明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1712)ウラン鉱山跡地の処理はあまりにずさん。被爆者は世界中にいる。(ニューメキシコの旅4)

2019年07月13日 05時42分22秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190713 05:30 ニューメキシコ時間)

グランツミネラルベルトを訪れて

ニューメキシコの旅、12日はラグナ・プエブロとグランツミネラルベルトを回ってきました。プエブロは「人々」とともに「集落」「村」も意味するようです。

また先住民の中の同じ言語族の方が「プエブロ系インディアン」とも分類されるようです。ただしこの辺、僕はまだ知識が成熟していません。より正しいことが分かるたびに修正を加えて報告させてください。

さてラグナはアルバカーキから西にずんずん車で1時間ほど行った町でした。100キロぐらい離れているのかな。

ここは「グランツミネラルベルト」といわれたアメリカ合衆国のウランの一大生産地でした。1950年~1990年まで約3億4千万ポンとのウランが掘られたそうです。にわかに判断し難い量です。

ちなみにアメリカでは西部14州でウラン鉱山や精錬所が作られましたが、鉱山の数は約4100か所、それらのために放射能汚染された地域が10400か所にも及ぶそうです。

ラグナではこの問題と向き合っているクリスティーナさん宅にお邪魔してお話を伺いました。おじいさんがインディアンとしての尊厳を守られた方だそうですが、「今はその精神を受け継ぐものが減ってしまった」と投げかけられていました。


グランツミネラルベルトを表した簡易図(ミランのマイン博物館にて 守田撮影)

生活を破壊したジャックマイルマイン

ここにはジャックパイルマインという広大なウランが露天ぼりされた場があります。

それまでこの地域は貧しくて仕事を得るためにはとても遠くまで行かなくてはならなかった。

そこにウラン鉱山がやってきたとき、人々は地元に仕事の場ができて喜んだそうです。しかし同時にそれはそれまで自給自足の生活が基盤にあった人々の中に貨幣経済が持ち込まれることとついだった。しかもアルコールが持ち込まれ、辛い鉱山の仕事の後の憩いを得たい人々の間に瞬く間に飲酒習慣が広がり、やがて深刻なアルコール依存症が蔓延する結果も作り出しました。

鉱山とお金とアルコールがセットでやってきたのでした。

最終的にここの鉱山は1980年代に世界各地に新たなウラン鉱山がみつかり、価格競争で負けたことから廃鉱になったのですが、人々はそのまま放り出されただけでした。


発掘が終わったばかりのジャックマイルマイン(途中で立ち寄ったカフェの壁にあった写真)

廃山後の処理があまりにずさん

そんな生活の激変をもたらしたこのあたりのウラン鉱山、とにかく車で走っても延々続く膨大なものなのですが、なんと今も上から少々、土をかぶせただけなのです。

ジャックマイルマインの現状・・・ただ土をかぶせただけ(守田撮影)

ウラン鉱石はそれ自身が放射線を発します。また放射線を出した後に違う物質に変わりそこからもまた放射線が出ます。このためラドンガス、ポロニウム、放射性ビスマスなどの「娘核種」と呼ばれるものも健康被害をもたらします。(なおこの点は細川弘明さんからいただいたコメントからの引用です)

これらによる健康被害もずっと続いている。あまりにひどいです。

あらためて「被爆者は広島・長崎だけではなく世界中にいる。世界中のウラン鉱山の周りにいる」と実感する訪問でした。

さて今日はここまで切り上げて朝早くから集会に参加するために出かけます。

チャーチロックというところでのウランによる汚染の漏洩から40周年の集会です。デモにも参加してきます!


マインミュージアムにウラン原石が展示されていた。ガイガーカウンターを近づけると5.73μ㏜も!

***
 
明日に向けての連載1700回越えと今回の取材の旅に際して皆さんにカンパのご協力を訴えさせてください。
残念ながら今回、公的機関の助成を得ようとしましたがうまくいかず全て自腹で旅しています。
核の時代を終わらせるための活動へのご支援としてお願いできると嬉しいです!
 
