春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

駅伝過酷の始まり、塔ノ沢! 

2016-12-01 15:07:09 | Extra

箱根の坂道が始まる、塔ノ沢の「函嶺洞門」
関東大震災によって、崩壊した断崖の直下に築かれたもので、
箱根路の近代化を象徴する落石防護施設。
この施設は、日本のあちこちで見ますが、
昭和6年に完成した、

国道1号線箱根湯本道路施設は、
自動車交通に対応した、我が国、初期の幹線道路施設として、

昨年7月8日。重要文化財に指定されていました。

洞門は通行禁止になっていて、
根駅伝では、2015年バイパスが開通してから、
この洞門内は、走ることができなくなってしまいました。

小田原中継からの平坦地から、この塔ノ沢から、「山上り」
過酷なレースが始まり、

エキサイティングな区間になります。
写真は11月28日のファインダーからです。

洞門から50メートル程上りますと、
軟弱基盤を考慮して、基礎への負荷を軽減できる、
鉄筋コンクリート造タイドアートアーチ形式の
「千歳橋」がどっしり構えています。
この辺りから、景観楽しめる箱根街道のはじまり。

渓谷の景色を楽しむための、駐車する場所はほとんどなく、
一気に登ることになるけど、
ドライバーさんにはまこと気の毒ですが、

登りは、後部座席、下りは、助手席が特等席になります。

ではまた!


駅伝のエピソード
箱根駅伝の始まり、第1回大会は、
1920年2月14日アメリカ大陸の継走での横断を実施するための

代表選考会という位置付けでに行われ、
1912年のストックホルムオリンピックに出場した
日本人五輪選手第1号の金栗四三が、
「五輪で日本を強くするには、長距離、マラソン選手を育成すること」と
発案したことがきっかけだといいます。

金栗氏のエピソード

ストックホルムオリンピックは講道館の館長、嘉納治五郎を団長に、
短距離の三島弥彦氏、マラソンで金栗四三氏の3名が参加したが、
マラソンで、「途中棄権」を提出しなかった為「行方不明」の記録になり、
後年、組織委員会はこの「行方不明」の記録を発見し、
55年後1967年、ストックホルムオリンピック55周年記念式典に金栗氏を招待。、
金栗氏は競技会場内に用意した、ゴールテープを切った。
その瞬間、

「54時間8ヶ月6日5時間32分20秒。これで第5回ストックホルムオリンピックは、
すべての競技をいたしました」と放送し、
運営委員の粋な計らいに、観衆は大喝采したという、微笑ましいエピソードでもあります。
参照・・・●ウィキ●嘉納治五郎●講道館


 

コメント (2)
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