明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1317)未来世代への倫理に逆行する原発(沖縄大会での発言より―2)

2016年11月12日 20時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です。(20161112 20:00)

昨日に続いて、今回も日本環境会議沖縄大会第五分科会での僕の発言の起こしをお届けします。今回は世代間倫理の問題、地球全体主義について論じています。
今回の連載はこの2回で完結です!

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日本環境会議沖縄大会 第五分科会
2016年10月23日
「原発と地球人、地球環境の生存権」-2

つぎに「未来世代の生存可能性に対する責任」とはどういうことかをみていきたいと思います。これは「世代間倫理」の問題とも言われますが、これまでの話とストレートにつながっています。
実はここでは民主主義の限界も語られているのです。民主主義とは「共時的システム」と言って、今いる人の合意のシステムで当然にも未来世代はそこに入れません。
例えば結婚について憲法には「両性の完全な自由な合意に基づいて行われるべきである」と書かれています。僕もそれが正しいと思っています。
でもかつてなら「家」を存続させるとか、未来世代をいかに存続させるのかということにつながっている倫理もあったのです。そこでは祖先からの繋がりも考えられていました。

だからといってそこに戻れと言うのではないのですが、しかし私たちは民主主義に欠落しているものがあることも考えなくてはいけない。
例えば良く出てくる話で、加藤尚武さんの1991年に書かれてい本の中にも出てくるのは「化石燃料をわずか100年、200年の間に使い切ってしまって良いのか?」という問いです。
ちなみに加藤さんは「人類はこれまで5万年ぐらい続いてきたのだろう。そしてこれからも5万年ぐらいは続くのだろう。その10万年の中で今の世代だけが地球に蓄えられてきた化石燃料を使い切って良いのか。良くないはずだ」と述べています。
今もこの問いは大切ですが、しかし僕は今ではそれよりももっと問わなければならないことがあると思います。

何かと言えば使用済み核燃料のことです。核燃料によって電気がもたらせるのはわずか40年、仮に延長したとして60年です。たかだかそれぐらいの間の電気のために、高レベル放射性廃棄物を10万年から100万年も管理しなければならない。
そんなものを現代社会は使っているわけですが、こんなこと、倫理的に許されていいのでしょうか?良いわけがないです!
ところが最近、政府が使用済み核燃料の処分の方向性を「決めた」という報道がなされました。どう言っているのかというと、電力会社に400年管理させて、その後、政府が10万年管理すると言うのです。10万年間ですよ!
朝日新聞にはこう書かれています。「地震や火山の影響を受けにくい場所で70メートルより深い地中に埋め、電力会社に300~400年間管理させる。その後は国が引きつぎ、10万年間、掘削を制限する。これで~放射性廃棄物の処分方針が出そろった。」

こんなの完全に与太話だと思いませんか?10万年間管理する。さらに記事を細かく読むと、「企業に1万年間管理させるのは現実的ではない。だから企業は400年にしてそれ以降は国が10万年管理することにした」とか書かれています。
では国が10万年管理するというのは現実的なのでしょうか。誰が考えたってそんなの現実的ではありません。
加藤さんの本を読むと1991年にはそう言われていたのかなあと思うのですが、加藤さんはここで「人類はあと5万年続くだろう」と書いておられます。
ところが日本政府はあと10万年、政府が続くと言っているのですよね。これは完全に暴言ですよ。
例えば2万年前をみてみると氷河期でもっと地表がたくさんありました。日本列島は今の形をしていません。わずか2万年前でもかなり激しく違うのです。

それではそもそも使用済み核燃料の処分について、政府はこれまでどんなことを考えてきたのか。
以下に「高レベル放射性廃棄物の放射能の減衰」という図を示しますのでご覧ください。もともと「核燃料サイクル開発機構」が作ったもので、ATOMICAからの転載です。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/05/05010101/07.gif

この図によると、使用前の核燃料の中にあった放射能量(1トンあたり1000ギガベクレル)は使用済み後には1000万倍(100億ギガベクレル)になってしまうと書かれています。
発電が終わるとどうするのかというとすぐに燃料プールに入れるのですね。それで何年か経つと「再処理・ガラス固化」をすると書いてあります。六ケ所村の再処理工場などに持ち込んでプルトニウムを分離して取り出すとされています。その技術すらまだ未確立で実現の可能性は乏しいのすけどね。
仮にその先があるとしてどうするのかというと実はまだ水の中で冷やさなくてはならない。どのぐらい必要なのかというと図からは80年ぐらいだと読み取れます。その先はどうするのか。「埋めちゃおう」となっています。ところがどこに埋めるのかまったく決まっていないのです。
では放射能量が発電する前のレベルにまで落ちるのにどのぐらいかかるのかというと1万年でもまだ戻らないのです。グラフから読み取ると10万年ぐらいでしょうか。その後はさらに減衰がゆっくりになって100万年たっても数百ギガベクレルあります。
安全になるまで1万年どころか10万年から100万年も管理しなければならないのですよ。私たちの世代はそれを未来世代に送り出してしまったのです。