振込先 郵貯ぎんこう なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
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店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金 口座番号 2266615
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明日に向けて(1711)ロスアラモスを訪れて(ニューメキシコの旅3)

2019年07月12日 07時42分41秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190713 07:30)

 
今でも周辺に被害をもたらしているロスアラモス
 
ロスアラモスに行ってきました。とてもラッキーなことに、ここに向かう過程でTEWA WOMAN UNITEDというグループの方達にお会いできました。
レオナさんの紹介で玉山さんがセッティングしてくれましたが、彼女もその活動をよく知らなくて「突撃訪問」になりました!
このグループは6つの先住民の部族の連携で成り立っていて、ネイティブ・ウーマン、ガール、そしてマザーアースへの暴力に立ち向かっている。
1995年に北京で行われた女性国際会議に参加して帰国したのち結成したのだそうです。なんとも感慨深い。


TEWAの事務所(守田撮影)
事務所とロスアラモスに向かう途中で聞いたのは、この大きな研究所周辺で大きな火災があったことです。それも3回も。2000年に起こったのが激しかったそうで詳しくはわからなかったのですが、核廃棄物も一緒に燃えてしまい、放射性物質が東方に向かってたくさん流れてしまったと言います。健康被害もあるという。

左上は住民運動の中で作成されたニューメキシコ核被害地図
中央より少し上の赤い地帯がロスアラモスで火事による放射能の煙が北東に流れたことを示している
途中の渓谷でも説明を受けましたが、この時、放射性物質が近くを通る川にも流れ込み、通常の基準値の6倍の汚染が確認されたそうです。
その側には取水施設がある。近くの観光地のサンタフェの水道がここから供給されているそうです。そんな被害を今もロスアラモスはもたらしている。


ロスアラモスからの放射能汚染水が流入した渓谷 サンタフェがここから取水している(守田撮影)
 
ロスアラモスはひたすら大きかった!
 
さてそれでロスアラモスに行ってきました。ここはどんどん山を登った広大な高原の上にありますが、とにかくひたすら大きな町でした。「この建物で原爆開発が進められた。。。」と象徴するような場があるのではなく(あるかもしれないけれど自由に研究施設を回れるわけではない)、ビジターセンターがあり、ミュージアムがあり、ショップが並んでいる観光地でもありました。


ロスアラモスの観光案内版(守田撮影)
ミュージアムに入ってみました。マンハッタン計画を主導したオッペンハイマーの像などが展示されている。広島に投下されたリトルボーイと長崎に投下されたファットマンの実物大模型などが置かれていましたが、もちろん被爆被害の展示はほとんどない。
これだけ見ても何もわからない。というか原爆製造と広島・長崎への投下の正義ばかりが表現されています。子どもたちが遊びながら原爆に接する場などもある。なんとも腹立たしい。
「原発のPR館に似ているなあ」と思いましたが、おそらく順番は逆でしょう。世界中にあるであろう原発PR館がここを真似たのではないか。被害の事実は一切伏せて、「正義」と「栄光」だけが強調されている。


ブラッドバリーミュージアム オッペンハイマーとグローブ、広島・長崎に落とした原爆のレプリカなどを展示(守田撮影)
それでも先ほどのネイティブの方たちの運動の成果として”DID WE BOMB OURSELVES"というパネルが入っており、なんだか心を洗われました。
「我々は自らに爆弾を落としたのか」と書かれている。しかもそれが”WHY THE BOMB”と原爆投下の正当性を示したパネルと向かい合っている。


原爆の正当化に対し「自分たちを爆撃したのではないのか」と告発(守田撮影)
 
被曝者は世界中にいる
 
このパネルをさらに良く見るとネバタの核実験で被ばくした女性と娘さんの写真も載せてありました。放射能の雲が空を覆ったのを見たそうです。その後、体中に発疹ができて髪の毛が抜け、爪が剥がれてしまった。この時、彼女は3番目のお子さんを妊娠していたのですが、生まれてきた娘さんは低体重でしかもすでにガンになっていました。生後6ヶ月後に手術を受けたそうです。その後も車椅子の生活を余儀なくされたと書かれている。
この核実験がなされたのは1958年のこと。僕は翌年1959年の生まれですから娘さんは同年代です。写真は1988年、彼女が30歳の時に取られている。胸がしめつけられる写真と説明でしたが、それが原爆投下の正義を強調し、日本軍の残虐さなどを強調したパネルに向かい合っているのです。


