明けましておめでとうございます。
昨年は訪問者数が増加。長くブログを
やっているので、検索するとなんとなく表示されたりすることがあるのかもしれません。
多くの方にみていただくことは嬉しい反面、どんな人が見てどんなことを感じているのかな?などを考えると、ちょっとどきどきします。
今年も気まぐれな更新になると思いますが、懲りずに見にきてください。
よろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。
昨年は訪問者数が増加。長くブログを
やっているので、検索するとなんとなく表示されたりすることがあるのかもしれません。
多くの方にみていただくことは嬉しい反面、どんな人が見てどんなことを感じているのかな?などを考えると、ちょっとどきどきします。
今年も気まぐれな更新になると思いますが、懲りずに見にきてください。
よろしくお願いします。
今日はクリスマスイブ。
街がもっとも華やかになる日です。
でも、それは平和であってこそ。
世界中で起きている戦争が1日も早く終わりますように。
今年もクリスマスにこの歌を聴こうと思います。
2022年2月に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、間もなく2年になりますが、収束の目処が立っていません。
昨年10月にはガザ地区でも戦火が上がりました。
世界中で戦争が始まっています。
今日は彼の命日。彼が生きていたら、どんな言葉を発し、どんな歌を作り・歌い、どんなことをしていただろう。
最近、この歌を聞かなくなりました。
想像することは、人間しかできないと思います。
こんなときだからこそ、平和を祈念して…。
ちなみに今回の写真は窓際で日向ぼっこするちくわ。こんな姿は平和であってこそです。
猫ブログですが、猫ネタではありません。古い友人の訃報に接して悲しさを紛らわしたくて書きました。
彼と会ったのは19歳か20歳ころ。もし、彼と会っていなかければ、その後はまったく違う人生になっていたかもしれません。
ともに若かったので、一緒にいろんなところに行ったなぁと思い出していました。
2歳年上ですが、苦労の多い人でした。何か相談すると「しょうがねぇよ」と言われることがよくありました。でも、彼に「しょうがねぇ」と言われると、は不思議と「しょうがないんだなぁ」と腑に落ちるようなところがありました。
2人のお子さんはすでに巣立ち、お連れ合いがひとり。線香でもと思いましたが、クリスチャンということもあり、家には仏壇のようなものはなく、遺骨が置いてあるそうです。出かけた九段下にもみじ思われる色づいた葉がありました。
もみじにも花言葉があります。
「大切な思い出」です。
「もう、会えないなんてさみしいじゃないか」
という私の言葉に「しょうがねぇよ」と答えているような気がしました。
みなさん、秋の三連休はどのようにお過ごしでしたでしょう?
私は仕事。出張で東海から最終日は京都へ。観光気分が街に溢れる中、仕事を済ませ、せめておいしいラーメンでも食べたいと思い、駅ビルの京都拉麺小路へ向かう途中、ふと、視線を移すと「岩合光昭写真展 ご当地猫」の開催を知らせるポスターを発見。これは、連休中に仕事をしているたっちーへの神様からのご褒美! と勝手に解釈。しっかり観てきました。
いやぁー、当たり前ではありますが、単なる猫好きの撮る写真とはまったく次元が違いすぎて圧巻です。特に大きい写真は今にも動き出しそう。しかも、一枚一枚に猫愛が溢れています。
北から順に見ていき、大阪の法善寺で撮影された写真をみて「?」と思い、足を止めました。
背中の柄を見ると、どうやら以前私が同様に法善寺で撮影したにゃんこと同じにゃんこのようです。
岩合さんと同じモデルを撮影したのか…と畏れ多くもおりました。
写真展は11月17日まで。フツーに写真として大作なので、猫に興味はなくても写真に興味のある方は、十分に楽しめると思います。オススメです!
ちなみに、おいしいラーメンも食べてます!
先日、「猫と金魚」という落語をご紹介しました。
猫の登場する落語で有名なのが、古典落語の「猫の皿」。名人と言われる方で楽しめます。
ネット情報では、現代にアレンジした噺もあると伺ったのですが、聴いたことないなぁ。古典落語の「猫の皿」は「絵高麗の梅鉢茶碗」ですが、現代風にアレンジするなら、有名どころの古伊万里とか今見ても絵柄がポップな織部焼あたりがいいかも?
