ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
中嶋悟のラストレースから20年
今から20年前の今日91年11月3日にアデレードで行われたF1グランプリの
最終戦・オーストラリアGPで日本人で初めてF1にフル参戦した中嶋悟は、豪雨
の中のレースで3周目に接触でフロントウィングを破損し一旦復帰したものの
5周目にスピンしてリアウィングを破損してリタイアし これが引退レースとなって
しまった。
アデレードでの雨といえば89年に同じようなコンディションの中で最下位から
ファステストラップを叩き出す快走を見せて自己最高順位タイの4位に入った
のでラストレースでの上位入賞を期待したのだがリタイアとなってしまい引退
レースを飾れなかった。
F1といえばニキ・ラウダの時代から車好きの友人の影響で興味を持っていたし、
プロ野球ニュースの月曜版ではF1コーナーまであったので それなりに知識は
持っていた。
しかし87年に中嶋悟がF1にフル参戦し始めてから一気に熱が高まり、修行先の
先輩も好きだったので店の中でも かなり話題になっていた。
やはり日本人が出るレースと出ないレースでは ここまで違うのかと思い知った
のだが、この感覚は98年にサッカー日本代表がW杯フランス大会に初出場した
時にも感じたもので思い入れを持って応援するのが自国だと更にテンションが上
がるというもの。
しかも中嶋の同僚にはアイルトン・セナやネルソン・ピケなどワールドチャンピ
オンに輝いたドライバーがいたので、彼らの魅力が本当に分かったのも中嶋が
いたからこそである。
残念ながら中嶋がF1デビューしたのは30代半ばで体力的に下降線を辿る時期
だったため、正直5年ほど早くデビューできていれば表彰台も可能だったのでは
ないかと思っていた。
ちなみに雨のレースで中嶋が強かったのも
‘雨だと車が滑る反面、ハンドルが軽くなって操縦しやすくなるので腕力が無い自分
にとってチャンスだった’
と語っていたように、パワー不足をテクニックで補っていたのが分かる。
とはいえ現在でも小林可夢偉に至るまでF1の日本人ドライバーが続いているのも
中嶋が切り開いた道があるからだろう。
そういえばエプソンで中嶋が自転車で疾走するCMカッコよかったな・・・・
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それでも表彰台がないだけですからね。
徒手空拳で挑んだパイオニアとしては上出来ですよ。
ホントあと5年デビューが早かったら・・・と思いますよ。