みんな僕に言ったんだ。『すぐに戻ってくるからね』って。でも、もうどれくらい経っただろう…。ずーっと戻ってこないんだ。
僕は、生まれて3ヶ月くらい経ったときにお母さんとはぐれちゃったんだ。僕のお母さんは、真黒くて大きくて、優しくて、そしてとっても強かった。いつも僕を守ってくれた。そんなお母さんとはぐれちゃったから、とっても寂しくて不安で…公園で鳴きながらお母さんを探していたところを、今の飼い主さんに保護されたんだ。
保護されたときの僕は、前の日に降った雨でできた水たまりにハマって泥だらけ。飼い主さんは、僕を洗って「あー、やっぱりキジ猫だ。あんまり泥だらけだったからわからなかったよ」って言って笑った。洗われている僕をずーっと覗き込んでいた男の子も、それを聞いて笑った。
公園で僕を保護してくれたお父さん、保護されてからいつも僕にご飯をくれたお母さん、そしていつも僕を子分のように扱う男の子。それからの僕は、3人に囲まれてやさしい気持ちで毎日を過ごしてた。たまに、男の子に乱暴に扱われるとき以外は。
僕がこの家に来てから5年目の、寒さが少し落ち着いてきたころ大きな地震があった。地震の後、海が立ち上がって街を襲ったらしい。僕が住んでいた街は大丈夫だったけど、近くにある電気をつくっているところが被害を受けたってテレビが毎日のように伝えていた。
お父さんは、これまで見たことのないような真剣な表情でそのテレビを見ていた。お母さんもとても不安な顔をしていた。
それから間もなくして、街の中が急に慌ただしくなった。
みんなが家の中を駆け回っていたと思ったら、お母さんが僕のお皿にたくさんのご飯を入れた。そして、3人が代わる代わる僕を優しくギュッと抱きしめて言ったんだ。
「すぐに戻ってくるからね」
向かいの家のテツがワンワンとうるさく鳴いているのが聞こえたけど、僕はたくさんのご飯をみてわーすごい!って思ったし、ギュってしてくれたときのみんなの頬のぬくもりがうれしくて全然気にならなかった。
みんながいなくなってしばらくすると、聞こえてくるのはテツの鳴き声だけになった。
テツの鳴き声は何日も何日も続いた。いつもだったら、テツの鳴き声はうるさく感じるだけだけど、このときはずーっと続いてほしいと思った。
だってテツの鳴き声がなくなったら、静まり返ってまるでこの世の中に、僕しかいなくなってしまったような気がしてしまうから。
でも、テツの鳴き声はだんだん擦れるようになり、そのうちに聞こえなくなった。
僕も始めのころは、みんながどこかに隠れているかもしれないと思って鳴きながら家の中を探し回ったけど、誰も出てこないからテツみたいに声が枯れちゃった。
お母さんが、たくさん入れてくれた僕のお皿の中のごはんも、ずいぶん前になくなった。
お腹がすいて食べ物のにおいをする場所の扉を開けて、いろんなものを引きずり出して食べた。これって、お母さんにわかったら怒るだろうな。でも、なかなか戻ってこないのが悪いんだ。みんな、いつになったら戻ってくるんだろう?
窓の外を見ると、ずいぶん前から鎖に繋がれて犬小屋に入ったまま動かなくなっているテツが見えた。
犬小屋の横にある桜の木は、もうすっかり緑色に覆われている。
今まで見なかったような犬や猫がうろついているのが見える。たまにまっ白い人も家の傍を通る。最近では、家の傍まで来て、僕を睨んでいく犬や猫もいるし、まっ白い人が家の中を覗き込んでいくこともある。そんなとき、僕は家の奥で見つからないように隠れているんだ。だって、何をされるかわからないもん。
僕は保護されてから、一度も家から出ていないんだ。出る方法もわからないし、窓の外にいるコたちと仲良くやっていく自信なんてないよ。最近は家の中の食べ物もなくなったし、僕はどうなっちゃうんのだろう。お腹がすいたなぁ…。
近頃、暑くなってきたけど、お水もすっかりなくなって、喉がカラカラだよ。
ギュってしてくれたときの飼い主さんのぬくもりが、まだ鼻の先に残っている。
寂しいなぁ…。僕はいつまで待ったらいいの? 最近はお腹がすいて、喉が渇いて、思うように動けなくなっちゃった。
ねぇ、いいコにするからみんな早く帰ってきて…。
福島の原子力発電所近くの被災地では、今でも犬や猫を始めとして多くの動物が置き去りになっています。すでに命を落とした動物も少なくないこと、そして現在も何ら解消していないことを本とフェイスブックで知りました。
誤解のないように申し上げますが、僕は心ならずも置き去りにせざるを得なかった、多くの飼い主さんを責めるつもりはありません。見捨てられた動物たちの姿が、幸せな日常が破壊されるということが、どういうことなのか如実に表していると感じ、それを表現したいと思って物語をつくりました。
この本の著者はいろいろな批判にさらされることもあるようです。しかし、仮に私が同様の事情でキジロウを置き去りにしたら…。やはり法律を犯しても助けに行きます。何らかの理由で助けに行けなかったら、この本の著者に依頼していたでしょう。