春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

拝啓 弥勒寺音次郎・音八様、蝋梅に冠稲荷神社・聖天宮。

2020-01-28 15:21:44 | 関口文治郎/神社仏閣

江戸時代には大光院の門前町・日光例幣使街道の、
宿場町として栄えた太田市。
群馬県の地を俯瞰すれば、鶴が飛んでいて、
太田市は、しなやかな首の部分。
渡良瀬川と利根川が市を挟んで流れ、

利根川の、雨と雪の流域面積は、
全国の川を以て、トップを譲らず、
江戸の住民が、氾濫して困窮に頭を抱えさせた、利根川。
夏は夕立による雷鳴の轟きと集中豪雨がすさまじく、
冬は強烈な空っ風が吹き荒れる風土。
が、このごろ、この表現が当てにならない気がしてきた・・・。

👇冠稲荷神社の本殿。


👇商山四皓・1767年彫物師
前原藤次郎(上田沢)さん
小倉弥八秀邦(花輪)さん。
二人とも花輪彫刻集団の親分、
石原吟八郎さんの弟子で、
関口文治郎(1731~1807)のライバルでもあり、弟分たち。



👇琴棋書画・1767年。前原・小倉さんたちの彫物、




👇虎渓三笑・1815年・彫物師
飯田仙之助(1768~1835)さん47歳の時



太田市から利根川を渡れば、埼玉県熊谷市、
ちょッ、ちょっとコーヒータイム
熊谷市に女性初の医師国家資格を持つ、
荻野ぎん(吟子)の伝記を、
若村麻由美が、スクリーンで演じている
「一粒の麦」

一粒の麦もし、落ちて死なば、
     あまたの実を結ぶであろう





熊谷の宮大工名棟梁
飯田和泉安軌さんの子で飯田仙之助さんは、
文治郎さんの経営手段をまねて、
弟子たちが喰いはぐれが無いように、
精力的に、熊谷宿の神社に彫物師を常駐させます。
仙之助さんの弟子に、岸又八さん、
又八さんの弟子に、
大工棟梁にして彫物師、弥勒音二郎さん・
彫物師として絵師の音八さん親子。
伊勢崎市下渕名に生まれ、
二人のお墓は、

伊勢崎市下渕名の大国神社から歩いて5~6分、
江戸後期、
石原常八さん、

波の伊八(武士伊八郎)さんと共に
「名工三八」と言われた音八さんの栄華を見せることなく、
皇居の賢所の御紋を彫った名誉も、過去にして、
広い畑にブロックで囲まれポツンと、すこし寂しい。



👇冠稲荷神社敷地内に、1857年再築され、
師匠飯田仙之助さんが、
本殿の西壁・虎渓三笑を彫ってから42年後、
「聖天宮」一棟を手掛けた、
弥勒寺音次郎・音八さん親子の洗練された彫物。




















伊勢崎市下渕名に彫物師の名を歴史を刻んだ
弥勒寺音次郎(1796~1869)
弥勒寺音八 (1821~1887)

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