「忍耐して実を結ぶ」 ルカによる福音書 8章4~15節
イエスさんは、自分がたとえ話を語るのは、わざと分かりにくくするためであると言われています。何だか、意地悪な気がします。どうせなら、分かりやすく語ってくれれば良いのではないかと思います。一方で、分かりやすい話しには、弊害もあります。話しを鵜呑みにしたり、自分で考えることをしなくなるからです。むしろ、難解であることによって、深く思考する力が養われたり、忍耐も学べます。そうすると、安易に洗脳されるようなこともなくなるのかも知れません。なるほど、イエスさんは大きな声で「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われましたが、その通りだと思います。
イエスさんは、「種を蒔く人のたとえ」を話されました。道端に落ちた種とは、み言葉を奪い去られた人のこと。石地に落ちた種とは、試練に遭うとみ言葉を捨てる人のこと。茨の中に落ちた種とは、人生の思い煩いや快楽の方がみ言葉よりも勝ってしまう人のこと。良い土地に落ちた種とは、立派な善い行いをして、忍耐して実を結ぶ人のことであると教えています。それぞれ4種類のケースが示されています。み言葉を知る機会すらない人のこと。忍耐が足らない人のこと。忍耐より欲望が勝ってしまう人のこと。み言葉を聞いてよく守り、忍耐し続けて実を結ぶ人のこと。最後の人は、一番忍耐した人ではないでしょうか。み言葉が人生と共にあるように、忍耐もまた信仰と共にあるということが教えられているように思います。