忘れてならないアストロ球団-ビクトリー球団戦

 今から40年前の今頃 週間少年ジャンプで我々が嵌って毎週読んで
いたのがアストロ球団のビクトリー球団編。

 昭和29年9月9日午前9時に生まれ体のどこかにボールの形のあざが
あるアストロ超人達が昭和19年に戦死した沢村栄治の打倒MLBの遺志を
継ぐ形で結成されたアストロ球団が、同じアストロ超人である峠球四
郎が結成した格闘家を集めてアストロ球団抹殺を画策したビクトリー
球団と死闘を繰り広げていたのだ。

 ちなみに今日7月23日は年こそ違えアストロ球団とビクトリー球団が
15万人収容で開閉式ドーム球場・アストロスタジアムで対戦した日で
ある。

 このビクトリー球団編は実に3年以上かけて連載された試合で勝った
アストロ球団は明智球七がアキレス腱を断裂させ盲目の1塁手・伊集院
球三郎は難聴になり、球三郎の兄・伊集院大門の打球で高尾球六が顔面
に裂傷を負ったりタッチされた時に三荻野球五が肋骨を骨折するなど
甚大なダメージを被った。

 一方のビクトリー球団も先発投手の氏家慎次郎はビンボール魔球を
投げた際にボケてしまうし、大門はデスマッチ野球の責任を取って
影腹を切り同点HRを打った際に死亡するとバロン森もファウルボール
キャッチ時にフェンスに頭を強打したのが原因で9回に同点2ランを
打ってホームインする寸前に血を吐いて死亡と壮絶なる試合を展開。

 最後は2アウト満塁で球五がフルカウントから打ちに行くものの
骨折した肋骨の痛みでバットを振れずに見逃すもボールで押し出し
サヨナラという結末だった。

 最終スコアは19-18でのアストロ球団の勝ちで‘1試合完全燃焼’を
チームスローガンとする死闘ではあったが、それゆえ20年早く生まれ
過ぎたという事から追放されるという結末だった。

 連載終了から40年近く経った今ではアストロ球団のような野球を
すればプロとして成立しないのは自明の理というのが分かるのだが、
理屈を越えて読者を熱くさせる作品ではあった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
アストロよ永遠に。 (のぶ。)
2015-07-25 22:10:45
これに私は泣きました。

http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/2371
 
 
 
ありがとうございます (こーじ)
2015-07-25 23:08:06
>のぶ様
 いらっしゃいませ、初めまして。

 素晴らしいリンクありがとうございます。

 このネタは後日記事として扱わせてもらいます。
 
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