明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1335)李容洙ハルモニのこと(開設式に参加して3)

2016年12月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です。(20161214 23:30) 

12日に台湾から戻りました。素晴しく充実した旅で、まだまだ報告する内容がたくさんあります。今回は開設式に韓国から駆けつけてくださった李容洙(イヨンス)ハルモニのことをご紹介したいと思いますが、その前にお詫びを一つしんければなりません。

前回、台湾の陳蓮花(チェンレンファ)アマをご紹介する時に、誤って蓮華と書いてしまいました。その後、ブログなどを訂正しましたが、シェアしていただいた記事に訂正前のものも流れてしまいました。再度、書きますが正しくは「蓮花」さんです。どうも申し訳ありませんでした。

さて、イヨンスハルモニのことをご紹介します。

今回、ハルモニは、式典に参加してくれたたった二人の被害女性の1人として台湾を訪れてくれたのですが、彼女の参加には特別な意味がありました。少女のときに拉致されたイヨンスハルモニが連れてこられたのが、台湾の新竹だったからです。

拉致されたときのハルモニは16歳。台湾には船で移送されましたが同じ船にハルモニを合わせて5人の少女たちが乗っていました。一番上で18歳でした。

そこに300人の海軍兵士が乗り合わせ、ハルモニは他の女性たちとともにこの船の中でレイプを受け続けたそうです。

やがて台湾に着いたハルモニが連れていかれたのは特攻隊の出撃基地でした。沖縄周辺にいたアメリカ艦隊を攻撃するために次々と特攻機が出撃しましたが、そのほとんどは上空で待ち伏せしていたアメリカ軍の迎撃機に落とされ、艦隊にたどり着くことすらできませんでした。成功率のものすごく低い作戦でした。

そんな基地の「慰安所」に辿り着いたとき、ハルモニをみとめた少し年上の女性が「ああ、あなたはこんなことをする年ではないのに」と嘆いて自分の部屋に連れ込み、押し入れに隠してかくまってくれたのだそうです。

しかしやがて日本兵に見つかり、かくまっていた女性は兵士が取り出したナイフでズタズタに切り裂かれてしまいました。怖くなって押し入れからでてきたハルモニも同じ目にあいました。

死ぬほどの虐待をともに受けた後で、その年上の女性が、自らもぼろぼろに傷ついているのにハルモニを介抱してくれたのだそうです。でも彼女は「お前はもうあの人たちの言うことを聞くしかない。そうでないと殺される」と語ったそうです。

その後、何日か経つと、軍人が訪れてその女性と何やら話し、ハルモニは彼女に化粧をされてある建物に連れて行かれました。

そこは部屋ごとに仕切りがあり、戸の代わりに布が吊るされていて、中には軍人が待っていました。ハルモニは怖くなって逃げ出そうとしましたが、錠前のついた部屋に押し入れられ、とても固い軍靴で腰を蹴られました。

ハルモニが悲鳴をあげると髪をつかんでいすにすわらされ、刀で太ももをえぐられてしまいました。今もその痕が残っているそうです。

さらに両手をテーブルの上に出せと言われ、何かを結ばれました。暫くすると体中にひどいしびれが走ったそうです。おそらくは電気拷問だったのでしょう。ハルモニは「オンマ(お母さん)」と叫んで気を失ってしまいました。

その後の記憶をハルモニは失っているのですが、ある軍人がやってきて、残りの4人の女性たちに、「あの部屋に一番若い女の子がいる。生きているかどうか分からないから一度いってみろ。もし死んでいたら僕が埋めてあげるよ」と言ったのだそうです。彼女たちは夜になってから軍人が残していった電灯をたよりにその部屋に忍び込み、瀕死のハルモニを見つけました。

するとその軍人がやってきて栄養剤を飲ませてくれたそうです。それでもハルモニは目を開けなかった。それで女性たちが自分の指を切って血を飲ませました。軍人も同じ事をしてくれたそうです。

何日か経ってやっとハルモニは目を開けました。すると軍人はそれからも栄養剤を運んでくれたのだそうです。ハルモニは名前を尋ねられ、日本名の「安原」と名乗りました。しかし下の日本名はなくて答えられなかった。するとその兵士が「それなら僕がつけてあげる」といって「としこ」と言う名を付けてくれたのだそうです。

その兵士は、自分は特攻隊だと言ったそうです。夜の川べりの堤防のようなところに座り「飛行機で特攻に行く。二人で乗っていく」「僕は21歳だ。何日かすると僕は死にに行く」とも語ったそうです。ハルモニが「私も連れて行って」というと「ダメだ」と言いながら、こんな歌を歌ったのだとか。ハルモニは今もそれを日本語で朗々とうたうことができます。

「カンコウ離陸よ 台湾離れ 金波銀波の雲乗り越えて 誰だって見送る人さえなけりゃ 泣いてくれるは としこが一人だ」

「カンコウ離陸よ 新竹離れ 金波銀波の雲乗り越えて 誰だって見送る人さえなけりゃ 泣いてくれるは この子が一人だ」

結局、その兵士とハルモニは二日間、一緒にいたそうです。そして最後に自分の洗面道具を渡してこう語ったと言います。「としこ、隠れていろ。僕が死んだら僕が神様になってお前をお母さんの元へ連れて行ってあげる」「お母さんの胸に託してやるから、としこ、死なないで。どうか人に見つからないで」。

そう言い残して去っていった彼をハルモニは泣きながら見送ったそうです。

そんなことがあってから暫くして、ハルモニのいた基地は空襲を受け、ハルモニたちの建物にも爆弾が落ちました。ハルモニは地下の防空壕にいて無事でしたが、彼女をかくまってくれた女性が死んでしまったそうです。

その後のある日、中国人を名乗る男性がやってきて、「戦争は終った。もうこんなところにいてはいけない」と語り、ハルモニたちを収容所に連れて行きました。ハルモニたちはようやく解放され、朝鮮の故郷へと連れ返されたのでした。 

その後、長い時が流れました。そして長い間の沈黙の末、最初に名乗りをあげた金学順(キムハクスン)さんの叫びに刺激され、1992年6月25日にハルモニは名乗りをあげられたのでした。勇気をもって名乗り出て以降、ハルモニは被害女性たちの先頭にたって奮闘し続けてこられました。

続く

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