噺の中に猫はほとんど登場しませんが、「猫の災難」「猫久」なんてのもあります。
「化け猫」の噺もあって、代表とも言えそうなのが「猫の忠信」でしょうか。
この他にも、タイトルに猫がついている落語がたくさん。アニメと同じ「猫の恩返し」なんてのもありました。
江戸落語と上方落語によっても違いがあるようですが、明治までに作られた古典落語の数は約800で、現在高座に掛けられているのは、その内の300~400席程度と言われています。
調べるとまだまだ猫の落語がありそうです。
新作落語では、三遊亭白鳥師匠の「わんにゃん物語」なんてのもあります。現代の話でフツーに人と犬や猫が会話していますが、心が通じなくなると会話ができなくなります。幅広い年齢層が楽しめる落語だと思いますが、白鳥師匠以外でできる噺家さんはいそうもありません。
落語で私の最大の自慢は、今は亡き人間国宝・柳家小三治師匠の落語を新宿末広亭の一番前で観たこと。落語好きの友人と出待ちもしました。
ちなみに今回の写真は『ラーメン赤猫』を熱心に鑑賞するちくわ。
ラーメンを作ろうと思っているのではなく、食べたいと思っていると推測されます。
そうなんです。実はちくわは、とっても食いしん坊なんです。
いよいよ、今年も関東に梅雨が近づいてきました。
テンプレートも梅雨バージョンに変更したので、今年も猫たちと紫陽花のコラージュを作成しました。
一年の中で、もっともじめじめした時期で気持ちも沈みがち…というかたもいるかもしれません。
でも、雨が少なくて水不足になるのもまた困ります。
良いことと悪いことは裏表なのかもしれません。
個人的には梅雨後に訪れる夏が憂うつ。年齢を重ねると夏の暑さが応えると言っていた諸先輩がたの言葉を実感しています。
もう少しのんびりしたいなぁ…。
以前、縁あって名古屋市科学館で「特別展 ネコにゃんとクールなハンターたち」を観る機会を得たとお話しをしました。
猫科動物を進化の過程を含めて追う興味深い企画でした。
そこで改めて気づいたことは猫科は肉食であるということ。
猫科ですからイエネコも同様ですが、実はこれってかなり稀有なことなんです。
進化の過程で枝分かれした犬はもちろん、狼や巨大な熊も雑食です。以前、北海道で人間を恐れずに立て続けに乳牛などを襲い、怪物と恐れられたOSO18の呼ばれていたヒグマは肉食に偏ったため体調不良に陥っていたとみられています。
こんな話を聞くと、肉食に特化して進化した猫科の逞しさというか潔さを感じます。
しかも「万能補食者」だということが最近のアメリカの調査で明らかになりました。
スズメ、ネズミ、ウシガエルなど2000種類以上の生物を捕まえ「捕まえた、もしくは漁った生物は何でも食べる」とまとめています。
おーっ、やっぱりにゃんこってすげぇ〜と思いましたが、この調査の対象は「ネコ」と言われているので、いわゆるヤマネコではなさそう。ということはいわゆる野良にゃん?イエネコだとすると、ウチのコってけっこー好き嫌い多いんだけど…と思った飼い主さんも少なくない気もしています。
こんなふうに、芋づる式に沸いた疑問を解決しても、たぶんなんの役にも立ちそうもありませんが、興味の湧いたことで知識を蓄えるのって結構楽しい。
気が向いたら、さらに調べてみようと思います。
ちなみに今回の写真は、たっちーに抱っこされるちくわ。かわいいですが、延々と抱っこされ続け、自分から降りようとはしないのがなやみの種です。
にゃんこはいつ日本に上陸し、広がったのか? これは長年の謎だったそうです。
最近、平安時代に上陸して北上し、鎌倉時代に増え始めたという説が遺伝子解析によって明らかになったと報じられていました。
以前、このブログでも紹介しましたように、文字として残る最古のにゃんこに関する記述は宇多天皇の日記。889年2月26日です。太宰府から献上された「墨のように真っ黒い唐猫」のことが書かれているとのこと。
平安時代ということ、太宰府は遣唐使船のルートであることから遺伝子調査の結果と宇多天皇の日記の記載は共通しています。しかし、実は宇多天皇の記述の5年前、894年にはすでに遣唐使船は停止になっています。当時は海外との行き来は今ほど簡単ではありません。遣唐使船以外の手段で海外に行くことは考えにくい。となると、遣唐使船が停止になる894年までににゃんこが日本に上陸していたとみるのが妥当でしょう。
