広島に行ったなら是非尋ねたい所があった
それは平和記念公園の一角にある”教師と子供の碑”だった
製作された芥川永さん御夫妻にはとても良くして頂き
お元気な頃にアトリエに伺って原型を見ていた
大きな像はアトリエの中央に置かれ 見るものを圧倒していた
1971年に製作されたもので
息絶えた子供を抱いた教師の悲しみが 滲み出ているように
原爆ドームの近くで見ると思われた
そばに置かれた千羽鶴がなお いっそう哀しかった
芥川さんは釣りが好きで 渓流釣りに出かけたある日
「出かけたときとは 全く違う服装で帰ってきたことがあるのよ」と
奥様が微笑みながら話してくださったことがある
その後を引き継ぐように芥川さんは「足を滑らして川に落ちて
持っていたもの全てを流してね ポケットに入っていた財布だけが
残ってね 下着から全て買って着替えて帰ったんだよ」と楽しそうに
話された
もう30年ほど前の話です
1998年 82歳で旅立たれました
御夫妻共に穏やかにいつもニコニコと笑顔が絶えないお人柄でした
瓦礫が散乱し 当時のままに保存されている原爆ドーム
誰もがどのような形にせよ 見たことがある建物でしょう
原爆が投下された時間で止まった腕時計
なぜ・・・
人影の石・・・住友銀行広島支店の入り口の階段の一部
強烈な熱線の為に石段の表面は白く変色し
開店を待って座っていたらしい人の姿が黒っぽくなって残った
1971年の建て替えの時に この部分が切り取られ保存されました
黒い雨・・・
福島の原発の事故以来聞かない日は無い”放射線”の
言葉
重く受け止めてほしい言葉です
展示されている品々は余りに生々しく 黒くなったまま生え続けた爪や
子供の爪や皮膚など カメラを向けることは出来なかった
都内では殆ど見られなくなった路面電車が広島では元気に走っていました
駅と駅の間隔が短く 市民の足となっているのが良く分かります