「委ねられたことが誇りだった」 コリントの信徒への手紙一 9章13~27節
パウロは、自分が「使徒」であるという思いを強く持っていました。そのために、神殿や祭儀に仕える人が受けていた、生活が支えられるための権利などを一切受けず、自給伝道の道を歩みました。そうさせたのは、福音を委ねられたことが誇りだったからです。それは、自分が使徒として福音を宣べ伝えるために、融通無碍(考え方や行動にとらわれるところがなく、自由であること。また、そのさま。)であったということです。そのために、パウロは「ユダヤ人にはユダヤ人のように、律法を持たない人には律法を持たない人のように、弱い人には弱い人のように」なったと伝えています。
一方で私たちが考えなければならないのは、「弱い人」に出会ったとき、その人が「どうして弱くさせられているのか」ということではないでしょうか。イエスさんは、弱い人と出会い、弱い人と共に生き、その人が弱くさせられた原因を追及し、病気を癒やすとか罪を赦すとか、その人が弱くさせられていた原因を取り除き、その人間性を回復することによって神の国を実現させようとしました。融通無碍とは、自分の立場を変えないで、たとえば「弱い人には弱い人のように」なるということではありません。パウロの融通無碍は、弱さの極みを経験した者として、弱い人との出会いの中で「弱さこそ恵」の福音を分かち合うものであったと受け止めたいと思います。