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新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「荒れ野は愛」

2025年01月25日 | 聖書のお話

「荒れ野は愛」 マタイによる福音書 4章1~11節

 イエスさんは、悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行きました。そこで40日間、昼も夜も断食した後に空腹を覚えました。すると、悪魔がやって来て、「神の子なら、石がパンになるように命じたらどうだ。」と言いました。イエスさんは、その誘惑を退けました。次に、悪魔はイエスさんを聖なる都の神殿の屋根に立たせて、「神の子なら、飛び降りたらどうだ。あなたの足が石に打ち当たらないように天使たちが手であなたを支えるだろう。」と言いました。イエスさんは、その誘惑を退けました。次に、悪魔はイエスさんを非常に高い山に連れて行き、世界の国々と繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう。」と言いました。イエスさんは、その誘惑を退けました。

 イエスさんは、荒れ野で40日間、昼も夜も断食して祈り続けたことによって、それぞれ場所も動機も異なる3つの誘惑を完全に退けました。最初は奇跡によって人の命を救うかどうかの誘惑、次は奇跡によって信者を獲得するかどうかの誘惑、最後は世の権力を利用して神の国を実現するかどうかの誘惑でした。荒れ野で最初に受けたパンの誘惑とは、人間の命についての問題でした。イエスさんは、人間の命はパンだけでなく、愛が必要不可欠であると言いました。荒れ野とは、イエスさんを神の子として成長させた場所です。神殿でもない、世の繁栄した国々でもない、イエスさんが人間にとって愛が必要不可欠であると悟らせた場所とは、荒れ野なのです。

 


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