☝ ☟ 廃線・信越本線・熊ノ平駅
日暮れ、黒光の氷道を登れば、
錆びた紅柄色の、役目を終えた越本線の橋梁を、
包むようにように、黄雀茶色の木立と落ち葉が・・・。
国文学者、高野辰之35歳の時、
故郷信州豊田村に帰る途中の碓氷峠、熊ノ平駅で、
秋の夕日に照る山もみじ
濃いも薄いも数ある中に
松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
山のふもとの裾模樣(すそもよう)
溪(たに)の流に散り浮くもみじ
波にゆられて はなれて寄って
赤や黄色の色さまざまに
水の上にも織る錦(にしき)
の詩を創りました。
山に川に、
汽車の窓の空には紅葉が、汽車の窓の谷間にも、もみじ。
水の上にも、織る錦のように美しい、もみじ、が・・。
1911年。100年も愛され続けている唱歌。
碓氷峠、群馬横川から、長野軽井沢に架かる、
紅柄の橋梁は、春告草、新緑を、紅葉を、
朽ちることなく、125年見続けてきたわけです。
まさか、「もみじ」や「僕の帽子」の名作が、
生まれていたなんて知らずに。
☟ 碓氷第6橋梁
☟ 碓氷第五橋梁
☟ 碓氷第四橋梁
☟ 碓氷第三橋梁
高野 辰之1876年4月13日 - 1947年1月25日)号は斑山(はんざん)
碑は、碓氷湖のほとりに・・・。
200万個のレンガが踏ん張っています。
廃墟の構内舎も、郷愁ですね。
取り壊されないようにと、思います。