ダイヤナ・リー・ウーズリ―さんは1958年の核実験で妊娠中に被曝(展示パネルより)
とても悲しい展示なのですが、しかし同時に誇り高く「原爆の正義」に向き合ってもいる。。。
さてこの日の帰りに玉山さんがニューメキシコに来るたびにお世話になっている方の家に立ち寄り、ご夫妻とお会いできました。ネイティブの方たちの被ばくのことなどが話されました。ご夫妻は核施設に反対し、ネイティブの権利を守って大奮闘してこられた方です。
僕はみんなの会話を聞いているばかりでしたが、かっこいい活動家であるお母さんに別れ際に「僕は被爆2世なのです。だからロスアラモスに行く前からハイテンションでした」と語りました。そうしたら彼女、僕の手を握って「ごめんなさいね」という。「とんでもない。あなたたちも被爆者ですよ」と僕。
宿泊地に戻り、一人きりになって寝酒を飲んでいたらこの時のことが思い出され、不意に涙が出てきました。ポロポロと。
 
原爆許すまじ。核兵器許すまじ。だから原発も許すまじ。
旅を続けます。。。
 
***
 
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明日に向けて(1710)ロスアラモス国立研究所に行ってきます!(ニューメキシコの旅2)

2019年07月11日 08時24分37秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190711 08:00 ニューメキシコ時間)

 
ニューメキシコに無事に着きました!
 
ニューメキシコの旅、二日目です。
関空を10日午後4時に飛び立ちシアトルに夜中の1時、現地時間で朝の10時につき、割とすぐに乗り換えてニューメキシコ州のアルバカーキへ。到着は午後3時半でした。
 

ニューメキシコの空は抜けるように青い!(守田撮影)
2017年の反核サマーキャンプで知り合った友人でもあるインディアンのレオナ・モーガンがピックアップしてくれて先に来ている玉山ともよさんはじめ日本人研究者がすでに集っている民間の研究所へ。
すでにニューメキシコ州における健康被害調査のプレゼンが行われているところに合流しました。
以降、英語のシャワーが2時間。うーむむむむむ。




最初に訪れたSRIC 南西調査情報センター(写真はネットより)
中心メンバーで長くニューメキシコの核をめぐる問題を研究されてきたドン・ハンコックさんがいろいろと教えてくれました
(この写真もネットより)
 
ニューメキシコ州を始めアメリカ南西部の広大な土地からたくさんのウランが出てきて掘られました。
その多くがすでに廃鉱になっていますが、オープンピットといって露天掘りで掘られたい跡がそのままになっているところも多い。
そこからウラン残土などが大気に舞い、人々が吸込み続けている可能性があるのだけれども、これまできちんとした調査がなされておらず、いま具体的な研究をここの方達が進めているのだそうです。(健康被害についての調査はさまざまにされてきているものの、具体的にどれだけのものを大気中から吸引したのかという点は手が付いてこなかったのだとか)
‥詳しくは英語の文献をいただいたのでまた書きます。聴き取りがどこまで正確か自信がなくもあり。
 
ともあれそんな話をたっぷり聞いてからみんなで食事へ。ベトナム料理のレストランに行きました。
この辺はベトナム移民がとても多いのだそうです。中国人は少し。コリアンはほとんどいない。
これは冷戦構造となんか関係があるのかな。詳しくは聞けませんでしたが。
 
ロスアラモス国立研究所に行ってきます!
 
さて今日はロスアラモス国立研究所に行ってきます!
原爆製造計画=マンハッタンプロジェクトが展開されたところ。このために人工的に作られた都市です。
今でもアメリカ核戦略の中枢的な位置を占めている。
 

1995年のロスアラモス国立研究所(ウキペディアより)
 
ウキペディアによれば1943年に設立されたこの研究所は約110平方キロの敷地内に2500棟の研究施設があり、2500人の科学者を含めて10000人が働いているのだそうです。
「現在でも核兵器開発やテロ対策など合衆国の軍事・機密研究の中核となる研究所であるが、同時に生命科学、ナノテクノロジー、コンピュータ科学、情報通信、環境、レーザー、材料工学、加速器科学、高エネルギー物理、中性子科学、核不拡散、安全保障、核テロを抑止する核緊急支援隊の育成など、さまざまな先端科学技術について広範な研究を行う総合研究所でもある。」と説明されている。
 
