京都山城古寺巡り、禅定寺の次に笠置寺をお詣りした。
鎌倉時代末期の元弘の乱の舞台となったところである。漠然と大きな寺を想像していたが、実は山寺。
奇岩の寺である。奇岩信仰の寺で、こういう場所は修験者の修行場だったはずである。
笠置山の麓には木津川が流れ、交通の要衝だった。
麓の関西本線の笠置駅から歩いて、寺院の周辺を巡ると、一日がかりになる。我々は車で頂上近くの駐車場まで行った。
毘沙門堂の前を通る。
やがて、奇岩の中の正月堂が見える。
奇岩を見る。
ここは弥勒信仰の地だった。弥勒菩薩の磨崖仏があったが、元弘の乱の兵火で焼失。今は光背が残るのみである。
正月堂から横道に入る。一巡りできるのだが、時間の関係で虚空蔵菩薩が線刻された場所まで行った。
駐車場に戻る。のどかな風景だった。
<御朱印>
鎌倉時代末期の元弘の乱の舞台となったところである。漠然と大きな寺を想像していたが、実は山寺。
奇岩の寺である。奇岩信仰の寺で、こういう場所は修験者の修行場だったはずである。
笠置山の麓には木津川が流れ、交通の要衝だった。
麓の関西本線の笠置駅から歩いて、寺院の周辺を巡ると、一日がかりになる。我々は車で頂上近くの駐車場まで行った。
毘沙門堂の前を通る。
やがて、奇岩の中の正月堂が見える。
奇岩を見る。
ここは弥勒信仰の地だった。弥勒菩薩の磨崖仏があったが、元弘の乱の兵火で焼失。今は光背が残るのみである。
正月堂から横道に入る。一巡りできるのだが、時間の関係で虚空蔵菩薩が線刻された場所まで行った。
駐車場に戻る。のどかな風景だった。
<御朱印>