「収穫物は愛」 マタイによる福音書 13章1~9節
イエスさんは、湖の畔に出かけて舟に乗りました。自然豊かな中で、岸辺にいる大勢の群衆に種を蒔く人の譬えを語りました。種を蒔く人は、不思議なことに道端であろうが、石だらけの場所であろうが、茨の間であろうが、良い土地であろうが、あまり気にせず種を蒔いているようです。良い土地に蒔かれた種は、たくさんの収穫物を生じさました。種には生命力があり、良い土地であれば自ずと成長して何十倍もの実を結ぶのは当たり前のことです。
この譬えには、種蒔く人が土を耕し土地を良くするという描写がありません。どちらかというと、種がどこに落ちても気にしていないようです。この譬えの「種」とは、イエスさんの伝える愛の教えです。つまり、愛の教えを宣べ伝えるのが種まきであり、その種がどこにでも蒔かれていると同じように、愛の教えは誰にでも分け隔てなく宣べ伝えるべきことが教えられているのです。
良い土地とは、環境に恵まれた人のことであり、愛の教えを聞き入れ、他の人たちにも愛を宣べ伝えようとする立派な人たちのことです。けれども、この種まきの譬えは、そのような恵まれた人たちのようになりなさいというのではなく、環境の異なる人たちにも分け隔てなく愛を宣べ伝えなさいという教えなのです。イエスさんが教える愛は、立場の違う人と人とが互恵の精神によって助け合い、分かち合い、喜び合って生きることができるようになる収穫物なのです。