春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

The Christmas previous night /Red brick house

2016-12-23 21:07:53 | Extra

天皇誕生日なのに、
クリスマスの風景では洒落になりませんが、
一連の流れでして・・・・
要は構成力の不足でありまして・・・。
昭和天皇にとって苦渋をなめさせられた、因縁の
GHQの親分は、ここで、サングラスをかけ、
パイプの煙を、くゆらせていたのであります。

われらの、お父っつあん達は、o ome uickly
煮えくる腹の中で、捨て台詞を言ってのでしょう・・!


赤煉瓦倉庫、
24日のクリスマスイベントの音色が、響き渡ることでしょう!
私?
バーボンに映る、ろうそくの炎と一緒!
きょうまでの、幸せをかみしめています!
赤煉瓦倉庫の壮大な響きと、甲、乙つけがたし!!

 


 

 



ではまた!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

{大雑把に赤煉瓦倉庫の歴史}
江戸時代の長く続いた鎖国時代が終わりました。
時代は明治に移り、海外と貿易するために港の建設が必要となり、
100 戸人口500人ほどの小さい村だった横浜村が

開港の場所となりました。
人口も急激に増えたことから近代的な都市づくりが急ピッチで
進められることになり、
1896年(明治29年)
鉄さん橋(大さん橋の前身)が完成、
1899年(明治32年)
現在の横浜赤レンガ倉庫
(当時は横浜税関新港埠頭倉庫)がつくられました。
1907年(明治40年)
2号倉庫に着工、作られました。
関東大震災でも、甚大な被害はありませんでした。
1945(昭和20年)
GHQに接収され、アメリカ軍の港湾司令部として使用する、
事務所や食堂が置かれ、港湾倉庫としての機能は止まりました。
1989年(平成元年)
倉庫としての用途は廃止され、
赤レンガ倉庫は80年の歴史に一旦幕を下ろします。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間もなく雨が・・ / India water tower

2016-12-22 11:59:26 | Extra

少し前までは、タバコの❝くゆり❞を楽しんだ、
まったりした、ひと時があった。
政府は、オリンピックまで、煙、街中の絶滅を提唱。
なのに、今までの喫煙所を排除した場所の
植え込みと路上には、吸殻の山が増えたという、はて、困った!
横浜山下公園は喫煙所は
喫煙資格者ぎりぎりの方には、身分証明を
提示させる、徹底ぶり。
25~26歳の女性も、しぶしぶ出した。嫌煙家にはもってこい!
喫煙、外では少し我慢はできる。
がぁ~、家では、
江戸の敵を長崎で・・とばかりプッカ、プカプカ、プッカ!

八王子の青空、すっかり消えて、生暖かい風。
間もなく雨が降ってきそうです!

関東大震災で、発生した、
レンガなどの瓦礫の処分場として選ばれたのが横浜港の一部。
海岸が埋め立てられ、整地されて、1935年から復興のシンボルとなったのが山下公園。

その一角に

関東大震災では28名のインド人が犠牲になった。



この「インド水塔」は
伊東忠太氏設計の古代インド様式を取り入れた築地本願寺を、
参考にしたといわれていますが?
☟築地本願寺


☟山下公園「インド水塔」

毎年10月の2日間、インドの光の祭、「ディワリ・イン・ヨコハマ」は、
20万人が押し寄せると言いますから、来年、
気力があったら野次馬根性で、ちょいと見物としゃれてみましょう!

ではまた!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

波止場で!yokohama

2016-12-21 11:15:39 | Extra

昨日は、用が早く、済んだので横浜へ出かけました。
「日本新聞博物館」がリニュアルオープンしていたので、
野次馬根性で、出かけました。
横浜は、日本で最初に日刊新聞の「横浜毎日新聞」
(現在の毎日新聞ではありません)、を創刊した地です。
1989年(平成元年)電通の倉庫で見つかった、
社長供欄用アルバム81冊・15000枚の一部が、
2階で展示していて、新聞を中心に歴史を紹介しています。

が、あまりの情報に、「頭」はくらくら?
一度では無理、(カメラに収められたらいいのですが)
また来ようと!
そこで、数分の波止場に場所を変えました!

