愛猫・西子と飼い主・たっちーの日常

亡き西子とキジロウ、ひとりっ子を満喫していたわおんのもとに登場した白猫ちくわ、その飼い主・たっちーの日常…です。

○○○争奪戦

2018年11月24日 | わおん

 

最近、そこそこ好調をキープしているわおん。

以前からですが、なぜかパートナーの枕を自分のベッドと思っているようで、布団を敷いて枕を置くと「よっこらせ……」という感じで、緩慢な動きで枕の上でうずくまることがしばしば。

わおんにとってはベッドですが、パートナーにとっては枕。真ん中でちんまりしていられたら、寝られたものではありません。

時には強行に退場していただくのですが、「気持ちよく寝てんのになにすんのよ!」とでもいうかのように、すっごく不満そうな鳴き声をあげながら枕から降ろされています。

しかし、どうしてもあきらめきれないときもあるようで、ある日、帰ると写真のように枕を奪い合うようにして寝ているパートナーとわおんを目撃。どちらも寝苦しそう。

わおんの背中から「意地でも下りないわよ!」という強い決意を感じました。おもしろいからそのままにしていたのですが、僕が寝ようとすると膝の上に飛び乗ってきました。

快適と判断した場所にはいち早く駆けつけ、簡単には譲らないという姿勢は、なんともにゃんこらしくもあるのですが……。ちょっとメンドーなヤツです。

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にゃんこはいかにして日本に来て広がったか

2018年11月17日 | たっちーの部屋

 

先日、ブログで何気なく「遣唐使船に乗せられてにゃんこが初来日」と書きました。

ホントのところ、にゃんこはいつごろ日本に来て広がっていったのかな? と疑問に思いググってみました。

平安時代に宇多天皇の日記に(889年2月26日)には、太宰府から献上された「墨のように真っ黒い唐猫」の様子が、詳しく記述されているそうです。

 これは現存する日本最古のにゃんこの記録だそうです。不当な扱いを受けることが多く、最近ではインスタ映えしないなどの指摘もある黒にゃんですが、日本では由緒正しいのが黒にゃんといっていいかもしれません。

しかし、にゃんこの日本入国ルートは、これだけではないと思われます。以前、長崎にカギしっぽが多いというお話を書きました。このにゃんこたちは、主に鎖国中に日本が唯一、外国との交易を許されていた出島に東南アジア経由で日本に上陸したと考えられます。

以上から、とっても大雑把な仮説をまとめると、まず、遣唐使船で入国した「唐猫」が日本に上陸。貴族の間で飼われるようになります。月日の経過とともににゃんこは日本各地に勢力を伸ばします。あの豊臣秀吉もにゃんこを飼っていたともいわれます。

当時は、情報もモノも人間の移動速度を超えることはありませんでしたから、上陸からそれなりに長い期間、貴族などの一部で飼われていただけで、現在のように庶民の目に触れる機会は少なかったと思われます。そーこーしている間に、日本は鎖国。長崎・出島のみが解禁されたことで、唐猫よりも東南アジアを経由のにゃんこの入国が増加。カギしっぽのにゃんこが日本各地に増えていった……とまぁ、とっても大雑把にいうとこんな感じかと推察しました。

しかし、ここでまた新たな謎。日本に一般的に広がっているといわれる、短いしっぽが特徴のジャパニーズボブテイルは、出島から入国した尾曲がりが始まり? それとも唐猫の中で短いしっぽのにゃんこを交配させて輸入した? どっちでもいいけどちょっと気になる。

いずれにしろ、こうしてにゃんこは日本中に勢力を拡大し、古い絵などに残っていることもあります。

味わい深い墨絵を描く、仙厓さんという和尚さんもにゃんこの絵を残しています。今回の写真はその仙厓さんがいた福岡の聖福寺にいたにゃんこです。もしかしたら、仙厓さんの描いたにゃんこの末裔? ってことはないとは思いますが、このコ以外にもたくさんいました。聖福寺はJR博多駅から歩いても行くことができます。九州に旅行に行く機会のあるにゃんこ好きは一度、ぜひ、訪ねていただければと思います。

ちなみに、今回の記事はにゃんこ好きが高じて調べて、「こんな感じじゃね?」と都合よく推察しているので、真偽のほどはかなり怪しいです。いわゆる、酒席の戯言のレベルでご覧いただければちょうどよいところです。

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