明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1666)愛する京都を守るために(冨樫ゆたかさんインタビューその1)

2019年03月27日 21時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190327 20:30)

統一地方選にチャレンジしている方のインタビューの2回目に京都市左京区在住の冨樫ゆたかさんに話をうかがいます。冨樫さんは日本共産党前京都市議で前回の選挙では11票差で苦杯をなめました。今回はリベンジ戦です。

***

守田
今日は富樫さんにいろいろとパーソナルなことをうかがいたいと思いますが、冨樫さんは京都のお生まれで、京都がとても好きだと聞きました。その辺から聞かせてください。


                    インタビューを行った冨樫事務所にて

● 僕は「そんな京都」が好きなんです!

冨樫
僕は北区の生まれ育ちでいまは左京区で活動していますが、京都って政治的にもいろいろと面白いのですよ。選挙などなんとも言えない圧力があるのだけれど、それに対して下からじわっと闘うようなところがあります。 また大都市でありながらもいろいろなところで思わぬつながりがあって「噂の町」とよく言われるのです。実際に近所でちょっと発した言葉に尾ひれ背びれがついて広がっていきます。 時々見かける光景はそういう方たちがまったく違うところで出会わはったときに「むかし同じ職場やったんや」とかなることです。ある有名な人と話をしていたら「その人、同級生なんや」とかそんなことが多い。 だから京都では悪口を言ったら生きていけない(笑) いろいろな選挙を手伝いにもいきましたけど、京都の人たちは誰に対してもはっきりと拒否はしないのです。断る場合でもやんわりしています。おおむね「まあまあ」みたいな感じで。

守田
ずっと首都だったし権力争いも激しいし、だから誰がどこで勝って負けるか分からないし、みんな政治的な立場を曖昧にしていて、いつでも勝った方の旗をあげられるようにしてきたのではないですかね。

冨樫
僕はそんな京都の雰囲気が好きなのですよ。「京都のいやらしさ」だとか言われることも多くて『京都ぎらい』なんて本も出ているけれども、なんか愛着を感じて。 例えば京都の人はどこまでを京都と捉えるかが違っているのです。町の中心の人はそこが京都やと思っているし、少し周りの人はやっぱりそこまでが京都だと思っているのです。 僕の家なんかは御土居(*守田注 おどい。豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁のこと)の中、ぎりぎりなのですよ。そうしたらその辺の人は「ここらまでが京都」みたいなイメージを持つのです。 でもその周りの人もぎりぎり自分のところまで京都に入れたいというか。逆に言ったら京都というのはすごく境目が曖昧で広いのです。

守田
西京のある会合に呼ばれたときに「これ、にしきょうって読むんですか?にしぎょうって読むんですか?」って聞いたら「あ、守田さん。京都の人ではないんですね」と言われました(笑)。 「ほんまの京都は上京(かみぎょう)、中京(なかぎょう)、下京(しもぎょう)だけですわ。うちら、よそもんですわ」と言われたのですよ。でも御土居を入れたらもう少し広いよね。

冨樫
北区も入ります(笑) 豊臣秀吉による線引きはそこだという話なのですよ。でも「京都」と言ってももともとの北区の僕の実家も周りは畑だったそうです。僕の母の実家はというと呉服関係の商家の流れだそうです。 昔の写真をみると御公家さんにもらった「扁額(へんがく)」というものがあります。宿泊して接待してもらった代わりに書かはるんですわ。「来たよ。だからただで泊めてよ」みたいなことらしい(笑)持ちつ持たれつですね。

父は山形の農家の出身です。父の実家は農家で「大学」という概念を集落の人が知らないようなところでした。「上の学校に行く」という言葉があって、そんな感じで送りだされて立命館に入りました。その後、勤めた職場が三条の辺にありました。 母は同志社を出たのですけれども十字屋(守田注 京都に本拠を置くミュージックショップ。現在の社名はJEUGIA)に努めていてそこで組合活動をして同じ地区の労働組合だということでそこで父と出会ったわけです。

守田
お父さんも、学生運動などそういうことをされていたのですか。

冨樫
はい。とにかく父の田舎には「冨樫」という名が多いのですが、父が学生運動にかかわっているとわかって、「立命にいってアカになった」と騒ぎになったようです。でもその後、母と結婚したら「京女と結婚した」と喜んでくれたそうで。

守田
喜んでくれた!?わあ。「京女」と結婚したら喜ぶんだ!

