あかねの独り言 パート2

武蔵野を散策して出会った生き物や
四季折々の花達の記録です

教師と子供の碑

2011-10-31 16:18:22 | 日記


広島に行ったなら是非尋ねたい所があった
それは平和記念公園の一角にある”教師と子供の碑”だった
製作された芥川永さん御夫妻にはとても良くして頂き
お元気な頃にアトリエに伺って原型を見ていた
大きな像はアトリエの中央に置かれ 見るものを圧倒していた



1971年に製作されたもので
息絶えた子供を抱いた教師の悲しみが 滲み出ているように
原爆ドームの近くで見ると思われた
そばに置かれた千羽鶴がなお いっそう哀しかった
芥川さんは釣りが好きで 渓流釣りに出かけたある日
「出かけたときとは 全く違う服装で帰ってきたことがあるのよ」と
奥様が微笑みながら話してくださったことがある
その後を引き継ぐように芥川さんは「足を滑らして川に落ちて
持っていたもの全てを流してね ポケットに入っていた財布だけが
残ってね 下着から全て買って着替えて帰ったんだよ」と楽しそうに
話された
もう30年ほど前の話です
1998年 82歳で旅立たれました
御夫妻共に穏やかにいつもニコニコと笑顔が絶えないお人柄でした



瓦礫が散乱し 当時のままに保存されている原爆ドーム
誰もがどのような形にせよ 見たことがある建物でしょう



原爆が投下された時間で止まった腕時計





なぜ・・・



人影の石・・・住友銀行広島支店の入り口の階段の一部
強烈な熱線の為に石段の表面は白く変色し
開店を待って座っていたらしい人の姿が黒っぽくなって残った
1971年の建て替えの時に この部分が切り取られ保存されました



黒い雨・・・
福島の原発の事故以来聞かない日は無い”放射線”の
言葉
重く受け止めてほしい言葉です
展示されている品々は余りに生々しく 黒くなったまま生え続けた爪や
子供の爪や皮膚など カメラを向けることは出来なかった



都内では殆ど見られなくなった路面電車が広島では元気に走っていました
駅と駅の間隔が短く 市民の足となっているのが良く分かります

戦艦大和

2011-10-30 15:48:27 | 日記


昨日の夕方・・・西の空は暮かかり ほっそり美人のお月様
昨日も今日もスーパーの乳製品コーナー巡り
バターが品薄とは聞いていたけれど全く無かった!!
お陰でパンが焼けなくなってしまった
久しぶりにホテルブレッドを仕方なく買ってきた
明日は歯科受診日なので帰りにデパ地下に寄って見る事にした
さて手に入るかな?



呉の続きです
深い海の中は神秘的で”しんかい”が見せてくれた様子に
釘付けになって見た事はありませんか?
その”しんかい”が展示されていました!!
ゆっくりと海底に潜っていく様や
面白い生き物をカメラで捕らえている様子を思い出した



戦艦大和の甲板の前の部分の四分の一の大きさ・・



余りの大きさに婿殿に聞いてしまった
「あの先端まで!!?」



その先の海にはタンカーだろうか
建造中のように見えた!





戦艦陸奥の大きなスクリューやイカリなども展示されていた
戦争の記憶は無いが人間魚雷なども
見ることが出来複雑な思い・・・



気分を変えてのどかな御近所の景色と



高所恐怖症の人には考えられない作業を
黙々としている人達が居た

2011-10-29 16:10:54 | 日記


海岸線を見たいと呉に行った
湘南の広い海を見ていたので 入り組んだ海岸線は小さく
砂浜も小さかった


幾重にも重なった島影は
少し高い位置から見れば景色はいい筈



呉まで来て目の前を飛んだ蝶が気になった
クロコノマチョウだった
何処にでも居るのには驚きだった



桂浜神社はひっそりとしていて誰も居なかった



こけら葺きの屋根はしっとりと昨日の雨を含んで湿っていた





神社の石段の隅に厳島神社で見たのとは種類が違うカニが
じっと動かなかった



車の中から見えた”音戸の渡し”
日本一短い渡し舟
時刻表など無くお客さんが来ると船を出すが
駐車場など無い様子に乗るのを諦めた



港には浮かび上がっている潜水艦が二隻見られたが
走る車の中だったので撮影は断念
展示してある潜水艦を代わりにパチリした
夕方5時まで入館出来るようだったが時間切れでした




アサギマダラ乱舞!!

