竹原慎二のミドル級制覇の快挙から20年

 今から20年前の今日95年12月19日に後楽園ホールで行われたWBA
ミドル級タイトルマッチで挑戦者の東洋太平洋王者・竹原慎二が、王者の
ホルヘ・カストロに判定勝ちして日本人初の世界ミドル級王者になった
日である。

 日本ボクシング界にとってミドル級というのは これまで挑戦すら
できなかった階級で、しかも王者は100戦を越えるキャリアを持つタフ
ファイターだった。

 しかもカストロは前年の10月に行なわれた前王者のジョン・デビッ
ト・ジャクソン戦では流血戦で一方的に打たれながらも最終Rに右の
一撃で大逆転KO勝ちするというタフさを持っておりプロアマ通じて
ダウンの経験がない王者だ。

 試合は186㎝の長身を誇る竹原が王者の突進を迎え撃つ形で始
まったのだが、3Rに竹原の左ボディが炸裂しカストロにとって
キャリア初のダウンを奪う。

 これで一気にヒートアップし猛然とプレッシャーを強める王者に
対して竹原も正面から足を止めて打ち合う展開になったのだから
見ている方はヒヤヒヤものだったが、王者のフック系のパンチより
竹原のストレート系のパンチの方が先に当たる展開で進み最後は
ラスト10秒で場内の観客が総立ちになる中で終了のゴングが鳴り
判定は3-0で竹原に上がった。

 ただ こういう素晴らしい試合を本来中継するべきTBSは録画
中継すら見送り、TV東京が関東ローカルで深夜の録画中継にする
という暴挙があった事は日本スポーツ中継史上に残る汚点で後に
ニセモノ一家を蔓延らせる不祥事を起こす局ならでは。

 ただ竹原の快挙は王者が短躯のファイタータイプだったカストロ
という要素が大きいだろう。

 ミドル級はカストロのようなパワーファイターからスピード系の
アウトボクサーまで幅広いタイプがいるのだがカストロがアルゼン
チンの選手だからこそ日本に呼べたし、打ち合うタイプだから竹原
にも勝ち目があったわけで初防衛戦で完敗したウィリアム・ジョッ
ピーのようなタイプだったら厳しいのではないかと思うのだ。

 とはいえカストロは竹原戦後もライトヘビー級に上げてキャリアを
重ね伝説のボクサー:ロベルト・デュランとも戦っているのを見ると
快挙は色褪せないし、快挙を演じるには相性のいい王者に挑戦できる
などの幸運が手伝わなければ無理だという事。

 あれから20年経ち何人かは世界ミドル級タイトルに挑戦している
ものの悉く世界の壁に阻まれているのを見ると竹原の凄さが分かるし、
五輪金メダリストの村田諒太には何としてもミドルの壁を打ち破って
欲しいものだ。

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