冨樫
京都はあこがれみたいです。


     京都疎水沿いの「哲学の道」をきれいに (冨樫さんFacebookより)

● 48歳で亡くなった父のことを胸に

守田
そのお父さんのことをもっと聞きたいのですが。48歳の時に亡くなられたそうですね。そのときは富樫さんはお幾つだったのですか?

冨樫
22歳です。父はそれまで平日は仕事が忙しくて日曜日はごろっとなっているだけで、「なんもせえへん」みたいな感じだったのですけれども。 仕事は水道のコンサルタントでした。上下水道の設計の仕事を主に京都府下の自治体からの依頼で行っていたのですが、府はとても横暴で、契約以外のこともたくさんやらされたそうです。

守田
コンサルトというのはどういう仕事?公共の仕事なのかな?

冨樫
水道事業は、京都府も京都市もコンサルタントに丸投げなのですよ。公共と言いながら下水などを設計するのは私営の会社なのです。設計を委託しはるんです。父は「植物園の地下の下水とか設計したのはわしや。どこそこはわしや」とか自慢していました。 技術者としての誇りがあったのだと思います。ものすごく忙しくしていたけれど、設計が好きなので夢中になって一生懸命にやっていた。その上、面倒見も良い人やった。 自分にも厳しいけれど人にも厳しく指導して、苦労しながら若い人を育てていた。時には後輩の失敗をフォローしたりもしていてけっこうストレスがあったようです。 それで死ぬ一週間前に僕とか家族に「実は仕事を辞めたいんやけど」とポロッと言ったのですよ。そのときに僕は半分冗談やと思って「そんなん、学費の支払いとか、家のローンとかあんのにどうすんのん」って言ってしまったのです。軽く言ってしまった。 すごく後悔しています。受け止められたら良かったのですけれど。「そんな生き方もあるねえ」とか言えたら。(冨樫さん、ぐっと言葉に詰まる)

守田
22歳でしょう?むりむり。

冨樫
そんなことがあってから一週間後に、職場を介して突然電話がかかってきました。とにかく急いで病院に行けと。行ったらもう心筋梗塞による昏睡状態になっていて・・・。 そんなことがあって、組合の人も「労災を申請するなら協力します」と言ってくれはったけれども、父は中間管理職やったし、家族としては「争いになったらとても耐えられへん」と思いました。 しかも父は会社のことが好きだったし、わざわざ争うところまでいくべきなのか悩んで、結局しなかったのです。会社もおもんばかって退職金以外に規定にないお金を払ってくれはりました。 「社葬にしたい」ともいってきはったのですけれどもそれは断りました。「父は会社のために働き過ぎて亡くなったのですから」と言って。

結局、その会社もあまりにもきつすぎるということで数年前に解散しはったんです。大手の資本の下にあれば技術者を守ることができるのだそうです。たくさんの取引先を持っていて行政側と対等に交渉できる。 でも中小企業に対して行政は本当に情け容赦ないのです。ほんまに小間使いのようにやってきます。「それではとてもやっていけへんわ」ということで「解散するのならまだ財産があるうちにしよう」ということになったそうです。

● 父の死は業界全体の問題、民営化などもってのほか!

冨樫
水道事業は、いまは拡張からメンテナンスの時代になってきているので、より仕事が大変なのだけれど儲かるわけでもないから解散しはったそうです。親父が死んでから十数年後の話ではあるけれども。 でも父親のことにも矛盾が現れていたと思います。誰かが必ずそうなったのでしょうね。構造的に。 うちの親父が働き過ぎで死んだのは会社の問題というよりも、業界全体の、いや技術職の世界の多くが抱えている問題なのだと思います。 ひどいところが多いのですよ。業界全体に矛盾があったから起きた問題、会社として一定の対処が仮にできていたとしても、やはり誰かがそうなったのではないかと思いますね。 ほんまのことを言えば、僕よりも父親の方が政治家向きやったと思いますね。面倒見もいいし。その意味では大事な人を亡くしたと思います。 父は管理職になるまでは組合運動も積極的にやっていて、その後も後輩の相談に乗っていたようです。業界の中の労働条件改善などをやっていたようです。

守田
お父さんのことを考えて、水道の民営化とかはどう思いますか?