濱で止まるのは、せいぜいこんなところ!
あまり似合わないけど、これはこれなりに!

茶色の建物は、「赤煉瓦倉庫」
クリスマスの飾りの屋台が、エキゾチックでした。

日本郵船から1927年(昭和2年)
横浜船渠は北米シアトル航路用2隻を受注した。
これが本船(氷川丸)と「日枝丸」

1 赤い靴、はいてた 女の子
  異人さんに つれられて 行っちゃった

2 横浜の はとばから 汽船(ふね)にのって

  異人さんに つれらりて 行っちゃった

3 今では 青い目に なっちゃって

  異人さんの お国に いるんだろう

4 赤い靴 見るたび 考える

  異人さんに 逢うたび 考える

5 生まれた 日本が 恋しくば
  青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
  異人さんに たのんで 帰って来(こ)

社会主義派の野口雨情が、札幌の新聞社(1907年から)に勤めていた時、
少女の両親の親交から、作った詩。
1922年(大正11年)本居長与世作曲で童謡に!

少女の両親も、社会主義者で、北海道の平民農場へ入植したのに、

貧しさで、宣教師ヒュエット夫妻に、
3歳の娘(きみ)を預けなければならなかった。

夫妻帰国の時には、すでに結核になっていた「きみ」は、
夫妻と一緒には、乗船できなかった。

その後、孤児院に預けられた「きみ」は、
母にも父にも、会えず、鳥居坂教会の

孤児院で9歳で短い生涯に。
母は、てっきりアメリカに渡っていたと思っていたという。
母の心情を詠った少女のブロンズ。
各地に「きみちゃん像」はおかれているようですが、
2010年、姉妹都市のアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ市の
海辺にも建てられいますね!

菊池寛の北海道テレビ記者時代、かなりの時間をかけ調査し、
1978年、ドキュメントにして製作、

テレビ放映をし、翌年は、ノンフィクション小説として
「赤い靴はいてた女の子」を現代評論社から発表しています。



絵柄では、ちょっと残念ですが!
前方の船は「氷川丸」1930年(昭和5年)4月25日に竣工ですので、
少女が「結核」にかからなければ、乗ったであろう「船」では
ありませんね!

もう、夕暮れです。

余分な写真ですが、よく磨かれていたので、
つい感心して!

ではまた!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隠していた写真!

2016-12-19 12:03:47 | Extra

ピジョンフリーゼとマルチーズ。
今は空のかなたで、相変わらず、
❝やんちゃ❞
なことでしょう!

臆病なマルチーズの「桃」
面倒見のいいピジョンの「樹里」
桃をからかうと、桃をかばって、
わたしに歯をむき出して怒る樹里。


「泳ぐよ!」と言っただったと思う。
水が怖いと震える妹分「桃」を姉御肌で見ていた「樹里」



震えてしがみつく桃。
警備員のような樹里。
18年前の写真を昨日、数年前の手帳から抜いた。
引っ込み思案の女性。
人前には出たがらなかったが、
ゴルフだけは、雨の日も、風の日も、
ルールだけは、きっちりと守った。
毎日の特訓でも、最後まで泣き言は言わなかった。
48歳の時の写真。
会えなくなってから、
もう15年。

栃木の自宅から10分ほどの鬼怒川の川べりで撮ったスナップ。
ようやく飾る気になった!
ではまた!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過酷だったリハビリ!

2016-12-17 20:56:15 | Extra

今日は
曲がりにくい、膝、靴に触る痛み、
筋力の衰えとばかり、近くの公園で、リハビリに一日近く、時間をかけた。
「芝に座り、足を広げ、上体を右、左、前に倒して、背筋を伸ばし、膝を抱える」
「足の指を広げて、縮ませ、右、左、倒し、引き寄せ」
その動作の一つ、一つをできるだけ、ゆっくり、
ゴムバンドで足の指、一本ずつ、
「倒して、そらす」
インターバルを挟んでの繰り返し、

これだけというのは、実に過酷!
わずかな動きに、寒い中、汗びっしょりだった。
間もなく、眠りにつきます。

「赤提灯」は、いつかになった。

東久留米の小鉄、散歩の顔。

ではまた!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする