今日3月1日は公立高校の卒業式の日。
不思議と雨模様の日が多いのだが、私が卒業した30年前の3月1日も今年
同様 雨模様の1日だった。
30年前の3月1日は月曜日だったという事で小学校・中学校の卒業式は母親
が出席したのだが、この時だけは母親は出席せず父親が出席という形だった。
2年生は在校生として卒業生を送るために出席という形になるのだが出席する
のは学年の半分で残りの半分は会場の体育館から出てくる卒業生達を廊下で
迎える事になり、1年前の卒業式は私のクラスは見送り組だったため時間が来る
まで教室で暇つぶしをしていたので前日練習で初めて卒業式の雰囲気を味わう
事になった。
面白いのが小学校では3学期に入ると やたらと卒業式の練習が多かった。
特に‘贈る言葉’を1人やみんなで言う練習を入念にやらされていたので、最初
は授業がないのが嬉しかったのが最後は食傷気味で鬱陶しく感じて校歌斉唱の
時など替え歌を小声で歌ったりしていたものだ。
これが中学になると高校受験があるからか練習も簡素になり、高校にいたっては
前日練習のみという事になったのだから驚く。
しかも中学までは卒業証書を会場の壇上で貰っていたのが、高校では担任の
先生から名前を読み上げられた卒業生が返事をして起立するというもので卒業
証書は教室に戻ってからだった。
ちなみに教室に戻って担任の先生からの最後の言葉は殆ど忘れたが、唯一
覚えているのが‘今日で卒業しても今月一杯は籍は学校にあるので不祥事を起
こすなら4月1日以降にするように’という言葉だった。
解散後1年と2年の担任の先生に挨拶をして友人達と卒業打ち上げパーティー
の打ち合わせをし、学校を後にしたのだった。
当然ながら卒業の打ち上げパーティーはアルコールを飲むのだが一般の方々
にバレないように同級生宅に集まって行ったのは言うまでもない。