宇多天皇に献上されたのも「遣唐使船が停止になったから、今のうちに太宰府にある珍しいものを献上しといたほうがよくね?」あるいは「遣唐使船が停止になったんで舶来モノの在庫が切れつつあるけど、なんか献上しないわけにいかねぇよなぁ。そうだ! コイツを献上しちゃおうーっと」みたいなノリだったのかもしれません。
献上されたことで、当時ではワープでもしたかのように一気に朝廷のある京都まで北上したにゃんこ。しかし、天皇に献上されただけであれば、目にすることができる人も限られていたはず。さらに1185年からの鎌倉時代に広がったのであれば、900年ごろの京都の一般ピーポーが眼にする機会も限られていたでしょう。
鎌倉には京都の寺を模して作られた寺もある(その逆もあります)ほど、当時の幕府と朝廷とのやりとりは頻繁でした。献上された黒い唐猫以外のにゃんこも京都まで順次北上していて、鎌倉幕府の関係者に連れられ、北上したのではないかと考えます。
また、記述は黒い唐猫のみのようですが、福岡から京都ってそれなりの距離。途中で死んだりする可能性も考えれば複数のにゃんこを朝廷に連れて行ったと見てもよいのでは?
さらに鎌倉時代も後半は北条氏が仕切っていましたから、現在の神奈川の東寄りまで北上することになった…という推測ができそうです。
当時はまだ江戸は開拓されていませんし、移動手段も限れていましたから、ここまで浸透すればにゃんこは当時の日本をほぼ制覇した状況だったと言えそうです。鎌倉幕府が滅びた1333年には、京都〜鎌倉〜東寄りの神奈川の地域では、にゃんこはそれなりにポピュラーな動物になっていたかもしれません。
…と縷々、書き連ねましたが、所詮、素人・たっちーの勝手な憶測です。信用度は酒席の戯言程度にしといてください。
ちなみに今回の写真は布団の上でちんまりするちくわ。保護色状態になっています。
年の初めの元旦に「令和6年能登半島地震」が発生しました。
地球にはおぼんも正月も関係ないのでしょうけど、改めて人間は不条理・不合理の中で生きているのだと感じています。
タイトルを「お見舞い」としましたが、なんだか空々しい気がして、適切な言葉がでできません。
ブログのタイトルとなっている西子が逝ってから1ヶ月ほど経ったときに「東日本大震災」、キジロウが逝ってからゆはり1ヶ月ほど経ってから「能登半島地震」がそれぞれ発生しています。
なんだか因縁のようなものも感じています。
ブログの更新をどうしようかと悩んでいました。
こんな時期でも、何か感じたり、クスッとしてもらう機会になれればよいとも思い、少しずつ、例によって気まぐれに更新をしていこうと思います。
最近の日本。異常気象も相まってか、野生動物に人間が襲われる事件が多発しています。
とりわけ日本の哺乳類で最強ともいえる北海道のヒグマが町の中を闊歩する映像は、ひ弱な関東人としては驚愕でした。
昨年、北海道を訪問したとき、何気なくニュースを見ていたら「道がヒグマ注意報」との報道に触れたときも「えーっ!」と思いましたが、今年になると東京でも八王子や町田でツキノワグマが目撃されるなど、最早、他人事ではなくなっています。
これは日本だけでなく、アメリカでも同様のようです。ヤマネコ類では最大といわれ、マウンテンライオンやアメリカライオンなどの異名を持つピューマの街中での目撃情報が寄せられました。
ブラックベアあたりは捕食しかねない強者。人間などひとたまりもありません。
一大事!ってことになって大騒ぎになったのですが、調べてみると正体はフツーのにゃんこ。確かに柄が似ているとあれ?って思うことはあるかもしれないけど、縮尺、間違いすぎじゃね?気がしました。
ところが、意外にもよくある間違いでそうで、地元警察では「またかよ!」って感じのようです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とは、横井也有の俳文集「鶉衣」にある一句。
そのうち、東京でもにゃんこやわんこがクマと間違えられる日がくるかもしれません。
今回の写真は押入れベッドで寛ぐわおん。だいぶふっくらしてきたから、街にでたら牛と間違えられる?
