‘不運な負け’といわれた田川だが・・・

 今から40年前の今日80年8月13日の第4試合に地元の田川高
校が秋田商と対戦し、8回裏に2アウト3塁からの2塁ゴロが2塁
手の前で大きく跳ねるイレギュラーで勝ち越され2ー3で敗れた。

 試合は秋田商・高山郁夫、田川・村田康昭の投げ合いで進み
5回に秋田がノーアウト満塁からタイムリーと犠牲フライで2点
先行すると、直後の6回に田川も2アウト2・3塁から4番・小松
良人のタイムリーで追い付いて迎えた8回に2塁手の西村が立て
続けにファインプレーをした後に3ベースが出て2アウト3塁だっ
たのだから翌日の新聞などの見出しにも‘悲運’‘不運’といった文
字が躍った。

 しかし正直言って田川に あれ以上を望むのは厳しいものがあ
り、誤解を恐れずに言えば‘最高の負け方’だったと思うのだ。

 試合前の予想は秋田商の剛腕・高山対田川打線というもので
はあったものの、解説の渡辺博明氏が‘試合前に田川の練習を見
学したところ村田君が思ったよりいいので投手戦になるかも’と
いうコメントをしていた。

 正直言って田川が秋田商に勝つには村田が秋田商打線を完封、
百歩譲って許せるのは1点までと思っていたしジャンケンで勝っ
て後攻を取り、8回裏から9回裏に1点を取って勝つというのが理
想的なシナリオだと思っていたし当日は‘先負け’で実際に第1試合
から3試合連続で後攻チームが勝っていたのだ。

 ところが第3試合終了後に‘秋田商ノックを始めてください’とい
うアナウンスを聞いた時点で、先攻というのが分かり9割方負け
を覚悟したのだった。

 とりあえず150㌔を出すといわれた高山相手に完封負けならば
まだしもノーヒットノーランやパーフェクトは勘弁と思っていた
ら、1回に3番の杉山が死球で出塁し2階には1アウトから6番の中
川がレフトオーバーの2ベースを放ったのだから最低限のノルマ
は果たせたと思ったし何より2点リードされた直後に2点タイムリ
ーが出て2点を取ったのだから言う事なしと思った。

 そもそも秋田商は優勝した横浜や準優勝した早実に習志野など
に比べれば楽ではあるものの格上だったのは明白なので、負けは
十分考えられた一方で互角と思われる新湊や山形南に新発田農ら
と戦っても敗れる可能性もあるし敗れると相当な悔しさがあるの
を考えると秋田商は絶妙な相手だったのではないだろうか。

 格上のチーム相手に力以上のものを出し切って終わった形で、
それを考えると田川は素晴らしい終わり方ができたと思っている。

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