天皇誕生日なのに、
クリスマスの風景では洒落になりませんが、
一連の流れでして・・・・
要は構成力の不足でありまして・・・。
昭和天皇にとって苦渋をなめさせられた、因縁の
GHQの親分は、ここで、サングラスをかけ、
パイプの煙を、くゆらせていたのであります。
われらの、お父っつあん達は、Go Home Quicklyと
煮えくる腹の中で、捨て台詞を言ってのでしょう・・!
赤煉瓦倉庫、
24日のクリスマスイベントの音色が、響き渡ることでしょう!
私?
バーボンに映る、ろうそくの炎と一緒!
きょうまでの、幸せをかみしめています!
赤煉瓦倉庫の壮大な響きと、甲、乙つけがたし!!
ではまた!
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{大雑把に赤煉瓦倉庫の歴史}
江戸時代の長く続いた鎖国時代が終わりました。
時代は明治に移り、海外と貿易するために港の建設が必要となり、
100 戸人口500人ほどの小さい村だった横浜村が
開港の場所となりました。
人口も急激に増えたことから近代的な都市づくりが急ピッチで
進められることになり、
1896年(明治29年)
鉄さん橋(大さん橋の前身)が完成、
1899年(明治32年)
現在の横浜赤レンガ倉庫(当時は横浜税関新港埠頭倉庫)がつくられました。
1907年(明治40年)
2号倉庫に着工、作られました。
関東大震災でも、甚大な被害はありませんでした。
1945(昭和20年)
GHQに接収され、アメリカ軍の港湾司令部として使用する、
事務所や食堂が置かれ、港湾倉庫としての機能は止まりました。
1989年(平成元年)
倉庫としての用途は廃止され、
赤レンガ倉庫は80年の歴史に一旦幕を下ろします。