こうも書かれています。
「合衆国の頭脳が集まる名実ともに世界最高の研究機関であり、「合衆国の至宝」 と称される。研究所は「The world's greatest science protecting America(アメリカを守る世界で最も偉大な科学)」を標榜する。」
 
しかしこんなもの。世界最大の人殺し機関じゃないか!この記述を見るだけで怒りがこみ上げてきます。
 
●  核の時代の出発点を見据えてきます。
 
どうも行く前から緊張しています。なんだかムラムラとしたものがこみ上げてくるからです。
いけない、いけない。これもある種の暴力的心情かもしれない。
冷静になろう、落ち着こうと朝から己を諫めています。
 
この場で作られた広島・長崎原爆はものすごい数の人々を殺し、今も殺し続けています。
いやその後に作られ、実験されたたくさんの原水爆でもたくさんの人々が殺され続けています。
あるいは殺されそうになっているのは私たち自身かもしれません。
 
そんなことも胸に秘めつつ、頭をクールに、クレバーにして見るべきものをみてきます!
 
***
 
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明日に向けて(1709)核の時代を見据えるためニューメキシコにいってきます!

2019年07月10日 14時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190710 14:30)

いま関西空港にいます。突然ですがこれからニューメキシコに向けて出国します!核の時代を見据えるためです。
参院選の最中ですが、前から予定していた重要な旅なので行ってくることにしました。
だからと言って選挙運動をやめてしまうわけではもちろんありません。後半戦はニューメキシコから参戦します! 




関空デルタ航空の出発ロビーより 関空⇒シアトル⇒アルバカーキ―へ
 
ニューメキシコには原爆を作ったロスアラモス研究所があります。
同所は今もアメリカ核戦略体系の重要拠点であり、「アメリカを守る世界で最も偉大な科学」が標榜されています。
しかしその科学が成し遂げたのは、広島・長崎の無辜の人々の大量虐殺でした。
 
同時にニューメキシコ州やその周辺はインディアンの人々の聖地でした。
そこからインディアンが迫害ののちの追い出され、やがてそこからウランが出てきました。
そのウランを被曝しながら掘らされたのもこれらの人々でした。
 
いまこの地には核施設がひしめいており、この後の核廃棄物処理のパイロットプラントも作られています。
今ここで行われていることはすぐにも日本にもやってくる。そのことも踏まえて彼の地を取材してきます。
丹波篠山市で共に原子力災害対策検討委員を担っている玉山ともよさんのお誘いを受けての旅です。
 
自分自身が京都「被爆二世三世の会」の世話人であることも踏まえてしっかりとした取材をしてきます。
どうか皆さんにお力添えをいただきたいです。
 
「倉林選挙事務所事務次長なのに行ってしまうのか」というお声もあるかもしれません。
申し訳ないことですが、あらかじめこの予定のもとで担うことを決めていたのです。
ただし先にも述べたように僕はニューメキシコから選挙運動を継続します。どんどん論を出します。ご期待ください!
 
それでは搭乗時間が迫ってきました!
みなさま。行ってきます!
コメント (1)
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明日に向けて(1708)だから僕は日本共産党を自分事として応援します!

2019年07月10日 08時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190710 08:30)

● だから僕は日本共産党を自分事として応援しています!

この夏の参院選、僕は京都選挙区の倉林明子さんと日本共産党をバリバリに応援し、日本共産党・倉林明子選挙事務所事務次長も担っています。
こうした日本共産党への応援は、正確に言うとその前の統一地方選からです。応援というより自分事として選挙を担ってきました。
僕は日本共産党への批判的な観点も持っています。そのことを知っている方もたくさんおられます。今回はそれでも応援している理由を述べたいと思います。

直接的な理由は前回の衆院選の時のことにあります。あの時、野党共闘がやっと成立して選挙協力がなされる目の前にありました。ところが希望の党が作られて共闘が無残に壊されてしまいました。
そうしたら共産党が身を切って共闘をギリギリのところで支えてくれました。議席を減らしながらです。
僕はこれに応えなければと強く思っています。

あれは完全に市民との合意を潰すあり方でした。にもかかわらずいったんは民進党の方たち全員が行きかけました。 と
ころがバリバリ右派の小池ゆり子氏が「リベラル排除」を始めたために、いわば希望の党にいけなくなった人々が強いられた形で作ったのが立憲民主党でした。
その時、共産党はそれまでの共闘合意の流れを大事にし、一方的に自分たちの候補を下ろして選挙での共闘を守りました。結果的に大きく議席を減らしながらでした。それもあって立憲民主党は予想を超える議席を得たと僕は思っています。

