明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1239)群馬県の被曝状況と向かい合って(「原発からの命の守り方」を携えてー2)

2016年04月08日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1201~1300)

守田です。(20160408 23:30)

埼玉、群馬、東京と『原発からの命の守り方』を携えて旅をしてきて4日夜に京都に戻りました。
さすがに疲れが溜まり、ご報告が続けられませんでしたが、元気になってきたので旅の報告の続きを書きます。今回は群馬編です。

群馬県には3月28日に到着し、4月1日午前中日まで群馬県玉村町のTama村Base=堀越啓仁さん、裕子さん宅にお世話になりました。
1日午後に前橋市に移動し「JAZZ RUG」というお店で2回ほど講演させていただき、2日に桐生市の「れんが蔵」で2回お話してきました。翌3日に東京に移りました。

28日にはTama村Baseでお話しました。ママさんたちなどいろいろな方が集まってくださいました。
僕の話は高浜原発運転差し止め仮処分決定から入り、再稼働の問題点、福島原発事故の振り返り、広がる健康被害、ウクライナの実態、被曝過小評価の根拠としての原爆被爆者調査と続き、後半に原発災害対策を展開する形で構成しています。

この健康被害のところで、群馬県における福島原発事故での被曝の問題もお話ししました。
群馬県は福島原発から飛び出して北西方向に流れ、福島市付近で大きく流れを南にかえて新幹線の軌道に沿うように南下し、那須高原など栃木県北部を激しく被曝させたプルームがそのまま流れ込んで雨を降らせたところです。
このため赤城山をはじめ、県北のさまざまな地域が激しく被曝しています。チェルノブイリ法の基準に照らして「避難権利区域」に相当するところがたくさんあります。
またこの流れが群馬県西部から南下していき、安中市や下仁田町なども被曝させてしまいました。

これらの話をする時に、僕は必ずこうお伝えするようにしています。
「群馬県を愛しているみなさんには大変、申し訳ないですが、チェルノブイリでの避難の基準などを見る限り、群馬県には避難した方が良いところがたくさんあります。」
「しかし避難するといっても権利が認められない中でかなりお金もかかるし、人間関係もリセットしなければならない面もあって、なかなか実効に移しにくいこともよく知っています。
その場合、どうやって身を守るのかもお話しますが、放射線被曝から身を守ることだけを考えれば、避難することが最も合理的であることをまずはお伝えさせてください。」

このお話をするのはもちろんいつだって辛いです。しかし聴かされる側の方が何百倍も辛い立場におられます。そのことを考えて、心を込めてお伝えするようにしています。
実は今は玉村町に住んでいる堀越さん一家も、もとは下仁田町に住んでおられたものの、二人の娘さんたちが激しく鼻血を出すなどしたことなどから避難を決意。
群馬県を去るわけにはいかない事情もある中、いろいろと悩み抜いた結果、県内でもっとも被曝量が少ないここ玉村町に転居されたのでした。1日に訪れた前橋市は高崎市とともにこの玉村町の北側を囲むように位置しています。伊勢崎市も東隣です。
これらの地域も北部に比べればまだ被曝量の少ないところですが、しかし北に行くにしだがってどんどん線量が高くなっていきます。2日に訪れた桐生市も北部は大変線量が高いところが多い。

その群馬県にそもそも僕が初めて訪れたのは昨年の4月のことでした。県内の30代の女性からかかってきた電話での依頼に応じさせていただいたのでした。
彼女の電話は衝撃的でした。「自分の周りで県内で二人、県外で一人、水頭症の赤ちゃんが生まれました。他に口蓋裂の赤ちゃんも生まれてのど元まで裂けていました。被曝影響が心配でたまりません」というものでした。
もちろんこうした事例の一つ一つが被曝の影響であることを示すデータは今はまだありません。しかしこうした事態はこれまでも耳にしてきたものでもあり、群馬県が線量が高いことを考えると、僕には十二分に被曝の影響があると思えました。

