融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2016年09月24日 | 礼拝のご案内

 明日9月25日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時15分から讃美歌練習、午前10時30分から主日礼拝です。メッセージは「イエスと私の約束だった」、讃美歌は「新しい時をめざし」(今月の歌)、「とらえたまえ、われらを」、「主よ、みもとに」です。礼拝後は、祈りの一時、会堂清掃、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 今日は、懸案だった駐車場の草刈りができました。刈る量も多くて少し疲れましたが、肩の荷が一つ降りました。思い返せば、忙しさにかまけて草刈りを先延ばしにしてしまい、台風の影響で雨が続いたりと、ややこしくなってしまいました。問題を先送りにすること、さらに色々な問題が絡まってしまうものですね。この経験を忘れないようにしたいものです。

 明日も日中はお天気のようです。野良仕事はお天気でないとできませんので、残っている仕事を一つでも片付けようかな・・・。

 

 


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「主と客が逆だった」

2016年09月24日 | 聖書のお話

「主と客が逆だった」 コリントの信徒への手紙一 11章17~22節

 パウロは、教会の中で「良い仲間割れ」と「悪い仲間割れ」があると考えているようです。「良い仲間割れ」とは「適格者」すなわち使徒の下で働く優れた同労者を選ぶための切磋琢磨のことのようで、「悪い仲間割れ」とは自分が優れていると思って派閥争いをすることのようです。コリントの教会の人たちには、「悪い仲間割れ」が起こっていたようです。新たな問題として、「主の晩餐」の際、自分を強いと過信している人たちが、先に飲み食いして、後から来る貧しい人たちの分の配慮をしなかったようです。

 「主の晩餐」とは、イエスさんが十字架に架かる前の最後の食事のことです。そこでイエスさんは、弟子たちに師として教えてきたことを守って継承するように、パンに思いを込めました。また、主として弟子たちの罪を赦し、救うための契約を立て、ぶどう酒に思いを込めました。「主の晩餐」でパンを食し、ぶどう酒を飲むとき、誰もがイエスさんを「主」とし、自分を「客」とする思いをもって席に着くことが大切であるように思います。「主の晩餐」は、イエスさんと直接関係を結ぶための交わりですから、それは弱い人にも保障されています。自分の信仰は強いと過信する者が、自分さえ「主の晩餐」ができれば良いと考え、弱い人はできなくても良いと考えるならば、それは「客」であるはずの自分が、「主」になっているということではないでしょうか。

 


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草刈り完了

2016年09月24日 | 日記

 様々なことに思いを寄せながら、この一週間も土曜日を迎えました。何とか、この日を迎えることができたことを感謝いたします。

 久しぶりのお天気となりました。午前中、駐車場の草刈りをしました。随分と伸び放題になっていましたので、少し大変でした。土曜日なので、明日の準備に時間を使いたいという心理になってしまいます。それで、自然と草刈りのペースが早くなってしまいます。その分、体が疲れますし、何より気ぜわしいです。できれば、のんびりと作業をしたいのですが、今日はそんなことを言ってられません。作業を先延ばしすればするほど、大変になってしまうからです。

 おかげさまで、すっかりすっきりとしました。気持ち良く、明日の礼拝を迎えられます。

 


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