群馬県、
榛名山麓に水資源に恵まれた町、箕郷。
1512年から始まる、
戦国時代に、上州の西側中心の箕輪城があり、
榛名山麓に水資源に恵まれた町、箕郷。
1512年から始まる、
戦国時代に、上州の西側中心の箕輪城があり、
地元長野氏に、武田氏、織田氏と北条氏、井伊氏に、
戦国の領地争いは、1590年、
前田利家・上杉勝景連合に、
戦国の領地争いは、1590年、
前田利家・上杉勝景連合に、
80年の歴史・箕輪城を開城し、
箕郷村から城が無くなった。1598年のこと。
戦続きで、疲弊する領民。
重なる、榛名山からの水害はあっても、
五穀豊穣の地、不幸は慶長2年1597年、
境内800坪に建つ、
箕郷村から城が無くなった。1598年のこと。
戦続きで、疲弊する領民。
重なる、榛名山からの水害はあっても、
五穀豊穣の地、不幸は慶長2年1597年、
境内800坪に建つ、
然室玄廊大和尚が、釈迦牟尼仏を本尊に、
開基した、松山寺しょうざんじは焼失し、
以降、松山寺の記録は鐘楼だけになった。
開基した、松山寺しょうざんじは焼失し、
以降、松山寺の記録は鐘楼だけになった。
👇寺の入り口では、
1748年の六地蔵と如意観音が迎え、
1748年の六地蔵と如意観音が迎え、
鐘楼の脇には、山村暮鳥の両親と弟の墓が・・、
朽ちる柱を保護する鐘楼のやぐらに、
朽ちる柱を保護する鐘楼のやぐらに、
箕輪の豪家・下田利左衛門が、
1727年、当時九代和尚に寄進したもので、
子持山、双林寺の石梁大和尚が銘を打つも、
18年後1744年、火災で焼け落ちる。
1727年、当時九代和尚に寄進したもので、
子持山、双林寺の石梁大和尚が銘を打つも、
18年後1744年、火災で焼け落ちる。
1783年の50年近く、
時報を知らせる鐘の音は無く、
悲しんだ、下田家の孫・下田理太夫政広が、
栃木佐野市の、鋳工・小島安左衛門と
時報を知らせる鐘の音は無く、
悲しんだ、下田家の孫・下田理太夫政広が、
栃木佐野市の、鋳工・小島安左衛門と
地元、下田市太郎休理と塚越富左衛門に鋳造を依頼したもの。
太平洋戦争、鉄の不足で供出するためのこもかぶり、
拓本されての梵鐘に、
地元の人たちの浄財での梵鐘、供出を免れた梵鐘。
戦禍の憎しみに、計らいは餅の温かさ・・・。
拓本されての梵鐘に、
地元の人たちの浄財での梵鐘、供出を免れた梵鐘。
戦禍の憎しみに、計らいは餅の温かさ・・・。
松山寺を建てたのは、檀家さんと領民の浄財、
戦国の争いが身近に、無くなって、
心に、ぽっと灯りが着いたのでしょうか
心に、ぽっと灯りが着いたのでしょうか
まもなく春、
桜の花が咲けば、療養の松山寺の東堂夫人の、
元気な声が聞こえてきそうな・・・
2月3日
桜の花が咲けば、療養の松山寺の東堂夫人の、
元気な声が聞こえてきそうな・・・
2月3日
👇1600年代かと
ここで
小柄な、山椒のような、めりはりを利かせる
素晴らしい女性と知り合った
松山寺
女性が50年前に描いた格子天井
お兄さんが描いた
小柄な、山椒のような、めりはりを利かせる
素晴らしい女性と知り合った
松山寺
女性が50年前に描いた格子天井
お兄さんが描いた
年代と共に優しさを帯びた絵が
620年の歴史の本堂と共に
時代を超え、語り継がれて
その画を次回に
私が知るのは姉が嫁いでからの松山寺であり
そこにはミミズが日向に出ていれば日陰に移してやり、節分には「鬼は外」を決して言わない優しい前々住職と、私が死ぬまで鐘撞はさせておくれと言っていた気丈なお婆ちゃんからが私にとっての松山寺でした。
寺の歴史については前々住職からも前住職からも伺っておりませんでしたので今回の、とよさんのブログは大変、参考になりました。頭が下がります。
本日、大変なものをお預かりしてしまい、どうしたものかと雄さん共々途方に暮れておりますよ。
そして、私がとよさんより歳が2才上と言うのがバレてしまった事は嘆かわしやです( ;∀;)
いろいろ、勉強させて頂きました。
引っ掻き回してばかり、反省してます。
新しい、西明屋が見えて今後の、ライフワークに、
大きく影響する、そんな気がしました。
5歳の子供にも、母親のような叱りを受けます。
年齢が判るのは、生きるのにちょいと邪魔なようで、私の心は、妹のような感覚であります。
1枚か2枚か、11日まで、自由にして扱ってもらえたらと、これまた押し付けに、反省です‼
雄さんにもお伝えくださいますよう。
松山寺の成り立を読んでいて、涙が出そうになりました。群馬県人の心意気や、素晴らしさを感じます。
とよ様が、群馬県の大使に相応しい事が分かります。
大切な鐘楼守って、現在も人人びとの心の中に分け入っていることは、立派な和尚さまや地元住民の素晴しさによることも解ります。
とよ様の深い愛情と知識に啓蒙されています。
寒さの中で暖かな気持ちになりました。
群馬気質、義侠の強さは優しさからでしょうか。
人はどこか拠り所を探すもので、
昔の人たちは、地に天に響く梵鐘の音が、
一日の心の拠り所であったかもしれません。
今の生活にも欲しい鐘の音です。