創建以来20回も火災に見舞われ、
東京空襲では壊滅された、浅草寺に、
参拝しました。
東京下町、浅草カーニバル、三社祭、ほうずき市など、
東京空襲では壊滅された、浅草寺に、
参拝しました。
東京下町、浅草カーニバル、三社祭、ほうずき市など、
年間3000万の人が、浅草を訪れるといいます。
今年はことごとく中止になりましたが、
今年はことごとく中止になりましたが、
10月7日、少しづつ参拝者も増えて・・。
👇仲見世の歴史は古く、1688年と。
浅草寺の掃除の賦役をしていた近在の人たちに、
徳川家康公が、増えた浅草寺参拝の人たちに、
浅草寺の掃除の賦役をしていた近在の人たちに、
徳川家康公が、増えた浅草寺参拝の人たちに、
出店を開くことを許可したものと・・。
拡散的好奇心の強い私には、
もってこいの出店です。
もってこいの出店です。
👇3個、差し出したら10個入り袋が「お得」
と言われて、500円硬貨を探してしまった。
と言われて、500円硬貨を探してしまった。
まもなくハロウィンですね・・・。
京都宇治産の抹茶のわらび餅は、
苦みのないまろやかさ、知人に宅急便で・・。
苦みのないまろやかさ、知人に宅急便で・・。
👇雷門、正式には「風雷神門」で、
945年からの門の姿の歴史は、
1866年の火災までのようで、
1866年の火災までのようで、
浅草の代名詞「雷門」の姿にしたのは、
昭和35年松下幸之助さんが、
病気平癒を祈祷し て、
提灯と一緒に奉納したものと・・。
病気平癒を祈祷し て、
提灯と一緒に奉納したものと・・。
それまでの100年近くは、
仮設を建てたりの門だったといいます。
仮設を建てたりの門だったといいます。
坂東札所13番、金龍山・浅草寺。
この町を観光地にしたのは、
飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝。
隅田川で投網漁をしていた2人の兄弟、
投げるたびにかかるのが、聖観音菩薩で、
翌朝、里の子供たちが草で堂を造り祀り、
「一心に願い事をすれば、
飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝。
隅田川で投網漁をしていた2人の兄弟、
投げるたびにかかるのが、聖観音菩薩で、
翌朝、里の子供たちが草で堂を造り祀り、
「一心に願い事をすれば、
必ず功徳をお授けくださる仏さまである」
と教えられ、私宅を寺にして生涯、礼拝供養したと・・。
浅草寺の周りは、近代化禁断の地、
と教えられ、私宅を寺にして生涯、礼拝供養したと・・。
浅草寺の周りは、近代化禁断の地、
呼子がいて、威勢のいい掛け声は、
あちらこちらから・・
気分うきうき、我らが楽しめる庶民の店が、
あちらこちらから・・
気分うきうき、我らが楽しめる庶民の店が、
ずら、ずら~っと。
浅草は、ただ見て歩くだけでも楽しくさせてくれるところですね!
大提灯、見事な大きさです。
全国のお寺にある提灯は、浅草寺がはしりだといいます。
人力車の勧誘で乗る人はまだ、少ないようですが、
そのうち沢山の車があちこちで見られるでしょう!
そうなるといいですね。
松下幸之助氏が奉納した・・
その様な事も知らずに、遊びがてら楽しく行っていたことは、無知を恥じています。
美しく楽しくきれいな街をこのように、写真を撮る
事は人が邪魔なのに、すごい写真ばかりで感動
歴史があって、楽しい仲見世、墨田川を渡れば
江戸っ子だい。とよさんの写真を見て又行きたくなりました。有難う
出先での思い出の楽しみは、あとでわかって、
そうだったのか・・と。
思い出が更に再現されて、記憶がランラン、うれしくなります。
雷門提灯は松下さんの奉納だったと知ってましたが、仁王門までとは、私も知りませんでした。
今日から寒くなります。
体調に気を付けてくださいね!
ちょっとだけ温かくなったら、浅草にでも・・・。