それでこう答えました。「そういうことが起こっていると心筋梗塞などの死があなたの身近で起こる可能性があると思われますので、周りの方に心臓を守るように呼びかけてください」。
すると少し間をおいて彼女が「実は30代中頃の男性の友人がすでに心筋梗塞で亡くなりました」と答えられました。
にもかかわらず福島原発から遠く離れた群馬では、被曝に対する危機意識が薄いので、意識喚起に来て欲しいとのことだったのです。
ちなみに群馬県玉村町から福島第一原発までは約211キロです。

それで昨年4月にうかがったのですが、その時の講演会には群馬で脱原発運動を担っている方たちもたくさん参加して下さり、さらなる情報ももたらされました。
印象的だったのは赤城山の麓に住まわれている方から、野生動物がボロボロだという報告を受けた事でした。タヌキやキツネやイノシシが毛皮が剥がれた状態で歩いているというのです。
後日ですが伊勢崎市にある市民放射能測定所の方より、タヌキの糞を拾い集めて測定したところ、1キログラムあたり3000ベクレルという高い放射線値が測定されたことを教えてもらいました。

また薪ストーブを使っている方から深刻な相談がありました。自分のストーブの灰を測ったところ17000ベクレルもの値が出たというのです。
僕は「大変ですが、薪ストーブはもう使わないでください」とお伝えしましたが、自分はそうしようと考えているものの、周りの人たちがあまりに無防備で、家庭菜園に灰を撒いたりしていることなども教えていただきました。

それで昨年は夏にも赴いて数カ所での講演をセットしていただき、さらに今回のツアーにいたったわけですが、その昨年夏の講演の前に、地元紙の上毛新聞に高崎工業高校野球部の生徒が白血病で亡くなったという記事が載りました。
クラブの仲間が遺影を抱えて、甲子園の予選大会の応援席に立っている写真が一緒に載っていました。
それでこの時の講演でこの記事を示し、こうした一つ一つの病と被曝との因果関係ははっきりしないものの、被曝影響の可能性も否定できない旨を話しました。

すると桐生市での講演の時に元群馬大学工学部教授で日立にいた折に福島原発4号機の設計にも関わられた五十嵐高工学博士が参加されていて、怒りを込めて「だから僕は2011年にせめて野球とサッカーだけは止めろと言ったんだ」と語られました。
五十嵐先生によると、福島の高校生たちの内部被曝調査でも、野球部、サッカー部に比べてバスケット部の子たちの方が被曝量が少ないデータがあるのだそうです。グラウンドと体育館の違いです。

今回もこのお話をしたのですが、ある場での参加者の一人に、お子さんたちの大好きな野球を続けたいという思い、固い意志をどうしても変えられず、今日まで来てしまったというお母さんがおられました。
子どもたちが心配な事もあって、チーム全体のサポートなどに関わられているそうなのですが、その方が言うには、子どもたちの体調の異変が如実に見られるのだそうです。
具体的にはほとんどの子が今回のインフルエンザA,B型双方に罹ってしまい、中にはA型に2回も罹った子がいるというのです。この場にはたまたま病院に勤務しておられた方もおられましたが「聞いたことがない」と首をふられていました。
また子どもたちが全体に疲れやすく、激しい練習についてこられない子どもが増えていると言います。

「それはもう止めた方が良いです」とは言いましたが、しかしその方のお子さんが止めても、たくさんの子どもたちが危険な場でのスポーツを続けている現実が残り続けます。
その総体を無くし、子どもたちを守らないといけない。そのためには注意喚起をさまざまな形で続けなければなりません。

続く

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1 コメント

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群馬の被ばく (久野)
2016-04-10 07:36:30
守田様
昨年は大津市での講演ありがとうございました。私一家は宮城県から家族で昨年滋賀県に移住しましたが、群馬の被ばく被害の状況を聞いて驚きました。東日本全体の被ばくについては知っていて、関東からこちらに移住して来た友人も複数いますが、被害がこれだけ出ていることに改めて、事故の影響の深刻さを感じました。これからも、守田様の実情の報道を知って伝えていきたいと思います。ありがとうございます。
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