守田です(20161201 11:00)
前回の続きです。
再びIWJの動画アドレスをご紹介しておきます。
被爆二世の健康実態調査報告と原発事故被災者の健康を考える学習講演会 福島の被曝、そして広島・長崎の被爆の重ね合わさるもの
三田茂医師、守田敏也氏 2016.11.27
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/347977
下澤さんのレポートの後半です。
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三田医師の語る被曝影響・・・この調査を広げて下さい!
~「福島の被曝、そして広島・長崎の被爆の重ね合わさるもの」に参加して~
2016年11月28日 下澤陽子
〇時間の経過による放射能影響の推移について
(三田先生の考えるところ)
放射能の量は広島長崎の約1000倍。
事故直後の 3月15日 (爆発後のプルーム) 3月21(雨)。
事故の数ヶ月後、小平でもリンパの腫れ、皮膚のただれ、皮下出血、咳が止まらない、鼻血、血尿、骨折など、みられ、それらは一気に来るのではなく波があった。これらの影響はだんだん減衰していく。
物を燃やすことによる、また事故が収束していない原発から降り注いでくるものはありそれらは積み重なっていく。
事故後5年くらいが経過し、様々な名前のついた疾患が増え出し、それはずっと続く。
そして、事故から20年~第二世代の子供たちの多くが健康に何らかの問題があり、様々な疾患を抱える状態に。
先生の作られた簡単なグラフを見ました。この第二世代への影響は、事故の後すぐと比較すると、はるかはるかの高いところにありました。
〇人間は十人十色。
被曝の症状は多岐にわたり(広島・長崎2世3世の方々が訴えていることとかさなることも多い)、その影響も受けやすい人と、受けにくい強い人とがいる。
広島長崎の原爆の投下後、放射能に弱い人に至っては、初めの5年で既に亡くなってしまっている。いま、とられている統計は、そこを生き残った放射能に強い人たちのものであり、2世3世の方々はその強い遺伝子を受け継いだ方々と考えられる。
しかし、チェルノブイリ後の第2世代についてはほぼ全員が何らかの被曝影響を受けている。(集中が続かず授業時間を短縮。体育の授業が普通にできない、様々な疾患など)
〇マスコミについて
新聞は幾社も取材に来た。ニホンザルの白血球の減少の話は記事にできても人間の話は記事にできない、東京新聞であっても。
TVも2社取材に。報ステ、報道特集、取材に来たプロデューサーに危機感はあっても番組になることはない。
韓国のテレビには出演。
岡山のラジオでは収録を全て放送される。
このくらいにしときます...。
2012年から13年 東京の三田医院の診察室は涙涙だったそうです。
子供の症状などを心配し母親が医者の前で放射能という言葉を出した瞬間、お医者の態度が変わり、ひどく叱られて傷ついた母親達が三田医院に訪れたそうです。
泣かないで帰った人は一人もいなかったって。
なあんだ!私と全く同じじゃないの!
私も傷つき、唇をかみ、涙しました。(悔しいので泣きませんでしたがいつも涙が滲みました)
東京にいた時、私は残念にも三田医院の存在を知らなかったので。(私が移住前、三田先生にお会いしたのは一度きり、最後の小平の講演会でした)
それは「やっと受け止めてもらえた」の涙ではなく、話が全くできない、届かないという絶望の方の涙でした。
娘は今朝も元気に学校へ行きました。
この当たり前に思える奇跡に、私はこの上ない感謝の気持ちを抱き、日々を過ごしています。
こちら神戸に移住して2年半が過ぎ 娘の元気は日常のことになりましたが私は東京での最後の2年間の毎日は決して忘れることができません。
それが今の私を動かしています。
わからないということ。
一番つらかった。
何が辛いのか、苦しいのか、なぜ苦しいのか分からない。
だから何をしたら良いのかわからない。
そしてこれが一体いつまで続くのか終わることがあるのかも、分からない。
被曝影響の懸念を口にすると、お医者には徹底的に叱られたり、バカにされたり。
私は病院には行けなくなった。
今なら言ってあげられる昔の自分に。
得体のわからない症状に苦しみ始めた小学校1年生の娘と共にいた昔の自分に。
「呼吸を楽にしてあげて!それは喘息の症状なんだよ!そして何よりもそこから動いて!放射能汚染のない土地に一刻でも早く!!」
今日本人はみんなお猿さんなんです。見ざる言わざる聞かざる。お医者さんだってそれは同じ。
核分裂生成物。
死の灰というもの。
