「仕えるためにやって来た」 マタイによる福音書 20章20~28節
ヤコブとヨハネの母親は、二人の息子をイエスさんの右左に置いて欲しいと願いました。それは、まるでこの世の王様に願い出るかのような態度でした。それが、当時の人たちが持っているメシアに対するイメージでもありました。メシアは、ユダヤの民に仕えられ、権力を振るい、神の国を打ち立てる勇ましい指導者として考えられていました。しかし、イエスさんは、「人の子は、仕えられるためではなく、仕えるためにやって来た」と言われて、この世の王様や権力者のようなイメージをきっぱりと否定されました。
人は、権力者を都合良く利用するものです。メシアとて、同じように利用するでしょう。イエスさんは、「悪魔の誘惑」を受けたとき、権力をもって人を支配するという方法をきっぱりと拒否されました。権力をもって人を支配する、それは神さまが一番お嫌いになることなのかも知れません。それ故に、イエスさんは、「人の子は、仕えられるためではなく、仕えるためにやって来た」と教えられました。イエスさんの十字架は、神さまの愛の証です。