ではそれをどんな風に管理しようとしているのかと言うと、以下の図のように地中深くに穴を掘って、管理地を作ってそこに埋設しようとしています。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/05/05010101/09.gif
しかしこれは完全に「絵に描いた餅」です。どこに埋めるのか、どのように埋めるのか、まだ何も決まっていないのです。
原発をめぐる社会的カラクリの中でも非常に悪質なのは、これ、決まってないからタダなのだということです。決めようがなくて、この部分に値のつけようがないから計上されていないのです。
だから「原発は発電コストが安い」というのもまったくの与太話です。まったくの大ウソです。この天文学的な数字が隠されているのです。
しかもそれはもはや私たちが払うお金ではなくて、未来世代は電力などまったく使っていないのに、延々、管理のために何万年も資源を投入しなければならない。しかもその間ずっと、被曝のリスクを抱えるわけです。

ではそもそも埋めるにあたって、現代科学は地震の構造をきちんと把握できているのかというとできていないのですよね。
次に見ていただきたい図は地震調査研究推進本部が出している全国地震動予測地図2014年版に、東洋経済という出版社が実際に起こった地震を書き込んだものです。以下のページに掲載されています。
http://toyokeizai.net/articles/-/115836?page=3
これをみると中越沖地震にしても熊本地震にしても、最近起こった大きな地震は、起こる確率が低いとされているところでばかり起こっていることが分かります。
要するに地震がいつどこで発生するのか、まだよく分かっていないのです。

しかもちょうど一昨日、鳥取県で大きな地震が起こりましたが、これは断層ではなくて、太平洋プレートが日本列島の乗っているプレートの下に潜り込む時にできる「力のひずみ」が日本海側の地域に帯状に発生していてそこが動いたようだとされています。
このように断層帯ではなく地震が起こりうる地帯を「ひずみ集中帯」と言うのですが、こうしたものがあると考えられだしたのはなんと1990年代なのです。
ということは日本の原発は、一つもこの新しい知見を反映してないのです。そんなことを知る前に建ててしまったからです。
しかも今後の管理は最低でも10万年ですよ。その間にどんな地震が起こるかも噴火が起こるかもまったく分かりません。そんな状態で地層処分をするなどということが許されてよいはずがありません。

しかもさきほど、矢ヶ崎さんや高松さんからも報告されたように、福島原発事故による放射線被曝によって、今、激烈に健康被害が出てきています。
さらに懸念されるのは遺伝的影響ですね。これについてはICRPの2007年勧告に、「遺伝的影響については人類に関しては確認されていないが、動物実験では確定されている」とはっきり書いてあります。
それを考えると「原発は未来世代へのテロである」と言わざるを得ないと思います。だからこそ決して許してはならない体系なのです。

最後に「地球全体主義」についてですが、これが問うているのは「地球環境は開放系ではない!閉ざされたつながった空間だ!」ということにつきます。
私たちは「宇宙船地球号」に一緒に乗っているのです。ここで地球の写真をお見せしますが、注目していただきたいのはブルーについてです。
あるとき、海を守ることに関わっている方からこう言われました。「あなたたち環境派はなんでグリーンとばかり言うんだ。地球を良く見て欲しい。ブルーじゃないか。そのブルーのことにもっと注目しなければダメだ」と。
確かに地球の写真を見てみると圧倒的にブルーです。海なのです。そしてその海水の成分が、私たちが生まれ出てくる前にお母さんのお腹の中でつかっていた羊水の成分とほとんど同じであることが証明されています。私たちはとても深いところで地球とつながっているのですが、その命の源の海が汚染され続けています。

そこで考えなければならないのは、「自然は私たちの非有機的身体である」ということです。
同時に私たち一人一人にとっては、他者もまた己の非有機的身体です。私たちはつながって存在しているのです。仏教で言う縁起の思想ですね。
だからこそ誰かが汚染されることは自分が汚染されることであり誰かが被曝することは己が被曝することです。もちろんその誰かには他の生き物たちや自然の総体が含まれています。
その私たちの非有機的身体がいま、激烈に侵害されて、汚染されて、痛めつけられているのだと言うことを私たちは考えなければいけないと思います。

結論です。
未来のものを含むすべての命を守るため、原発を廃炉にし、放射能公害と立ち向かっていきましょう!
どうもありがとうございました。

連載終わり

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