。主旨に賛同したたくさんの方が集まり、盛会を実現することができました。

沖縄は高江と辺野古の基地問題で揺れ続けています。とくに7月参院選では県民の「基地はいらない」という意志が再びはっきりと示されました。
ところがこれに対して安倍政権は、本土からの機動隊を大量投入し、運動のリーダーの一人の山城さんを逮捕するなど、弾圧に継ぐ弾圧をかけてきています。これとの対決が沖縄にとって、沖縄を支援する私たちにとって喫緊の課題です。

しかし一方で、沖縄にはたくさんの方が本土から放射能被曝を避けて避難移住しています。福島原発事故によってもたらされた未曽有の放射能公害と立ち向かうことは沖縄を含むすべての私たちに問われていることです。
この点を踏まえて、矢ヶ崎さんはぜひすべての人々の生存権を脅かしている放射能公害の問題を環境会議の重要課題に上げようと考えられました。

このもとで成り立った第五分科会は、8つの報告と3つのコメントで構成されましたが、司会の上岡みやえさん、報告5番目、6番目の伊藤路子さん、久保田美奈穂さん、そしてコメントのはじめの山口泉さんは、みな福島や関東からの避難者です。
いや「避難者」という言い方は正確ではないかもしれない。政府によって無視され棄てられた「難民」という言い方が正確でしょう。
しかし難民となってただ黙っているのではありません。多くの人々に放射能公害からの脱出を促す「率先避難者」であり、政府の悪政を正そうとしている改革者として活動してこられています。

以下、第五分科会の内容を記しておきます。

コーディネーター:新城知子、矢ヶ崎克馬、吉井美知子(50音順)
司会:上岡みやえ、新城知子
(1)歴史上最悪の放射能公害と健康被害
報告1:「福島事故による放射能公害/原発・被曝に関する国際的枠組」矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉教授)(20分)
報告2:「原発事故がもたらす健康被害)」高松勇(小児科医・医療問題研究会)(20分)
報告3:「原発と地球人・地球環境の生存権」守田敏也(フリーライター)(20分)

(2)放射能公害下の避難者・市民
報告4:「避難者の実状と生存権」黒潮武敬(20分)
報告5:「避難者体験談:福島県内から」伊藤路子(13分)
報告6:「避難者体験談:福島県以外:茨城県から」久保田美奈穂(13分)

(3)海外への原発輸出と先住民族の人権
報告7:「ベトナムの原発計画と先住民族チャム人」吉井美知子(沖縄大学教授)(20分)
報告8:「台湾離島の核廃棄物貯蔵場とタオ族の民族運動」中生勝美(桜美林大学教授)(20分)

コメント1:「放射能公害と人権意識」山口泉(作家(小説、評論))
コメント2:除本理史(日本環境会議事務局次長・大阪市立大学教授)
コメント3:吉村良一(日本環境会議代表理事:立命館大学教授)


さて、僕は矢ケ崎さんと高松医師による放射能公害によってもたらされている深刻な健康被害の報告を受ける形で「原発と地球人・地球環境の生存権」というタイトルでお話しました。
このタイトルは矢ケ崎さんから頂いたものですが、ちょうど、今、起こっている様々な問題を整理して解き明かすのにうってつけでありがたいものでした。
今日は、大会に向けてあらかじめ提出して、当日配られた冊子の中にも掲載していただいた報告要旨を掲載しておきます。
実際の当日の報告については、次回以降に文字起こしして掲載します。

*****

原発と地球人・地球環境の生存権
日本環境会議沖縄大会 第五分科会報告主旨
守田敏也(フリーライター・京都在住)

1、環境倫理学の3つの課題

 「原発と地球人・地球環境の生存権」というタイトルから、誰もが思い起こすのが環境倫理学でしょう。とくに原発問題はこの領域から捉え返した時に、その本質が最もよく見えてくるとも言えます。
そこでまず冒頭で、よく言われる「環境倫理学の3つの課題」について触れておきたいと思います。加藤尚武著『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー)を参考にしてみましょう。(同書pⅵ)