● 京都府知事選であったこと

だからこそ、立憲民主党がどんな形でこの信義に報いるのだろうと見ていましたが、その後の京都府知事選の時にとても残念なことが起こりました。
というのはこの時、弁護士の福山和人さんが立ち上がり、安倍政権の横暴を許さずに頑張ってきた京都のさまざな市民運動の担い手が選挙でははじめて大きく一つにまとまって「つなぐ京都」を作り、福山さんの応援を始めました。
福山さんはすべての政党に差別なく支持を呼びかけました。その中でこの流れに日本共産党もガッチリと乗ってきてくれて市民と共産党の新たな共闘の下での市長選が進んでいきました。

ところが共産党以外の野党の国政政党はみんな安倍官邸が送り込んできた「落下傘候補」の西脇氏支持に回ってしまったのでした。「国政と府政は別だ」と語りつつ。
もちろん残念なことに立憲民主党もそうで、かくして京都では「自民・公明・維新・国民・立憲」という巨大な与党連合が成立してしまいました。
ただしこれに対して立憲サポーターの多くの方が「それはあんまりだ」と福山和人さん支持に回ってきてくれました。

京都ではこんな経緯がありました。にもかかわらず京都の共産党の方たち、今回の参院選でも野党共闘を守らんとしてこうしたいきさつにも口を閉ざしています。
批判を安倍政権と自公与党に絞り「ほかの野党への批判はしない」姿勢を頑なに守っています。守って共闘を維持し発展させようと奮闘しています。
僕はこの懸命の努力に応えないと仁義が通らないと思うのです。こういう努力を評価せずにはおけないです。それでバリバリに応援し、いや応援の域をこえて自分ごととして選挙を担っています。

● 長い対立の歴史を越えて

より大きな点からもう一つ。僕は17歳の春、1977年に政治運動に出会い、18歳になった夏ごろからある政治グループへの関わりを始めました。新左翼のグループで、成田=三里塚闘争を担っていました。
しかし当時、新左翼は内ゲバでバラバラになっていました。対立党派間の殺人も行われていた。惨憺たる状況に対し、僕が参加したグループは「内ゲバを越えよう」と主張し、かつて自分たちがかつて行った内ゲバを真剣に反省する声明を出していました。
深く共感してメンバーとなり19歳になって大学に入ると、過去の対立の影響から違う新左翼グループにつかまり殴られたりしました。そのとき僕は血を流しながら「ともに闘おう」と叫び続けました。

それから僕は左翼運動の分裂状態を克服するために奮闘することを自分の使命と位置付けました。そもそも左翼は世界的にも四分五裂の状態にありました。各国共産党が批判をしあっていた。
僕は大学の中で、ときには棍棒をもったグループに追いかけられて逃げたりしながら「これは世界の民主運動のどぶさらいなんだ」と思い続けました。
しかし僕の夢はいつもはかなく敗れた。対立ははてしなく続きました。僕も大きくはその内側にいて結局、対立を越えられなかった。団結はいつも実現できませんでした。

そんな状況ががらりと変わったのが福島原発事故後でした。左翼だけじゃない。もっと多くの人々の覚醒が起こり、あらたな出会いと出会い直しが生まれた。
あれだけ対立しあっていた日本の左翼運動、市民運動、民衆運動がようやく手をつなぎはじめた。あちこちで共闘が花開き、発展し始めた。もちろんまだまだ不毛な対立も繰り返されてもいるけれどもそれを越えて民衆の共闘はどんどん育っていった。
今回の参院選での野党合意も僕はそういう流れの中で生み出されたものだと思っています。だからここに未来を感じています。だから促進したいと思います。そのために僕は日本共産党と市民の新たな共同の可能性も切り開きたいのです。

● みんなで連合政権をつくろう!

