3度の敗戦があったからこその筑豊大会連覇

 おかげさまで2週間前に行われたキックベース筑豊大会で、私が
率いている後藤寺チームが2年連続優勝を飾る事ができた。

 後藤寺チームは筑豊大会に14年から16年を除いて6年間で5回
出場しているのだが、子供達の入れ替わりがあるので連続優勝と
いうのは難しいと思う。

 ただ他の地域が子ども会単位で出場しているのに対しウチの場
合は小学校単位で出場できているので人材的に恵まれているし、
今年は何と言っても昨年のレギュラー5人を含む7人も残っていた
のが大きい。

 今年はエースを含めて野球をしている子3人が出場できなかった
のだが、それでも6年だけで10人揃える事ができたのはありがたい
話だ。

 それでも私が指揮を執った15年と17年に喫した3敗が、私や
チームの財産になっているのを実感する。

 私が正式に指揮を執ったのは15年からだが、この年は初戦で嘉
麻優勝の上西郷と準決勝で今回の準々決勝で勝ったKOMODAに
負けたし17年は4位になった頴田に敗れている。

 市の大会で3試合33点を挙げた攻撃力を武器に乗り込んだ筑豊
大会だったが、初戦で嘉麻市で優勝した上西郷の6年女子の豪速
球に2番までを打つ6年2人しか歯が立たず。

 ランナーが出塁すると右方向を狙われ、ランナーを出しても3
塁でアウトを取られるという見事な戦いぶりにセオリーを学ぶ事
になったのだ。

 また準決勝では逆転のきっかけとなったバックホームの悪送球を
したセンターの6年の子は雨で順延されたため出場可能になったが、
一緒に練習したのは僅か2日 ほどだった事からセオリーを教えきれ
てないまま臨んだし‘仮に負けても次がある’という事で本来ならば
守備に着けない子達を毎回キャッチャーとして交代させながら起用
して臨んだのだが逆転された4回にセンターからの送球のカバーを
忘れていた子も全くキャッチャーの練習をさせてなかった。

 17年は今年同様に6年だけでメンバーは充実していたので5年
以下の子達は適当にやらせていたら、この年も1週間順延となり
主力4人がサッカーの試合で抜けただけでなく残った主力4人の
1人がドッジボールの練習で指を骨折するなど緊急事態が起きた。

 悪い事にサッカーに出場する子達は木曜日まで出場する気満々
で4年の4人を合流させて練習したのは僅か1日で、適正ポジショ
ンを決めるのに初戦の3回までかかる事になったのだから2試合
目の頴田に負けても仕方なかっただろう。

 つまり15年のKOMODA戦や17年の頴田戦で負ける事によって
準備の大切さを痛感したし、15年の上西郷と17年から3回来校し
て練習試合を組んでくれた花咲台からセオリーを学ぶ事ができた
わけだ。

 また12年に優勝した大浦や14年に優勝した碓井は素晴らしい
目標になっているわけで、こういったチームとの対戦や交流なく
して筑豊の連覇はなかったと思う。

 スター・ウォーズEP・8でルーク・スカイウォーカーがヨーダ
に向かって‘私は失敗しました’と言うと‘よいよい失敗こそが最高
の師である’とヨーダが応えるセリフを改めて実感するものだ。

 

 

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