まだ、なかなか家にキジロウがいないことを受け止めきれていません。
西子から始まり、約20年にわたって、私の生活から絶えたことがなかった茶色の塊が突然なくなったので、ビジュアル的にもピンとこないというか、何か足りない感がつきまとうというか…。
でも、そんなたっちーに「アタシでは不満だっていうのぉー!」とでも言うように叫びながらまとわりつくわおんに、心配をかけたくないので、少しずつでもモードを戻していこうと思います。
前回、にゃんこが弥生時代から日本にいたという説はどうもあやしいんじゃねぇ? というお話をご紹介しました。
ということで、実のところはこんなことでは? というたっちー仮説をいつものように妄想を暴走させて考えてみました。以下、お楽しみください。
むか〜し、昔。朝鮮半島を出発した船が対馬に到着。長崎に向かう途中に立ち寄ったのでした。
「今回も売りまくるぞぉー」
と船員さんは大盛り上がり。
一方、視線をぐーっと落として床を見ていくと丸々と太ったネズミ。
「いやー、うまい食事がいつでも腹一杯食べられる船って最高ー!」
と我が世の春を謳歌していました。
その船を見つめていたのが対馬のヤマネコ兄弟。好奇心の強い兄弟は「おい、見ろよ。でっかい船が止まってるぜ」と停泊している大きな船に興味津々です。
近づいていくと何やら食欲をそそる匂いが漂ってきます。
「そういえば、大きな船の中にたくさん獲物がいるってきいたことがあるぜ」
「へぇーじゃあ一丁、腹一杯にしに行こうよ」
ということで、船に乗り込んだヤマネコ兄弟。ほどなく、ネズミを見つけて捕まえます。
「いただきぃ〜。こんなに丸々したネズミは初めてだぜぃ」
我が世の春からどん底に落ちたネズミたち。一転して、ヤマネコ兄弟に訪れた我が世の春。まさに、無制限食べ放題状態で狩に夢中になっていると船が出航。
「おい、なんだか外の景色が変わったよ。どうなっちゃたんだ?」
と気がついたときにはすでに船は沖に出てしまいました。
戸惑いつつも「まぁ、ネズミ喰ってから考えよう」って感じでのんきに構えていたヤマネコ兄弟。
「なんだか変な生き物が乗り込んでネズミとってるぞ」と船員さんも気づきましたが「荷物を盗み食いするネズミをとってくれるなんてありがてぇじゃねぇか」とヤマネコ兄弟を歓迎。そのまま船は進み続けます。
ヤマネコ兄弟がネズミを齧齧っている間に長崎に到着。咄嗟に上陸します。
「ここどこ? いつもオレたちがいたところと違うよ」
と、くんくん嗅が回りながら周囲を散策。人間と集落に到着します。
「ここにもうまそうなネズミがたくさんいるじゃん!」
という感じでネズミ捕り。
人間たちは「最近ネズミが少ないなぁと思ったらこいつらが捕まえてたんだ。ありがてぇ」とここでも歓迎されるヤマネコ兄弟。
ネズミがいないときは人間から食事をもらい、悠々自適。地域猫状態ですっかり定住します。
ヤマネコ兄弟も「島にいるときより快適じゃん」という感じで、そのまま人間の集落で一生を終えます。
ときを経てこのヤマネコ兄弟の亡骸を発掘隊が発見。「弥生時代にもにゃんこがいたじゃん」ってことに……。