70年前一瞬の核爆発によって生まれ、広島と長崎の地に降り注ぎ、人々の体に入り、その人生を苦しませ続けてきたもの。その子供に孫に、影響を与え続けているもの。
大気圏核実験、そして福島原発事故後、多くの日本人の身体に日々、入り続け、その健康と命を脅かし続けているもの。
今、鹿児島の原発で生み出され続けているもの。
そして、私の娘の身体に入って娘を苦しめたもの。
それは変わらない、同じものです。
私はそうとらえています。
そして事実、そうです。
経済発展の名のもとに、いつのまにか私たちの生活に入り込んできてしまった戦争の道具、もしくはその産物。
緩やかな殺傷、それが死の灰。
今私たちはそんなものと生活をしている。
なのに見えないように、見ても見ないように、話されても聞かないようにしている。
そして言えないように言わないようにしている。
「命を守れ!内部被曝から守れ!」と。
今起きていることをどう捉え、どう見るか。
感じるのは、三田先生はそれがいつもご自分の診ている患者さんから始まるということ。
それはまるで私が、自分の娘を見るということから始まったように。
患者さんを楽にして、苦しみを取り除き、健康な毎日を送ってもらうこと。
きっとそれが、先生のお仕事なのでしょう。
お医者さんにも色々な人がいます。研究者であったり、肩書きあり、実績をたくさん積んでいる先生であったり。
そんな先生ば今までのタイプ゙の実績の上に乗っかっているって。
だから、新しいタイプの事象には乗れないのかな。
実績について「僕は興味ないから」、先生はそんなふうにおっしゃっていました。
三田先生が 自分のされている血液検査のことを説明しようと分厚く摘まれた患者のデータを全て持ってきて見せても、最初の2枚3枚しか見ようとしないのだそうです。
子供の病気を見つけるために血液を見ることはあっても、放射能影響を受けているかどうかという視点で、多くの子供達の血液を見ると言う、今まで全く行ったことのなかった話を多くの小児科医は受け入れようとはしなかったと。
やっていることをおかしいと言われたことはなかった。医師会では理事として信頼もされていた。
でも先生のされることを、では自分も一緒にやろうと立ち上がる先生は誰もいなかったそうです。
誰もです。
血液検査を勧めてもやろうとした先生はゼロだそうです。「子供が可哀想でしょ」って言うんですって !
講演後の親睦会の居酒屋さんでは、先生のお隣でお話をたくさん伺うことができて、幸せな時間でしたが、切ない思いもたくさん感じました。
「僕は誰も仲間がいないんですよ」
守田さんは先生がそう話されるのを聞いて胸がキュンとなったそうです。
確かに先生にはお医者の仲間はいないかもしれませんが私は仲間です!同志です!
そして、多くの、首都圏で被ばくと向き合う母は、そして全国に散らばる避難者は、きっと同じ思いでしょうに。
日本のお医者さん!頑張って欲しいです! 本当に本当にそう思います。今、日本は、本当にひどいことが進行中です 。
どうか、気づいてほしいです。
私はお医者の前ではもう二度と放射能という言葉は使うことはできない。
そう感じてしまうほど絶望的な経験でした。
これから診察で、放射能という言葉を使わずには説明のできない、さまざまのことが増えてくるのだと思います。
「そんなことはない」と言うのでなく 母親の話を聞いてほしい。
先生がおっしゃっていました。自分は信じるから何でも言ってくれという姿勢が大事だと 。
100人に聞いてみて200人聞いてみて、信じて話を聞いてみると見えてくるものがあるのだと。
たった一人でいい。先生の後に続くお医者さんが現れますように!
そして、一緒にやろうというお医者さんが現れますように。1人2人3人とどうか増えていきますように。
祈らずにおられません。
ところで全く関係のない話。
昨夜、家で夕ご飯が 食べられなくなったと連絡すると、娘が写真を送ってきました。
お父さんが生のカニを買ってきたと。
お母さん帰ってくるかと思って、お母さんのために腕によりをかけて作っていたのに、と。
カニライスと、ポテトにカニを乗っけてカニみそをかけたやつ、カニを丸ごと綺麗に出して蟹味噌をかけたもの。
すごいカニディナーが待っていたのに!
ごめんよ~
娘は好きなことがいっぱい
毎日をエンジョイしています。
健康ほどかけがえのない素晴らしいものはありません。
みんなで、もう、お猿さんになるのはやめましょう!
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連載終わり
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