2011-10-28 16:27:17 | 日記


広島の続きは明日にして旬の画像が古くなる前にと思って・・・
柿が美味しそうに色付いて”医者が青くなる”季節と言ったのは
昔の事でしょうか?
近年は税金対策か たわわに実っても収穫する様子も無く
落ちて腐っているのが目立つ



アサギマダラの様子を見に行ってきた



斜面の影なので光線の加減で薄紫色に見える
前回は4頭ほどしか見られなかったが
昨日は数え切れないほどが 次々と優雅に飛ぶ姿が見られた


お昼はもちろん”魚勝”さんへ・・・
ホタテもマグロも絶品だが昨日はコハダが出てきた
シメ具合も絶妙で何時行っても満足できる料理です



寒い朝だったので日差しを受けて じっと体を温めているのかと思ったら
朝食中のウラナミシジミが一頭
トリミングして大きくしてみると翅や体がキラキラ光って
いるのが分かる
翅の細い毛 胴体の細い毛も光っている
こんなに華やかな翅と体を持っているのね!!



アサギマダラが集結する所に・・・トンビが雲ひとつ無い空を弧を描くように
群れて飛んでいた
その中の一羽が電柱に止まった
トンビは余り人気が無いが 猛禽らしい鋭さは窺えた



アサギマダラの集結場所を遠くから見る限り
飛んでいる様子は見られなかったが
蜜にストローを延ばしていたのだった



およそ20頭余り・・・今年も元気に集まっていた



ひとつの画面に何頭か入れたいと四苦八苦
出来る事ならもっと沢山入れたかったが
蝶達はするすると滑るように花を移動する
もう少し もう少し・・・いつまでたっても飽きることはなかった
何時までこの場所に滞在してくれるのか分からないが
元気を蓄えて渡っていってほしいものです


広島 厳島神社

2011-10-27 18:29:58 | 日記


有名な厳島神社を尋ねるとは思いもよら無かったが
ちょっと小雨がポツリポツリ降る中出かけた
船に乗るのは何年振り?
牡蠣の筏らしきものを眺めながら船で渡った



雨宿りしているのか 鹿は皆松の根元で寛いでいた
中には小競り合いしているものも・・





回廊から見える景色



海の上から見える鳥居とはちょっと趣を変えて・・
丁度干潮でした
建物にはおよそ似つかわしくない脚立が置いてあり
そばにはたくさん荷物が置かれシートが掛けてあった
翌日の新聞で広島出身の歌手のコンサートがあったようで
コンサート当日でなくてよかった・・と娘と顔を見合わせた!!



床板の間には目透しと言われる隙間があり
高潮の時に押しあがってくる海水の圧力を弱め
海に戻す役目をしている
過去に台風で床板が流される映像を見た記憶があった



現在の能舞台は1680年作とか
明治32年国の指定重要文化財になったが
元は1568年頃に毛利元就が京都の観世太夫を招いた時に
作られた



反橋・・重要な祭事の時に勅使が渡って本社内に入った
勅旨橋とも呼ばれている



干潮で顔を出した砂の中には沢山の穴が開いていて
小さなカニがあちこちに居た



後白河法皇お手植えの松・・全体像は撮らなかったが
何百年もの時を経て横たわっていた



明治33年国指定重要文化財に指定された
高さは29.3メートル
世界遺産を一回りして来た
厳島神社で結婚式をしている幸せな姿もチラリ
かと思うと床板の下で潮で痛んだ柱を修理している
職人の姿があったりだった