というところではないかと、考えてみました。
あるいは、ネズミの被害から荷を守ろうとして人間が意識的に乗船させたヤマネコが長崎に上陸し定着した、あるいはネズミ駆除として売買された可能性も考えられるのでは?とも推察しています。
まぁ、いずれにしろシロウトの思いつきなので、今後の研究を楽しみに待ちたいと思います。
ちなみに今回の写真は押入れベッドに寛ぐギジロウとわおん。久しぶりのツーショットです。
先日、縁あって名古屋市科学館で開催中の「特別展 ネコにゃんとクールなハンターたち」を観る機会を得ました。
猫科の動物について進化を含めて追うという興味深い企画。はくせいや骨格の展示、野生の猫科の動物は40種、トラとイエネコの遺伝子は95.6%が共通などの情報は「趣味はにゃんこ」を自称するたっちー的には充分楽しめました。
と同時に、ここ数年疑問に思っていたことについて、さらに疑問が膨らみました。
それは、にゃんこは弥生時代から日本にいたという説です。
根拠となる骨が発掘されたのが長崎県のカラカミ遺跡。地理的に対馬ヤマネコなどが何らかの事情で九州に渡った…とは考えられないのか?などとずっと疑問に思っています。
しかも、今回の特別展で、対馬ヤマネコとイエネコを骨格から見分けることはできないということもわかりました。
疑問が膨らみ、ググっていたところあるサイトで興味深い解説がありました。
そのサイトをみると、まずイエネコの対馬ヤマネコを骨格で見分けるためにはDNA鑑定が必要とのこと。外見で見分けができないのですから、まぁしょうがないですよね。
しかし、発見された骨格のDNA鑑定は行われていないそうです。骨が古すぎると鑑定が難しくなるので「まぁ、やらないってこともあんじゃね?」という気もするのでそれ自体はいいのですが、ではなぜにゃんこ=イエネコだと判断したのか?
弥生時代にも交易のあった韓国の金海フェヒョンリ貝塚で猫科動物のものらしい骨が見つかったというのがどうやら判断の決め手になったというのです。
しかーし「猫科動物のものらしい骨」と書いたように、この骨のDNA鑑定も行われていないとのこと。
そうなると、フェヒョンリ貝塚の骨はそもそもにゃんこ=イエネコなのか?という疑問も残ります。
にもかかわらず、韓国でにゃんこ=イエネコっぽい骨が見つかった→交易のある弥生時代の長崎でもにゃんこ=イエネコっぽい骨が見つかった→弥生時代に韓国経由で日本にゃんこ=イエネコがきていた! ということのようで、いわば状況証拠だけということのようです。
へぇ〜っと感心しつつ、わかっただけでも何となく腑に落ちて、夏休みの宿題が完了したような(実は完了したことはなかったりしますが…)、ほっとした気がしています。
それにしても、こちらのサイト、管理者がどのような方なのかは不明ですが、にゃんこをとてつもなく深く掘り下げてまとめていて「すげぇー!」って感心していました。
是非、ご覧ください。
もうひとつ、ちなみに今回の写真は、自宅付近を散歩中に見つけたにゃんこ型のベンチ。
にゃんこを膝に抱いて座りたい!
