登校しぶりの時は、地獄だね。
不登校の初期段階は、マジでしんどい。
学校の先生も、周りの保護者に話しても、きっとわかってはもらえない。
「学校に行くのは当たり前」
と考えている人たちと話す地獄。
相手は全く悪くないし、悪気もない。
自分の子が普通じゃない方に外れていく恐怖。
そして、それを母親の育て方のせいにされる。周りから責められているように、見下されているように感じる。
しんどいなんて、言葉さえも生易しい。
本当に地獄に突き落とされたように感じる。
通学していく子どもたちを見るたびに襲う、みじめさ。
自分の子が参加していない運動会をPTAとしてボランティアに参加した時の悲しさ。
「うちの子は学校が大好きだからね」と言われる度に、尖った切っ先で切りつけられているような心の痛み。
学校に行っている人たちにとっては当たり前なことが、今すぐにはけして望めない状態を、終わりなく受け入れ続ける毎日。
そのしんどさを支えるのは、この子が幸せを感じて毎日が送れるようになるにはどうしていけばいいのかと考えること。
それは、教育の本質をついている。
不登校は哲学だと感じる。
そもそも学校って何のためにあるのか。
そもそも学びって何?
そう言うことを考え続ける毎日。
そして、気づく。
子どもにとって、学校に行くことがすべてではない。
学校は学ぶ場所の一つでしかないことに。
学ぶ場所は、この社会のすべての場所だと言うこと。
学びの内容だって、教科学習だけではない。
人との付き合い方。
合意形成の仕方。
対話や塾義の仕方。
社会で生きていくには、きっと人と関わることはけして避けられないし、一番必要なことだと私は考えている。
だから、学校には行けなくても、人とのつながりは途切れないようにこれからもしていきたいと思う。