 「Ⅰ 自然の生存権の問題-人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があるので、勝手にそれを否定してはならない。
 Ⅱ 世代間倫理の問題-現代世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある。
 Ⅲ 地球全体主義-地球の生態系は開いた宇宙ではなくて閉じた世界である。」

 これに原発問題をかぶせてみるとどうでしょうか。原発事故は私たち人間に深刻な放射線障害をもたらすだけでなく、あまたの動植物に壊滅的な打撃を与えます。生態系も激しくかく乱されてしまいます。
 また放射能汚染は、直接には遺伝という形で未来世代に深刻な影響をもたらす可能性があるとともに、環境悪化においても、未来世代の生存可能性を著しく阻害してしまいます。

 さらに私たちを取り巻く生態系は閉じた系であるがゆえに、どこかの原発事故で放出された放射能は、崩壊を繰り返して無視できるまでに環境中から消えていくまで、常に生態系の中を循環し続けます。
主な汚染原因であるセシウム137の場合で、約1000分の1になるまで300年かかってしまうし、猛毒と言われるプルトニウム239では、半分になるまでだけで2万4千年もかかってしまいます。
このように環境倫理学から考えたときに、原発はもっとも許容できないテクノロジーであることが鮮明に見えてきます。

2、地球人は近代自由主義を越える必要がある

 同時に私たちは克服すべき多くの思想的課題を持っていることにも突き当たります。
 問題なのは第一に近代人間中心主義です。人間をのぞく世界のすべてを精霊の宿らない単なる物質としてとらえ、加工対象としてきたことです。結果的に動物たちなどあらゆる生き物を生かすも殺すも自由と捉える残酷な思想が成り立ってしまいました。

 第二に今ある世代の合意のみによって成り立っている民主主義が見直される必要があります。エネルギー分野では顕著です。
自然資源を現代世代の同意だけで使い切ってしまっていいのか。あるいは放射能のゴミに顕著なように、未来世代にエネルギー使用の負の側面だけを送ってしまって良いのかということが問われなくてはなりません。

 第三に、世界を開放系と考えるがゆえに、無限の生産力の発展を夢見るとともに、工場廃液を川や海に流し続けてきたあり方が戒められる必要があります。
とくに近代経済学が無限の成長を求めて、海や大気など、誰の所有物でもないものを「自由財」として扱い、どう使うのも自由、汚すのも自由としてきてしまったことを捉え返さなくてはなりません。
 もはやこのような近代のあり方を克服する方向性を採らなければ地球の未来がないことに覚醒し、人間中心主義、民主主義、自由生産主義の限界を越えていくべきときなのです。

3、原発・放射能との向かい合いこそが人類の新たな可能性を拓く

 このような思想的・実践的課題が原発問題の中で突きつけられたのは先述のように原発と放射能の被害が3つの課題にまたがるからです。
スリーマイル島、チェルノブイリ、福島と続いてきた事故は、地球上のすべての人に、はるか遠く離れた原発の事故が、自分と子どもたちの命に関わってくることがあることを知らしめました。
民族や国の垣根を越えて、宇宙船地球号のメンバーとして同じ課題を背負っていることが突きつけられたのです。
 
もちろんこれは環境問題のすべてに共通していることですが、原発がこの問題の中心に座っているのは生産主義の権化だからです。
ビッグパワーを持てば、今はできないこともやがて可能になる。生産力はどこまでも発展する。だから今、解決できない問題は未来へと先送りすればいいと考えられてしまう。
さらに今、起こっている矛盾は、未来には消えていくので、少々のことは我慢すべきだという発想が加わってきました。「最大多数の最大幸福」の名のもとに、少数者の犠牲を認めてきてしまった近代功利主義思想の限界です。

 このように「核の世紀を越えること」の中には、近代社会が私たちに突きつけた大きな課題に挑戦し、人類史の新しい展開に向かう可能性も秘められています。
生産力の発展合戦のもとで、しばしば血みどろの暴力にまみれてきた人類の野蛮な前史を閉じ、優しさと友愛と共感に満ちた後史を切りひらく気概をもって、ともこの課題に挑みましょう。

以上

なお沖縄報告はまだまだ続きます。

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