フォトコン撮影会と吉村禎章の受難

 今から20年前の今日88年7月6日は水曜日だった。
 務めていた蒲田の店・ネモトでは、フォトコンテストの撮影会が行われて
いた。
 本店と2つの支店からカット&ブロー担当・パーマ担当・メイク担当の3人
で、それぞれチームを作ってレディスモデルを準備し前の週に作品を作る。
 因みに私は本店チームのパーマ担当だった。 

 1週間後の7月6日に師匠が、フォトコンで全国優勝した時に写真撮影を
してくれたフォトスタジオに行き撮影が始まる。
 21:30頃にスタジオに到着しヘアスタイルなどを整えた後に撮影が始まる
のだが、フォトスタジオのオーナーの出す指示が なかなか細かい。
 目線や腰をひねる角度などオーナーが拘りまくっての仕事に圧倒された。

 このオーナーは本店のお客さんである。
 いつもは柔和な優しい方なだけに撮影をしている時の気迫は凄く、その
ギャップには驚いた。
‘せいぜい1人30分ぐらいだろう’とタカを括っていたが、何と撮影が終了
したのは0:00近くなっていた。

 部屋に戻るとジャイアンツの札幌シリーズの録画中継が、OA されていた。
 ドラゴンズとの首位攻防戦の札幌3連戦だったが、初戦を大勝したジャイ
アンツは この日もドラゴンズを圧倒していたものの通算100号HRを放った
直後の守備で中尾孝義が打った左中間の打球をセンターの栄村忠広と
激突し左ひざを大ケガするアクシデントに呆然とした思い出がある。

 翌日行われた3戦目も川相昌弘のサヨナラHRでドラゴンズに3連勝する
のだが、直後からジャイアンツは失速しドラゴンズから優勝をさらわれ2位
に終わる。
 そして王貞治監督が辞任する事になるのだが、その引き金になった日で
もあった。

  ちなみにフォトスタジオ・オーナーのおかげで、本店チームの作品が
入選し実演で行われる全国大会に出場する事になる。
 全国大会にはカット&ブローを担当した店長のみが出場し、見事優勝を
果たしたのだった。

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