KO仕掛け人・ロイヤル小林 ただ1度の栄光

 今から32年前の今日・76年の10月9日はKO仕掛け人と言われた
ロイヤル小林がリゴベルト・リアスコを8Rで KOしてWBC世界Jフェザー級
王者になった日である。

 この年の5月8日にガッツ石松、18日に輪島功一と立て続けに敗れて
65年の5月18日にファイティング原田がエデル・ジョフレに勝って世界
バンタム級王者に輝いて以来 11年間続いた日本人の世界王者が
いなくなっていた。  

 世界王者不在を打ち破るために7月1日にバズソー山辺が WBCの
Jライト級王者に挑戦したが判定負け。
 バズソー山辺に続いて世界に挑戦したのが小林だった。

 ミュンヘン五輪のフェザー級でベスト8に入った小林は、持ち前の強打で
18連勝して1年前の10月11日にWBAのフェザー級王者のアレクシス・
アルゲリョに挑戦。
 果敢に打ち合いを挑んだものの、後に3階級制覇するアルゲリョは強く
4R終盤に得意の左フックをヒットしてグラつかせたが続く5Rに左アッパー
のボディブローを打ち込まれKO負け。
‘殺されると思った’とは試合後の小林の弁。

 それでも今、ビデオで見たら かなりいい試合をしていた。
 当時はアルゲリョについての知識がなかったからか小林に対しては
厳しい論調が目立った。

 半年後の76年4月にJフェザー級が新設されワルインゲ中山との決定
戦に勝って王者になったパナマのリゴベルト・リアスコへの挑戦となった
のだ。
 厳しい減量を乗り越えて10月9日に蔵前国技館のリングに立つ。

 リアスコも小林が挑戦する5ヶ月前にアルゲリョに挑戦して2RでKOされて
いたのだ。
 小林同様フェザー級から落としたため減量に苦しんだリアスコは、
やはり減量がきつかった小林のスタミナをクリンチ戦法で削り取ろうと
する。
 小林もそれに付き合う形で揉み合いとなり‘国技館だからって相撲を
するな!’
というヤジが飛ぶ中、ラウンドが進む。

 しかし小林は細かいパンチをクリンチ際で巧みにパンチを放つテク
ニックでダメージを与えて行き、7Rの終了間際に左フックをアゴに
決めて遂にダウンを奪う。
 そして8Rに連打をたたみ掛けてKO勝ちし、輪島功一が王座陥落して
から144日目にして日本にチャンピオンベルトが戻ってきたのだ。

 ただし以前書いた通り、46日後に厳寒の韓国・ソウルで行われた初
防衛戦で廉東均に逃げ切られ初防衛に失敗。
 その後、ウィルフレッド・ゴメスやエウセビオ・ペドロサといった名王者に
挑戦して敗れたため、このリアスコ戦の勝利が小林にとっては唯一の
栄光となったのだった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 14年ぶりの10... やはり名優に... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。