金田正一、もう1つの功績

 
 現役時代通算400勝を挙げオリオンズの監督としても日本一に輝
いた金田正一氏が、急性胆管炎による敗血症で昨日86歳で亡くなっ
たとの事。
 
 64年生まれの私にしてみると金田正一は野球を見始めた頃には
オリオンズの監督で3塁コーチャースボックスで指揮を執るだけで
なく、ダンスを踊るなどパフォーマンスを見せる監督というイメー
ジだったし福岡ではライオンズとの遺恨試合で平和台でオリオンズ
戦があると一触即発の雰囲気になっていたのを思い出す。
 
 現役時代はまともに見てないのだが400勝するというのは半端な
事ではできないし、キャンプで自ら市場に出かけて買い出しをして
自ら鍋を作って食べる・金田鍋や枕などまで持ち込むなど自己管理
の鬼として知られていた。
 
 金田氏に関するネタは他でも扱われるので個人的に取り上げるの
は野球マンガへの出演数だ。
 
 基本的に昭和の野球マンガには実在の選手がよく登場していたの
だが、特に長嶋茂雄や王貞治に川上哲治といったジャイアンツの重
鎮と共に巨人の星や侍ジャイアンツでアドバイザーとして登場して
いたのを思い出す。
 
 巨人の星では現役時代の末期で星飛雄馬と共演し台湾キャンプの
時に飛雄馬に対し日本製オリジナルの変化球を作る事を提案し、結
果的に大リーグボール1号の誕生を促す事になる。
 
 また侍ジャイアンツではオリオンズの監督になる前に若い頃の振
る舞いが主役の番場蛮に似ていた事から何かと目をかけて、いろい
ろアドバイスを送るのだが特に自分が現役時代に体験した17対1の
野球地獄を語るシーンは特に印象深い。
 
 一方でオリオンズ監督としてはアストロ球団でアストロスタジア
ムの球場フランチャイズ権をかけてアストロ球団と対決し、あらゆ
る手段を使いアストロ超人達を追い詰めるが最後はプロの厳しさを
教えるためという事になっていた。
 
 このように野球マンガでは川上哲治と並ぶ伝説の選手として登場
していたので現役時代の功績は、子供心に印象に残っている。
 
 完全に引退してからは週刊誌などで自分の現役時代の事を基準
に語りまくるため‘昭和の理論’と思える事例も多いのだが、先述
したような自らのコンディションには神経質なぐらい気を使うと
いう姿勢は見習うべきだと思う。
 
 
 
 
 
 
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