高校野球・昭和の常識=現在の非常識

 今から40年前の昨日80年8月15日に行われた夏の甲子園大会、
8日目の第3試合で前年ベスト8に入った大分商が浜松商に3-5
で敗れたのだが今なら大問題になる事があったのだ。

 それは大分商の左腕エースの松本健が肘を痛めて立ち上がり
から山なりのスローボールしか投げないという異常事態の中、
大分商は4回に朝来浩一郎の2点タイムリーで先制し一旦逆転さ
れるのものの8回に再び朝来のタイムリーで追い付くが その裏
に2点勝ち越され敗れたのだった。

 大分商は前年春夏に出場し夏は大型ショートといわれた岡崎
郁を擁して弘前実・佐賀商・日大山形に勝ってベスト8に進出し
ていたのだが、前年のエース松本と4番を打っていた佐藤理が残
っており初戦の岩手・福岡相手に4-2で勝ち2回戦に進出。

 ところが1回戦の7回あたりから松本はスローボールばかり投げ
るようになっており、放送席では‘松本投手はもともと軟投派なの
で、こういった投げ方が普通なのか’的な形でアナウンサーと解説
者が話していたのだが試合後に左肘を痛めていた事が判明。

 当時スポニチで高校野球の評論を書いていた小嶋仁八郎・津久
見高校監督は‘エースが肘を痛めたら大変だ、痛み止め駐車を打っ
て頑張ってもらわないと’的なコメントをしていた。

 そして9日の初戦から中5日空けた2回戦では痛み止め注射も効
かず、初回からスローボールしか投げられなかったようで見てい
る方が痛々しかったのだ。

 こんな状態でよくぞ浜松商打線を5点に止めたなと思ったし、
マスコミは‘ド根性、松本’や‘これぞエースの鑑’といった称賛一辺
倒だったのを思い出す。

 皮肉な事に大分商に勝った浜松商エース浜崎修も肩を痛めてお
りベスト8では瀬田工に20失点して大敗しているのだから、当時
の風潮は肘や肩を痛めていてもエースが最後までマウンドを守る
のは当たり前というのが常識だったと今さらながら思う。

 この流れが91年の沖縄水産の大野倫まで続いた形で、大野が松
本と同じくスローボールしか投げられずに敗れて問題になり大会
前に肩や肘のチェックを受ける事になるなど僅かながらでは変わ
る事になったわけだ。

 それを考えると昭和の高校野球一番の問題がエースに依存し過
ぎるあまり、例え骨折していてもエースに拘るという外国から見
れば狂気とも思える事が常識だったという事だろう。

 とはいえ昭和の時代から高校野球を熱心に見ているオバちゃん
達にとっては骨折していてもエースは最後まで投げるというのが
常識だから、昨年の佐々木朗希のようにケガを恐れて登板させな
い事など言語道断という形で非難を浴びせていたのだろうから正
しく呪縛というヤツではないか。

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