融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

人間とは

2016年09月07日 | 日記

 人間とは、どうしてこんなに愚かなのでしょうか。原発を動かしたら、核のゴミが出るということを知らなかったというのでしょうか。いや、実は、知識としても核のゴミは10万年も危険であると分かっていながら、お金儲けのために原発を動かし、これからも動かそうとしているのですから、たいへん悪質というものではないでしょうか。

 地下深くに10万年も保管しておかないと危ないという放射性廃棄物なんですが、放射性廃棄物を入れておく容器は10万年ももたないわけで、10万年のうちに消耗した容器を何回交換しなければならないのでしょうか。その都度、掘り起こして。(画像をクリックすると、ニュース記事をご紹介します)

 

 そして、消耗して交換しなければならない容器も放射能で汚染されていますので、それもまた核のゴミなのですから、新しい容器に入れなければなりませんので、ゴミの量はどんどん膨れ上がるばかりです。果たして10万年もそんなことを責任を持ってし続けることができるのでしょうか。ちょっと考えたら実に無責任で、モラルもへったくれもないということが分かりそうなものではないでしょうか。

 それを「クリーンエネルギー」だとか何とか、役者を雇って広告(←クリックすると、「原発 広告」で検索した画像をご紹介します)を出して、多くの人々を欺し続けた結果が、今です。役者の中には、役者のプロとして純粋に演じる仕事を引き受けて、原発の危険性を知らなかった人もいるかと思います。一方で、金のために危険と分かっていても、さも原発が安全で必要であるかのように語った知識人や学者といった人たちもいたと思います。その人たちのプロパガンダは、所詮「猿回しの猿」であったとしても、たいへん悪質であったと言わざるを得ません。

 今、賛成とか反対とか云々より、全国各地の原発敷地内にある燃料プールに保管している使用済み核燃料(核のゴミ)をどうするかが、待ったなしの問題ではないかと思います。そのことを放置して、明るい明日はありません。あちこちで原発の再稼働が進められていますが、それをしたら新たな使用済み核燃料(核のゴミ)が生成されてしまいます。再稼働をする理由が、いくらお金のためであったとしても、もうこれ以上使用済み核燃料(核のゴミ)を出し続け、増やすようなことなどできません。

 それにしても、原発を再稼働させておいて、避難の訓練をするとは、順序が逆なのではないでしょうか。これも、お金が第一で、人命が軽視されてることの表れではないかと思います。(画像をクリックすると、ニュース記事をご紹介します)

 

 福島原発の事故の収拾が、何年かかるか分からない状況で、今も汚染された水が海に流れ出ている状況で、もうこれ以上、核のゴミを出し続ける原発再稼働は「できない」と考えるのが、理性の働く人の考えではないでしょうか。また再び原発事故が起これば、たとえ百キロ離れていても、風向きなどの条件で汚染は広がることが分かりました。(画像をクリックすると、ニュース記事をご紹介します)

 

 私は、原発で発電される電気など、使いたいとは思いません。発電して欲しくもありません(むしろ、原発を再稼働させなくても、十分に電力はある)。なぜなら、10万年も先の人に責任を押しつけ、莫大なお金を使わそうとする議論に、やっと立とうとしているからです。これ以上核のゴミを出し続けながら、そのような議論をしようとするのは、文明人として恥ずかしいと思うべきだと考えているからです。日本だけの問題ではありません。世界規模で立ち止り、議論すべき大問題ではないでしょうか。


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