ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
イラリオ・サパタらが再戦で強かったのは
今から40年前の昨日82年11月30日に蔵前国技館で行われたWBC:
Jフライ級タイトルマッチで、前王者の友利正は王者イラリオ・サパ
タとのリターンマッチを行うも2R以降圧倒され8RTKO負けしてタイ
トル返り咲きに失敗し、この試合を最後に友利は引退する事に。
両者は7月20日に金沢で友利の初防衛戦として行われ友利が攻め
込みサパタが捌くという展開が続き、噛み合わないまま盛り上がり
もなく最終ラウンドのゴングを聞いて2-1の僅差でサパタが勝って
返り咲いたわけで再戦が妥当な試合内容ではあった。
実はサパタは80年3月に蔵前国技館で中島成雄に挑戦すると、友
利戦同様に煮え切らない試合展開に終始すると僅差の判定勝ちし9
月に行われた再戦では11RKO勝ちし返り討ちにしていたのだ。
だから今回の友利との再戦は少し厳しいか?には思われた一方、
打ち合ってくれるならサパタは打たれもろさもあるのでチャンス
も?と思っていた。
ところが打ち合いで圧倒したのはサパタの方で友利は目も切ら
れ、ほぼ一方的な展開でサパタの返り討ちという形になったのだ。
今にして思うと当時の日本人選手の攻撃パターンよく言えば型
を持っている、逆に言えば意外性がないので百戦錬磨の中南米の
選手達にとって初戦で得たデータを基に戦えるという事で戦い安
かったのではないか?と思う。
そこで打たれもろさがあるサパタは中島戦同様に初戦は慎重に
戦い、攻撃パターンをインプットした再戦では面白いように打ち
まくってのTKO勝ちという事になっていたのだろう。
結局サパタに勝つには張正九やサントス・ラシアルのように
徹頭徹尾打ちまくるようなタイプか、アマド・ウルスアのよう
な強打を誇るタイプという事になるのだろうが友利はそういった
タイプではないためサパタの軍門に下ったという事になるのかも
しれない。
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