5月の東京は夏かっ!と思うような暑い日があったり肌寒い日があったり…となんともヘンテコな気候でした。
ヘンテコであっても季節はめぐり、梅雨がやってきました。
気象庁は5月25日の午前11時頃、山口県を含む九州北部と四国、中国、近畿、東海のあわせて5つの地方で「梅雨入りしたとみられる」と発表したと報じられました。
関東は梅雨入り宣言はまだのようですが、今週の天気予報をみると雨の日が多くなっています。
街中では梅雨の到来に合わせて、アジサイを目にすることも増えています。
ということで、今年もわあんとアジサイのコラージュです。
雨が続くとうっとおしいなぁ…と感じてしまいますが、街中に咲いているアジサイに気づくと少しは気がまぎれるのではないでしょうか。
ちなみに今回ご紹介したアジサイは、すべて東京都新宿区内で撮影しました。
信号待ちのときなど、ふと視線をいつもと違うところに移すと「あれっ、こんなところに?」みたいな発見があるかもしれませんよ。
ゴールデンウィークに『江戸にゃんこ 浮世絵猫づくし』を観てきました。
そこで、目を引いたのが薄雲大夫ととにゃんを描いた作品。お互いが愛おしそうにしています。
薄雲さん、かなりのにゃんこ好きですが、それもそのはず。この薄雲さんとにゃんこをめぐる出来事が招き猫の由来との説もあるのです。
以前もまとめましたが、招き猫誕生には諸説あります。もっとも有力と言われているのが「豪徳寺説」。徳川家康に仕え、徳川四天王のひとりとして名を馳せた井伊家に纏わる話。有名なひこにゃんは招き猫と井伊家の関係から誕生したキャラクターです。
招き猫誕生の諸説の中で最大の悲話と言えるのが薄雲説です。
どんな話か――いつものように都合よく加工しながら紹介します。
太夫という遊女として最高ランクに君臨していた薄雲さん。簪もにゃんこをあしらったものを使うほどの大のにゃんこ好き。「玉」と名づけたにゃんこと暮らしていました。
薄雲さんがあまりにも玉をかわいがるもんですから「オレもにゃんこになりたい!」などと言い出すお客さんもいたそうです。
しかし、見世(遊女が客を待ち居並ぶ座敷)の人たちは、薄雲さんのあまりのにゃんこ好きに「太夫は化け猫に取り憑かれたのでは?」などと心配。このため、いろんな方が薄雲さんから玉を引き離そうとします。
薄雲さん「太夫がにゃんこ好きってそんなに問題ですか?」
見世の人「フツーは問題にならないけど、薄雲さんは特別だよ。だって、いつだって玉がすぐそばにいるじゃないか。それじゃ商売にも差し支えるってもんだ」
薄雲さん「あら、玉はお客さんの邪魔をすることなんてありませんよ。ねぇ、玉」
玉「にゃーん!(そのとおり!)」
なんてやり取りがあったかどうかはわかりませんが、薄雲さんも玉を離さず玉も薄雲さんから離れずですからどうしようもありません。
そんなある日、薄雲さんがトイレに入るときまで玉が離れようとしません。
にゃんこが離れずに太夫がちっこ漏らしたなんてことになったら評判がガタ落ちです。その様子をみて、日ごろから太夫と玉を引き離したいと思っていた見世の人は苛立ちを爆発! こともあろうに刀を持ち出して玉の首を斬ってしまったのです。
切り落とされた首は、そのままトイレに侵入。潜んでいた大蛇の頭にガブリと噛みつき撃退すると、玉は安心したように息を引き取りました。
あまりの出来事に悲しみに打ちひしがれる薄雲さん。お寺に猫塚を建て玉の像を奉納しますが、悲しみは癒されません。
見かねたお客さんが、長崎から30センチほどの伽羅の銘木を取り寄せて、在りし日の玉の姿を彫ることにしました。
「どんなポーズて彫ろうかなぁ〜。縁起のいいポーズにしたいなぁ〜。おっ、そうだ! 玉の石像も手を挙げているし……」
ということで決めたのが「狐が顔を洗うために左手で耳を触ればお客さんが来る」という中国の故事の狐をにゃんこに置き換えたポーズ。そうです! 招き猫ポーズです!
彫り上げられた玉の像を、薄雲さんは大事にしていました。
その後、薄雲さんは身受けをされて吉原を去りますが、死後に玉の木彫像をお寺に奉納。それをモデルに今戸焼で再現して販売したところ大好評に。連日「招き猫は完売しました!」という看板を出すほど……だったかはわかりませんが、庶民の間に浸透。こうして、招き猫が誕生し広がったというのです。
しかし、ここでいくつかの疑問。お寺に奉納されたという玉の石像はだいぶ破損していますが、すでに左手を上げています。この石像はいつできた? 木彫の玉は左手をあげていますが、今戸焼の招き猫が上げているのは右手。中国の故事が元ネタなら左手でなければいけないはずなのになぜ変わった? また、玉は三毛猫だったとのことですが、浮世絵のにゃんこは白黒。今戸焼の招き猫にも三毛はいないような?
などなど……。まぁ、誕生説が定まらず、ミステリアスなところが残るのも伝説の主人公がにゃんこならではなのかもしれません。
ちなみに、今回の写真は出張先の長崎で見かけたにゃんこ。残念ながら、どちらも尾曲だったかは確認できませんでした。