冨樫
もちろん大反対です。それにそもそも水道を扱う主体の側が水道に関する技術をもっと持っておくべきだと思いますね。 大雨が降った後に、例えば銀閣寺の周りで雨がたくさん降ったらなぜかトイレの水があがってくるという家があって、本来は、あそこの風致地区は下水と汚水は別の下水管にしているのですよ。 だからそんなことが起きるはずはないということで、行政は「なんでか分からない」で終わらせてしまっていたのです。でも結局、別のところで同じような問題が起こって、地下を見たら汚水枡が割れて雨水が入りこんでしまっていたのです。 そういうことは設計図をもとに下水管をカメラで調べるなどすればある程度分かったはずで、そこまで敏感に判断して動ける行政でないとあかんのですよ。それができていない。ほとんどのことをコンサルに丸投げしているから十分に機能を発揮できてない。

コンサルは市民と接触するのは仕事ではないので、行政の側が市民やいろいろな関係団体と交わってそこから出てくる情報を判断し、適切にコンサルにつないで解決を図る能力を持たないといけない。 でも今はますますコンサルへの依存を深めています。本当によくない。その上、民営化などしてしまったらますます現場を請け負うコンサルと市民や関係団体の関係が切れていくわけですよ。 昨年の台風21号被害のときの関電の対応が象徴的です。関電の職員は現場で必死にがんばってくれていたけど、会社としては顧客や行政への情報提供や連携がなく、顧客からの連絡をうけつけない。そんな企業体にしてしまったらあかんと思います。 民営化するのではなくて、今の水道局をもっとしっかりとした技術を持っているところに育てていかなあかんと思います。

守田
それを僕の恩師の宇沢弘文先生は「社会的共通資本」と呼ばれました。水道は典型的な社会的共通資本で儲け本意の市場に任せてはいけない。でも官僚の恣意的管理に任せてもダメなのです。地域住民とその道の専門家が入って民主的な共同管理をしないといけない。例えば冨樫さんのお父さんのような方が管理に参加することが必要だというのが宇沢先生の持論でした。

冨樫
よく分かります。そもそも水道は儲かるところなのですよ。水は誰にとっても絶対に必要なものだから料金を値上げしたらその分だけ利益が増えるのです。水源は琵琶湖にしかなくてその琵琶湖からの取水権を京都市が押さえているので他が参入などできない。また水道は全部が一体化したインフラとしてしかうまくいかないのでその面でもどう考えても京都は一社でしかできずに独占になるわけです。 だから市場原理などに任さず京都市が運営する公営の独立採算制の企業などに運営を任せるのが良いでしょうね。 でもそういう点でも本当に親父が生きていたらもっと有効な知恵をいっぱい出してくれたと思うのですよ。現場のことをいっぱい知っていましたものね。市会でも水道局が答弁に困るような質疑もできたのではないかな(笑)。 ともあれ民営化は普通に考えて危険ですよ。金儲けに走ったら幾らでもできる領域やし。今だったらお金が払えないからと言って機械的に水の供給が止められることはないですが、私営のサービスだったらお金が払えなかったら止められてしまうでしょう。 そんなものを公的な側が手放してしまったら本当にどんなことされるか分からない。

京都大学のそば、東一条交差点で街宣する冨樫さん (冨樫さんFacebookより)

続く

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明日に向けて(1665)内なる革命を貫きつつ社会を変えていこう!(加藤あいさんインタビューその3)

2019年03月27日 11時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20190327 11:00)

日本共産党市会議員(左京区選出)・加藤あいさんインタビューの最終回をお届けします。

● 内なる革命を進めながらあゆむ

守田
でも加藤さんのことに話を戻すと、加藤さんがさきほど話していたのは「内なる革命」ですよね?

加藤
内なる革命ですか?どういうことですか?

守田
だって自分は管理教育反対だったのにそうではない自分とぶつかって。

加藤
私はそういうものの考え方をする傾向が強いのですよ。「自分はこういう風に言ってきたはずなのにこうじゃないか」みたいな発想が多いのですよ。

守田
素晴らしいですね!

加藤
素晴らしですか?辛いのですけど(笑)

守田
でもそれって主体的ということですよ。

加藤
なるほど。

守田
自分も気を付けていることだけれども、男女平等だと言いながら、家に帰ったら突然「亭主関白」という場合があるじゃないですか。それは言っていることを自分に通さないわけでしょう。 他のさまざまな社会問題でも「日本政府が悪い」というところにとどまってしまっていてはダメで、自分を通すかどうかでなんでも変わってくると思うのです。 そういう意味で主体的であることが大事だと思うのですが、その点で加藤さんは主体的に発想されるのだなと思うのです。よくそこに共感するのですよ。 それが「問われる」ということだし、自分が言ってきたことを裏切らないということでもありますよね。

加藤
そうですね。

守田
だから自分が言ってきたことと自分が直面したことの間に葛藤が生まれる時は内なる革命が始まる時だと思うのですよ。外なる革命、政府が悪いというだけにとどまらない。 僕らは現代社会にさまざまな矛盾を感じているわけですが、でも良くないと思っている社会の中に生きている僕らは、知らず知らずのうちにその価値観に染められている面もあると思うのです。 そういう面と向き合うのが外なる革命に連動すべき内なる革命だと思います。その点で加藤さんは、自分を問うていく回路が強いのだと思います。

加藤
そう言ってもらえると嬉しいです。

雪降る中での加藤あい事務所開き 2019年1月26日

● 市民と野党の共闘を豊かに広げたい

守田
うーん。僕はここが一番大事なところだと思うのですよ。それで話をいま私たちが直面している市民と野党の共闘、さらには市民と共産党の共闘の豊富化にぐっと移していきたいと思うのですが、これまで選挙を主体的に担ってこなかった市民が新たに能動的に選挙に関わるときも一つの内なる革命があると思うのです。そのためにはやはり自分たちで活動を作っていくことの面白さは大事です。 ところが選挙で市民が共産党を応援するとなると何かすでに決められたことを「はい。これをこうやってください」と言われるようなイメージしかできないのです。対して概して無所属の場合だとみんなが持ち寄ってみんなで作っていく楽しさが得やすい。 そこを市民と共産党の間でどう作っていくのか。その回路をどう作るのか。僕は今後、多くの市民と共産党がより豊かな連携を作っていく上でここがとても大事な点だと思うのです。

いまの段階ではいろいろと政治経験を積んできた僕だからできる面もあって、もうちょっと普通の人が共産党の人と一緒に選挙をやりながら自分の能動性を発揮できる仕組みをどう作っていったら良いのかと考えるとまだ解けないところがたくさんあります。 とくに統一地方選のように党派名を掲げた選挙になると難しいです。そうなるともっと党派性の緩い他の党に選挙に能動的に関わりたいと思って参画してくる人が流れやすいのではないかな。

加藤
その辺のこと、守田さんが言う「回路」という言葉がぴったりくるなあと思うのです。共産党と市民がどう選挙を一緒にやっていくのか。そこにどういう回路があるのか。私たちの側もどう関与してもらえばいいか確かに良く分からない面があります。 でも共産党でもセンスの良い写真をバーンと使っていて、キャッチフレーズだけ書いている議会報告も作ったりしているのですよ。「こんなチラシ、良く作れたね」と言ったら、いろいろなことを言われなかったのですって。

でも私の経験ではやはり共産党には長い間のみんなの経験の積み上げの中で、「こうしたらいい」というノウハウもあるから、それを変えるためには哲学がいるのです。「こうこうこうだからこう変えよう」という哲学がないといけない。 中央委員会は「市民とともに行う選挙をやろう」という方針を出しているのです。でも発想が乏しい。左京区は守田さんとかがいるから共同のスペース(*守田注 左京まちの交流ひろば 百万遍)を一緒に作り、実態を持たせることができて、そこから企画を立ち上げていろいろと共闘を広げようとなっている。 ともあれ哲学は出されているけれど、それを有効に前に進めるためには共産党の側もさらに脱皮していかなければならないと思います。

守田
京都では福山和人さんをみんなで推した京都府知事選でとても大きな市民と野党の共闘の枠組みができました。それも私たち京都のみんなの内なる革命の一つだと言って良いと思います。 それは本当に素晴らしいことなのだけれども、もっと多様で豊かな共闘を実現させたいですね。

加藤
私もそう思います。

守田
さてそろそろ時間ですが、今日は本当に面白い話が聞けました!

加藤
これで良かったのですか(笑)

守田
加藤さんの内なる革命のことが聞き出せたしすごく良かった。悩んでいるところも聞けて良かったです。

加藤
私は基本はそういう人なのです。いつもいっぱい悩んでいるのですよ。

守田
まあ、そうやって自分を問うている人だなという匂いはいつも感じていたのですが(笑)。これからもぜひ一緒に奮闘していきましょう。選挙もぜひ頑張ってください。僕も自分ごととして最後まで頑張ります。

加藤
はい。頑張ります!

守田
ありがとうございました。

加藤あいさんのチラシ

終わり

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