これからの時代、市民と野党の共闘はもっと大事な位置を持ってくるでしょう。そこからあらたな連合政権の展望も見えてくると思います。
そのために私たちはもっと多様な中で他者を尊重し、助け合う関係を豊かに発展させなくてはならないと思います。
そしてだからこそ、やはり今回の選挙、この共闘のために一番尽力してきた日本共産党に伸びて欲しいし、伸ばすことのできる「私たち」でありたいと思うのです。

一番下支えした人々にこそ支持が集って欲しい。私たちが目指すのは、もっと下支えしている人々に光があたるようような社会だからでもあります。
だとするならば、団結のために前回の衆院選で議席をたくさん失ってしまった日本共産党をそのままにおいていてはいけない。みんなで伸ばさないといけない。みんなの利益のために踏ん張ってくれたのだから報いなくてはいけない。
市民と野党の共同の中にそういう温かさがもっと育つと良いなと僕は思うのです。政治の中でも頑張りが素直に報われるようになって欲しい。いやそれでこそこの共闘はもっと発展すると僕は思います。

実はその中でこそ、日本共産党もまたさらに大きく変わってくれもすると僕は強く期待もしています。
その中で本当にいまこそ長い不毛な対立の歴史を越えたい。私たち民衆は、分断ばかりされてきた過去を越えて、今度は与党の側の分断をはかりましょう。自民・公明の中にもたくさんいる平和を愛する人々と手をつなぐぎましょう。
その先に、つまり「左翼」というもはや狭い枠も超えて、いわば最良の保守と革新が手を合わせた形で、民衆による連合政権を作りましょう。ラディカルデモクラシーを開花させましょう!そのためにいま僕は自分事として日本共産党を応援します!

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明日に向けて(1707)明日(3日)~あさって(4日) 西日本で「猛烈な雨」に厳重警戒を!

2019年07月02日 18時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20190702 18:30)

気象庁が緊急会見!「3日から4日にかけて猛烈な雨」

本日2日、午後2時より気象庁が記者会見を開き、記事のタイトルに掲げたように、明日3日からあさって4日にかけて西日本で「猛烈な雨」が降る可能性があることを伝えました。
ところによっては平年の7月ひと月分の雨が一日で降ることも予想されており、とにもかくにも厳重警戒をして欲しいと呼びかけています。
すでに九州は今の時点ですでに記録的な雨が降っており、その上に猛烈な雨が重なることが考えられます。大変、危険です。

記者会見を伝える報道と、記者会見全録のアドレスを示しておきます。

明日~あさって 西日本で「猛烈な雨」に厳重警戒を TBS NWES 7/2(火) 15:42配信 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190702-00000102-jnn-soci

「猛烈な雨」に厳重警戒を、気象庁が緊急会見【全録1】 TBS NWES https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3714774.html

話されているのは気象庁の黒良龍太主任予報官。昨年の7月豪雨のときにもいち早く警告を発せられた方です。
「自らの命、大切な人の命を守るために、早め早めの避難、安全確保をお願いします」と繰り返し訴えられています。




記者会見を伝える報道 TBS NWESより

大雨特別警報が出る前に避難を!

前回の記事でも書きましたが、警報注意報はいま、「注意報」「警報」「特別警報」と別れていますが、「警報」の段階でもうかなり危険で必要に応じて避難を行う必要があります。 気象庁は「大雨特別警報が発表される可能性についてゼロではないが、予測に幅があり、現時点では何とも言えない」と語っていますが、同時に、「特別警報が発表されてから避難を開始するのは遅すぎる」と強調しています。 大雨警戒レベル5の「特別警報」を待つことなく、警戒レベル4(土砂災害警戒情報)ないし3(大雨・洪水警報)の段階で早めの避難や安全確保を行うことを訴えています。

さらに昨年(2018年)の7月豪雨と比較したときに、今回はより長期間、雨が降ることが予想されるそうです。その点で3日から4日で危機が去るのではなく、さらに危険な状態が続く可能性があります。 土砂災害は雨が上がった後に起こる可能性もあることを考えると、少なくとも西日本においては、しばらくの間、豪雨災害への警戒をとり続ける必要がありそうです。 危険度分布の色分けとの関係でいうと、「薄い紫」になったら避難する必要がありますが、すでに雨が降り続いているところでは「赤(オレンジ)」の段階で避難に移って欲しいとのことです。

なおこの点については気象庁ホームページの以下の項目をチェックしてください。 https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/riskmap_inundation.html

豪雨に十分に警戒しみんなで互いの命を守り抜きましょう!


危険度分布の色分け 気象庁HPより

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