愛猫・西子と飼い主・たっちーの日常

亡き西子とキジロウ、ひとりっ子を満喫していたわおんのもとに登場した白猫ちくわ、その飼い主・たっちーの日常…です。

わがままわおん

2015年09月10日 | わおん


日夜、口内炎と格闘中(?)のわおん。以前、お伝えしたように、乳酸菌のサプリを購入したところなかなかいい感じ…だったのですが、その後、猛烈に拒否するようになりました。
押さえつけて口の中に強引に入れるのは、わおんのためとわかっていてもなんだかとっても心苦しい。
キジロウは、逃げ回りながらも捕まれば観念するのですが、わおんはそうはいきません。押さえつけても体をよじるようにして最後の最後まで抵抗し続けます。その姿は、どんなにわずかであっても、あらゆる可能性を信じて最後まで抵抗を続ける猫界のジャンヌダルク――であるはずはありません。神の啓示などとはまったく無縁の単なるわがままにゃんこです。
とはいうものの、毎日、押さえつけてサプリを強引に口の中へというやりとりが続くのはわおんのみならず、飼い主・たっちーにもとってもストレスです。
そこで一計を案じることに。最初に考えたのが、マタタビ作戦。指先に出したサプリに粉末のマタタビをかけて舐めさせるというもの。ペロ、ペロと一舐め、二舐め。「おっ、いいかも?」と思ったのですが、それで終了。
「なんだか、そのマタタビおいしくないんだよねぇ~」という感じで立ち去ってしまいました。
安全圏に身を写し、後ろ足で気だるそうに後ろ足で耳の裏辺りを掻いているわおん。指先にマタタビにまみれたサプリをつけたまま、置き去りにされる飼い主の気持ちを慮るなどということはまったくありません(猫だからしかたありませんが…)。
くやしい~と思い、マタタビ作戦パート2を考案。今度は粉末ではなく棒状のマタタビの先にサプリを付けて舐めた瞬間に口の中に入れちゃおうというもの。しかし、この作戦は、粉末よりも困難、かつ、不評で、クンクンしただけで立ち去ってしまいました。
う~ん、困ったもんだ、と思いつつ、サプリに記載された細かい文字をメガネを外して読んでみました。
すると、「フードにつけて食べさせてください」の一文を発見。それでいいのか! と改めて確認し、カリカリにかけるトッピングに混ぜたらゴキゲンで食べてくれました。
なんだよ、最初から食事のときに混ぜてあげればよかったんじゃね? と思ったのですが、食欲にムラのあるわおん。食いしん坊のキジロウが目を離したスキに、わおんの分を食べちゃうという可能性が大。やはり食事とは別にあげるほうが間違いありません。そうだ、おやつタイムを設けよう!
そこで購入したのが、今、最も猫たちの間で最大の話題になっていると思われるヒット商品『ちゅ~る』。
かくして、ストレスだったサプリの時間は、待ち焦がれるおやつタイムに様変わり。
いやぁ~よかったと思う反面、わおんのわがままに付き合わされているような気もする飼い主・たっちー。まあ、いいんですけど、なんだか釈然としないなぁ……。
ちなみに、今回の写真はスマホで撮影した写真をアプリで加工したもの。この写真を見ていて、こんな飼い主は、猫のわがままに付き合わされるだろうなぁと改めて自覚しました。
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友へ

2015年09月05日 | たっちーの部屋


久しぶりの更新です。猫ブログですが、今回は猫ネタではなく、たっちーのもっとも古い友人の話。先日、ガンで亡くなりました。どうにも、僕の中で鬱々としたモノが抜けないので、気持ちを整理するために書きました。読む人によっては不愉快な話かもしれません。近々、愉快な(?)猫ネタもアップするので飛ばしいただいて構いません。

彼との出会いは小学校のとき。5年生・6年生で同じクラスでした。経緯はすっかり忘れましたが、殴り合いの大ゲンカの末、大の仲良しになりました。
中学は学区の関係で別々でしたが、示し合わせたわけでもないのに同じ高校を受験。クラスは分かれましたが、再び同じ学校に通うことになりました。高校入学と同時に二人でバイトを見つけて、同じレストランで働き、溜めたバイト代で一緒にギターを買いに行きました。
一時は同じように調理師の道を歩き、その後、同じように人生に迷い、それぞれ別の道をゆきましたが、その後もなんとなく連絡を取り続けていました。
お互い、地元から少しずつ離れたこともあり、会うのは数年ごと。だけど、会うとまるでつい、この間まで会っていたように冗談を言い合える、そんなかけがえのない友人でした。
久しぶりに会いたい――そう思っていた矢先、別の友人から「倒れた」という連絡を受けました。同時に余命は3カ月とも聞かされました。見舞に行こうと思っていたらコロッと退院。電話をすると彼は、ガサガサの声でいいました。
「大丈夫、大したことないよ。でも気が付いたら病院だった。全然意識がなかったよ。お前も気を付けたほうがいいぞ」
このとき、余命の宣告を彼が知っていたかはわかりません。僕は「近いうちに、会おう」そう言って電話を切りました。
その後、自宅兼職場で過ごしていましたが、様態が急変して再入院した翌日になくなりました。
結局、電話での会話が彼と交わした最後のやりとりになりました。
実は、久しぶりに会って話をしようと思った理由があります。
まだ、だいぶ(?)先ですが還暦になったら、祝いに旅行に行こうと提案しようと思っていたのです。
生まれ月が同じ5月。6月に行くなら梅雨のない北海道? 梅雨が終わってからでもいいけど夏はどこに行っても込みそうだ……アイツはなんていうだろう?
「おっさん2人じゃ、絵にならない。やだよ」
「だから、それまでにもう一度結婚をしとけ。俺も女房を連れて行けばいいだろう」
「そのときまで、お前が結婚しているという保障はない」
「いや、今度はきっと大丈夫。でも、やっぱり念のためおっさん2人で旅行して羽目を外すということをキホンにしよう」
そんなやりとりをするはずでした。
通夜で訪れた斎場。パーテーションに小学校のころの写真が、何枚か貼ってありました。そのすべてに僕も写っていました。
寂しいというか、切ないというか、空疎というか……なんだか、今までに経験したことのない感情が、僕の奥深くに住み着いてうごめいています。
彼の死はかけがえのない友人を失った、という意味だけでなく、僕に「寿命」という二文字を突きつけました。
たしかに、彼の死は早すぎるものではありました。しかし、同時に今後僕が見送るであろう大切な人との別れの、いわば先陣を切った別れのような気がしたのです。
これから僕は何人の大切な人を見送るのだろう。そして、僕は何人の大切な人に見送られるのだろう。そんなことを意識させられたのです。
彼は人生を終え、僕は生き続けていて、事故でもない限りまだ当分死にそうもありません。
僕が生きる続ける意味はなんだろう? まだまだ人に尽くせ、世に尽くせ、ということか? 生きるって結構しんどいなぁ……などと、この曲を聴きながら、ぼんやり考えています。

ちなみに写真のにゃんこは、本文とは関係ありません。写真だけでも猫にしようと思って使いました。
コメント (1)
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