追悼ハンク・アーロン


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20210123-0061

 MLB通算755本のホームランを放っていたハンク・アーロン氏が、
先日86歳で亡くなったらしい。

 アーロンといえば74年にベーブ・ルースの持つ通算714本のホー
ムラン記録を抜き、2年後の76年に引退するまで通算755本のホー
ムランを放っただけでなく引退するまで22年連続二桁ホームラン
を放つという偉大なホームラン打者だった。

 そして715本のホームランを放った74年には来日しNYメッツ相手
の日米野球の試合前に王貞治とホームラン競争を行い10対9でアー
ロンが勝ったのだが、この時に初めてホームラン競争というのを
見たわけである。

 個人的に野球を見始めたのは小3だった72年あたりからで野球選
手で最初に覚えた名前は長嶋茂雄と王貞治らジャイアンツの選手だ
が、MLBの選手では伝記小説で取り上げられたベーブ・ルース以外
は知らなかった中で最初に知った現役選手がアーロンだった。

 というのも当時は学校の廊下にある掲示板に写真ニュースが貼
られており5月にアーロンがベーブ・ルースの記録を破ったニュー
スが掲載され知ったわけで、その年に行われたNYメッツとの日米
野球の中で王とホームラン競争をするために来日した。

 NYメッツには後のNYヤンキースの監督ジョー・トーリが4番を
打ち後に日本でプレーしたウエイン・ギャレットやフェリックス
・ミヤーンらがいたし、エースにトム・シーバーらがいたわけだ
がアーロンの存在感は群を抜いていた。

 当時のアーロンは40歳で結果的に42歳までプレーしホームラン
数も755本まで伸ばしているのを考えると、我らが王も42歳まで
プレー
できるのではないかと思ったりしたわけだ。

 最終的に王は80年に40歳で引退するのだが結果的に77年にアー
ロンの記録を抜く756号を打ってから完全な一人旅になったわけで、
王自身も‘アーロンが900本打ってくれていたら868本では終わって
なかった’的なコメントをしていたのを思い出すしライバルの存在
の大切さを実感したものだった。

 ちなみにアーロンは私生活が破天荒だったルースと違い規則正し
い生活を送っていたようだし王から記録上は通算ホームラン数を破
られた時にアメリカメディアが球場の広さなどを云々しても経緯を
表し祝福していた一方、バリー・ボンズがMLB通算ホームラン新記
録を作っても薬物疑惑があったため式典に出席しないなどドーピン
グなどには厳しい目を向ける正統派タイプだったと思う。

 それにしても今年に入ってLAドジャースのトミー・ラソーダ元監
督やドン・サットンなど殿堂入りした人達が亡くなっており、これ
も時代の流れではあるものの寂しいものである。

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