融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です。

2016年08月20日 | 礼拝のご案内

 明日8月21(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時15分から讃美歌練習、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「委ねられたこと誇りだった」、讃美歌は「私たちを生かす」(今月の歌)、「キリストにはかえられません」、「主よ、わが身を」です。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 浜坂教会は、来る8月25日に教会創立106周年を迎えます。波瀾万丈、紆余曲折の教会の歩みですが、教会を守り導かれたのは主なる神さまであると信じます。人が導いたのではありません。人は、自分の利害や栄光を求めるものです。人は、自分の欲望のままに歩む、自己中心的な存在なのです。

 そのようなことを教会創立記念の日に思い起こします。とかく、身勝手な考えに陥りがちですが、教会を守り導いているのは主なる神さまであり、自分は従っているだけに過ぎないことを忘れず、謙虚に歩む者でありたいと願っています。

 


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お野菜をいただき感謝

2016年08月20日 | 日記

 お年寄りの方から畑で採れたお野菜をいただきました。ありがとうございます。冷たいきゅうりとトマトです。

 ちょうど、暑くてバテていたところでしたので、塩をふって丸かじりしたところ、体が冷やされてシャキッとしました。残暑が厳しいですが、あともう少しで涼しくなります。但馬の短い夏を楽しんで、実りの秋を迎えたいと願っています。

 今年は、柿が豊作なのでしょうか。柿の木には、青い実がたくさん付いています。但馬は自然が豊かで、都会の季節感の無さとは雲泥の差です。季節を感じるということは、私にとって生きている、いや生かされているということを実感させられるものです。

 何とか生かされています。

 


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「神の裁きと受け止めていた」

2016年08月20日 | 聖書のお話

「神の裁きと受け止めていた」 コリントの信徒への手紙一 6章1~11節

 パウロは、コリントの教会の人たちが、仲間の中で争い事が起こったとき、神の霊が心の内にある信徒に訴え出ないで、コリントの社会にある仲裁機関に訴え出ていることに対して、「信仰のない人々に訴え出てはならない。」と教えました。神の霊が心の内にある信徒に訴え出るということは、信徒の内にある神の霊に裁きを求めるという信仰的な行いです。それとは反対に、人に裁きを求めること、しかも信仰のない人々に裁きを求めることは、神の霊を頼りにし、神の霊の判断に依り頼むのではなく、人間の知恵や判断を頼りにし、あたかも人の裁きを神の裁きのように受け止めることであると指摘されています。

 とはいえ、教会の内は善で、教会の外は悪という安易な二元論的な考え方には注意したいと思います。大切なことは、神の霊を頼りにするという信仰ではないかと思います。パウロは、「みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者・・・」と、正しくない者のリストをあげています。このリストにあがっている者は、正しくないので裁かれると安易に受け止めてしまうのではなく、その言葉に続く「あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。」という教えに注目し、裁きも赦しも清めも全て神の霊に依り頼むことができる信仰者でありたいと思います。

 


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